第6話 浮面の祭り

 どの地域にも、土着の祭りというものが存在する。特に田舎では最早誰も由来など知らないような祭りが今なお行われているというようなケースもある。僕が住んでいた村もその例に当てはまる。一年に一度、大人たちが田園風景が広がる村の中心にぽつねんと存在する山の中に入っていき、そこに存在する神社で祭りを執り行っていた。僕の両親も毎年参加していたが、当時まだ小学生だった僕と中学生だった兄は家で留守番をするように言いつけられていた。祭りの日は村のどの家も大人が出払っているため、辺りはしんと静まり返っていた。ただ一つ、山から聞こえる祭囃子を除いては。


 祭りの夜は兄も僕も祭りに連れて行ってもらえないことで機嫌を損ねていたが、両親は豪勢な食事を振舞うことで僕たちを宥めた。普段食卓に並ぶことのないステーキが食べられるため、その点については祭りの日を楽しみにしていた。


当時まだ幼かった僕は、それが一体どういう祭りなのか、それほど興味を持っていなかった。だが、兄は違った。一体何のための祭りなのか、なぜ自分が参加できないのか、どういった儀式を執り行っているのか、両親にしばしば問うていた。


「あの祭りは楽しいものじゃない。参加しなくてもいいなら参加したくない」

「この村の土着の神様を鎮めるための祭りらしい。詳細は失伝している」

「この村で暮らす限り、いつかはお前たちも参加することになる。それまでは祭りの内容を知る必要は無い」

「御神体は便宜的に『浮面様』と呼ばれている。本当の名前は誰も知らない」


といった話を両親は兄にしていた。来年の祭りに参加したい旨を兄が話すと、父も母も頑として反対した。そんな両親の態度に兄は不満を抱いているようだった。


 そして翌年の祭りの日、事は起こった。例年通り、両親は日が傾き始める頃に山へと出掛けた。他の家からも大人たちが三々五々表へ出て行った。一体から大人たちが誰もいなくなった頃、兄が僕に耳打ちした。


「なあ、一緒に祭りを見に行かないか?隠れてたらバレないって」


 僕にとって祭りに対する好奇心よりも、祭りを見に行ったことが親に知られて叱られることの恐怖の方が勝っていた。僕は黙って首を横に振った。兄は残念そうに溜息を吐いた。


「わかった。一人で行ってくるから、お前は家で大人しくしててな」


 そう言って兄は山の方へ自転車を走らせて行った。小さくなっていく兄の背中とその先の山を夕日が真っ赤に染めていた。


 それからしばらくして日が落ち、山から祭囃子が聞こえ始めた。それから一時間程度経った頃、山の様子が変わった。何が起こっているかはわからないが、山が騒然としているのはわかった。僕は表へ出て山の様子を伺った。焚かれた篝火が次々と消され、大人たちが次々と山から下りてきた。僕は胸騒ぎがした。そうこうしている間に、車に乗った両親が家に戻ってきた。二人とも極めて憔悴した様子であった。車の後部座席を見ると、兄が座っていた。ただ、何やら様子がおかしかった。抜け殻のようにただ虚空を見つめていた。普段の溌剌とした様子からは想像もできないような有様であった。父が兄を背負って家の中に連れていき、布団に寝かせた。兄はそれでもぼんやりと目を開いたままだったので、父は手で兄の瞼を閉じた。


「あれだけ来るなと言ったのに……」


 父は顔を歪めて言葉を絞り出した。母は何も言わずただ食卓で俯いていた。


「大事な話だ。落ち着いて聞いてくれ」


 父は僕に震える声で話し始めた。


「兄ちゃんはな、もうここにはいられなくなった。お前と会えるのも多分明日で最後になる。とは言っても、今ここにいるのは兄ちゃんの身体だけで、心は連れていかれてしまった。明日、もう一度祭りを執り行うことになった。そこがお別れになる。いきなりで受け入れられないだろうけど、それはお父さんもお母さんもそうだ。明日、一緒に祭りに来なさい」


 そう言って父は僕を寝室へと連れて行った。僕はいきなりのことで訳も分からず、涙すら流れなかった。父が寝室を去った後、食卓で父と母が何か激しく口論しているのが聞こえた。母が泣き叫び、父がそれを宥めていた。僕は耳を塞いで布団に潜り込んだ。その夜は眠れないかと思ったが、逆に気絶をするように意識を失った。


 次の日、朝起きた時から家の中はこの上なく重い空気が流れていた。両親は何も言わず簡易な朝食を口に押し込んでいた。BGMとして点けていたTVがより静寂を際立たせた。外は皮肉にも晴れ渡り、普段なら気持ちの良い日差しが窓から差し込んでいた。兄の寝室の扉を開けると、兄の顔に日差しが当たっていた。眩しいくらいのはずだが、兄は何の反応も示さず、ただ息をしているだけだった。


