第四話 地方都市ルディア

 俺が通用門をくぐるなり、途端に飛んできたのは、番兵のものらしい非難の声だ。


「うっわ、またすっげえの連れてきたな……! じいさん、何だい? こいつ、ホントに生きてるのか……?」

「ひどい怪我じゃろ? 医師に診てもらうつもりでここに来たらしいが、閉門に間に合わなかったようでの」


 マイスタが自説を述べると、俺の目の前で番兵が眉根を寄せた。

 厚手のつなぎ服に革の半身鎧、半球形の兜を被った中年の男だ。

 片手に炎の宿るランタンを、もう片手に矛槍を担いでいる。

 確かによくある番兵の身なりだ。

 よく見れば、兜には何かの紋章が描いてある。

 市章だろうか。

 

 その番兵が、じろじろと俺を眺めまわす。

 実に胡散臭そうで、眼差しに怪訝さが溢れ返るのは無理もない。


「こいつぁ医師よりも、葬儀屋か“死の女神モリオール”の祭司でも呼んだ方が早くないか? それに何だか臭うぞ」


 くんくんと鼻を鳴らす番兵。

 なるほど、番兵の言うことは当たっている。

 内心苦笑の俺の脇で、マイスタが生真面目に番兵を窘めた。


「そんな生き死にを冗談にしちゃいかんよー。それにこれだけの傷を放っておいたら、臭ってもくるじゃろ」

「分かった分かった。じいさんホントにマジメだな。そのマジメさで、閉門時間も守って欲しいぜ」


 ちくりと刺して笑った番兵が、俺を見てため息をついた。

 同情の色が滲む、濃い息だ。


「しっかし、あんた全身変な色だぞ。火傷でもしたのか?」


 番兵がくるりと背中を向けた。

 俺たちのために開けてくれた通用門をしっかりと閉じながら、肩越しに俺に聞く。


「そんだけの傷を負うなんて、冒険者にしちゃ無茶し過ぎだ。あんた、冒険者じゃなくて兵士か? もしかして、あのひでえ戦いの生き残り……」


 俺の思考が石化した。


 兵士?

 酷い戦い? 

 この番兵は、一体何の話をしているのだろう?


 記憶の空白地帯に打ち込まれた二つの言葉が、まるで二本の楔のようだ。

 だがその二つの棘に引っかかるものは、俺の内にはまだ見えない。

 動きも固まって、俺は朽ちた案山子のように棒立ちになる。

 

 そんな俺の目の前に、番兵がランタンを振り子のようにゆらゆらと揺らした。

 ふっ、と覚醒した俺に向かって、番兵が無造作で無関心な口調で言う。


「まあとっとと誰かに診てもらった方がよさそうだな、あんた。だがもう医者も施療院も閉まってる時間だから、明日行きな。今夜はどっかに泊まって……」

「それならわしが一晩泊めてやるよ」


 何のためらいも見せず、マイスタが口を挟んだ。

 そんな気のいい老人マイスタに、番兵が半眼を注ぐ。


「おいおい、大丈夫かよ? マイスタじいさん……」


 その妙に調子も感情も抑えた口調と胡乱な目が、番兵の退き気味な心中をありありと物語る。


 これはむしろ番兵が正しい。

 こんなどこの馬の骨とも知れないバケモノのような、いや、正味バケモノの俺を一晩でも家に置くなんて、普通の感覚ではありえない。

 その意味で、このマイスタという老人は、非常に怪しいと言える。

 しかしマイスタは、番兵の心配などどこ吹く風だ。


「大丈夫大丈夫。あんた、心配要らんでな。明日は医者に合わせてやるよー」


 俺を見上げて笑うマイスタ。

 老獪さとは無縁そうな無邪気な笑みが、俺の濁った眼に実に眩しい。

番兵もまた肩をすくめ、ふふっと笑った。

 微笑ましげな、温かい笑いだ。


「まあじいさんらしいな。花街の誰もが、気安く頼ってくる訳だ」

「じゃあわしは帰るよ。お世話さん。済まんかったねー……」

「いいってことよ。今度は気を付けてな。それより、よろしく頼むぜ、マイスタじいさん」


 番兵の言葉を受けたマイスタが、にっと笑った。

 間違いない。

 大人の訳知り顔だ。


「分かっとるよ。新しい好い子が入ったら、真っ先に教えるよ」

「楽しみにしてるぜ」


 マイスタの快い返事を聞き、番兵は城壁に張り付く質素な詰所へと姿を消した。


 通用門の内側に、たった二人で残された俺と老人マイスタ。

 俺は改めて、この夜のルディアを見回した。


 夜天から降り注ぐ星々の光を浴びて、ルディアの街並みは真鍮色に染まって映る。

 閉ざされた城門からまっすぐに、馬車が二台すれ違えるほどの通りが延びている。

 そこそこ広いその通りの左右に軒を連ねるのは、石造りの建物。

 高さはせいぜいが三階建て程度だろうか。

 閉門時間もとうに過ぎた今、出歩く人影も、行き交う荷馬車も見えない。

 建物から洩れる灯りもまばらで、ほどほどに開けた地方の街、そんな地味な印象が漂う。

 ルディアの様子を見回す俺を、傍らの老人マイスタがさりげなく促す。


「さあさ、行こうかい。わしのあばら家は、ルディアの隅の方にあるでな」


 相変わらずの人懐っこさを満面に湛え、マイスタが歩き出した。

 夜闇に塗り込められた城壁に沿って、街の奥へと向かうようだ。

 俺もうまく上がらないブーツ履きの足を引きずりつつ、マイスタの後を追う。

 

 ルディアの街のこの老いた住人は、城壁脇の路地を勝手知ったる様子で進んでゆく。

 細い石畳の小道は、左右を灯りもまばらな家々に挟まれている。

 家屋自体は石と木材で造られた、ごくありふれた庶民の家屋だ。

 人気はなく、どこか心寂ものさびしさの漂う夜の下町。

 この老人マイスタも、この住む者も少ない路地の奥で、静かに暮らしているのだろう。

 

 ……だが、何か様子がおかしい。

 暗い夜道を進めば進むほど道幅はわずかずつ広くなり、佇む人が増えてくる。

 それも男ばかりだ。

 ある男は後ろ暗そうに、ある男は緊張した面持ちで。

 またある男は、へらへらと脱力しきってだらしなく民家の軒下に座り込む。

 

 そしてざわざわとした喧噪と興奮の気配が、辺りに漂い始めた時だった。

 不意に路地が途切れ、目の前に広がった光景が、俺の陳腐な予想を裏切った。

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