第七話 怒れる娼婦たち

 その女たちの余りの剣幕に、俺はたじろいだ。

 瞼のない眼球が、今にも包帯の間から零れ落ちそうだ。

 

 そんな怯える死体の俺から、きっちりと数歩の距離を保つ、肉感的な四人の女たち。

 白粉を塗り、香水をむんむんと匂わせた彼女たちは、この歓楽街の娼婦だろう。

 鼻を摘み、眉根を削ぎ立てて、俺を睨みつけてくる。


 そしてゆらゆらと突っ立つばかりの俺の横で、腕組みに困り顔の老人マイスタ。

 見ず知らずの俺に一夜の宿を恵んでくれた、恩人の好漢だ。

 

 今俺たちがいるのは、朝一番の『別館アネクサム白鷺庵カーサ・アルデア』のサロン。

 “白鷺庵”は、娼館街の一番奥まった広場に面した、何かの施設だ。

 窓のないこのサロンの中で、女たちは開けっ放しにされた玄関の内側に整列している。

 

 この女たちは、目を覚ましたマイスタと俺がサロンに入るなり、いきなりどやどやと外から乱入してきた娼婦たちだ。

 たぶん近所に住んでいるのだろう。

 

 横一列に並んだ女の一人が、口元をハンカチで覆いながら、マイスタを傲然と指差した。


「ちょっとマイスタさん! あなた一体どういうつもりなの!?」


 薄布越しのキンキン声で、その娼婦は感情的に怒鳴り散らす。


「そんな臭くて汚くて不潔なひとをサロンに呼び込んで! バッチいことしないでちょうだい!」

「そうよ! そうよ! そんな死んだ方が早そうなひとなんか、ほっとけばいいのよ!」


 別の女も鼻を摘んだまま、大声でわめいた。

 彼女たちが言う『臭くて汚い不潔なひと』、それに『死んだ方が早そうなひと』とは、もちろん俺のことだ。

 ひどい言われようだが、どちらも本当のことだから仕方がない。

 つい俺が洩らしたくふふ、という自嘲的な笑いに、女たちが一斉に噛みついてきた。


「あああ、気色悪い!!」

「なんて悍ましい、生意気なバケモノ!!」

「何!? 何なの!? 早く追い出しちゃって!!」

「あたしたちのサロンが臭くなっちゃうじゃない!」


 マイスタが苦笑を洩らす。


「いや、ここはわしのサロンなんだが……」


 彼が黙ったままの俺と、いきり立ってぎゃあぎゃあ騒ぐ女たちの間に割って入った。


「でもまあ、困ってるお人をそんなに邪険にするもんじゃないよー」


 マイスタの如何にも気の毒そうな視線が、ちらりと俺をかすめる。


「ごらんよ、このひどい傷。このお人も、こんなになるまで放っておかれた、辛い境遇があるんだよ」


 娼婦たちが口を閉じた。

 何か思うところがあるのだろうか。

 お互いの複雑な表情を見合わせた彼女たちだった。

 だがすぐに一人の女が不満も露わな上目遣いをマイスタに向けた。


「でもぉ、マイスタさぁん……」


 くねくねと、老人マイスタに甘えた媚態を見せる娼婦たち。

 このマイスタという人物は、ルディアの娼婦たちから絶大な信頼を得ているようだ。

 理由は分からないが、彼の人柄ならうなずけるところではある。

 しっかりと化粧を固めた娼婦たちに囲まれながらも、マイスタは浮ついたところもなく、穏やかに彼女たちを宥める。


「わしは今からこのお人をハーネマン先生の診療室へ連れていってくるから……」


 そこでまた女たちが騒ぎ出した。


「何でマイスタさんがそこまでしなくちゃいけないの!?」

「今日はわたしたちの話をずっと聞いてくれる約束だったじゃない!」

「お医者なら、コイツ独りで行かせればいいのよ! どうせすぐそこなんだから!」


 女たちの勢いに圧倒されて、マイスタの顔がみるみる曇ってくる。

 弱り切った様子で俺に向き直るマイスタ。

 

 面目なさそうな表情でもごもごする彼に、俺はぴきぴきとうなずきかけた。

 ゆうべ幾度となく繰り返したように、俺はなけなしの力を込めて、縮んだ胸郭を膨らませる。

 そして夜通しランプの炎を吹く練習を繰り返したとおり、腐った舌で、濁った呼気に自ら意志を刻む。


「イ、ヤ。オレ、ハ、独リデ、行ク……」


 俺の発した掠れ声を聞き、その場の全員が凍り付いた。

 娼婦たちの顔は恐怖と悍ましさに歪んだまま、マイスタは新鮮な驚きも露わな表情で。


 マイスタはこれ以上ないほどの好人物だ。

 だが俺が自分の意志を表わせなくては、彼の厚意に反して無用の窮地に陥りかねない。

 それにアリオストポリへの道を聞こうにも、冒険者の剣を逃れようにも、まずは意志の疎通は欠かせないのだ。


 ――話せること――


 それが危難を避けるため、この状況で俺に浮かんだ唯一の方法だった。

 ただ、俺が話すたびに体内の死臭が洩れてくるのだけは、どうにもならないが。


 俺の屍者の声が引き起こした異様な沈黙は、数秒で打ち破られた。


「いいよ。あたしが連れていってあげる」


 戸口に響いたのは、少女の快活な声だ。

 その場に居並ぶ皆の目が、一斉に玄関へと注がれる。

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