第4話 牢獄の誓い

「ところで釈摩殿は何故帝都を目指されるので? 商い? といった感じでもありませんねえ」

「帝を殺す」

 蛙鳴あめいは絶句した。暫くの間が空くと彼は抱腹して笑い転げた。

「なんだてめえ。わかりやすく嫌な反応だな」

「アッハッハ! いや、突然で。冗談はよしてくださいよ釈摩殿」

「洒落で言ってんじゃねえ。婆ちゃんに約束したんだ」

「本気で? 帝は不死と言われてるんですよ? それに何故貴方のような年端もいかぬ子がそのような大それた真似を」

「理由は知らねえ。けど婆ちゃんが自分の命を賭けて俺に頼んだんだ。それは無視できない」

「帝に恨みがあるわけでもないならお止しなさい。朝廷には帝を守護する手練れが幾人も構えています。特に邏将と呼ばれる五人は一騎当千と名高い猛者。流石の釈摩殿といえど敵うはずありません」

「そいつらはどうだっていい。帝さえ討てれば約束は果たせる」

「何故そこまでして」

「婆ちゃんは俺にとってたった一人の家族だった。そんな人を俺は……俺の死に場所は約束を果たすところにしかない」

 蛙鳴は少年の眼が真剣そのものであることを悟ると、少年が負わされた業に胸を痛めた。憐憫の眼差しを少年の小さな背に向け、束に手を添える。ここで手傷を負わせ諦めさせてやろう。腕の筋でも斬れば、もう刃は振れまい。そんな情が湧いた。

「おっさん。無駄だぜ。あんた変なやつだけど……斬りたくねえんだ。頼むから俺に抜かせないでくれ」

「参ったな。僕は貴方に諦めてほしかったんですが。僕の浅知恵程度では貴方の決意を奪えない。承知しました。僕は応援しますよ釈摩殿。協力は出来ませんが、貴方の剣が帝まで届くか、僕も楽しみにしています。ここから邏陽までもう一〇里とないでしょう。帝都に着いたらお別れです。ですが約束してください。またいつか生きてお会いしましょう。必ず、必ずです」

「ああ、ありがとなおっさん」


 冴鞠さまりは他の邏将を大議殿に集めた。彼らは邏陽を象徴する五つの概念を持つ。水の冴鞠、地の皆梗かいきょう、湖の温貘うばく、狗の刻籟こくらい、夜の韋駄薇いだら

「皆を集めたのは他でもない。帝についてだ。私の考えを先に話そう。おそらくこれより邏陽は暗黒の時代に入る。帝から直々に賜った言葉を申す。民主制の廃止、及び軍部の強化。邏陽は他国に対し、時期を見て國崩くにくずしに出る」

「戦争か。何故」

「そうです。この泰平の世で、邏陽に逆らう他の国などありはしませぬ。火を放つ意味などどこに」

「私も同様である。しかしこれも帝の意向。無下には出来まい」

「しかし! 民を危機に晒すなど……愚政というより他ないでしょう。たとえ帝といえどここは我らで申し立てするべきです」

 邏将の考えは新帝柘榴に対し違和を持っていた。然しながら韋駄薇だけは他と異なった。

「いいじゃねえか。それこそ本来の邏陽だろ。長いことぬるま湯だったんだ。俺たちもそろそろ錆びついてるんじゃねえのか。戦さなら望むところ。何のために武の道に入った? 思い出せよ。その内に飼った獣の欲動を」

「韋駄薇! 其方は前帝が築き上げた邏陽の今を否定するのか!」

「温貘、邏陽の今はあの柘榴ってガキのもんだ。いつまでも過去にしがみついてちゃあお前自身立場も危ういぜ」

「韋駄薇、口を慎め。他国への侵攻もすぐさまというわけでもあるまい。まだこれは我々の中だけでの話。この先はくれぐれも慎重に」


 柘榴は帝殿の大金鏡へと声を掛ける。鏡は帝に暗殺者の存在を告げた。釈摩の姿を克明に映し出す。

奎宿けいしゅくよ、私は罪人だった。お前は私を帝と思えるか。それとも出自の汚れた咎者と思うか」

「私めの主君は目の前に座す帝ただひと方にございます」

「それは心底の言葉か。奎宿、私に嘘は申すな。私がお前の立場ならば、この柘榴を帝と認めることはせんがな」

「僭越ながら、私は帝が帝装を召され前帝様の墓前に参られた時、その方こそ邏陽の星であると直感しました。それは五将様も同様。ただ私は帝が如何な政を執られようとそれが邏陽の道と考えます」

「私の為そうとすることは覇道だ。多くの血が流れるだろう。お前に死を命ずる日とて来るかもしれん。それでもお前は私に付き従うか」

「私の意思はかねてより帝と共にあります。その命もまた」

「左様か。ならば決して私を裏切るな」

「帝に忠誠を」

「邏将達の動きはまだ泳がせておけ。どうにでも出来る連中だ。それより気がかりは我が命を討とうなる刺客。あれは何者か」

「天豹の魔婆が育てていた懐刀かと。しかしまだ子供。此方で手の内を読める今、お気になさらずともよろしいのでは」

「子供はおそろしい。軽薄で愚直。恐怖に無知である。だからこそおそろしい」

「不肖ながらこの奎宿、必ずや帝の命、お守りしてみせます。たとえこの身が朽ちようと」

「期待しているよ」

「勿体なき御言葉」

 釈摩の存在も帝の掌上。柘榴はかつて閉ざされた牢獄の中で誓いを立てた。信仰は自らの内にのみ向けられる。それは奎宿がどれだけ忠誠の言葉を並べようと心底では何ひとつ信じてなどいなかった。産み落とされた直後より罪人とされ、暗い牢獄で奪われた時間は、文字通り柘榴の身体的成長を止めていた。この者にとって邏陽もまた呪いの対象であり、帝となった今、柘榴は全土滅亡を目論む。

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忍びても云わざりし 川谷パルテノン @pefnk

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