にーしーろーやーとぉ

かどの かゆた

にーしーろーやーとぉ

 押入れにある小さな段ボール箱からゲームソフトが出てきた。


 埃が舞って、制服のブレザーにつく。

 制服を脱いでからにすれば良かった。高校から帰って来てすぐに探し始めたから、僕は着替えるのをすっかり忘れていたのだ。……今からでも、着替えるか。

部屋着になって、僕はまた、古びたゲームソフトへ視線を落とした。


 パッケージは褪せている。しかし、浮かんでくる情景は、思いの外鮮明だ。小学四年生の僕は、友達と通信プレイをするため、このゲームを親にねだったのだった。


「だってママ。みんな持ってるんだよ。あのソフト! 仲間はずれにされちゃうよ」


 頭の中で、幼かった自分の声が響く。その高音は、とても耳障りの悪い響きだった。今から考えれば、僕は、わざわざ人にとって嫌な感じの音を出していたのではないかと、疑わしくなってくる。


 子は親とのやり取りで様々なことを学んでいくというのは周知の事実だが、僕はきっとあのおねだりで「交渉」というものを学んだのだろう。

 あの交渉が上手かったとか、下手だったとか、そもそも正式な交渉に値するのかとか、そんなことは関係ない。


 ただ一つ言えることは、僕はこの交渉の為に、子どもなりに準備をした、ということだ。


 僕はあの時「自分が欲しいから買え」とは言わなかった。こうした言い分が通らないことを、僕は経験からよく知っていたのだ。


 だから僕は「みんな」を使った。


 僕は母さんへ(中学に上がる頃、僕は母親の呼び方を『ママ』から『母さん』に変えた)ある種の脅しをかけたのだ。


 もし貴方が僕にゲームを買わず、そのせいで僕が友達の輪から外されたら、それは紛れもなく貴方のせいになるのですよ、と。


 そう考えると、僕はやっぱり、意識していなかったとしても、それなりに勝つための算段をつけてこの交渉に臨んだのである。しかも「仲間はずれにされる可能性がある」という発言には、何の嘘も無かった。そういう可能性は、確かに存在していたのだ。だから、あれは全てが交渉のための方便という訳ではなかった。


 ただ、一つだけ僕と母さんとの間に認識の齟齬があったと思う。


 それは正に「みんな」についてのことだった。

 母さんは僕の「仲間はずれにされちゃう」という大仰な表現から、少なくともクラス単位でこのゲームが流行っているのだと思ったことだろう。しかし、僕が言った「みんな」というのは、たった三人のことだった。

 僕はあの頃、イツキ、ワタル、ヒロマサの三人とばかり遊んでいた。そして、彼らが当時ハマったゲームが、これだった。三人が協力プレイをしているのを見て、僕は、このゲームがたまらなく欲しくなったのだ。


 とはいえ、僕は意識して母さんを騙そうとしたのではない。

 幼い僕の小さな世界において「みんな」というのは、たった三人のことだったのだ。その三人が世界の大部分を構築していて、手に届く距離のみが重要だった。


 慎重に箱を開く。そこには、綺麗な状態で保存されたゲームソフトが入っていた。


「……まだ、動くかな」


 僕は先に見つけていたゲーム機へ充電ケーブルを挿した。






 僕がわざわざ押入れに入って古いゲームソフトを探していたのは、一人の女の子に頼まれたからだった。


 名前は、覚えてない。ただ、みんなから「柴崎さん」と呼ばれてるので、そういう名字なのだろう。(漢字が正しいかは定かじゃないが、彼女にはこの字面が一番似合うように思われた)


 柴崎さんは、中庭の隅にあるベンチで、秋空の下ゲームをしていた。それも、最新のゲーム機ではなくて、十数年前のゲーム機で、十数年前のゲームソフトをプレイしていたのだ。

 ボサボサした柴咲さんの髪は、太陽の光を受けて、微妙に茶色っぽく見える。縁の太い黒眼鏡のレンズは分厚く、その奥にある瞳はゲーム画面からくる光で不思議な輝き方をしていた。


 通りかかった僕が思わず柴咲さんの方を見たのは、音が聞こえたからだ。彼女はイヤホンもつけず、結構な大音量でゲームをしていた。その音は吹奏楽部の練習音にかき消されていたけれど、中庭を通ろうとしていた僕には、はっきりと聞こえた。


 そして、そのBGMは僕にとって、とても耳馴染みの良いものだったのだ。


「そのゲーム……」


 そんな言葉が、思わず口をついて出た。


 柴崎さんは顔を上げて、こちらを見る。長い前髪が顔にかかり、彼女は首を軽く振った。


「えっと、なに?」


 柴咲さんは少し不安げな視線をこちらに向けた。急に見知らぬ男子に声を掛けられたのだから、こういった反応も無理はない。


「いや、小さい頃にやったことがあって。すごくやり込んでたから、懐かしくて」


「小さい頃に」


 柴咲さんは僕の言った言葉をそのまま繰り返した。そして、手元のゲーム機へ視線を移す。


「そのゲーム、好きなの?」


 僕はどうしても聞いてみたかった質問をした。きっと柴崎さんからすれば、僕は下手くそなナンパ師のように思われただろう。でも、僕はとにかく同じゲームをやっている人間を見つけて、嬉しかったのだ。


