第3話 蠅島

「かたじけない。君のような子供に助太刀いただき情けない限りですが命拾いしました」

「おっさんの腰にあるソレ、飾り?」

「おっさんか。僕もまだ若いつもりでいたんですけどね。面目ない。僕の名は蛙鳴あめい。よければ君の名も教えてくれませんか」

 釈摩しゃくまは邏陽を目指す途上の山道で野盗に襲われていた青年を助けた。三人の賊に囲まれて束に手を添えたまま震えていた蛙鳴を見つけた釈摩は、賊の一人の褌を斬って怯ませると切っ尖を眼前に立てて威圧し、これを退ける。蛙鳴はしばらく呆然としていたが、気を取り直すと釈摩のもとに駆け寄り、釈摩の両手を握って感謝の意を示した。半泣きの青年は拾った命を確かめるように胸に手をあてしみじみと空を仰いだ。

「釈摩殿、僕もこの様ではありますが武の道に身をおく者。役に立つかは自信ありませんが、帝都までの旅先、今しばし同行させてはもらえないでしょうか」

「やだよ」

「直球! 待ってくださーーい釈摩殿ーー! 置いてかないでええ!」


 邏陽より遥か南へ進んだ海の向こうに、地図上には小さな点で記された島がある。その周囲は外からの侵入を拒むようにして岩礁が環状に取り巻いていた。蠅島インダオと呼ばれるこの島は長らく鎖国を宣言しており、閉ざされた島国として、その内部を知る者は少ない。島の文明は事実上、既に滅んでいた。かつては独自の文化圏を築いていた蠅島の島民達も長きに渡る鎖国令によって島内での交配を余儀なくされていた。島内にはどこからか齎された、陽光によって皮膚を溶かされる奇病が蔓延し、濃くなりすぎた血はこれを耐え抜くことが出来ず、島民達は全滅した。殊更資源に恵まれてもいなかった島に見向きする者もなく、この事実は歴史に残ることもなく風化していた。そんな無人の島に一人の男が流れ着いた。理由はわからない。男はただ浜辺に倒れていたところで意識を取り戻し、しばらく島内を見回った。自分が何者かも思い出せず、またどのようにしてここに至ったかも判然としない。男の思考は出口を見失い、ただ島を彷徨って過ごすより他なかった。男が島に着いて何日かが経ち、彼は遂に自身に起きた異変を悟る。男には空腹がなかった。周囲に散乱する人骨を眺めながら、いつ自分がそうなるのかと恐れていたが、男の体力は島で目覚めた時より確かなものと感じられ、健康そのものであった。しかしながら男は自分が人間であるという自覚を残している。そう思えば明らかに異常なこと。男はかえって不安を覚えた。

 さらに数日が経ち、男は声を聞く。不安は増すばかりだったが男は声のする方を目指して島の奥地へと進んだ。やがて島の地下へと通ずるような洞穴を発見する。声はこの奥より聞こえてきた。男は固唾を飲み、その向こうに歩を進める。男には何故かようやく死ねるという期待があった。洞穴の中には小さな祭壇があった。島民が作ったものだろうか。祭壇の中から声がする。

「死を望むか」

 男は懇願した。人間でありたいと願った。

「王となれ」

 声の真意は理解しかねた。しかし今にも狂いそうな男はそれが死であるならば受け入れようと思った。祭壇の中から一匹の蠅が現れ、男の額に留まった。すると男の身体は急に発熱し始め、先ず臓器が溶かされひどい痛みを放った。更には皮膚も剥がれ落ち、男は一瞬にして骨と化した。それでも男の意識はそこにあり続けた。男は絶望し憤怒した。約束が違うではないか。掌を見る。もはや人ならず。流す涙もなかった。男は祭壇を力いっぱいに殴りつけ破壊した。

「死は叶った」

 蝿が男に語りかけると男は不思議と落ち着きを取り戻した。そして自らの名を口にする。それが彼本来の名であるかなど些末なことだった。蠅島の王は皆その名を冠する。絶蠅ジュエイン。王は帰還する。

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