2 聖戦《せいせん》I somni & real

2-1 ソムニ現実レアル

 数日の内に、渉は脅威の回復力を見せ、松葉杖無しでも歩けるまでになっていた。が、ずっと喰人鬼グールに襲われた時の事を考えていた。

 (あの時、翔の言った言葉・・・なんであいつはあの事件の時、俺がその場にいたなんて口にしたんだ?十年前の事件の時、翔はその場に居合わせた。だけど俺はその直前に見た未来視ジャメブが怖くて詩織の家には行かなかった。だからあの時現場に俺がいなかったことは確かな事実なはずだ) 

 (しかも『詩織の母親を襲ったのはお前だったのか?』確かにあいつはそう言った。が、俺が詩織の母親を襲ったかもしれない。というのは、俺の未来視ジャメブの中での話だ。翔が知るはずもない)

 (だけど、もし何か知っているんなら、俺が今だにどうしても分からずにいる事、『十年前のあの時、俺は詩織の家に行かなかった。もう過去の事実だ。なのに、なぜあの未来視ジャメブを今も見るのか』の答えに近づけるのかも知れないな・・・)


「ここに運び込まれてきた時はほんとビックリしたんだから。でも、今はとりあえず一安心ってところね」

 ほっとした顔で目の前にいるかえでが声を掛ける。特別病棟の診察室で経過の説明を終えたところだった。

 カルテを閉じると机の棚に仕舞い、椅子を回転させて渉の方に向き直る。

「今回の出来事については詩織ちゃんから聞いてる。改めて、二人を守ってくれてありがとね」

「とにかく治療を最優先にしてたからこうやって落ち着いて話せなかったけど、まーかなりの無茶をしたものねぇ。精神科学的なダメージはほとんどないんだけど、肉体的にはアウトよ。この程度の怪我で済んではいるけど、普通ならまず間違いなく助かってないわ」

「俺が油断さえしなければ、きっとここまでひどくはならなかった・・・」

 喰人鬼グールとの戦いを思い出すと悔しさのあまり、思わず握った拳に力が入る。

 そんな渉の様子に楓は少し苦笑いを見せる。

「こっちに戻って来てたのね、おかえり、渉くん。小さい時からかわいかったけど、大きくなって一段とかっこ良くなったんじゃない?これは翔のライバル出現かなー?」

「そんな事を言ってる場合じゃないんです。通常ではあり得ない事が起こってるんだから。それで、翔はどうなんです?それに、詩織を一人にしちゃ・・・」

「翔は、まだ意識は戻ってないままよー。怪我の方はあなたと同じで、もの凄い速さで回復してるけどね。ただ、精神面でのダメージはかなりのものだから、もうしばらく掛かるでしょう」

「それから、詩織ちゃんはお手伝いさんが迎えに来て家に帰したから大丈夫よ」

「でも、どうしても心配って言うのなら様子を見て来たらいいんじゃないかしら?」

「安心って、詩織から聞いたんでしょ?相手は普通の人間じゃない!奴らの狙いは詩織なんだ。いつまた襲って来るか分からない!」

「だから、どうしても心配なら自分で確かめてくるのね。それに私の方でも手は打ってあるから。とにかくあなたは今はちゃんと休むこと!」

「手って・・・そんな悠長ゆうちょうな。奴らはピンポイントで詩織を狙って来た。もう警察とかそんなレベルじゃないんだって!」

 とにかく尋常ではない事態だということをまるで分かっていないかの様な楓の返答に、渉は思わず立ち上がって声を荒げている自分に気付き、咳払いをして座り直す。

「・・・とにかく、青葉の権宮司ごんぐうじとしてこのまま見過ごすわけにはいかないんです」

「そう・・・渉くんももう十七だもんね」

 渉の目を楓が正面から見据える。

「じゃあ、『朝霧』に応援を頼んでる。と言えばいいかしら?青葉の権宮司ごんぐうじなら聞いたことぐらいはあるわよね?」

「あさ・・ぎり・・・って、あの上甲賀かみこうがの、朝霧? 爺さんから、伝承だ。としてその名は聞いたことはあるけど・・・まさか実在するのか・・・」

「そ、だから、安心して。とまでは言わないけど、今あなたが一番やるべきことはしっかりと治すこと。そうやってあんまり気負ってばかりだと、またやられちゃうわよー?」

 皮肉まじりにそう言った後、楓は真剣な面持ちで続ける。

「とにかく、後は向こうに任せて今後は無闇むやみに関わらない!分かった?」

「あと・・・詩織ちゃんを少し気に掛けてあげて、気丈に振る舞ってるけど、きっと落ち込んでるわ」

「楓さん、あんた、一体・・・」

「ん?あぁ、見ての通り、至ってふつうの学者よー?朝霧とちょっとした知り合いのねっ」

 楓はそう言ってニッコリ微笑んだ。


 (朝霧あさぎり・・・爺さんから聞いた話では、霊をはら陰陽師おんみょうじと並び、古くから上甲賀かみこうがに拠点を構えるあやかし狩りの特官職。そこから分派した偵察部隊である忍者は今でも名が通っているが、本家である朝霧が本当に今も存在しているというのか・・・ただ、俺もその名はあくまでも伝承として聞かされただけだから中身はまるで分からない。下級のあやかしである喰人鬼グールでさえ、あんなに人間離れしているんだ。果たして彼らに任せて本当に大丈夫なんだろうか・・・。今回はなんとかしのげたものの、とてもこのままで終わるとは思えない)

 渉は、病院を出たあとやっぱり詩織が心配だったため、天ノ川家に向かう道中にいた。

 今回の件も含め、青葉に伝わる伝承については関係者には話しておいた方がいいだろう。ただ、詩織には、自分が狙われているから警戒をするように。とだけ伝える方がいいのだろうか・・・。変に余計な話までして悪戯いたずらに混乱させるだけだと本末転倒にしからならない。


