第三十六話 “カルヴァリオ”
生き残りの軍人エノスの言うことは、確かにうなずける。
ずっと昔からうまく付き合ってきたケルヌンノスの地と、アープの村々。
そこへいきなり見も知らない軍隊が乗り込んできて、友好的な相手に侵攻する、などということになれば、国軍とはいえ反感を抱かれて当然だろう。
もしかしたら、マルーグ城砦を守ろうとさえしたのかも知れない。
俺に掴みかかったエノスが吠えた『地元を無視したバカな作戦』とは、つまりこういうことだったのか。
確かに、そんな土地柄の城砦を落とそうと考えた時点で、参謀の作戦はすでに失敗が約束されていたのも同然だろう。
エノスの抱いた想いは正しい。
「だがよう……」
俺を注視するエノスの両目が、すうっと細められる。
詰問の意志を込めつつも、非難や憎悪の念は何故か薄い。
「俺自身は、計画をアープに売ったのは、第三中隊の誰かだと思ってる。大隊の中にいなけりゃ、軍略の細かいことは分からねえからな」
と、そこでエノスの表情が緩んだ。
皮肉めいた調子で両手を広げ、妙に乾いた笑い声を立てる。
「まあ、そいつを確かめようにも、第三中隊の連中もほとんど全員戦死しちまったからな。事情を知ってるとすりゃあ、カルヴァリオの野郎くらいだろうが、もう確かめようがねえ」
俺の視界に、不意に閃光が走った。
「『カル、ヴァリ、オ』……?』
俺の腐敗した舌と、枯れた呼気が勝手に綴った問いを聞き、エノスが浅くうなずく。
「ああ。ケルヌンノスにいた山岳猟兵隊の隊長だった奴でよ、例のマノ大隊では第三中隊長だった。すまねえが、
テーブルナイフのように、『カルヴァリオ』の名前が、俺のぐすぐすの脳漿にさくっと突き刺さる。
何とも言えない、むずついた感覚を心の内側に感じつつ、俺はエノスに問う。
「ソイツ、ハ、ドウ、ナッ、タ……?」
だが、エノスの答えは極めてぞんざいで、投げやりだった。
「知らん」
「何故ダ……?」
エノスが俺を無感情に凝視する。
「死体が見つかってねえからだ」
間髪を容れずに言い放ったエノス。
その口調には、もう感情的な色合いは全くない。
彼の知る事実だけが、淡々と語られている。
「何とかって名前の軍医、確かハーネマンとか云ったか。その軍医たちがマルーグ峠の交戦の直後に戦場を検視してな。死にかけの俺と二、三人の重傷者、それに千人近い死体を数えたとよ。ルカニア側は、死んだマノ大隊長も含めてほぼほぼ全員が見つかったが、カルヴァリオの野郎は、最後まで確認できなかったそうだ」
エノスが自嘲気味に肩をすくめた。
「まあ生き残っても、いいことなんざ、何もなかったがな」
「何故、ダ……?」
この元軍人の表情が、切なげに歪む。
「一応はハーネマン軍医に治療はしてもらったが、その後がいけねえ。ミロまで引っ立てられて、ああでもねえこうでもねえと、参謀自ら直々の尋問が何日も続いてよ。まあ息子を戦死させたんだ。気持ちは分からなくはねえが、結局俺は恩給もなく除隊にされちまってよう……」
ぐすりと鼻を鳴らしたエノス。
その脱力した肩の線が、今までの彼の苦労を物語るようだ。
被さった蜘蛛の巣でも払うかのように、エノスがゆるく頭を振った。
小さく息をついて、彼がぽつりと洩らす。
「カルヴァリオの野郎も、まあ生きてねえ方が幸せかも知れねえな」
そこでエノスがもう一つ吐息を置いた。
そして俺を正視して、はっきりと告げる。
「さ、これで俺の知ってることは全部話したぜ。これも“戦友”のよしみだ」
俺が最後に問おうとした気配を察したのか、エノスが左手を軽く振った。
「カルヴァリオの野郎のことが知りたいんなら、ケルヌンノス出身の奴に聞いてみな。マイスタでもアンフォラの野郎でも、誰でもいいからよ。一人くらいは知ってるんじゃねえか?」
一方的にそう言って、エノスがもう一度俺に敬礼した。
「もうこれ以上のことは俺は知らんし、誰かに話すこともねえだろうよ。あんたと会うことももうあるまいがよ、まあ達者でな」
敬礼を解き、小部屋の扉に手を掛けたエノスだったが、ふと振り向いた。
「ああ、そうだ。一つ忠告しといてやる。“戦友”のよしみだ」
無関心そうな様子ながら、エノスが俺に鳶色の目を向けてくる。
「この花街で、動いてる死体を探し回ってる連中がいるらしいぜ。噂じゃあ、そいつらは“
彼の視線が、俺の顔と床に転がった左腕とを見比べる。
「連中、『死体を動かすのは邪術だから、関わる者は捨て置けない』とか言ってるらしいがよ。まあせいぜい気を付けな。あんた、腐った死体に似過ぎてるからよ」
俺は胸の内側に苦笑を洩らした。
一応、俺を生きた人間だと、最後まで思ってくれてはいたようだ。
俺も固まった右腕をぎちぎちと鳴らし、敬礼らしきポーズを取ってみる。
「アリ、ガ、トウ……。元気デ……」
死体の俺が『元気で』、などと生きた相手に言うのも皮肉な話だ。
それでもエノスの表情は、ここへ来た時よりは幾らかさっぱりしたように映る。
「ああ。じゃあな」
軽くうなずいた元軍人エノスは、木の義足をこつんこつんと鳴らしながら、俺の小部屋を去っていった。
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