第二十二話 エステルの告白

 女医ハーネマンの診断書を手に話し込む、聖騎士ユディートと白鷺庵の主マイスタ。

 俺の“病状”について話すユディートに、マイスタがいろいろと質問を重ねている。


 世話好きな二人に対して、何となく向き合わせに座った俺とエステルは、言葉も交わさないまま、お互いの顔を見合わせるばかりだ。 

 俺は瞬きのできない目をエステルに注ぎ続ける。

 そのエステルも、穏やかで品のいい笑みを湛えたまま、俺を見ている。

 だがその視線はどこか曖昧だ。

 

 可憐な少女と意味もなく見つめ合う、などというのはもう俺の記憶には欠片もない、彼方のお話だ。

 だがそれにしても、この俺の顔をじっと見ていて、エステルは気色悪くならないのか……?

 

 俺の方が耐えられず、掠れた問いをエステルに送る。


「怖ク、ナイ、ノカ……?」

「何がですか?」


 小首を傾げて聞き返すエステル。

 その翡翠の目は、終始俺に向けられている。


「俺ノ、顔ガ……」

「ああ……」


 エステルが両手で口元を覆い、くすっと笑った。

 やはり嫌みのない、十代少女の透明な笑いだ。


「マノさんがどんなお顔でも、わたしは気になりません。気にしても、意味のないことですから」


 妙な言い方をされ、俺は首をひねる。

 俺の疑問が伝わったのか、エステルが寂しそうな笑顔のまま、はっきりとこう言った。


「わたしは、目が見えませんから」


 エステルの告白は、やはり俺には衝撃だった。

 だが思い返してみると、俺の見た目よりも足音に反応したこと、それに焦点を合わせようとしていなかったことは、この少女の盲目を暗示していたのだろう。

 今、マイスタは、この目の見えない少女を保護しているのだ。

 恐らくは聖騎士ユディートと、女医ハーネマンも。


 くきくきと頸椎を鳴らして独りうなずく俺に、エステルが絶えない笑みで聞いてきた。


「マノさん、今日は朝からリベカ先生のところに行っていたんですよね? リベカ先生、お元気でしたか?」

「リベカ、先生……?」

「ハーネマン先生のお名前です。“ハーネマン”は、先生のご主人の姓だそうですから。“リベカ=ヴィラフランカ=ハーネマン”が、先生のお名前。ご主人とはヴィラフランカ大学の医学部で知り合った、って聞きました」


 続けてエステルが心配そうに俺に聞く。


「マノさん、首がかなり凝ってるみたい。一度リベカ先生に診てもらったら、楽になるかも」


 なるほど、俺の首の骨が鳴るのが、エステルには聞こえたのか。

 さすが、聴覚はかなり鋭い。


 俺も、ふとエステルにたどたどしく聞いてみる。


「彼女、ノ、旦那、ハ……?」

「詳しいことは聞いていないですが、立派な軍医だとかで、王都の軍隊に招かれたそうです。でもリベカ先生は、ご主人の願いを振り切って、この街に残ったって」


 何気ないエステルの答えを聞き、俺はまたぴきぴきとうなずく。


 なるほど。

 腕のいい軍医ハーネマンは、中央に招かれたのだろう。

 だが女医ハーネマンつまりリベカは、独りでこの花街に残ったのだ。

 理由は分かり切っている。

 この花街の娼婦たちを守るためだ。

 二人の間にどんなやり取りがあったのか、知る由はない。

 だが女医は、旦那よりもこの花街を取ったということだ。

 エステルや娼婦たち、それにユディートとマイスタが暮らす、この花街を。

 俺の胸郭が、何かぐうっと締め付けられる。

 何とも言いようのない、熱く苦しい感覚だが、強いてこの感情に名前を付けるなら、恐らくは“尊敬”、だろう。


 そんなことを考えた俺の耳に、ユディートの声が聞こえた。


「そういう訳なの。このマノくんは、アリオストポリに行く途中。今はまだ国境が封鎖されてるけれど、封鎖が解けたらすぐにこのルディアを出るから。それまでお世話をお願いしちゃっても大丈夫?」

「あー、それは別に構わんよー」


 マイスタが、快くうなずいてくれた。

 つい今しがたの疑念の影は鳴りを潜め、この老人はこれまでと同じ鷹揚なで寛大な笑顔を見せる。


「噂じゃあ、あと十日程度で国境が一度開くらしいでねー」

「ありがとう、マイスタさん。助かるわ」


 ユディートも、心からの安堵が漂う笑みを見せている。


「本当はあたしの聖廟か、ハーネマンさんの診療所で預かるのがいいのかも知れないけれど……」

「乗りかかった船だからねー。出立まで、わしがマノさんの面倒を見るよ」


 どこか苦笑めいた息を洩らしたマイスタ。

 この善人そのものの老人には、頭が下がるばかりだ。

 ついうなだれた俺に、ユディートがにんまりとした左の視線を寄越してくる。

 いつもの空恐ろしい笑顔だ。


「マノくんは、食事も睡眠も、マイスタさんがお世話しなくも大丈夫。たまにちゃんと動いてるか見てもらえたら、それでいいから。雨風を避けられるところに、適当に転がしといて」


 死体の俺は、確かに食べ物も寝床も必要としない。

 が、それにしても相変わらず酷い口だ。

 もう少しましな言い方はないものか……。


 そう思った瞬間に、彼女の左目がぎんと光った。

 

 慌てて眼球を背けつつ、俺はぎこちなくマントの下に手を入れた。

 中から取り出したのは、紐でぐるぐると巻かれた小さな布の袋だ。

 

 関節の緩んだ指を無理やりに動かし、俺はテーブルの上に袋の中身をぶちまけた。

 ちゃりんちゃりん、と金属音が耳を衝き、天板に幾枚もの貨幣が転がった。

 銀貨が十枚に、銅貨が十枚。

 概ね、十日分の食費にはなる。

 もっとも、これはあの辻強盗から逆に失敬したものだが……。


「世話ニ、ナル……」


 俺の掠れた言葉を聞いたマイスタ、ユディート、それにお金の音にぴくんと反応したエステルまでお互いに顔を見合わせた。

 そして三秒の沈黙を入れた次の瞬間、マイスタとユディートが腹を抱えて笑い出した。

 

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