 そう考えあぐねていると、やがて長く続く白壁に挟まれた木の門が見えてきた。その奥には、古くはあるが屋敷と言っていい程の、大きな木造の家屋や蔵がひっそりとたたずんでいる。

 その重厚な門の脇に取り付けられている呼び鈴を押すと、しばらくしてインターホンが反応する。

「どちら様でしょう?」

「青葉といいます。詩織さんは在宅ですか?」

「青葉さん、ですね、少しお待ちください」

 詩織とは違う声のその女性は、中で確認をしているのだろう、少しすると、

「今お迎えに参ります」

 (いや、開けてくれれば自分で行くんだけどな・・・)と思いながらしばらく待つと内鍵を開ける音がして門が開く。

「中へどうそ」

 そう言って招き入れる姿に少し驚いたが、気を取り直して中に一歩踏み入れる。

 途端に辺りの空気がピンと張り詰めているのが分かる。重くもなく軽くもない。空気自体がピッタリと止まっているその感じは良く知っているものだった。

「なるほど、大丈夫ってのはそういうことか」

 一通り辺りを見回すが、大きな敷地全体に渡って『結界』が張り巡らされていた。

 (これであやかしからは見えず、仮に偶然入ろうとしても素通りになるってところか)

 喰人鬼グールに襲われた時から無意識のうちに気負っていた緊張が少しほぐれた気がした。

「渉ー、もう退院出来たんだね!よかったー。入って入って!」

 玄関から出てきていた詩織が明るく手を振っている。

 奥の客間まで一緒に行くと、いつの間に先回りしたのか、門まで迎えに来てくれた人がお茶の用意をしてくれていた。

「渉、体はもう大丈夫なの?」

「ああ、怪我の方はもう大丈夫だ。詩織の方こそ、大変だったけど、大丈夫か?」

「うん、あんな事があって、冷静に考えると普通なら正気じゃいられないんだろうなと思うんだけど、なんか・・・うまく言えないんだけど、大丈夫っていうか、『ああ、そうなんだな』って。やっぱうまく言えないや・・・。あ、でも渉と翔に怪我させちゃったっていうのは結構こたえちゃってるかな・・・」

 そう答える詩織は、最後の方はうつむき加減で声も小さくなってしまっていた。

「さっき病院でかえでさんと話してきたけど、翔はもうしばらく掛かるかなって言ってた。まぁ逆に言えばもうしばらくで大丈夫だって言うことだ。そう心配するな」

 できるだけ詩織を元気づけようと笑顔を見せる。

「俺も見ての通り、もう大丈夫だしな。それより、門まで迎えに来てくれた人って・・・」

「あ、紹介するね。お二人、こっちに来てもらえますかー?」

「お二人?」


 詩織に呼ばれて、お手伝いさんと思われる人が詩織が座っている向かいにやってくる。

「こちら、彩月さつきさんと日向ひなたさん、このお家すごく広いから、色々と助けてもらってるの」

彩月さつきです。先程お迎えにあがりました」

日向ひなたです。お茶のおかわり、遠慮なくおっしゃってください」

 ある意味圧巻だった。先回りしているのではなかった。だが、そう思ってもなんの不思議もない。冷たいまでに均整の取れた全く同じ顔が、目の前に二つ並んでいるのだから。

「あ、渉やっぱりビックリしてる!お二人は双子なんだよー。私もいまだに時々間違えちゃうんだ・・・ごめんね、彩月さん、日向さん」

「いいえ、お隠れになった旦那様も良くお間違えになってらしたので、お嬢さまがお間違えになるのも無理はありません」

「え、なんだ?詩織、お前、お嬢さまって呼ばせてるのか?」

「違うー!呼ばせてるんじゃないもんっ!照れくさいからいいって言っても聞いてくれないんだもん・・・」

 詩織の話によると、どうやら物ごごろついた時には既に『姫さま』と呼ばれていたらしいが、いじめっ子に知れたらまずいからやめてくれと懇願こんがんしたところ、妥協点が『お嬢さま』だったらしい・・・。それに『お隠れ』って・・・詩織の父親が他界しているのは子供の頃に聞いてはいたが、ここまで古風だと流石にちょっと詩織に同情してしまう・・・

 それとは裏腹に最初に門で会ったときに驚いた事を、そっと詩織の耳元で聞いてみる。

「さっきから色々驚いているんだけどさ、もう一つ、なんで二人ともメイド服なんだよ、日本家屋と全くあってないんだが・・・」

「なんでって、お手伝いさんだから?似合ってると思うんだけどなぁ」

「そういう問題じゃないだろ・・・確かに二人とも似合ってはいるけど、日本家屋と徹底して古風な所作しょさ。そうなると和服じゃないのか?普通」

「でも小さい時から、あの格好だったよ、二人とも」

「では、その事については、私、彩月からお答え致します」

 (あ、聞こえてたらしい・・・どんだけ地獄耳なんだよ)

 彩月さんの話によると、元々はおそろいの和服を着ていたらしい。が、如何せん二人全く同じ顔格好なため、近所の子供がその姿を目撃した際、お化けがいると勘違いしたらしい。

そして、それが原因で詩織がイジメられている事を知り、これならお化けには見えないだろうとメイド服となったようだ。(それはそれで怖い気もするが・・・)

