1 覚醒《めざめ》IV Revelation
1-4
「えー、まず今日から3組に転入してきたクラスメイトを紹介するー」
担任である
「じゃ、青葉、簡単に自己紹介をしてくれ」
「今日からこの学校に来た、
渉は特に緊張した様子もなく淡々とそれだけを口にする。
が、それだけでクラスの女子連中の目の輝きが明らかに増しているのが分かる。
「青葉は以前この街に住んでいたようなので知っている人もいると思うが、困ってるときには色々と教えてやるようにー」
「住んでいたと言っても、もう十年も前なんで、もし時間のある時にでも色々と案内してもらえると嬉しいかな」
至ってそっけない感じだったが、渉が生徒たちを見渡すと、途端に女子達からは歓声が上がり『色々と教えるのは私よ』とばかりの妙な殺気が教室に充満していく。
かたや男連中はというと、渉と自分たちへの、そのあまりもの反応の違いに完全に意気消沈している。
軽く騒ぎになっている生徒達をやれやれとばかりに
「青葉、そう言えば前の学校では弓道をやっていたそうだな。結構な成績だったと書かれていたが、生憎この学校の弓道部は、部員減少が原因で去年廃部になっていてな・・・。本当にうちで良かったのか?」
「ええ、特に弓道には
笑顔でそう答えると渉は一人の生徒に視線を向ける。
賑わうクラスの雰囲気を
その翔の複雑な気持ちとは裏腹に渉が明るく声を掛ける。
「よっ、翔、久しぶりだな。元気にしてたか?」
渉は真っ直ぐに翔を見てそう言うと笑顔で手を上げる。が、どうしてもその笑顔と夢に出てくる『ヤツ』が重なり、嬉しいはずのその感情をどう受け止めていいのか全く分からない。
そんな複雑な表情を浮かべている翔に気付く筈もなく、先生がポンと手を叩く。
「おお、そうか、確か神ノ木とは知り合いだったな、じゃあ、神ノ木、昼休みにでも青葉に校内を案内してやってくれ」
そう翔に頼みつつ腕時計に目をやる。
「それから、ニュースでも取り上げられているから知ってるとは思うが、ここのところ行方不明や何者かに突然襲われるといった事件が相次いでいるそうだ、今朝警察からも注意喚起があってな。いずれにしても物騒だから用の無い者は放課後速やかに下校するように」
「じゃあ、今朝のホームルームはここまでー、おっと、少し長くなってしまったな。まぁだが丁度一限目は引き続き私の英語だ、んじゃこのまま始めるぞー」
「えー!そりゃあんまりだよ。俺たちの休憩がぁあー!」
「つべこべ言わない。はい、教科書開いてー。おお、岡崎くん、早速挙手とはなかなか積極的でよろしい、では三ページ程読んでみろ」
(くっ、はめられた・・・この性格とあの言葉使いさえなければ、美人教師で通せるのに・・・)
「どうした岡崎、日本語しか聞こえんぞー。まあ、そんなに必要だと言うのなら小一時間程休憩してきても構わんが?」
先生が悪い顔で微笑みかける。
「はいぃ、岡崎祐介、英語好きです!読みたいですぅっ!」
その裏返った岡崎の返事に、教室内にはどっと笑いが溢れ出した。
その後、三限目が終わっても岡崎は
「渉、これからお昼だけど、なんか食べてから案内するのでいいか?」
「悪いな、翔。一人でうろつくとちょっと大変なことになりそうだし、そうしてもらえると助かる。なんせトイレの場所ぐらいしか分かってないからな・・・確かこの学校には学食があるんだったよな?まずはそこに案内してもらいがてら何か食べようぜ」
すっかり大人びてはいるものの、やっぱり昔の雰囲気のままの渉だ。こうやって話をすると少し安心する。
「んじゃ行こっか、ここの学食は結構、
そう言って先に歩き出したは良いもののその足取りは重かった。学食でバッタリ詩織と鉢合わせでもしたら、どんな顔をしたらいいものかまるで分からない。勿論、三人での再会は嬉しいに決まっている。素直にそう思う。ただ、やっぱりあの夢が引っかかっている。心の何処かでは、鉢合わせしない事を願ってしまっている自分もそこにいた。
「詩織、今日も卵なの?あなたほんと好きね」
学食で元気に卵料理を頬張っている詩織に恵が半ば呆れ顔を見せる。
「だってしょうがないじゃないですか、美味しい卵くんが悪いんです!」
と、ふと思い出したように詩織が手を止める。
「あ、そう言えばこないだ言ってた転校生の人って、もう来てるのかなぁ?翔、ちゃんと仲良く出来てれば良いけど」
「ああ、それならもう来てるはずよ、今朝も3組の方に人だかりが出来てたから」
「人だかり?ですか?その人って有名人か何かなんです?」
「有名人・・・かどうかまでは分からないわ、そうだとしても私は知らない名前の人ね」
「そっかー、でも恵先輩って有名人と言っても例えば芸能の人とかって意外と知らないんですよねー。私、世の中の事は全て知ってると思ってたからちょっとビックリしちゃった」
すると恵が少しふくれっ面を見せる。
「ちょっと詩織?、私を一体何だと思ってるの?単に私が知る必要のないことには興味がない。ただそれだけの事よ」
「やっぱり興味ないんだ〜、恵先輩ならすぐに有名人になっちゃうと思うんだけどなー。例えば、突然現れて今いろんなメディアで取り上げられてるアーティストのMIRÄIYUKIとか? 確か彼女って私の2つ上だからまだ高校生って事ですよね?『未来行き』って、アーティスト名はかわいいのに、本人は大人っぽい美人さんで落ち着いてて、そこもいいんですよね。でもでも!先輩も全っ然負けてないと思うんだけどなぁ、残念!」
ほぼ一方的に話している間にも詩織はすっかり卵くんをやっつけ、デザートに取り掛かろうとしている。
「ちなみにその3組の有名人さんは、なんていう名前なんですかー?」
「詩織が知ってるかどうかは分からないけど・・・青葉・・・」
「あおば?」
「確か・・・渉・・・そう、
詩織が手に持っていたスプーンがテーブルに滑り落ちる。
(ガタン!)
