第十一話 ユーデット聖廟

 俺は、何も理解できず、路地に面した玄関口に立ち尽くした。

 女医ハーネマンと女聖騎士ユディートの、何か重大な意味のありそうなやり取り。

 だがその内容など、俺には全く分からない。

 結局俺は困惑を抱えたまま、ユディートに連れられて女医ハーネマンの診療室から離れた。


 両腕で小さな包みを抱くユディートは、俺の先に立って路地の奥へと進んでゆく。

 無言のまま、俺の崩れた歩調に合わせてくれる彼女。

 ハーネマンと会って用事が済んだのか、時間的にも気分的にも少し余裕があるようだ。

 しなやかな黒猫を思わせるその背中では、鞘に収められた神のノコギリが、ユディートの歩みに合わせて揺れている。

 そんな彼女の足が向くのは、街の城壁の方だ。

 この辺りは倉庫のような無人の建物が多いのか、人影もほとんど皆無に近い。

 

 そうして十数分。

 ずりずりと足を引きずってたどり着いたのは、城壁沿いに確保された、恐ろしく細長い区画だ。

 路地と敷地とは、頑丈な黒い鉄柵で厳重に分けられている。


 俺は黙ったままのユディートの後について、鉄柵沿いに路地を行く。

 鉄格子を思わせる柵の向こう側を覗いてみると、その内側は土がむき出しの地面だ。

 畑にも思えるが、煉瓦や石で敷地を区切り、緑の庭木や花を植えて庭園風に仕立ててはある。

 しかし人の姿は見えず、ぽつりぽつりとたたずむ石碑の影が見える。

 

 墓地らしい。

 人の姿がないのも道理だ。

 すぐにユディートは、長い柵の一角に設けられた鋼鉄のアーチをくぐり、敷地の中へと踏み入ってゆく。

 俺もすぐに彼女の後を追った。

 

 遊歩道風のこみちを通り抜け、ユディートと俺は敷地の奥にひっそりと鎮座する建物の正面に立った。


「はい、到着」


 それだけ口にしたユディートの隣で、俺は目の前の建物を見上げた。

 

 白い大理石で造られた、円い平屋だ。

 屋根は二段のドーム型、緑色の陶板を魚鱗状に葺いてある。

 窓はない。

 俺たちの三歩前の壁には、アーチ形の両開き扉が付いている。

 ノブは鈍色の鉄環、鴨居には『ユーデット聖廟』という共通文字の板額が掲げてある。

 

 俺は女医ハーネマンの言葉を思い出した。

 縮んだ肺を膨らませ、俺は短く問いを吐く。


「ココ、ガ、聖、廟、カ……?」

「そう。ここがルディアの”ユーデット聖廟”。ひいひいひい……おばあさまと“死の女神モリオール”を祀った神殿で、あたしの赴任地」


 答えたユディートが布包みを抱いたまま、肩から扉にのしかかる。

 すると扉は軋みもせずに押し開けられ、彼女はためらうことなく聖廟の敷居を跨いだ。


 俺もユディートに続き、聖廟の開け放たれた扉をよろよろとくぐった。

聖廟の内側は、周りをぐるりと壁に囲まれた、真円の空間だ。

 家具の類はもちろん、祭壇も絵も、彫像もない。

 あるものと言えば、大理石の床の中央に真っ直ぐ衝き立つ光の柱だけだ。

 その光源は天井に空いた丸窓だろう。

 『聖廟』とか『神殿』と聞き、仰々しい装飾であふれかえっていると俺には、いささか拍子抜けだ。

 するとユディートの甘ったるい笑いが、ふふーん、とこの白亜の空間に反響した。

 からかうような響きが、重層的に俺に届く。


「今キミ、ここが殺風景だって思ったでしょ?」


 またもや図星を指され、俺はぎちっと仰け反った。

 向き直ってみると、俺の横に立ったユディートが、細めた左目で俺を悪戯に流し見ていた。


「本当に不可侵な至聖所は、こういうものなんだから。そういう本質を分かってるひとは、少ないけれどね」

 

 ユディートの目が、正面を向いた。

 彼女の視線の先を追うと、このささやかな聖廟に立てられた光の柱の根元を捉えている。

 聖廟の中心の床に描かれているのは、漆黒の二重円だ。

 エナメルの象嵌だろうか。

 直径はひとの肩幅程度、光沢のある黒い線は、何かの紋章を象っている。

 いわゆる魔法陣とか聖印というものだろう。

 ハッ、というユディートの吐息が不意に響いた。

 決意と思いきりの込められた、小気味いい息だ。


「……始めるね」


 何のことだか理解できず、首をいびつに捻った俺だった。

 だが俺は、女医ハーネマンとユディートが交わした別れ際の会話にすぐ思い当った。

 ユディートは、何かの儀式を挙行するのだろう。

 俺は掠れ声で念を押してみる。


「外ソウ、カ……?」

「別にいいよ。むしろ屍者くんは、見ておいた方が……」


 意味ありげなユディートの即答が、不意に途切れた。

 くるっと向き直った彼女の漆黒の左目が、驚きに円く見開かれている。


「ねえ、キミ。屍者なのにそんな風に気が回るなんて、やっぱり普通じゃないよ。そこまで本来の精神を保ってる屍者エシッタは、初めて見た」


 ユディートのその目が、意味ありげに細められた。


「本当のキミって、実はすごいひと、なのかもね」


ユディートの口元に浮かんだ曖昧な笑みはそこで消え、真剣な口調で俺に言う。


「壁際まで下がってて、屍者くん。巻き込まれたくなかったら」


 彼女の忠告を受けて、俺はじりじりと聖印から離れ、緩やかに弧を描く白い壁まで退いた。


 俺が十分な距離を空けたのを見て取り、ユディートが床の聖印の前に立った。

 両膝をかがめ、跪くようにして、胸に抱いた包みを聖印の中心に優しく安置したユディート。


「もうすぐだから。もうちょっとだけ、待っててね」


 包みにそっと囁きかけて、ユディートがすっくと立ち上がった。

 しなやかな背筋を凛と伸ばし、天を仰いだ彼女は両手を高々と差し上げる。

 そしてユディートが、何かを詠唱し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る