「ああ、そういえば確かに『お化け屋敷の子』だってイジメられてたな、小さい時。これだったのか・・・」

 今更ながら妙に納得がいく瞬間だった。


「しかしこの和風の家の雰囲気、懐かしいな。小さい頃はよく遊びに来てたもんだ。けど、あんな大きな門なんてあったかなぁ・・・?」

「皆様が当時遊んでいらしたのは、離れの方ですので、おそらく勝手口から入っていらっしゃったんでしょう」

 と彩月と同じ顔、同じ声で今度は日向が答える。

「そっか、あれは離れの方だったのか・・・詩織、懐かしさついでにちょっと見てきてもいいか?」

「あ、じゃあ、私もいくよ」

 と詩織が腰を上げるが、日向がそれを制する。

「青葉様は私どもがご案内いたしますので、詩織お嬢さまはお着替えになってください。ずっと制服のままというのもいかがかと思いますので」

「あ、そっか・・・じゃあ日向さん、彩月さん、お願いしまーす。渉、また後でねっ!」

 そう言うと詩織は小走りで奥に駆けていった。

「カラ元気かもしれないが、とりあえずは、まぁ大丈夫そうだな。あんなことがあったってのに・・・こっちは驚かされっぱなしだ」

 むしろろこっちが元気付けられている気がして、思わず苦笑いをしていた。



「二人とも、わざわざ案内してくれてありがとう。少し質問しても?」

 離れに向かいながら渉は二人に声を掛ける。

「ええ、もちろんどうぞ。何でしょう?」

 二人揃って渉の方に顔を向ける。

「ここに張られてる結界、あんたたちが?」

 一瞬、間をおいてから、彩月さつきが答える。

「ええ、そうです。やはり青葉のお方。お分かりになりましたか」

「これだけの大掛かりな結界、しかもずっと張り続けるとなると、相当な力量が必要なはずだ、あんたたち、もちろんただのお手伝いさんじゃあないよな?」

「私たちは詩織お嬢さまをお助けするのが役目です。もちろん身の回りのお手伝いをするのもその一つです。ただ、お嬢さまにずっと付いてまわる訳には参りませんので、この屋敷の外にいる間は、青葉様、どうぞお嬢さまをよろしくお願いします」

「それは、もちろん分かって・・「この先が離れの居間となります」

 渉の声に多少被せるように、日向が先にどうぞと譲る。

 足を踏み入れると視界に入ってくるのは。奥にある縁側とその向こうに見える中庭。小さい時によく三人で遊んでいた場所のままだった。

 そして、まさに今、目の前に広がる居間の間取り。今だにに見るあの未来視ジャメブの現場そのものだった。


 その瞬間、目の前にいつもの未来視ジャメブがフラッシュバックのように映し出される。

『目の前で詩織の母親が倒れていく光景』

『倒れた母親の横で泣きじゃくっている少女の光景』


 入り口でたたずんで中を見入っている渉に彩月が口添えする。

「あの事件が起こったのもここなんです。なのでこちらには極力、詩織お嬢さまをお連れしないようにしております」

「詩織を着替えにやったのはそういうことか・・・。俺ももちろん、できるだけ詩織の側にはいるつもりだが、恐らくこのままでは済まないだろう。それと、知っているかどうかは分からないが一応耳に入れておくと、朝霧に応援を頼んでるそうだ。翔の母親がそう言ってた」

「そうですか・・・それはお教えいただき、ありがとうございます」

 そのまま縁側まで出て辺りを見渡す。ここから見る中庭も幼いころ遊んだ当時のままに、手入れもしっかりと行き届いている。

 (今回、奴らは直接詩織を襲ってきた。やはり狙いは詩織だと見るべきだろう。だけどどうやって詩織を見つけた? 当初の俺の目的である翔を覚醒めざめさせるってことは何とかできたようだが・・・一体全体何が起きているって言うんだ? どうにも俺が今持っている情報だと足りなさすぎるな・・・。それにしても、この今だに見る未来視ジャメブ、どんな意味があるってんだ。まるで、やっぱりおまえが襲ったんだ。って言われているみたいで気味が悪いぜ。全く)

 

 そう心の中で毒付きながらそろそろ戻るかと居間の入り口の方に振り向いた瞬間、

『翔の手を掴んで引っ張り上げている光景』

が目の前に眩しく映し出される。


「・・さま・・・ば様?」

「青葉様、どうなされましたか?」

 不意に現実に戻されると入り口で日向が怪訝けげんそうにしている姿が目に映る。

「いや、何でも・・・そろそろ戻りましょう」

 その後客間まで戻ると、既に部屋着に着替えた詩織がお茶を入れ直していた。少しでも気が紛れればと、しばらく取り止めもない話をした後、やたらと一人で行動しないように。とだけ釘を刺して詩織の家を後にした。



「あのー、彩月さつきさん」

 渉が帰った後、詩織は衣替えのため、詩織の服を入れ替えている彩月に声をかける。

「何でしょう?詩織お嬢さま」

「お洋服なんだけど、胸が開いてないのってどの辺にしまってましたっけ?」

「どうかなさいましたか?」

「さっき着替えている時に気付いたんだけど、胸の所にアザみたいのができちゃったみたいで・・・ぶつけちゃったりしてないと思うんだけどなぁ」

「アザ、ですか、見せていただいてもよろしいですか?」

「うん、ここなんだけど、ほら、薄っすらと。なんかよく見ると模様みたいで面白いね。すぐ消えるといいんだけどなー・・・」

 そう言って部屋着の首のところを引っ張って彩月に中を見せる。

「確かにアザのようですね、れたりはしていなくて良かったです。日向ひなた、私よりも詳しいでしょうから見てみてくださいな」

 日向は横から中を覗き込むと隣の彩月にうなずいて見せる。

「そうですね、血行を良くすると、消えるまでの時間を短縮できたり致します。温湿布をお持ちしますね」

日向ひなたさん、凄い!詳しいんだね、ありがとうー」



 それからしばらくは、何者かに襲われたという事件や行方不明のニュースを聞くこともなくなっていった。

 翔はといえば、数日で意識が戻ったのは良いものの、目が覚めた途端、母親から散々小言を浴びせられ、改めて無闇むやみに関わらないことを念押しされた。のと、毎日のように詩織と恵が様子を見に来てくれていたらしく、例の悪い顔で散々いじられた。それからは、いくつか検査をしたものの問題なく登校できる程に回復するまでに至っている。渉の様子が気になったが、見舞いに来た詩織の話では翔よりも随分と早く退院していて、調べ物があるからと一旦、本家の方に戻っているとの事だった。そんなこんなで次第にいつもの日常に戻りつつあった。