「先輩、私、行ってくる‼︎」
自分の食器も食べかけのデザートもそのままに慌てて駆け出していく。
とはいえ昼時の学食内は結構な賑わいを見せている。詩織は何とかその人混みをすり抜けて行ったものの、出口から出た所でついにバランスを崩してしまい、正面から来ている人とぶつかって尻餅をついてしまった。
「イテテ・・・あ、ごめんなさい!急いでたから・・・」
そうお辞儀をして顔を上げるとそこには見慣れた顔があった。
「何だ慌てて・・・大丈夫か?」
「翔!翔!渉が!渉が!」
「俺がどうかしたか?」
翔の背中から声がして、もう一人が顔を出す。
「渉・・・だよね‼︎ 渉!」
「・・・詩織、か⁉︎ お前、この学校だったのかよ、声じゃ全然分からないもんだな。翔も早く教えてくれれば良いのに、とんだサプライズだな、これは」
「ビックリした!ビックリしてよく分からないけど、渉、おかえりー!」
詩織は翔と渉に飛びついたまま、何度も『やったー』『おかえり』を繰り返している。
「あ、翔と渉、お昼食べに来たんだよね?こっちこっち、一緒に食べよ!」
詩織が二人の手を取り、さっきまでいたテーブルに戻って来る。
「恵先輩、急に席を立っちゃってごめんなさい。転校生、渉だったんです!」
上気気味にそう言って詩織が嬉しそうな顔を見せる。
「おいおい、それって俺の紹介してくれてるのか?だったらもっとちゃんと言って欲しいもんだな」
「あ、渉、ごめん、つい・・・えへへ」
詩織が小さくひとつ咳払いをする。
「こちら、翔と同じクラスに転校してきた、青葉 渉・・・先輩?」
「渉でいいよ、詩織に先輩とか・・・なんか気持ち悪い」
「何それ、気持ち悪いとかひどいよー」
詩織がブーたれる。
「じゃあ・・・渉、は私と翔の幼馴染なんです!小さい頃はずっとずっと三人一緒だったんですよ!」
「んでもって、こちらが恵先輩。あ、
「九条・・・のお嬢さまね、いつもどうも」
渉のその言葉を聞いた詩織が目を丸くする。
「・・・えっ?二人って知り合いなの?」
「いや、このお嬢さまと会うのは今日が初めてだ。ただ、九条家とは昔から
「それって・・・どう言う事?」
「青葉・・・少し引っ掛かってはいましたけどやはりそうなんですね」
恵が、小さいがはっきりとした、丁寧な口調で切り出す。
「青葉は・・・鶴ケ丘神宮の
「ええーーー‼︎」
詩織と翔が同時にのけぞる。
「渉のお家って・・・神社だったの⁉︎しかもあの鶴ケ丘って・・・翔、知ってた?」
「いや、知らなかった・・・」
「まぁまぁ、なんせ十年前なんて俺たち小学校に入ったばっかだし、友達の親が何の仕事してるかなんて、知らなくて当然だ。別に何も気にする事じゃない。昔よく遊んでた時も大抵は詩織か翔ん家だったしな」
「まぁ、何にせよこれも
その言葉を聞いた途端、恵が
「ええ、肌に合わなくて結構です。私も九条家と深く関わっている方には気が置けますし、あなたが九条の事をどう思おうと私には興味がありません」
「いや、俺は九条家の雰囲気の事を言ってるだけで、何もお前自身の事を言ってるんじゃないんだが」
「貴方にお前呼ばわりされる覚えはありません。私には名前があります」
「それはそれは、失礼しました。九条のお嬢さま」
(ガタッ!・・・)
勢いよく恵が席を立つ。大きく後ろに弾かれた椅子を気にもかけず、俯いたまま詩織だけに聞こえるように
「詩織ごめん、これ以上ここにいたら間違いなくアイリスが出てくるわ。悪いけど後お願いね」
そう言い終えるや否や、足早にその場を離れて行く。その姿を呆然と見ながら詩織は少し驚いていた。
(あれ?今のって、まだ恵先輩なんだ・・・)
「何だあいつ、食事もまだ途中だっていうのに。俺そんなに怒らせるような事、言ったか?」
あっけらかんと渉が隣に目をやると、翔は「あーあ」とばかりに額を手で抑えている。
「えーっと、ちょっと家庭の事情が複雑というか何というか、余りと言うかかなり家の事を良く思ってないみたいなんだ。だから過剰に反応しちゃう所があるんだと思う。周りからも九条さんって呼ばれてるけど、見た感じあんま良い顔はしてない感じだし」
翔なりに言葉を選んでそう答えたつもりだったが、渉はキョトンとした顔を見せる。
「何だそんな事か、見た目によらず結構面倒くさいんだな。それより、追っかけなくていいのか?あれ」
「あ、そうだった、詩織、行ったほうが」
「お断りします!」
思いもよらない返事に翔が言葉を詰まらせる。
「えっ?だって・・・」
「恵先輩は、『後お願いね』って私に言ったの。だから私は行かない」
「でもさ、だからって・・」
「いいの!女の子はそういうものなのだよ、カケルクン」
途中からわざと低い声でドヤ顔を見せる。
