第九話 路地裏の訊問

 俺は名状しがたい恐怖に打ちのめされ、堪らず掠れ声を上げた。


「オ、前ハ、誰、ダ……!?」


 目の前に立つ少女ユディートの顔から、笑みが消えた。

 真摯な表情を湛え、俺を見据える。


「あたしはユディート。ユディート=ユーデット=サイラ。“ユーデット聖廟騎士団”の“筆頭従士プライメット・エスクワイヤ”よ」


 ユディートがまた目を細め、恐ろしく微笑む。


「あたしが帰属する“ユーデット聖廟”は、死の女神モリオールの小神格、“死の太母マーテル・マカブレス”の遺体を祀った神殿なの。このルディアにいる聖騎士団員は、あたし独りだけれど」


 なるほど、死の女神の聖騎士だったのか。

 道理で死体には敏感な訳だ。

 『聖騎士パラディン』というのは、熟練の聖職者が認められて、特別に叙任されるものらしい。

 冒険者としての腕も、相当に立つはずだ。

 やはり俺を始末しようというのだろうか?

 してみると、彼女がここまで俺と手をつないでいたのは、単に俺を逃がさないためだった、ということか。

 半分は納得、半分はさらに恐れを深くした俺だった。


 しかし、不意にユディートの笑みが、十代少女の明朗なものに変わった。


「死の太母になった“聖女ユーデット”はね、あたしのひいひいひい……おばあさま。つまり、あたしは“死の太母”の子孫なんだから」


 どこか自慢げに告白したユディート。

 この刹那の面差しは、割とどこにでもいる女の子と大差はない。 

 一瞬、ふと安心感を覚えた俺の前で、ユディートが背中の得物に右手を掛けた。

 彼女がするすると抜き払ったのは、プラチナシルバーに輝く奇妙な刃物だ。

 しっかりと握る柄に、白金色の優美な弓を思わせる本体が付いている。 

 ユディートの左目が、意味ありげに細くなった。


「ねえ、素敵な弓鋸ゆみのこぎりでしょ? 神鋸“年代記クロニクル”。ひいひいひい……おばあさまから代々受け継がれてる、神の武器なの」


 俺の欠け落ちた鼻先に、“死の太母”の弓鋸を翳したユディート。

 このまま、俺を神のノコギリでバラバラに切断するつもりだろうか。

  死体になってから今までに出くわした何者よりも、このユディートの方がよほど恐ろしい。

 熟練の冒険者よりも、殺しに掛かってきた辻強盗よりも。


「俺ヲ、ドウ、スル……?」


 尋ねずにはいられなかった俺だった。

 すると何を思ったか、ユディートが弓鋸を背中の鞘にスッと収めた。

どこか腑に落ちない様子で口元を曲げ、腕組みしたユディートが小さく唸る。


「“屍者エシッタ”っていうのはね、他人同士の死体と死霊を“屍霊術ネクロクラフト”で強引に結び付けて創るの。もともとの絆がない肉体と霊魂だから、屍者には意識は多少残っていても、思考力はほとんどなくなってる」


 最初の俺の問いには答えていないユディート。

 だが新たな疑問が、俺の中に湧く。


「ナ、ゼダ?」


 ユディートが、ふふーん、と笑う。

 この甘ったるい息は、まぎれもなく十代の女の子のものだ。


「それはね、霊魂と体がもともと他人同士だから。その体と“銀の緒シルバー・コード”がつながっていなくて、霊魂が体に残ってる記憶と知識を使うことができないの。でも……」


 俺に向き直ったユディートが、俺をいたずらな仕草で指差した。


「キミ、『何故?』って聞いたよね? 他にもたくさん。質問できるってことは、頭が働いてるってこと。それにキミ、さっきマイスタさんに『ありがとう』って言ったでしょ。屍霊術で操作されてる霊魂からは、絶対に出てこない言葉なんだから。あたしもびっくりした」


 ユディートが俺を見上げて、にっこりと笑う。

 素直に可愛いとは思うが、正直やっぱりひどく不気味だ。

 ひくつく俺に構わず、ユディートがうんうんと独りでうなずいている。


「屍霊術を受けた霊魂は、恨み、悲しみ、怒りでいっぱいだから、感謝なんて最高波動の感情は出てこないの。それで、あたしはキミが普通の屍者じゃないって分かったのよ」

 

 ユディートの左目が細くなる。


「キミが普通の屍者だったら、この場でキミを解体して、体は墓地に捨てて霊魂は死神に引き渡してた。マイスタさんには悪いけれど」


 さらっと恐ろしいことをと言う少女だ。

 そんなユディートが、細めた左目で俺を凝視する。


「でもキミは、特殊な屍者。わたしが思うに、キミはもともとのキミから引きずり出した霊魂を、誰かの死体に押し込めた屍者じゃないのかな……」


 このユディートの推理は、パペッタが俺に語った内容と同じだ。

 さすがは聖騎士か。

 ぴきぴきと何度もうなずく俺に、ユディートがさらに続ける。


「つまりキミは、死霊じゃなくて生霊が宿った屍者ってことだから、まだキミの“銀の緒”は……」


 そこでユディートがハッと口を押さえた。


「あ、いっけない! 早くハーネマンさんのところに行かないと。診療が始まる前に!」


 ちろっと舌を出し、へへっと笑ったユディート。

 こういう何気ないしぐさが、本来の彼女なのだろう。

 彼女の正体は、やっぱり十代の少女なのだと実感する。

 ちょっとホッとした俺の手を、ユディートがもう一度パッと取った。


「キミも一緒に来て。ハーネマンさんの意見も聞きたいから」


 言うが早いか、ユディートはまた俺の手を曳いて細い路地の奥へと進み始めた。


 建物の間を縫う路地は細く、人の姿もまばらだ。

 だが、やはりこの辺りの住民は、ユディートとすれ違うたびに、気安く挨拶を交わす。

 彼女に声を掛ける住人たち、とくに女性がユディートを見る眼差しには、尊敬と畏怖の念が宿っているように映る。

 このユディートも、この界隈ではよく知られた人物らしい。

 腕と知識を兼ね備えた聖騎士なら、人々の尊敬を集めるのも当然だろう。

 しかし、女性たちが異人の少女に向ける目に、単純な崇敬とは違う感謝のような色が浮かぶ。

 理由は見当も付かないが……。


 そんなことを考えているうちに、ユディートの歩みが一瞬止まった。


「もう着くよ。あそこだから」


 俺にそれだけ告げて、ユディートが前の方を見つめたまま、片手を大きく振る。


「あっ、待っててくれてる! ハーネマンさーん!」


控えめながら快活な声を上げ、ユディートが早足に歩き出す。


 俺の手を引っ張る彼女の力強さは、ほっそりとした外見からは想像も付かない。

 俺の手首は、今にももげ落ちてしまいそうだ。

 確かにこれだけの力でノコギリを曳かれたら、俺のぐずぐずに朽ちた体など、あっと言う間もなく細切れだろう。

 ユディートの歩調も元気そのものだ。

 俺の棒きれのような脚では、とても追いつけない。

 まごつく俺を引きずって、ずんずんと路地を進む彼女だったが、すぐにまた立ち止った。


 そして小道に面した建物の前の人物に、しおらしく詫びを入れる。


「ごめんね、ハーネマンさん。遅れちゃって……」

「おはよう、ユディートさん。全然大丈夫よ。開院時刻はまだだから」

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