 「久しいな翔、ニュースでは見てたりしてたけど、まさか自分のが襲われるとはなぁ。でも学校に来てるってことは、もう大丈夫なんだろ?」

 早速、隣にやってきた岡崎が物珍しそうに色々聞いてくる。

「それで?病院までインタビューとか取材とか来たりしたのか?そのうちテレビに映っちゃったりするのかね?おお!そのうち俺の所にも来てコメントとか求められるかもしれんな!今から考えておかねば。「ええ、親友のアイツはいい奴でした、今でも信じられません!」っと、それから・・・」

 いつものように勝手に妄想を繰り広げている。その様を眺めながら世の中は平穏なんだなと改めて実感する。まだ一抹の不安はあるものの、あれ以来、詩織の周りにも不審な様子は無く、あの『声』も聞こえてこない。喰人鬼グールが襲ってきた事自体がまるで夢だったかのような気さえしてくる。

「岡崎・・・盛り上がっている所悪いが生憎あいにくオレはまだ生きてるよ・・・それから、っていうのは相手が入院してたらお見舞いのひとつもしに来るもんじゃないのか?」

 こういうのも悪くないもんだなと思いつつ、皮肉交じりに相手をする。

「まぁまぁ、翔、YUKIちゃんのサイン会などで俺も多忙だったんだ。お前の照れる気持ちも分からんでもないが、ここはもっと素直にだな・・・」

「一ミリも照れてないわっ!ったくどう聞いたらそうなるんだ。それにYUKIちゃんって誰だよ?九条はもういいのか?」

 それを聞いた岡崎が大袈裟にたじろぐ。

「何を言ってるんだね、お主、まさか知らないのではあるまいな! MIRÄI-YUKIのYUKIちゃんだよ。何かこう、クールな九条を彷彿ほうふつとさせつつも、さらに大人っぽい色気をかもし出しているというかだね、あの瞳の奥に何か秘めてるって感じがだねまたグッと・・・」

 いつもの調子で延々と続いている岡崎の妄想も、今は心なしか和む気がしないでもないが、途中からはそっと耳を塞いでいた。

 と、スマホが振動する。画面を見ると渉からのメッセージだった。

(翔、詩織から連絡は貰ってる)

(意識が戻って良かった。体調は大丈夫か?)

(今本家にいるが、明日にはそっちに戻る。早速で悪いんだが、

今回の件も含めひと通り話をしておきたい)

(放課後みんなを集めてもらえるか?)

                      (分かった。誰を集めればいい?)

(詩織と、あとできれば九条のお嬢さんも。ちょっと知恵を借りたい)

(それからもちろん翔、お前もな。落ち着いて話ができる所で頼む)


 まだ隣で自分の世界に浸っている奴を視界の片隅に入れつつ、しばし考える。


                      (じゃぁ、生徒会室がいいと思う)

               (九条さんに頼んでみるけど多分大丈夫だと思う)

(分かった、じゃぁ明日な)



 翌日の放課後、翔と詩織、そして恵の三人は生徒会室で渉が来るのを待っていた。

「あ、九条さん、なんかずっと見舞いに来てくれてたみたいで、ありがとう。もう大丈夫」

 昼間はなかなかに面と向かって話すタイミングが難しく、今となってしまっていた。

「いえ、そもそも声の話をしたのは私ですし、気の済むようにしているだけなので。私の方こそ、こんな事になってしまって、ごめんなさい。ずっとアイリスが色々聞けとうるさいんですが、少し落ち着いてからにしますね」

「渉、直接ここに来るのかなぁ?翔、渉ここの場所知ってるよね?」

 そう言って詩織が席を立とうとした時、入り口が開いて渉が入ってくる。


「少し待ったか、すまない。翔、顔色良さそうで良かった。それから九条さん、場所の確保、助かる。が、生徒会の他のメンバーが突然来たりはしないのか?」

 空いている恵の隣に座りながら渉が意外と広めの室内を見渡す。

「それはありません。生徒会のメンバーは私だけですので」

 しれっとそう言い放つ恵をよそに、他の面々は目を丸くする。

「寧ろ私一人の方が運営しやすいので、先生方にはその旨了承いただいています」

「そっかー、そういえばここで他の人見たことないや。でも恵先輩、何か困ったらいつでも声かけてくださいね!この詩織、今日から生徒会のメンバーになりましたー」

「ありがと、詩織。じゃぁ何かあった時にはお願いするわね」

 手をあげて宣言している詩織に恵がクスッと笑って答える。

「それより青葉くん、話というのは?」

「ああ、色々考えたんだが、俺の知っている事は聞いておいてもらった方が良いと思ってな。できるだけ的を絞って簡潔に話すからよく聞いてくれ」


「まずは、この十年の話だが・・・」

幼い頃から未来視ジャメブを見る事

あの事件の後、すぐ青葉の本家に戻された事

十五歳の時、『声』を聞いて覚醒し、喰人鬼グールと戦った時のような能力が使えるようになった事

 を伝えた。余りに現実離れした話をしているため、一旦、間を置いて様子をうかがう。

「なるほどー、恵先輩が言ってた『声』がその能力と関係あるんだ。こないだの翔のドーンってのもそれだったの?」

 詩織がそう言って隣の翔の方を向く。

「確かに・・・あの時『声』が聞こえた。『その覚悟護ってやろう』って、その後はとにかく夢中で・・・気がついた時にはもう病院のベッドだったけど、あはは・・・」

「あっ!って言うことは、恵先輩はとっくにドーンって出来るってことですか?」

「私?できないわよ。確かに『声』は聞こえるけれど、そう言うのは無いみたい」

「それより青葉くん、随分、間が飛んだようですけど、事件から十五歳までの間は、何を?」

「まぁ、その間は、なんだ、まぁ色々だ」

「特に何もして無かったと理解すればいいのでしょうか?」

「色々だよ!この話には関係しないから飛ばしただけだっ、めんどくさい奴だな」

 その言葉に少しムッとして恵は下を向いてしまった。

 しまったと思ったがもう戻れない。その姿を横目で見ながら小さく咳払いをする。

「ここまでが俺自身の話、次が今起こっている事についてだ」


「さっき話したように十五歳で『声』を聞いた訳だが、その時、俺の爺さん、まぁ師匠みたいなもんだ。から青葉の伝承として受け継がれている話を聞かされた」

 それによると、と続ける。

「この世の中は二つの世界で構成されている。一つは今俺たちがいる現実世界、そしてもう一つは夢世界、文字通り眠ってる時に見る夢や人々が抱く願望の世界。近年では、現実世界のことは『レアル』、夢世界のことは『ソムニ』と呼んでいるらしい。この二つの世界は並存しつつも互いに干渉はしない」