「誰なんだよ、それ」
「だから、翔が行って来て。渉の案内はこのワタクシめにお任せあれー」
「えぇー?オレなの?あんまりこういうの得意じゃないんだけどなぁ・・・」
「いーから早くっ!」
詩織のよく分からない理屈で半ば強制的に学食を出たものの、どこに居るのか、アテなんてあるはずもない。
「探すといったってこう広くちゃなぁ・・・」
ふと先日のやり取りを思い出す。
(・・・ゆっくり話せるとしたら屋上かそこぐらいなのよ・・・)
まず間違いないだろう。翔は小さく
上階の隅にある生徒会室の辺りは、教室からも離れているせいか、昼休みとはいえ生徒の姿もまばらでひっそりとしていた。息を整えながら入ると奥にポツンと恵が座っている。
「やっぱり、合ってた。ここだった、見つけたー」。
「別に隠れんぼをしてるつもりはありませんけど?」
すぐに返ってきた声は心なしか嬉しそうにも聞こえた。ものの、探すのに必死でこの後どう切り出すかなんて何も考えてなかった・・・。どう声を掛けたものかと考えあぐねていると、恵が手に持っていたティーカップに一度口をつけ、そっと机に置くとこちらに向き直る。
「さっきは、ごめんなさい。九条家と関わっていると聞いて、どうしても動揺してしまって・・・自分ではもう割り切っているつもりだったんですけれど」
そう言って両手を膝に置いて頭を下げる姿は、恵の事情を聞いているせいか相当落ち込んでいるであろうことが見て取れる。
「いやぁ、事情を知らなかったとはいえ
「いいえ、やはり悪いのは私の方です。折角の再会に水を差すような事になってしまったのは事実ですから。何か私に出来る事があれば言ってください」
「じゃぁさ、今回は両方悪かったってことで。次、渉に会った時に普通に接してくれればそれで問題ないと思う」
「分かりましたわ。もう大丈夫です」
そう言って笑顔を見せた後、心配そうに小さな声で恵が続ける。
「あの・・・神ノ木くんの方こそ大丈夫ですか?先程会った時、浮かない顔をしているように見えたんですが」
しっかりとした口調ではあったが、その声は少し震えていた。が、そう言い終わるや否や、恵は自分では意図せず出ていたその言葉にハッと我に返る。
「ごめんなさい!余計な事を・・・」
やってしまったとばかりにギュッと目を閉じて
「余計なんて全然。寧ろ心配してくれてありがとう。でも、顔に・・・出てた?」
その翔の反応に恵は恐る恐る顔を上げる。
「その・・・少し気になって。私、人の表情を汲み取るのは割と得意な方なんですよ?」
ほっとした様子で口にする恵のその言葉は少し意外だった。出来るだけ人と関わらないようにしている印象だったし、アイリスの事はあるにせよ周りと親しくできないと本人も言っていた。だから余り他人に興味がないんだろうと思っていたのだ。
「うん、大丈夫、と、言ってもバレてるんなら意味ないか・・・。あ、の、その渉、のことなんだけど、ちょっと相談、というか、意見を聞きたいんだけど、いいかな?」
このタイミングで、よりにも寄って今の状況を引き起こした渉の話をするのは、我ながらどうかとも思った。が、なんせ例の出来事に関する話なので、聞きたがらない詩織に無理に話すわけにはいかない。そして何より、九条さんには顔に出てしまっている事を既に気付かれているんだから、ここで強がっても余計に彼女を心配させるだけになってしまうだろう。
「ええ、勿論。もう大丈夫って言ったでしょう?」
口を尖らせて不満げにそう答える恵だったが、その後、全く自然な笑顔を見せている事に本人は気付かずにいた。
「ありがとう、と言っても、ちょっとややこしいんだけど・・・」
翔は、十年前に詩織の母親が誰かに襲われた出来事の夢を繰り返し見ること、その夢には続きがあってその犯人らしき『ヤツ』に自分が連れ去られそうになったこと、そして、その『ヤツ』が渉だったことを出来るだけ簡潔に話した。
恵は軽く腕を交差したまま目を閉じて静かに翔の話に耳を傾けていたが、話し終わるとゆっくりと目を開ける。
「なるほど、話の内容は概ね理解できました。それで、神ノ木くんは何が引っ掛かっているのでしょう?」
「何がって、その『ヤツ』が渉だって事は、詩織の母親を襲った犯人も渉って事になる。もちろん、夢の中の出来事だっていうのは分かってるけど、それが頭から離れなくて・・・。渉にどう接していいか分からないんだ。再会できたことは勿論本当に嬉しいんだけど」
「それで浮かない顔をしていたんですか?」
「・・・うん」
恵は少し間をおいた後、翔の方を向く。
「では二つ、質問しても良いですか?」
「・・・どうぞ」
「十年前、その出来事の現場にいた時、詩織の母親を襲った犯人の姿は覚えているんですか?」