「好きっていうか、安かったから」


 しかし、柴崎さんの返事は、僕が期待していたものとは違った。


「安かった?」


 今度は僕が、言葉を繰り返す番だった。柴咲さんは頷いて、それから口元に手を当て、何かを思い出す仕草をする。青白くて、細い指。


「本体が大体千円くらいで、ソフトは、二百円」


「あ、中古で買ったのか」


「そうそう」


 言いながら、ゲームを再開し始める柴咲さん。


 そうか。あの頃僕が必死にねだったゲームは、今となってはそんな値段で取引されているのか。僕はそのことに、軽くショックを受けた。まだ高校生だというのに、自分が古い人間になってしまったような気さえする。


「……それ、面白い?」


「あんまりゲームをやらないから分かんないけど、まぁ、面白い」


 それから僕らは、しばらく話をした。


 話によると、柴咲さんは小さい頃、ゲームを禁止されていたらしい。僕はその話を聞いた時、かなり驚いた。「一日一時間まで」という話ならば聞いたことがあるが、完全に禁止されている子なんて、居ただろうか。

 小学校の記憶を辿っても、僕の周りはみんなゲームをしていた気がする。それとも、話していなかっただけで、僕のクラスにもそういう人は居たのだろうか。


 とにかく、柴咲さんはゲームを禁止されていて、中学二年生の頃に解禁された。それから彼女は、小学校の頃に憧れていたゲームを中古で買ってプレイし始めたのだ。


「新しいのは、買わないんだ」


「高くない? 新しいの」


「まぁ、高いけど」


 それから僕は、この前新しいゲームソフトに八千円を支払ったのを思い出す。柴咲さんからすれば、暇つぶしに一万円近くも払うというのは馬鹿らしい話なのかもしれなかった。或いは、彼女の両親がそういう考え方なのかもしれない。


「別に古くても面白いやつはあるし」


 確かに、それはそうだ。

 期待を持って大金はたいたゲームが駄作だったという場合もある。反対に、過去の名作はどんなに時間を経てもその面白さだけは褪せることがない。


 ただ、今彼女がやっていたゲーム……つまり、僕が小学校の時にやり込んでいたゲームは、過去の名作、という訳ではなかった。評判は知らないが、あまり売れていた記憶は無い。


「なんでそのゲームを選んだの?」


「特に、安かったから」


「とにかく値段重視なのか……」


 どうやら柴崎さんは、ゲームにコストパフォーマンスを求めているらしかった。

 まぁ、二百円は確かに安い。


「でも、本当に面白いよ。少なくとも、二百円とは思えないくらいには。……まぁ、不満は無いことも無いけど」


「不満?」


「ここ」


 柴崎さんは、僕にゲームの画面を見るよう促してきた。そこには、幾つか埋まっていないアイテム図鑑が表示されている。


「アイテムがどうかした?」


「通信でしか手に入らないアイテムがあって……でも、他にやってる人なんて居ないから」


 柴咲さんはそう言って苦笑した。彼女が少し寂しそうに見えたのは、実際そうだったのか、僕がそう思いたいだけなのか。


 とにかく、僕は彼女に提案したのだった。


「じゃあ、家から持ってくる? ゲーム。多分、まだ動くはずだから」


 確か、押し入れのどこかにあったなぁ、と、僕は自室のことを思い浮かべる。狭い部屋だ。きっと、見つけるのにはそう時間がかからないだろう。


「そんな、悪いよ」


「いや、僕がただ、懐かしい気分に浸りたいだけだから、気にしないで欲しい」


 きっぱりとそう言うと、柴崎さんはゲームの画面と僕の顔を交互に見て、少し考えるような仕草をする。


「じゃ、じゃあ……お願い、します?」






 そうした事情があって、僕は今、数年ぶりに懐かしいゲームをしている。

 こんなにショボいグラフィックだったのか、このゲーム。そんな感想が頭に浮かぶ。俗に言う思い出補正、ってやつなのだろうか。記憶の中では、もう少し綺麗だった気がする。

 それに、あれだけやり込んだはずなのに、僕は操作を殆ど覚えていなかった。


「通信限定のアイテム、ねぇ」


 確かに、そういうのがあったのは覚えている。ただ、通信をした後に何をすればそれが手に入るのかは、どうしても思い出せない。操作すら忘れているのだから、まぁ当然だろう。


 しばらく悩んだ後、僕はネットで調べてみることにした。あまりに人気が無いゲームでも、案外攻略サイトというのはあるものだ。


 検索エンジンに、ゲームのタイトルを打ち込む。


『○○ クソゲー』


 すると、サジェストにそんな文字列が表示されているのが見えた。


「……え?」



 



