第2話 帝と罪人

 帝都邏陽。凡そ一億の民草を擁する大陸随一の都であり、帝政を敷きながらも民主主義を重きとし、自由の名のもとに発展を遂げてきた。科学の導入による技術革新によって経済的成功を獲得した邏陽は他の国々の追随を許さぬほどの強大な力を有し、全土に渡って実質的な権力を握っていた。その中心部に建つ朝廷は百を超える階層に分かれた塔であり、その頂点に帝がいた。今生神とまで崇められる邏陽帝は都の絶大な力の象徴であり、民主主義国家にあっても皆が畏敬の念を持っていた。帝が民衆の前に姿を現すことはほぼなく、年に一度開かれる十七日間に及ぶ催事の始まりにだけ、朝廷の外に足を運んで僅かな言葉を彼らに与えるのみである。普段より謁見が許された側近の将軍達でも最上に位置する帝殿を訪ねようとする者は少ない。そういった神秘性が権威として穢れることなく、今日においても国の発展を支える精神的支柱として大きな意味を持っていた。

 朝廷では邏将なる官位を持つ五人の将が在中する。其々はこの都を表す五つの概念を賜っており、彼らもまた帝に次いで民衆から敬意を示される面々である。五人が揃って卓を囲む場面は稀であったものの情勢を左右する政を執る際には集結した。そして今まさにこれがその時である。今生神と讃えられながらも帝は人の子であり、その命もいずれは尽きる。この邏陽に代替わりの概念は存在しなかった。帝は永遠であるといった教義は、邏陽の民ならば幼い頃からそのように教わってきた。よって帝の死は朝廷内にて秘匿され対外的には不死の君主とされていた。

 帝は自らの死を悟り、邏将達を帝殿へと迎え入れ、今後の行く末を語った。邏将達はその言葉を聞き、動揺を隠せなかった。次代の帝は今代の帝が絶対的決定権を有する。基本的にはその子息が選ばれるといった筋書きがあり、この時もまた邏将の誰しもがそうなると決め込んでいた。ところが帝が名を挙げたのは朝廷最深部に幽閉される罪人であった。その場に居合わせた帝の実子、名を縷銀るぎといった、は激しく憤りを見せた。帝は神に等しき称号である。野心ある者ならば是が非でも欲するのは当然である。それがただ一言で失われることのさらに輪をかけて、実子の自らを押し除けたのが罪人とあらば縷銀の態度も当然なことだった。とはいえ帝の言は絶対である。ここに至っては血族でさえ口を挟むことは出来ない。五人の邏将は縷銀をなんとか宥めさせ、帝の命によりその罪人を帝殿へと召喚した。罪人はひどく臭った。帝殿内は帝を除く誰もが顔を顰める。か細い声で帝は罪人の名を呼んだ。罪人は返事をすることもなく、ただ呼ばれる方に顔を向ける。罪人の名は柘榴ざくろ。その姿形は幼児の如き小さな背中。いったいどのような罪にとわれたのかなど想像もつかぬあどけなさであった。帝は柘榴に次代の邏陽を託すと告げ、それを最期にその生涯を閉じた。これによって全ての反論は封殺され、新たな帝がここに誕生した。


 新帝誕生の瞬間より朝廷は慌ただしさを極めた。世代継承の秘匿された邏陽においては民に向けた新帝御披露目の習慣こそなかったものの事情が事情である。罪人から帝になった者など邏陽の長い歴史においても初めてのことだった。ゆえに朝廷に仕える者達にはこの新帝をどう受け止めてよいのかといった戸惑いがあった。騒ぎ立てようと揺るがぬ事実。邏将の一人、冴鞠さまりはこれを容認し、柘榴の前で跪き、この新時代に祝福を唱えた。冴鞠の忠義を皮切りに他の四名も同じく、柘榴こそ邏陽の帝と認め、これに敬服する。一人、縷銀だけはその首を柘榴の前に垂れることなく、かといって否認することもないまま、帝交代の儀は幕を閉じた。

 いつの時代も前帝の亡骸は静かに埋葬された。その死は民衆に悟られることもなく、都には日常が流れている。官人達は敬意を込めてその死出に祈りを捧ぐ。一連の葬礼が終わると帝装を召した柘榴が前帝の埋葬地へとその姿を見せた。官人達は柘榴の見違えた姿に息を飲んだ。それまでの見窄らしく小汚い咎者の気配は消え去り、帝の名に恥じぬ流麗さが既に備わっていた。柘榴は前帝の石碑に酒を注ぐ。次の瞬間、手にしていた杯をその石碑に向かって投げつけた。これには皆が慌てた。このような習わしは邏陽になく、それはどう解釈してみても無礼であった。柘榴は笑った。官人達は初めてその声を聞く。幼児のような姿に違わぬ甲高い笑いだった。柘榴は背後にゆっくりと振り向き、官人達の方を睨みつけた。その視線は刃物のように鋭く、氷のように冷ややかであった。ただ彼らを睨みつけ、一言も口にせず、それだけで邏陽のために幾多の死線をくぐり抜けてきたであろう邏将達をも圧倒していた。この時、将らは悟った。前帝が築いた泰平の時は今まさに終わったと。これより邏陽は波乱の時代へとその身を投じていく。

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