「・・・辺りが眩しくて、はっきりとは見えなかったと思う」
「その『ヤツ』が連れ去ろうとしたのは、今の神ノ木くんですか?」
「十年前の出来事を離れて見ている自分だから、それは今のオレで間違いない」
恵は翔のその答えが思った通りだったらしく、
「今の話を聞く限りですが、あ、ちょっと!」
慌てた様子でそう言うと、すぐさま恵の顔つきが鋭くなり
「あー、まどろっこしい。聞いててイライラするわ。あんたのその回りくどいのどうにかしなさい! あぁ、これは恵に言ってるから気にしないで」
「ア・・イリス?さん?」
下を向いて自分にそう言い放った恵が顔を上げて翔を見据える。
「神ノ木くん、その夢とやらを連続で見たから勘違いしちゃってるんだろうけど、あの青葉ってのがその犯人っていうのはあり得ないでしょ。事件が起こったのは十年前、彼は七歳。巨人族でも無い限り大人と立ち回れる大きさなわけがないじゃない。眩しくて顔までは見えなくったって、その犯人が大きいか小さいかぐらいは分かったんじゃないの?」
「そう言われてみれば・・・シルエットしか分からなかったけど、確か詩織の母親よりも大きかったかも・・・」
「ほらね。じゃ、決まりね。でも今の話で神ノ木くんのインシデントがなんとなく見えてきわ」
「あ、あと、あの子はもう大丈夫とか言ってたけど、私はまだムカついてるんだから。神ノ木くんには悪いけど、私はとても気が合いそうもないから、あいつがいるときは出て行かないわ。あんなやつの相手するなんてまっぴらよ」
「それから、
相変わらずの勢いでひとしきりそう
今のアイリスの話の中に馴染みのない単語がチラホラあったことが少し気にはなるが・・・もうすぐ昼休みも終わってしまう。まぁ、次に話す時にでもそれとなく聞いてみることにして、そろそろ教室に戻ったほうがよさそうだ。
しかし、冷静に考えるとアイリスの言ったことは全くもってその通りでしかない。あの夢を見た時は確かに犯人と渉は同じだと感じていた。が、今となってはどうして詩織の母親を襲った犯人が渉だと思ったのか、の方が
とは言え、期せずして心のモヤモヤは晴れた訳だ。詩織には少し出遅れてしまったけど、これで素直に渉との再会を喜べる。そう思うと教室へ向かう足取りも自然と軽くなっていった。
放課後、翔と渉は校舎の屋上に来ていた。
この街全体を見渡せる屋上にはまだ行けてないとのことで、渉を案内することにしたのだ。学校の屋上は安全への配慮から立ち入りを禁止している学校も多いが、ここ鶴ヶ丘校は安全面に十分配慮する事を前提に、木々やベンチを設置してちょっとした公園の様な造りとなっている。その分、周囲にはかなりの高さのフェンスが張り巡らされているが、致し方ないだろう。
渉はあの後、詩織に校内を案内してもらったものの、如何せん高等部の方は詩織自身も不慣れ&持ち前の方向音痴スキル炸裂で、どっちが案内してるの?っていう状況だったようだ。
恵を追いかけて行って話をした事を話すと、渉は少しだけバツが悪そうに口を開いた。
「校内を案内してる時も詩織がさ、事あるごとに『恵先輩がね』って。しきりにあの九条のお嬢さまの事を話すんだ、よっぽど学食でのことが気になってたんだな」
「その光景、目に浮かぶよ。全く詩織らしいな」
「らしい、か。昔はよくいじめられて泣いてばかりだったのにな」
「強くなったよ、詩織。というか、多分、もとからなんだと思う・・・。そう思うことが何度かあった」
「・・・本当は、あいつが一番強いのかもしれないな」
「うん、あの出来事の後、詩織の泣いている姿は一度だって見た事ない」
「でも、渉も戻ってきてくれて嬉しいよ。これでまた昔のように三人一緒だな」
「三人一緒、か・・・」
屋上の周囲に立てられているフェンスに手をかけながら、渉は眼下に広がる街並みを懐かしむように見渡している。
「この十年、本当に色々なことがあった。ま、詳しくはまた今度じっくり話すよ。ただ・・・」
と振り向いた渉は翔の方をまっすぐに見据える。
「なぁ、翔」
「なんだ?渉」
「ひとつ頼みがあるんだが、聞いてくれるか?」
「なんだよ、そんなに改まっちゃって、折角十年ぶりに再会したんじゃないか、水臭いこと言わないでなんでも言ってくれ」
「じゃあ・・・実験台になってくれ」
渉のその突拍子もない言葉に一瞬驚いたが、あまりに現実離れしすぎていて次第に可笑しさが込み上げてくる。
「あははは!何をまたそんな冗談を。でも真剣な顔で言うと、なんか面白いな」
そうやって二人で笑い飛ばした・・・つもりだったが、辺りに響き渡ったのは自分の笑い声だけだった。
「これを見てもまだ冗談だと思うか?」
渉がまっすぐに右腕を前に伸ばし、そのまま狙いを定めるかのように指差してくる。すぐさま腕のあたりが