 その夕方、僕たち一家は車で山へ向かった。現地に着くと、村の大人たちが既に待機していた。美しい夕日と響き渡るヒグラシの鳴き声がこんなにも鬱々と感じられたのは後にも先にもこの時だけであった。兄は大人たちに連れていかれ、僕は両親に祭りについての注意事項を聞かされた。祭りが始まったらひれ伏して絶対に立ち上がらないこと、たとえ何があっても絶対に声を上げないことを強く念押しされた。


 日が暮れ、周囲が闇に包まれた時、篝火が焚かれた。古びた神社の境内のみが炎に照らされ、ぼんやりと浮き上がった。テープに録音された祭囃子が鳴り始めると、大人たちが一斉に社の方へ平伏した。僕もそれに合わせて地面に這い蹲った。全身を白装束に着替えさせられた兄が黒子二人に担架に乗せられて境内の中心へ運び込まれた。神官が節に乗せて祝詞を唱え、白装束の巫女と思しき女性が三人、身体をくねらせる奇妙な舞を舞いながら兄の周りを何周かグルグルと回った。祭囃子が途切れた時、糸が切れた操り人形のように巫女は舞をやめ地面に倒れ込み、這い蹲った。神官は最後にこちらに一礼をし、僕たちと同様、社に向かって平伏した。


 それから五分、十分と時間が経ったが、大人たちは誰一人姿勢を崩そうとしなかった。僕も場を支配するただならぬ空気に圧され、平伏し続けた。すると突然、境内の中心の兄が白目を剥いて叫び、立ち上がった。僕は声が喉まで出そうになるのを堪えた。山の奥から、男の低い声で詠唱するような音が聞こえてきた。その音はどんどんこちらへ近付いてくる。僕は身体が震えた。じっとりと全身が汗ばむのを感じた。横目で両親を見ると、父は上目で兄の方を見続け、母はぎゅっと目を閉じていた。


 そしてとうとう音が境内に達した。僕の目に飛び込んできたのは、恐ろしく大きい白い顔であった。その顔の見た目は、能の女面と言えば分かりやすいだろう。その顔に枯れ枝のように細長い真っ黒な胴体と、同様に細長い脚が二本付いており、腕は見受けられなかった。暗い中で見ると、巨大な能面が浮いているようであった。それが今度は甲高い女のような声を上げながら、兄の周りをゆっくりと値踏みするように歩き回った。そして兄の前でピタリと立ち止まったかと思うと、無表情だったその顔が、目は見開かれ、口は裂けたように吊り上がり、禍々しい笑みへと変化した。兄は、いや、兄の身体は先ほどの巫女の舞のようにくねり始めた。浮面は口を大きく開き、頭から兄に齧り付いた。肩まで齧り付かれてもなお、兄の身体は舞を続けていた。僕は恐怖で硬直し、その光景から目を離すことができなくなってしまった。浮面は兄を咥えたまま境内から山の方へ歩いていった。兄の足がずるずると地面に引き摺られる。浮面は歓喜の金切り声を上げ、そのまま山の奥へと消えていった。


 その場にいた大人たちは姿勢を崩し、互いを労いながら片付けを始めた。両親は肩を竦めてぼんやりとしていた。


 翌日、父は僕に祭りの謂れや今回の経緯を分かる限り話してくれた。この祭りは毎年浮面に贄を捧げて鎮めるための祭りであるということ、本来は村八分にされた外からの移住者や厄介者を贄とし、今回もそのはずであったが、好奇心で覗きに来た兄を浮面が気に入り、精神を先に連れて行ってしまったこと、祭りをやめた場合、おそらく浮面は人里に降りてくるだろうということ、そういった諸々を聞かされた。そして兄のことは今日限りで忘れるように父は言った。村の決まりで、贄となった人間のことは絶対にその後話をしてはいけないことになっており、もし話をした場合村八分にされ、次の贄に選ばれるかもしれないとのことだった。


 その後、両親共に一気に老け込み、父は心臓の持病が悪化して亡くなり、母は痴呆症を発症した。僕は村を出て就職し、今は東京で母の面倒を見ながら暮らしている。


 そんなある日、とあるニュースが報じられた。ある片田舎の村で、古くから村ぐるみの殺人が行われてきたのが判明したというニュースだった。村八分にした者を村ぐるみで殺して山の中に遺棄し、その犠牲者は既に百人以上になるとのことだった。TVに大写しになっていたのは鮮烈に記憶に残っている、僕の生まれ故郷の村であった。山からは大量の人骨が見つかっており、共謀していたと見られる村民を聴取、並びに逮捕する方針とのことだ。恐らく、贄にされた者の親縁者か誰かが告発したのだろう。僕のところにも警察が来るかもしれない。だが僕が最も心配していたのはそこではなかった。


 あの祭りを続ける者がいなくなれば、浮面はどうなってしまうのだろうか?僕は小さくない不安を胸に、TVの電源を切った。


(終わり)

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怪談掌編 逢魔話 都利三 @tori-zo

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