「その、干渉しないっていうのは?」

 夢の話が少し引っ掛かった翔が口を開く。

「分かり易く言うと、俺たちが眠っている時に夢を見ても、その夢の内容は現実では起こっていない。夢の中だけの話だ。翔、お前が何度も見ると言ってた夢の事を気にしてるんだろうが、それは過去に起こった事実のものだろ?」

「・・・続きがあるんだ、その夢には」

「続きがあるのか?それって、もしかしてあの事件の時、俺に言った言葉と関係があるのか?」

「その話、長くなるなら後にしたらいかがですか?話が少しれている気がします」

 割って入った恵は気付かれないように詩織を横目で見ている。

 その恵の様子にハッと気付き、話を元に戻す。

「いずれにしても、夢と現実は相容あいいれないものであり。不可侵であるということだ」

 が・・・、と一息ついて続ける。

「その不可侵が破られた時、干渉が始まる」

「恐らく先日の喰人鬼グールの件はその干渉の一環だろう」


「それともう一つ、『護り手』『護り子』についてだ」

「護り手というのは、能力に目醒めた人の呼び名だ。そして護り手は護り子を護るのがその役目。今回、喰人鬼グールは明らかに詩織を狙って襲ってきた。恐らく護り子は詩織だと見て間違い無いだろう。そして今後も狙われる可能性は高い。詩織が一人でいるのは避けた方がいいだろう」

「私?なの?でも何で私なんだろう・・・『声』とか聞こえたことも無いよ?」

「護り子について、爺さんは詳しく話さなかったが、文字通りに捉えると、何かを『護っている』んだろう。『声』は関係しないのかもしれない」

 

「前置きが少し長くなっちまったが、ここからが本題だ」

「今話したように現状では断片的すぎて、良く分からない部分が多すぎる。だから本家に行って来たんだ。これを見てくれ」

 机の上に古びた一幅いっぷく掛軸かけじくを広げる。

 

■青葉家の伝承(写)

『天の掌 僻すれば

 つづら解かれし 夢見子に

 龍口の真名 顕れり

 夢か現か幻か

 果たす行方は 神の意のまま』


「なんか昔の和歌みたいな響きだけど、難しい言葉ばっかりでよくわかんないね・・・」

 何度か自分で復唱していた詩織が諦めたように口にする。

「ああ・・・本家の本殿の奥にまつってあったんだが、昔の人っていうのは何でこうも面倒にしたがるのかねぇ」

「渉が言ってたその爺さんって人に改めて聞いてみればいいんじゃないか?」

 翔が書かれた言葉をしばらく眺めていたが、自分ではお手上げとばかりに顔を上げてそう提案してくる。

「本当はそのつもりで本家に行ったんだが。爺さん、ここしばらくの間ずっと留守にしているらしくてさ。当たりをつけて色々調べてやっと見つけたのがこれなんだ」

「そんな訳で、桁違いのIQだと噂されている九条先生のお知恵を拝借したいと思ってね」

 じっと聞いた恵は、表情を変えないまま皮肉たっぷりに反応してくる。

「あら、めんどくさい奴なんじゃありませんでしたっけ?」

「あーっと、面倒って言うの俺の口癖?みたいなもんだから。悪気はないんだ、気にしないでくれ」

「気にするかしないかは、言われた方の尺度ですし、どうとらえても悪意としか思えませんが」

「そいつはごもっとも・・・でも、そこは詩織のためだと思ってさ」

 恵が小さくため息をつく。

「別にあなたと口論をするつもりは無かったんですけど・・・その伝承・・・夢と現実の世界の均衡バランスが崩れたことによって何らかの封印が解かれてしまい、そのせいで詩織が狙われているのかも・・・」

「はやっ!恵先輩もう分かったの?」

 詩織が口を開けてあからさまに驚いている。

「大体ならそれほど難しくは無いでしょう。さっきの話と書かれてる事から推測してという意味よ。分からないところも勿論あるし」

「その、推測ってやつでもいいから、もう少し詳しく聞かせてくれ」

「こういうものは、わざと見ていくと、意外と繋がったりするものです」

 恵はピクリとも顔を動かさず、真っ直ぐに掛軸に書かれている伝承を見据えている。

 (思いっきり根にもってるじゃないか。こりゃ面倒だな・・・)


『天のてのひら へきすれば』

「これはまず、『へきする』というのは、一方にかたよるという意味です。その前の『掌』は『てのひら』と読むことが多いですが、『たなごころ』とも読み、支配するという意味があります。『天』を世界の意味だとして、さっきの話と組み合わせると、

『夢世界と現実世界の支配がかたよることにより』と推測できます。


『つづらかれし 夢見子ゆめみこに』

「『つづら』がそのままだとすると、つるで編んだかごのことです。でも『解かれし』というのが・・・私の知る限り、つづらはひもなどで結ぶことはしないので、この『解かれる』という表現は繋がりません。でも、解かれるべき何かがあると仮定して、次の『夢見子』というのが、さっきの話に出てきた『護り子』の別の表現を意味するのだとすると、