腕を伸ばしたままの渉は何も悪びれる様子なく続ける。
「どうした?この間のヤツを見せてみろよ、でなきゃ後ろで粉々になってるガラスと同じ事になるぞ。勿論次は外さない」
「この間・・のって・・・何の?」
「何のって、まさか忘れた訳じゃないだろう。つい先日の交通事故の時の事だよ」
「翔、お前も聞いたんだろ?声を。さあ、やってみろ、あの、詩織を助けた時みたいにな!」
狙いを定めている渉の腕の辺りが異様に眩しい。その光にハッと気付く。あの光だ。あの夢の中の・・・
「渉、やっぱり、キミは・・・いや、おまえが、アイツなのか?」
「何を訳のわからない寝言を言ってるんだ。言っておくが例え時間を稼いだところで外には何も聞こえないし、もちろん誰も来やしない。『結界』って言葉を聞いたことがあるか?翔。今まさにお前はその中に居るんだからな」
「声、を聞いたんだろうって、そのことを知っているのか?九条さんも言ってたけど、オレにだって何が何だかさっぱり。こっちが聞きたいくらいだ」
「知りたきゃその声とやらに助けを求めればいいだろう?」
「十秒だけ待ってやろう」
「・・九・・八・・」
「五・・四・・」
「三・・」
「二・」
「一」
何の
矢は一瞬のうちに鼻先を貫通するだろう。なすすべもなく覚悟を決めた瞬間、小さな音と共に光が飛び散るように左右に消えていった。
まるで生きた心地はしなかったが、どうやら背後に散乱しているガラスと同じ目には会わなくて済んだようだ。やっと変な汗が吹き出しているのが分かり、ふーっ、と忘れていた呼吸が出て来てその場にへたり込む。
右腕を引っ込めると渉は左手に握っていた小さな瑠璃色の勾玉を手のひらに乗せる。
(どうやらハズレか・・・何らかの危機的な状態が条件かと踏んでいたが、この状況で発動しないとなると、やはり詩織が関わっている必要があると見るべきか・・・)
『クロノス、
途端に勾玉を中心に辺り一面が閃光に包まれる。やがて逆にその勾玉に向かって光が収束し徐々に吸いこまれていく。全てが吸い込まれると、その勾玉はパリンと真二つに割れ、辺りの景色が戻ってきた。
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屋上の周囲に立てられているフェンスに手をかけながら、渉は眼下に広がる街並みを懐かしむように見渡している。
「この十年、本当に色々なことがあった。ま、詳しくはまた今度じっくり話すよ。ただ・・・」
と振り向いた渉は翔の方をまっすぐに見据える。
「どうした?渉、顔色が良くないみたいだけど」
「いや、何でもない。ただ、」
(記憶ごと
「俺がこの街に戻ってきたのはどうしてもやらなくちゃならないことがあるからだ。俺自身の望みを叶えるためにな」
「そしてその為なら俺は何だってする」
「そっか、渉の望み、叶うといいな!何か手伝えることがあるなら協力するよ」
渉は、真っ直ぐな目でそう言う翔に「そうだな」と少しだけ微笑んだ。
「しかしこの街も随分と変わったように感じたけど、こうやって見渡してみるとやっぱりどこか懐かしい雰囲気は残ってるな」
そう言って再びゆっくりと街並みを見渡していた渉だったがふと目を止めた。
「あ、あの公園、まだ残ってるんだな。翔、覚えてるか?詩織とよく三人で遊んでた所だよな。詩織がいじめられた時に翔さ、『ボクが詩織を守る!』って息巻いてたっけ? ほんと懐かしいな」
「・・・守れなかったんだ・・・あの出来事の時、詩織を守れなかった」
下を向いたままそう言う翔の声は震えていた。
「翔・・・その時はまだ子供だったんだから仕方ないだろう」
「守るって誓ったのに、あの時、出て行ったとしてもとても敵わないと思うと、足がすくんで全く身動きが取れなかった。今でもあの時の事を夢に見るんだ・・・」
「そういえば翔」
と翔をベンチに座るよう促し、その隣にゆっくりと腰掛ける。
「校内を案内してもらってる時に詩織から聞いたんだが、詩織がトラックの交通事故に巻き込まれそうになった時、お前が救ったんだってな。本人何が何だか分からないけど助かったってしきりに喜んでたぞ」
「うん、オレ自身もよく分かってないから、詩織が分からないのはその通りだと思う」
「だけど、詩織を守ったってことは事実だろう?」
「その・・・声が、聞こえたんだ。丁度、九条さんからそんな話をされてたところで」
「それで九条のお嬢さんと関わるようになったってとこか」
「うん・・・とにかく詩織を助けなきゃって。あの交通事故の時はとにかく必死で、もう見ているだけは嫌だって。確かにとても間に合う距離じゃなかった。でも、また諦めたくない。そう思ったら声がして・・・」
