第三十四話 元戦友エノスの述懐

「それは、第三中隊の部隊章……」


 果敢にも、男は俺の醜く臭い顔をじっと覗き込む。


「あんた、マノ大隊長なんじゃないのか?」


 俺の眼球をしげしげと見つめ、目の色を確認した男がため息交じりにつぶやく。


「マノ大隊長の目は鋼鉄色だったが、この目は……。それに雰囲気も度胸も違うか……。ああ、アンフォラの野郎、適当なこと言いふらしやがって」

「ドウ、イウ、コトダ……?」


 男の意図が呑み込めず、問わずにはいられない俺だった。

 掠れ声で聞いた俺に、男が真摯な目付きでさらに念を押してくる。。


「あんた、本当に俺を知らないんだな?」

「思イ、出セ、ナイ……」

「そうか」


 うつむく俺に、この義足の男もしおらしい態度で頭を下げてきた。


「あんたの腕のことは素直に謝る。済まなかった。詫びてどうにかなるもんじゃあねえとは思うが……」

「仕方、ナイ……。気ニ、スル、ナ……」


 ちぎれた腕が惜しくない、と言えば嘘になる。

 不便にもなるだろうし、何よりも俺の体が朽ち果てていく証拠に他ならない。

 そしてそれは、遠からず俺の死んだ体がバラバラに崩壊し、そこでアリオストポリへの途は潰えることを意味する。

 俺にとっては計り知れない恐怖だ。


 だが今の俺には、何よりも気になることがある。

 俺はもう一度、この男に問いかけた。


「誰、ダ……? マノ大尉、ノ、旧友、カ……?」


 するとこのやさぐれた男は、スッと姿勢を正し、左手で軽く敬礼した。


「マルーグ城砦陥落計画大隊、マノ第二中隊第一小隊長、エノス=ルッカヌス=ポーデス。ただ“元”は付くがな」


 だがエノスと名乗ったこの元軍人は、即座に敬礼を解いた。

 俺の前に現れた時と同じ醒め切った表情に戻り、俺を正視する。


「アンフォラの野郎が、『マノ大尉が生きてる』なんて言いふらしてやがるから、本当かどうか確かめに来たんだが」


 エノスが口元を不機嫌に曲げる。


「あんたが実のところ何者なのかは知らん。だが第三中隊の部隊章を付けてる以上は、”計画大隊”の戦友ってことだ。仲の良し悪しはともかくな」


 奇妙な言い回しのエノスだが、初めて出会うマルーグ峠の戦いの生き残り。

 誰も話したがらない凄惨な交戦、そのあとの不幸な出来事、そのすべてを彼は覚えているかも知れない。

 俺はエノスの蒼い顔を眼球に捉え、掠れ声でこいねがう。


「話シ、テ、クレ……。ソノ、戦イ、ノ、スベテ、ヲ……」


 数秒の間、俺の傷んだ顔を観察していた風なエノスだったが、すぐに浅くうなずいた。


「いいだろ。あんたの腕もいじまったし、頼みは聞くぜ。何もかも忘れてるみてえだから、俺が知ってることは話してやるよ。ただ俺も、何から何まで知ってるわけじゃあねえんだが……」


 エノスが一瞬目を伏せた。


「忘れてるんなら、思い出さねえ方が幸せだとは、思うんだがな……」


 含みのある前置きを入れてから、目を開いたエノスが語り始めた。

 可能な限り感情を切り離した、事務的な口調だ。

 それでもどこか懐かしむような、隠しきれない悲哀が態度の端々に覗く。


「あの“マルーグ城砦陥落計画”は、ルカニア領に隣接するアープのマルーグ城砦を奪う計画だった。計画大隊は、そのためだけに編制された六百名の特命大隊だ」


 そこでエノスが皮肉っぽく鼻を鳴らした。


「上の方の事情は知らねえが、発端はルカニアとアープの王室間の交易争いだそうだ。アープ側が折れなくて交渉が決裂したんで、圧力を掛けることになったらしい。どうするか、お偉方が何日も議論した結果、軍事攻勢を掛けることになったそうだ。その時、徹底抗戦を主張して、計画全権を下賜されたのが、国軍中央のベロッソ=ルッカヌス=マノって参謀だ」


 エノスが再び目を伏せた。

 落ち窪んだ目の周りに、灰色の陰が差す。


「その軍事攻勢の標的に選ばれたのが、国境のすぐ向こうにあるマルーグ峠の城砦でな。今はアープの物だが、マルーグ城砦はもともとルカニアとアープで取ったり取られたりしててよ。今回もマルーグ城砦を落としてアープを脅す、って計画だった。そのための特命大隊の中核に抜擢されたのが、首都防衛連隊第二大隊第二中隊だ。で、その中隊長が、ユステーヌ=ルッカヌス=マノって若い大尉でよう……」

 エノスの口元が強張ってきた。

 心なしか、口調にも憤りの気配が漂う。


「こいつはマノ参謀の息子でな。裏じゃあ、参謀は息子とその部隊に武功を立てさせたくて、城砦陥落を計画したって噂されてるけどよ」


 おもむろに天を仰ぎ、エノスが続ける。


「だがマノ中隊長の部隊は、もともと首都防衛が任務だから、戦の経験が足りてねえ。そこで、西の辺境でしょっちゅう他国や蛮族と小競り合いやってた部隊が、特別に増援として招喚された。それが、西方防衛旅団第一軍管区の第十六中隊。俺がいた部隊だ」


 エノスが苦笑交じりの深いため息をついた。


「首都ミロに呼び出された俺たちは、特命大隊として再編制された。マノ大尉の部隊二百五十人が第一中隊、俺たち西方から呼ばれた二百五十人が第二中隊ってわけだ。だがまあ正直言っちまえば、お行儀のいい都会の防衛隊と、俺たち辺境の荒くれ者連中じゃあ、反りなんざ合うわけなくてよ。大隊の統率は取れてなかった。そこだけは、マノ大隊長の苦労に同情するがな」


 エノスが言葉を切った。

 男の声の隙間に、娼婦たちの笑う声が薄く挟まってくる。

 

 俺はわずかにうつむいた。


 なるほど、マノの部隊がマルーグ城砦を攻めることになった背景は、マイスタの話と併せて、概ねのことは分かった。

 だがエノスの話に上ったのは、第一中隊と第二中隊の経緯だけだ。

 肝心の第三中隊は、どういうものなのか……?


 俺はエノスを直視した。


「第三、中隊、ノ、コトハ……?」

「さあ、そこだ」


 意味ありげな一言をおいて、腕組みのエノスがうつむく。


「今考えてみりゃあ、あのケルヌンノスの部隊を特命大隊に組み入れた時点で、俺たちの潰滅は決まってた。いや、そうじゃねえ」


 深淵にも似た息を静かに吐き、エノスは噛み締めるように述懐する。


「マノ参謀がマルーグ城砦を標的に定めた時点で、そいつはもう約束されていた、ってのが正しいんだろうな……」







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