『護り子が護っている何かが封印されていて、その封印が解ける』となります」

 ただ、少し無理がある解釈だし、なぜ『夢見子』という表現がされているかは全く・・・」


「それから、その先はまだ何とも。『龍口』・・たつのくち・・りゅうこう・・どこかで聞いたような気はするんですが・・・」

 恵は口元に手を当てて思案している。

「あれ?ちょっと、いいかな?」

 翔が掛軸を見ながら不意につぶやく。

「どうした、翔」

「この『真名』ってなんて読むんだろう?」

「んー・・・思うにそれは『しんめい』で、その前の『龍口』の本当の名前が分かる、なんて意味じゃないのか?」

「これって、『まな』とも読めるよね? こないださ、アイリスさ、アイリスと話した時に『まなで呼ぶのは構わないけど』って言ってたんだ」

 翔が渉の方を見てそう口にする。

「アイリス?」

「つまりさ、この『あらわれる』ていうのは、渉の話でいう護り手のことなんじゃないのかな?」

「いや、そういうことじゃなくて・・・」

 三人は、次に何を言い出すのか期待している面持ちで一斉に渉の方を向く」

「アイリスって・・・何だ?」

「あ、ごめん!渉はまだ知らなかったんだ、勝手に」

 と翔が慌てて恵の方を向いて謝る。

「別に構いません、今は散々その話をしているところですし、ここで隠す必要もありませんから」

 と言って、少し渉の方に向き直る。

「アイリスというのは、私の中にいる声の主で、その呼び名の事を『真名まな』というらしいのです。確かに、そうだとすると神ノ木くんの話もうなずけます」

 その恵の言葉に渉がいぶかしげな様子を見せる。

「こいつは驚いた・・・名が明かされてるのに能力には目醒めざめてない。ということは盟約は交わされてないってことか」

「盟約?ってなんだ?渉」

「ああ、俺の時は、『クロノス』っていう名が明かされると同時に『護り手になる』と宣言されたんだ。で、それをもって盟約が成されるようなんだが、翔、こないだ襲われた時、声の主は名を明かさなかったのか?」

 翔はしばらくの間、記憶を辿たどっていたが、

「そういえば、言ってたな。確か・・・『韋駄天いだてん』? として護ってやるって」

「そりゃ何とも古風だな・・・でもそれが翔の護り手の『真名まな』なんだろう。であればその時、盟約は交わされていると見ていいだろうな。そうなると護り手とは会話が出来るようになってるはずだ。試しに呼びかけてみるといい」

「・・・」

「どうした?」

「やってみてるんだけど・・・うまく聞こえないんだ、ずっと雑音みたいな感じで」

「ん?まぁこれに慣れが関係するのかどうか全く持って不明だが、反応自体はあるのなら、しばらく試してみるしかないか」

 と言うと、渉は掛軸に視線を戻す。

「と、また話がそれちまったけど、最後の二行については、これは夢世界と現実世界のことなんだろう。そしてその結果は『神ののまま』=神のみぞ知る=誰にも分からないって感じだろうな」

「この『幻か』ってなんなんだろうね。ひょっとして本当は全部幻でしたー!なんてオチもあるのかなぁ?そんなのいくら神様でもちょっとひどいよね・・・渉、神社の人なんだから皆んなが無事なようにちゃんとお願いしといてよね!」

 そう言って不満げに口を尖らせている詩織の前では、恵が口元に手をあててじっと考え事をしていた。

「でも、これで何となくは繋がってきたな。知恵を貸してくれて助かったよ。ありがとう、みんな」

 渉がそう礼を言うと、翔が神妙な面持ちで顔をあげる。

「それで、これからオレたちはどうしてればいいんだ?詩織が狙われているからには何か対策をしないと。また・・・」

「そのことだが、先日、詩織の家に行った時、屋敷の中は特殊な結界が張られていた。だから家にいる時は大丈夫だろう。学校にいる間は昼間でこれだけの人混みだ、奴らもおいそれとは襲っては来れないはずだ」

「そういえば、こないだも明るいコンビニの中には入って来なかったよ!」

 詩織が思い出したように付け加える。

「となると、家から外に出る時、通学や買い物とか。とにかく詩織は一人では出歩かないことだな。翔でも俺でも、誰かと一緒の方がいい」

「うん、分かった!」

「それから翔、俺がこっちに戻ってきたのは、お前を目醒めさせるのが目的だったんだ。お前が護り手となるためにな。戻ってすぐの時は・・・状況を確かめる必要があったんだ、すまんな」

「?」

「いや、いいんだ、言っておきたかっただけだ」


「最後に、この掛軸を預かっておいてくれないか?」

 と、渉が恵に掛軸を差し出す。

「なぜ私に?」

「今後、この掛軸に書かれている事を改めて推測できそうなのは、恐らくこの中で一人だけだ。何か気になるところもあるみたいだしな。それに・・・」

 少し間をおいた後、渉が続ける。

「九条家もかなり古くから名をせている由緒ゆいしょある家系だ。その配下も含めると相当な影響力を持っていただろう。何か今回の件についての手掛かりが残っている可能性は充分にあると思う。念のため、それを当たってもらいたいんだが」

「・・・私には無理です」

「九条の家のことを良く思ってないことは聞いた。だけど、いつまでもそうやってソッポを向いている訳にも行かないだろ?そうしてたって、九条のお嬢様である事実は変わらないんだ。割り切るしかないと思うんだがな」

「そんなことは分かっています!でも・・・分からないから、あの家に九条 恵という人形は必要でも、私自身は必要じゃない。だから、私はどうしたら良いか分からない。ずっと、ずっと昔から分からない。だからもう家の内面には関わりたくない。九条の家は私という存在を拒んだ、そのせいで私は他の人の事も分からない。だから、もう私からは何もしない。だから・・・私には、無理・・・」