「気がついたら助けていた」
「うん、でもその翌日に倒れちゃって、かえ、母親にこっぴどくダメ出しされたよ」
「まぁ、結果的には助けたんだから、良かったんじゃないか? そろそろ日も暮れるし戻ろうぜ」
先に立って校舎への入り口に向かいながら渉は心の中で呟いた。
(倒れたっていうのが少し気にはなるが・・・
「あーっ、二人ともここにいたんだ、いろいろ探しちゃったよ」
丁度、屋上に入ってきた詩織が大きく手を振っている。
(その『いろいろ』にはきっと迷子も含まれるんだろうが、言わないでおこう)
「渉が街全体を見たいって言うからここから見てたんだ。で、もう戻るとこ」
「そっかー、渉この街どう?変わってた?」
「高い建物が増えた気はするけど、やっぱり懐かしさはそのままだな。昔三人でよく行ってた公園もそのまま残ってるし」
「行った、行った、よく行ってたよね。懐かしいなー。あ、そうだ、二人とももう帰るでしょ?その公園寄ってから帰ろうよ!」
「渉がいいならオレはいいけど、詩織、今、探してたって言ってなかったか?何か用事があったんじゃ?」
「あーっと、恵先輩のこと、翔にお願いしちゃったけど、大丈夫だったかな〜ってちょっと気になって」
「生徒会室で無事発見した時には怒ってなかったし、むしろ謝ってたからもう大丈夫だと思うよ。渉も大丈夫だよな?」
「大丈夫も何も、俺はどっちかって言うと被害者側なんだが?」
何も悪びれることなく渉が呆れ顔を見せる。
「まぁ、事情はさっき話た通りだから、あんまり神経を逆撫でるような発言はしないってことで。九条さん、人見知り、とはちょっと違う気もするけど、意識的にあんまり気持ちを表に出さないようにしてる感じあるし」
「へいへい」
「大丈夫!きっと仲良しになれるよ」
「その詩織の自信、一体どこから来るんだよ」
「詩織ちゃんの勘は意外と当たるのだよ、カケルクン」
「んじゃ、私カバン取ってくるから、校門の所で待ち合わせねっ」
幼い頃、三人でよく遊んでいた公園、あの出来事のおかげであんなに仲が良かった三人はあっという間にバラバラになった。そのせいか、特に意識をしていたつもりはなかったが、自然とこの公園からは足が遠のいていた。校舎の屋上で渉が公園を見つけた時、また三人で行けば何かが変わりそうな気が少ししていた。
「わー、ほとんど変わってないね!もう夕方になっちゃったけど、なんだか昔に戻ったみたい」
詩織は公園の中央にある広場で辺りを懐かしそうに見渡している。
「あ、私何か適当に飲み物買ってくるね!」
しばらくしてスマホの着信音が鳴る。画面を見ると詩織からの着信だった。大方何の飲み物を選ぶか迷って聞いてきたんだろう。
「詩織?飲み物の事なら缶コーヒーとかでいいよ。渉もそれでいいよな?」
と渉にも聞こえるようにスピーカー音声に切り替える。
「翔、今コンビニの中なんだけど、何か外でね、ずっとこっちを見てる人がいるの。私どうしたらいいかな?」
急に渉の顔つきが鋭くなる。
「二人とも、残念だが、そろそろ昔を懐かしむ時間はお終いのようだ」
「詩織、よく聞け、そいつはずっと外にいるんだな?」
「うん・・」
「まだ外には出るな。それから目を合わせないように。どこか物陰からそいつの顔が見える所まで行けるか?」
「分かった、ちょっと待って・・・移動したよ」
「そいつの顔に見覚えは?」
「無い・・・と思う」
「じゃ、もう少しよく見るんだ」
「よく見ろって言われても、知らない人だし・・・あれ?」
「どうした、詩織」
と思わず翔が口を挟む。
「してない・・・
「詩織、翔も落ち着いて聞いてくれ」
「そいつは、『
突然の単語に翔が目を丸くして聞き返す。
「え?グール?言葉は聞いたことはあるけど、そんなの作り話の中の事じゃ・・・」
「詳しくは後で話す、魂を吸って体を乗っ取る
「詩織、スマホのフォトモードのフラッシュはオンになってるか?」
「んと、多分自動になってる」
「念のために強制オンにしたら、そいつの目の前で連写してフラッシュを浴びせろ。暫くは視界を奪えるはずだ、その隙にこっちまで全力で戻ってくるんだ。今二手に分かれているのは流石に分が悪すぎる」
「グルって誰とか分かんないけど、やってみる。じゃ、後でね」
通話が切れたのを確認して、渉が切り出す。
「翔、動揺するだろうから通話中は言わなかったが、奴らの狙いは、恐らく詩織だ」
「詩織が戻って来たら恐らく複数のグールが襲ってくる。お前は詩織と一緒に安全そうな所に・・・と言ってもあればの話だがな・・・奴らの相手は俺がなんとかする」
「わ、分かった」
「ほら、見えてきた、詩織は任せたぞ、翔!」
(さっき宝珠の起動に結構なマナを使っちまったからな・・・頼むから持ってくれよ!)
