第12話

 近所の庭や公園で梅の花が咲いて春を呼ぶ。湯川は――今年も春が来るんだな――とホッとしながら梅の花を見て歩いた。曽我部には年始以来会っていない。登偉のライブに行った時も曽我部の姿は見当たらなかった。

 自宅の最寄り駅から3駅目で電車を降りる。天井から屋根にかけて真っ白なチューブのようになっているホームを歩く。春休み前の平日の昼間だから人は少なく――この真っ白い景色と閑散が相まって不思議な気分になる。改札を出て、地上に上がって、商業施設を見ながら登偉からの連絡を待つ。登偉は留学と引っ越しの準備が忙しくてしばらく会えていない。これからも会うことは少なくなるだろう。とあるインテリアショップを熱心に見ていると、手の中のスマートフォンが震えた。

「もしもし……登偉?」

「はい、遅くなってすみません。いまやっと着いて……ランドマークタワーの中にいます」

「あ、じゃあ、オレもそっちに行くよ。1階に降りてずーっと歩いていくとハードロック・カフェがあるから、そこで落ち合おう」

「わかりました!」

 湯川は全速力で走って行きたかったが、なにぶん体力の問題があるので、衝動を抑えて早歩きで向かった。クイーンズタワーに入ると通路の真ん中でこちらを見ている登偉が見えた。湯川は思わず手を振って合図した。

「……お久しぶりです」

 距離が近づいたときに登偉が言った。声がこもっていたが、登偉が照れているからなのが表情でわかった。

「……会いたかった……ずっと……」

 湯川は感情を吐露せずにはいられなかった。

「…オレもです……」

 登偉は湯川の笑顔から、目尻のしわや白いものが混じった無精ひげを見て取った。すぐにでも撫でたかったが、我慢した。

「腹減ってるだろ?」

 湯川は登偉の背中に手を添えると店の中に入っていった。


 食事を済ませると腹ごなしにクイーンズイーストの中を見て回った。

「登偉が来る前に家具の店をいろいろ見ててさ……今よりも広い部屋に引っ越すということもあるけど、なんか久々に……年甲斐もなくウキウキしてる」

 照れて目尻が下がった湯川を見ると、登偉はニンマリと笑った。

「せっかくだからベッドも買い換えようかなと……クイーンサイズに」

 湯川がニヤリと笑って言うと、登偉は頭をコン!と湯川の肩にぶつけてきた。


 グランモール公園、美術の広場。ここに来たいと望んだのは登偉の方だった。

「モノクロ写真に映えそうな雰囲気が好きで――日本を発つ前にもう一度来たかったんです。以前、ここでポプラの実をいくつか拾ったんですけど、ここに植えてあるのはケヤキなんですって」

「へぇ……じゃあ別の場所から飛んできてるのかな」

「そうだと思います」

 湯川は隣を歩きながら、登偉の顔をまじまじと見た。

「……かわいいな、お前」

 嬉しそうに湯川が言う。

「え、そうですか……」

 登偉は照れて、両手で頬を覆った。上気する頬を手のひらで落ち着かせている。湯川はそんな登偉を見ると、立ち止まって、彼の正面に回り込んだ。登偉が湯川を見上げる。未だ残る寒さで透き通るような顔に、バラのような色の唇が映える。思えば名前も知らないころから、登偉に見惚れていたんだ。高鳴る鼓動に声が上ずりそうになる。「オレは……」と言いかけて、なんとか心を落ち着かせた。そして、ゆっくりと言葉をつづける。

「一生、登偉の隣で眠りたい」

 湯川の言葉を聞くと、登偉はすこしだけ目を見開いた。少しの沈黙の間に言葉の意味をくみ取ると、登偉が口を開いた。

「……オレ、キズモノですよ?」

 その表情は、年明けに見た諦めの表情と同じだった。湯川は優しい表情で答える。

「お前に傷があるなら、その傷をオレがぜんぶ覆うよ」

 湯川は、登偉の左右の頬を包み込むように両手で触れる。湯川の手の中から見える彼の瞳はあふれそうな虹をまとっている。

「……好きです……」

 登偉が涙声で言った。彼の潤んだ目につられて心が破けそうになったが、湯川は精一杯の笑顔を作った。

「……オレも」

 湯川はそう言って、満足げに口角を上げた。、登偉がなんで!?という表情で返したあとは2人で笑い合った。身体が揺れた拍子に2人の顔が近づくと、登偉は自然に目を閉じた。


「じゃあ、よろしくお願いします」

 湯川は引っ越し屋に挨拶をすると、部屋の鋼のドアを閉めた。あとはガス業者と不動産屋を待つだけ。湯川は腰の位置にある窓の桟に腰かけた。

 就職した時に、一目ぼれで決めて借りた部屋。それでもいつかは出ていくだろうと思って、暮らしている間は部屋づくりを楽しんだ。そうしていくと部屋の居心地が良くて、いつの間にか一生暮らすつもりになった。……だが、今ではすっかり空っぽになっている。この、自分の人生が自分の手の中に存在しない感じ……本当に不思議だな、と湯川は感じた。

  一足先に登偉の荷物が新居に届いている。荷ほどきする前に彼は日本を発ったが、「大したものはないんで、テキトーにさばいちゃってください」と成田で言っていた。確かに彼の荷物は若い割に少なかったのだ。だが、良い。これから2人でいろんなものを増やしていこう。残っていた手続きを済ませると、湯川はボストンバッグを担ぎ上げてドアを開けた。暖かくて優しい陽光が湯川を包み込んだ。


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