 そう言いながら恵はギュッと目を閉じ、小刻みに震えてうつむく。

 翔もその話は詩織から少し聞かされてはいたが、ここまで深刻だとは思いもしなかった。

 辺りを重苦しい空気が流れていく。


「やれやれ、何かと思ってたが、案の定、ただ一方的にビビってるだけの思い込みだったか」

 辺りの空気なんかお構いなしに渉が辛辣な言葉を浴びせかける。

「渉、それはちょっと言い過ぎなんじゃ!」

 慌てて翔が間に入る。

「なんにも過ぎちゃいない、言葉の通りだ。このお嬢様が他人を分からないのは自分自身に関心が無いのが原因だ。それを人のせいにしてるだけなんだよ」

「何ですって?」

 恵が小さく反応する。

「自分を無理やり閉じ込めた挙句あげく、気付かないふりをするなんて、それこそ何ら人形と変わらない」

「自分で敷居しきいを作っておいて他人が分からないなんて、そんなの当たり前だ‼︎」


 渉のその大きな声にビリビリとした沈黙が流れていく・・・

「・・・・何が分かるの? あなたなんかに私の何が分かるって言うの?」

 渉をキッと見据える。

「アンタなんてアタシのイッチバン嫌いなタイプよ。何よその自分だけ分かったような態度、権宮司ごんぐうじだか陰陽師おんみょうじだか知らないけど、感じ悪いったらありゃしない!」

「なんだ、目を見てちゃんと思った事言えるんじゃないか、ま、お嬢様にしては何とも大層な物言いではあるけどな。ちなみに権宮司ごんぐうじ陰陽師おんみょうじは全くの別物だ。そんなんじゃそれこそその苗字が泣くぞ?てか、そもそも陰陽師おんみょうじって言うんだったら・・・」

 渉のその一言で拍車がかかり、さらに声を荒げた恵が盛大に噛みつく。

「分かってるわよそんなこと!放っておいて頂戴。生憎あいにくこの苗字には何の思い入れもありませんから。というか寧ろ嫌いですからっ‼︎」

「はいはい、分かりましたよ、めぐみ

「なっ・・・#$%&!」

 みるみるうちに恵の顔が真っ赤になり、頭からは湯気が立ち上がっている。

「ちょっと、何、勝手に名前で呼んでるのよ、今まで男子の誰からも名前で呼ばれたことないのに、アンタに名前で呼ばれる筋合いなんてないわよ!」

「何でって、苗字、嫌いなんだろ?だから名前で呼んだ。何か問題でもあるのか?まさかとは思うが『さん』を付けなさい。なんて気持ち悪いこと言わないよな?」

「つッ、別に・・・ない・・わよ」

「じゃ決まりだな」

 渉はニッコリと笑う。

「俺はちょっとこの後、こっちで確認しておきたい事があるから悪いが先に行く、翔、恵、帰り、詩織頼むな」

 そう言って渉は生徒会室を出ていった。



 渉が出ていった後しばらくの間、恵の怒りは収まりそうもなかった。

「ムカつくむかつくむかつくムカツク・・・あー、何なのアレ」

「大きな声出せばいいとでも思ってるの?」

「何よほんと偉っそうに!何なの?俺は分かってますみたいなあの態度」

「同じ目にあったことなんかないくせに人の気も知らないで!」

「しまいには人のことを呼び捨て⁉︎ほんっと信じられない」

 腕組みをしたまま教室の中を行ったり来たりしていたと思えば、突然立ち止まって両腕を下に広げてキーっと噴火している。恵の文句は当分続きそうだ。


 翔と詩織はその怒りに触れることの無いように、少し下がってヒソヒソと話していた。

「そういえば、私たち以外ですんなりアイリス先輩が出てくるのって、珍しいよね。よっぽど頭に来たのかなあ・・・でも、渉とアイリス先輩の口喧嘩って、なんだか楽しそうに聞こえるよね!」

「(かすれ声)そうかー?オレにはどう聞いても楽しそうには聞こえないがなー、いつもヒヤヒヤもんだ・・・」

「でもさ、最近、たまーに恵先輩なのかアイリス先輩なのかよく分からない時あるんだよね、ねぇねぇ、さっきのって、ほんとはどっちだったんだろ?」

「ありゃどう見てもアイリスの方なんじゃない?もの凄い剣幕だったし・・・」

「あとさ、あとさ、先輩が言ってた、ゴングージ?とオンミョージって、なんか似てるよねっ」

「そこ?まぁでもあれは九条さん的には精一杯皮肉ったつもりなんだろうな。全く、渉は渉で、聞き流せばいいものを・・・あれ、わざとやってるよな、絶対・・・」

『あーっ!』

 詩織が唐突に大きな声でそう叫びながら翔を指さす。

「うわぁーっ、何?何だよ?いきなり」

「翔も『九条さん』って苗字で呼んでると怒られちゃうよ?」

「うっ、そんなこと言われてもなぁ・・・」

 いつかの『苗字で呼ばれるの、嫌いみたいよ?』を思い出し、翔は指でほっぺをかく。

「ところでさ、翔」

「ん?」

「ゴングージって・・・何?」

「何だろな?」

 翔と詩織はしばらくの間、目をしばたたかせながら互いの顔を見合わせていた。


 やっと怒りが収まりつつある恵がそれに気付いて近づいてくる。

「まぁ、普通はあまり聞かない言葉だし、知らなくても不思議ではないわね」

権宮司ごんぐうじっていうのは神社で神職しんしょく巫女みこをまとめる役職の呼称よ。こないだも言ったけど鶴ヶ丘神宮は青葉がまとめているの」

「で、陰陽師おんみょうじっていうのは、本来の意味では今で言う『占い師』ね。昔は科学なんてものは存在しなかったから、そういうものに頼る傾向があったみたい。まぁそういうたぐいだから、公家とかの政権を握っていた人たちや名家の側近として、要職にいていたようね。

近年だと、どちらかと言うとオカルト的な意味合いが強くなってきて、呪具じゅぐを使った呪術じゅじゅつ除霊じょれい祈祷きとうをする人の呼び名という意味合いの方が知れているんじゃないかしら」