詩織の走ってくる姿が徐々に鮮明に、そして大きく見えてくる。が、その後ろから人らしき影が追って来ている。
「人じゃないのか?あれ」
余りに普通の人間の様相だったため、翔は思わず口にしていた。
「人の魂を吸って乗り移るってさっき説明しただろ。見た目は至って普通の人間だ。翔、ゲームかなんかのやり過ぎなんじゃないのか?この先固定観念は捨てないと命取りになるぞ。とにかく一旦俺の後ろ側に下がるんだ」
渉が皮肉まじりに翔を後ろに追いやると、前方に向かって大声で叫ぶ。
「詩織!あと少しだ。そのまま駆け抜けて俺の後ろにいる翔と合流しろ!」
そう言いながら渉がまっすぐに右腕を前に伸ばし、そのまま狙いを定めるかのようにグールを指差す。全力で駆け込んでくる詩織とすれ違い様に指先から鋭く青い光が放たれる。その光の矢が追って来ていたグールの胸の辺りを貫通すると、黒いモヤが弾けたように飛び散り、そのまま地面に倒れ込んで動かなくなった。
「渉、あ、あれって・・・」
「大丈夫!気絶しているだけだ。そんなことより自分の心配をしろ!」
(残り二体・・・もう少し引き寄せられればまとめて一回で仕留められる距離なんだが・・・)
迫り来る残りのグール達の間合いを慎重に計りつつ渉が再び狙いを定める。徐々に腕の辺りが眩しい光に包まれていく。その光を見た翔はハッと気付く。
(あの光だ。あの夢の中の・・・)
翔は夢の中の渉と目の前の渉が再び重なって見えてしまう。あり得ないとアイリスの話で納得したはずなのに無意識に口が勝手に動いていた。
「渉、その光・・・やっぱり詩織の母親を襲ったのは、お前だったのか?」
「なっ?何でお前がその事を⁉︎」
全く予想だにしなかったその一言に、渉が思わず翔の方を向いてしまう。
「おいおい、仲間割れかぁ〜?随分なめられたモンだナぁ!」
二体のグールがその一瞬の隙を突いて同時に渉に襲いかかる。矢の軌道が逸れてしまい、一体は仕留めたものの、横から飛び出してきたもう一体のグールの一撃がまともに渉の腹部に入る。鈍く嫌な音と共に翔は体ごと吹っ飛び、後ろの壁に背中から叩きつけられ、「がはぁ」と血が混じった唸り声をあげてその場に倒れ込む。
「あーあー、二人もやられちまうとは思わなかったナぁ、こんな奴がいるなんてアニキに聞いてないヨぉ。まぁでも、どうせもう立てネーだろーから、死に際にいいモン見せてやるよ。あのガキどもがなぶり殺されるとこだケドナぁっ!」
グールはしゃがれた声で楽しそうにそう言い放つと翔と詩織のいる方を振り向く。
「翔、今のお前だと・・到底、勝ち目・なんて・・ない。隙が出来た・・時に、とにかく・・・逃げろ!」
渉が苦しそうに、息を切らせながらやっとのことでそう告げる。
「そーそー、勝ち目なんてあるわけないよナぁ、でも残念ながラぁ、隙なんてもっとないけどナ!」
ケラケラと笑いながら恐ろしい跳躍力でグールが翔に飛びかかっていき、上からの回し蹴りを浴びせる。翔はなんとか両腕で受けて直撃は免れたものの、威力を抑えきれず思いっ切り吹き飛ばされ地面に叩きつけられる。こんなの大人と子供なんかの比じゃ無いくらいに差がありすぎる。すぐに立ち上がることさえできず、息を整えるだけでやっとだ。
「詩織、渉の言う通りだ。どれだけ持たせられるか、ハッキリ言って、自信は無いけど、オレが、食い止めて、いるうちに逃げろ!」
そう言って詩織の方を見るが、逃げるどころか明らかに恐怖で足がすくみ、震えているのが分かる。
グールが今度は勝ち誇った様にヘラヘラと薄ら笑いを浮かべている。
「まーさかとは思うが残りが俺だけになったからって、なんとかなるとか思っちゃいねーよナぁ?これで全部だなんて、だーれが言っタぁ?」
「あーあー、相当飢えてんナぁ、この
次の合図を待ち切れないかのように一層大きく咆哮すると、獣たちは今にも翔に飛びかかろうと姿勢を低く構えている。
「まさかとは思うが、勝ったとか思っちゃいないだろうな?」
「アぁ〜ん?」
背後から聞こえてきたその声にグールがものぐさそうに振り向くと、仰向けに倒れたままの渉が右腕を伸ばしてグールに狙いを定めていた。
「やっとこれで全部出てきたか・・・お前のような下級の
ニヤリとそう言うと、右手から一筋の白い光の矢をグールに向けて放つ。が、その軌道はグールからは大きく上方に
「あーあー、全然ハズレー。死にそうでもう目もロクに見えてないカぁ? あ、それとも出来もしない事をベラベラと自慢するのが人ってやつカぁ?クククっ」
「やはり、下級は下級か・・・」
上空に高くあがった白い矢の軌跡は放物線の頂点で四つに分かれ、そのまま
「そいつらの影を縫った、これで奴らの動きは封じられる。けど今の俺ではそう長くは持たせられない。翔!今の内に詩織と一緒に逃げるんだ‼︎ お前と詩織をこんなとこで失う訳にはいかない」
「ギギギ、下手な小細工なんてしやがっテぇ。だがあんなモノ、術者が死んでしまえば即解除される。時間稼ぎすらできず残念だったナぁ。直ぐにラクにしてやんヨぉ」
影縫いされて身動きが取れなくなっている屍獣を
「それが、まだラクにはなれないんだ、悪いな」
そう言って渉はグールに向かって何かを放り投げる。
グールに当たると同時に、その割れた勾玉は強烈な光を放ち、胸の辺りから黒いモヤが弾けたように飛び散っていった。
(ふぅ・・・あの時、念のためマナを勾玉に残しておいたからなんとかなったものの、結局は小細工頼りだな・・・フフ、爺さんが見てたらこんこんとお説教だな。後はうまく二人が逃げてくれていれば・・・)
心の中でそう呟いてふと顔を向けると、ジリジリと迫ってくる
震える声で詩織が思い切り叫ぶ。
「渉を置いて逃げるなんて、私はしない!いくら一番のお兄ちゃん命令でも却下する、絶対に聞かない‼︎」
「だって・・・小さい時この公園で私がイジメられてる時、いつも翔と渉が助けてくれた!だから今後は私の番!やっとまた三人に戻ったのに・・・もう誰かが欠けるのなんてダメだもん!」
「それに、今だって怖くなんてない!もう泣かないって約束したもん!自然に心から溢れてくるその時までって。そう約束したもん・・・(え?、あれ?、だれ、、、と、?)」
止まっていた詩織がハッと我に返る。
「そう!・・・あの時、お母さんと‼︎」
毅然と立ちはだかる詩織だったが、見るからに恐怖で全身が震えている。
その詩織のあり得ない行動に渉は心底呆れ果てる。
(全く、お兄ちゃん命令か・・・らしいと言えばらしいが・・・翔の言う通り、びっくりするほど強いんだな、本当に。だが流石にもう影縫いはいつ切れてもおかしくない。こうなったらあくまでも推測ベースだが、一か八かに賭けてみるしかないか・・・)
翔は違った意味で驚きを隠せずにいた。
「詩織、今の・・・もしかしてあの時の
(いや、それより、今の状況が先だ。守られるべきなのはどう考えたって詩織の方じゃないか)
—いつかの詩織と交した会話が頭をよぎる。
「本当はあの事件の後ね、なんで私は生きてるんだろうって、正直もうこの先どうでもいいやって。ずっとそう思ってた」
「でも、気付くといつも側に翔がいてくれて・・・支えてくれて」
「それで、ああ私は一人じゃないんだ、強く生きなきゃって心に決めたの」
「それに、病院で顔を見る度に、お母さんが励ましてくれている気がするの」
「だから大丈夫、ありがとね」
「あれ、なんだか空気重くなっちゃった。ごめん、タハハ」
詩織は精一杯の作り笑いを見せた。
(今オレの前で
「詩織を守るって、そう誓ったのに・・・」
「なのに、とても敵わないからって、弱気になってたらまた同じじゃないか」
「オレが、詩織を・・・オレが、守る。それがオレの唯一やれることなのに・・・」
ぶつぶつとそう呟きながら地面を見ている翔に渉の怒号が飛ぶ。
「翔、詩織に逃げるな!」
翔は何の表情も無いまま渉に顔を向ける。
「お前があの時のことを後悔しているのは、詩織を救えなかったからじゃない!」
「敵わないと諦めてしまった自分自身に対してだ!」
「それがお前のインシデントだ‼︎」
その瞬間、翔の全身に電撃が走る。
「諦めた自分?・・・それがオレの、インシデント?」
『声が聞こえる』
——自分の勇気を信じるか?——
(ドクン‼︎)
心臓を貫かれたかのように翔が我に返る。
「そうだ、詩織を守るなんて偉そうにずっと思ってきたけど・・・」
「本当はそうじゃない。弱い自分を、諦めた自分をずっと後悔していたんだ」
自分に言い聞かせるように翔がよろめきながら立ち上がる。
全身の気力を振り絞り一歩、また一歩と前に踏み出す。それに呼応するように声が続く
——諦めず——
——希望を捨てぬ——
——覚悟はあるか?——
「だから、もう諦めたりしない」
「自分にそう誓ったんだ!」
——いいだろう、これからは我が名、
瞬く間に翔の全身が淡い光に包まれ、右腕全体が赤く眩しい輝きで波打っている。少し
「間に合えぇぇええええ‼︎」
そう叫びながら大きく拳を突き出すと、既に影縫いから解き放たれ、牙を剥いて詩織に飛びかかっていた
その惨劇の後、自身も倒れそうになりながらも、直ちに翔の母親である
病院に運ばれた三人は特級急患としてHCUに搬送され一通りの応急処置を施された後、特別病棟への入院となった。幸い三人とも命に関わるまでには至らなかったが、
渉は肋骨数本と左手足の骨に亀裂骨折、全身打撲
翔は右腕全体に重度の裂傷及び熱傷及び三箇所の骨折、背骨損傷、半身打撲
詩織は身体的なダメージは少なかったが念のために精密検査入院
という診断結果となった。
特に翔は意識が戻らず特級患者のまま、特別病棟側にあるICUに入りっぱなしとなっている。
治療の合間にも詩織は何度か、今回起こった出来事について主治医でもある
その夜、神ノ木
その氏名欄には『神ノ木
楓はかなりの長い間、座ったまま身じろぎもせずに宙を見つめていたが、
ICUに入ると研究室で座っていた時のように、ベッドで眠っている翔を静かにずっと見つめる。やがて立ち上がると翔の右手に大袈裟に巻かれた包帯を丁寧に解いていく。その手の甲の中心にはちょうど何かの紋様が浮き上がっているような火傷がある。楓はその紋様にそっと触れるとそのまま手首まで自分の右掌を滑らせて重ねる。
『もう一度力を貸して、アポロン』
そう言うと辺りが次第に黄色の光に包まれる。楓の額には葉っぱをあしらったような黄色の紋様が浮かび上がり、やがて重ねている翔の右手首の辺りがより一層眩しく輝くと楓が口を開く。
『
『SB:
「これ以上無茶をすると本当に目覚めなくなっちゃう。これは良く考えた上での発動制限なの、分かってね、翔」
次第に光が収束していくと包帯を元通りに巻き直した楓は奥のICUでずっと眠り続けているもう一人を
「
しばらくの間そうしていたが、そっと白衣のポケットから取り出したスナップ写真を見て
「もうあんな思いをするのは私達だけで十分、そしてもうこれ以上大切な人を、この子達を失いたくない。その為に本格的に研究者の道を選んだんだもの」
「私・・・間違って無いよね?
その写真には、幸せそうに笑いあう幼い頃の翔と両親が映っていた。
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