「あ・・・やっぱ、思いっきり皮肉の*つもり*だったんだ、あれ・・・」

「あれ?確か最初に会ったときは、恵先輩、青葉のお家はミヤツカサ?って言ってませんでしたっけ?」

「ああ、宮司ぐうじの事ね、会社で言う所の社長が宮司ぐうじ権宮司ごんぐうじは副社長って所ね、あの時は青葉の家系があの神宮を仕切っているという意味で宮司みやつかさって言ったんだけど、まさか彼が権宮司ごんぐうじいてるなんてね」

「ほぇ〜。そんな事まで、よく知ってますね、先輩」

「ええ、この間のやつで流石に頭に来たから少し調べたの。宮司ぐうじは青葉 すすむ、彼の父親ね、そして、こっちにある鶴ケ丘神宮は分家、本家は東北の方に構えてるらしいわ。彼、ここに来る前はそっちにいたみたい」

「そこまで調べ上げるとは・・・結構気になってるんですね、先輩!」

「なっ、バカ言わないでよ、喧嘩を吹っ掛けられた時のための情報収集、ただそれだけよ。言われっぱなしじゃしゃくさわるもの」

 口にした後、その自分らしくない発言に気づき、恵はハッとする。

「でも、最近の先輩、なんだか楽しそうですよね!」

 


 その夜、恵の部屋の机の上には、結局持って帰ってきた掛軸が置かれていた。

 ベッドで寝転がっているとスマホがポヨーンと鳴る。画面を見ると詩織からだった。

(恵先輩、起きてますかー?)

            (そろそろ寝ようかと思ってたところよ、どうかした?)

(特に用って訳じゃないんですけど)

(今日色々あったから、どうしてるかなーって)

            (ありがと。大丈夫。詩織のそういうところ、嬉しいわ)

(ほんとですか?やったー!)

(あの、渉、あんな言い方だったんですけど)

(嫌ってる訳じゃないと思います)

                   (そう?散々な言われようだったけどね)

(むしろ先輩のこと気になってるんじゃないかなぁ)

                  (まぁ、少なくとも好かれては無いようね)

                        (ちょっと!何言い出すの!)

(詩織ちゃんの勘ってやつですぜ、ふふふ)

                  (バカなこと言ってないで詩織も寝なさい)

(はーい、じゃ先輩、また明日〜)


 スマホを置こうとした時、机の上に置かれている掛軸が目に入る。

(むしろ先輩のこと気になってるんじゃないかなぁ)

 放課後の生徒会室での出来事が脳裏に蘇る。

 思い出すとだんだん腹が立ってきた。

 目の前に丁度良さそうな枕がいる。

「何なのアイツ、思い出しただけでも腹が立つ!あー!もう。あのエラそうな態度!絶対に許さない‼︎アイリスもアイリスよ、肝心な時にはダンマリで。普通出てくるでしょ、あれだけ言われてるのに!」

 ひとしきり、ぽこぽこと枕をやっつけるとやっと気分が落ち着いてきた。

 ぽこぽことやっていた手を開いててのひらを見つめる。

 (自分自身に関心が・・・無い?・・・無いわよ。そんなもの、必要ないもの・・・そう・・・必要なんてない・・・)

 自分の手のひらをじっと見つめる。

『・・・寧ろ心配してくれてありがとう』

『・・・最近の先輩、なんだか楽しそうですよね!』

『・・・はいはい、分かりましたよ、めぐみ

『言われっぱなしじゃしゃくさわるもの・・・』

 (こんなの私らしくない)

 心に深く刻まれた幼い頃の母親や友達とのやり取りが思い浮かぶ。

 (もう自分からは何もしない、それが一番。そう決めた。また自分の気持ちを表に出したら拒否される。あんな思いをするのはもう沢山。ずっとそうして来たし、これからもそう。それが私)

 自分に言い聞かせるようにギュッと手を閉じる。

 ふと別れ際に見せた渉の笑顔が頭をよぎる。


「・・なのに・・・・・何?・・これ・・」

 天井を仰ぎ見る恵の目からこぼれた涙がツッと頬をつたう。決して悲しい訳でも辛い訳でもない。その今まで感じたことのない何かで胸はいっぱいになり、涙はどんどん後から溢れ出てきて、ずっと、ずっと止まることはなかった。




 ————————

「鍵を連れてくるんだ」

「今はまたマナの気配が抑えられている様だが、一旦は封印が解けている。大凡おおよその目星は付くはずだ。」

「今のうちに喰人鬼グールなどと言う子供騙しじゃなく、もっと上級を直接送り込め」

「器ごと連れてきて仕舞えば、その開け方は知っている」

「有り得ないほどの絶望だ」

「レアルの者共は愚かでしかない」

「夢を見るなんて綺麗事を並べてはいるものの、そのじつ、現実が一番だと考えている。それは何故か?」

「夢を実現する過程には往々にして数多あまたの困難が付きまとう、それに比べれば現状維持の方が遥かに楽だからだ」

「希望にしたってそうだ。勝手に希望を抱いてはいるものの、ほとんどのものが自ら動こうとはしない。いつか誰かがやってくれる、それに期待しよう、もし現実になったらそれにあやかれば良い」

「そういう生き物なのだよ彼らは」

「そんな他人任せの希望など、最後には裏切られ、その何倍も絶望するとも知らずにな」

「そしてそんな奴らの身勝手な現実主義のおかげでこのソムニが危機にさらされるなど、到底許されることではない」

「そもそも無理に世の均衡バランスを保とうなどとするから逆に不安定を生むのだ。ならば奴らも夢を見続ければ良い、現実なんてものがあるから絶望することになるのだ。ずっと居心地が良いならそれに越したことはないだろう。そうすればこんな争いだって起こることはない。我々ソムニがレアルを取り込むことこそが唯一の正義なのだ」


「我々の使命はレアルの鏡像世界であるこのソムニを守ること。無論その点において相違はない。(だが・・・)」



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