 次の日。


「あ、どうも」


 放課後に中庭へ行くと、約束通り、柴咲さんはベンチに座っていた。太腿の上には、やっぱり、古びたゲーム機が置いてある。


「持ってきました」


 なんだか女子と待ち合わせをしているということに不思議な照れくささを感じ、敬語になってしまった。柴咲さんはきょとんとしていたが、やがて頭をぺこりと下げて


「ありがとうございます」


 と丁寧にお礼を言ってくれた。


 隣に座り、鞄から自分のゲーム機を取り出す。最近のやつならいざ知らず、この時代の通信機能はあまりに遠いと接続が切れる恐れがあるのだ。


「それじゃ、やろうか」


「うん」


 僕は柴咲さんに通信のやり方を説明した。ずっとソロでプレイしていると、結構わからないものだ。


 通信が始まってからは、ただ条件を満たすようなアイテム交換や対戦を行うだけ。特に説明をするようなこともなかった。


 会話が途切れる。


 柴咲さんはとにかくゲーム画面を見ていて、その横顔は少し嬉しそうだった。


「あのさ」


 よせば良いのに、僕は思わず、彼女に声をかけてしまう。


「なに?」


「このゲームが、ネットでつまらないって言われてるの、知ってる?」


 僕は昨日まで、その事実を知らなかった。


 けれど、ネットで見ると『懐かしのクソゲー』とか『本気でつまらなかった記憶がある』とか、結構なことを言われていた。SNSを見ると、もっと酷い感想を書いている人もいる。


「あー……」


 柴咲さんはゲームを一旦置くと、ポンと手を打つ。


「だから安かったのかな」


「そうかもしれない」


 人気のゲームだったら、古くてもそれなりの値段になる。それを考えれば、五百円というのは思った以上に安いのではないだろうか。


「私は、けっこう面白いと思ったけど」


 柴咲さんはそう言うけれど、見た感じ、僕や彼女のような意見を持っている人は圧倒的に少数派だった。


 僕はこのゲームを面白いと感じて、かなりやり込んだ。これは紛れもない事実で、その思いは今も変わらない。


 しかし、他のみんなはそうではないというのも事実だ。


「僕も、面白いと思うんだけど……もしかしたら僕たちって、独特な感性の持ち主なのかもしれない」


「そうなのかな」


「いや、分からないけど。でも、みんなとは違うってことだろ」


 そんなことを話しつつ、僕は「やっぱり柴咲さんに言わなければ良かった」と思った。というか、話す話さないの前に、そもそも検索なんてしなければ良かったのだ。

 つまらないネットの評判に影響されて、急激に楽しかった思い出が冷えて固まっていって。そして今僕は、八つ当たりのように柴咲さんを道連れにしようとしている。


「……私ね」


 すると、ゲームを再開しながら、柴咲さんはぽつりと呟く。


「こんな古くて、あんまり聞かないゲーム、きっとみんなやったことないだろうって思ってた」


 冷たい風が吹く。柴咲さんの長い前髪が揺れて、彼女の視界が開けてゆく。僕はそれを、ただ黙って見つめていた。


「でも、実はけっこう、居るもんだね。私が勝手に思ってただけで……わざわざ誰も改めて言わないだけで。確認すれば、このゲームやった人って、もっと居たりして」


 柴咲さんは中庭から、あまりにも大きな校舎を見上げる。その横顔は、ちょっと愉快そうだ。


「言ってることは分かるけど、一体、何の話?」


「えっと……「みんな」って誰のことだろうね、って話」


 その時、ちょうどゲームでは通信限定のアイテムが手に入ったところだった。することが無くなって、ただ待機画面を見つめる。


 一体、「みんな」とは誰なのか。


 僕が思い出すのは、このゲームを買った時の話だ。たった三人を「みんな」と言った、狭い世界に生きる少年の話。


「でも、つまらないって言ってる人は、見るからにたくさん居たけどな」


「たくさんって、どれくらい?」


「……どれくらいかな」


 僕はとにかく、スマートフォンの画面いっぱいに表示された酷いコメントを見て、たくさんという印象を受けた。しかし、改めて柴咲さんから「どれくらいか」と聞かれると、途端に分からなくなる。


 どれくらいなんだろうか。

 一体何人の人が、どの程度の熱量を持って書いたコメントなのだろう。


「じゃあ、数えてみる?」


 すると、柴咲さんはゲームを終えて、ブレザーのポケットからスマートフォンを取り出した。


「え、数えるって、何を?」


「つまらないってコメント」


 すると柴咲さんはSNSのアプリを開く。そして、人差し指でゆっくりと文字を打ち始めた。


「あ、ほんとにサジェストでクソゲーって出るんだね」


 どうやら、昨日の僕と同じようにゲームのタイトルで検索をしているらしい。


「見てると気分悪くなるから、止めといた方が良いよ」


 一応忠告をしておく。しかし、柴咲さんはそのコメントの内容に着目しているわけではないらしかった。


「にーしーろーやーとぉ」


 柴咲さんはピースのような手をつくって、丁寧にコメントを数え始める。その声の響きは、どこか子供っぽい。


「全部数えられる?」


 聞いてみると、数えていた声が止まる。


「……まぁ、大体だよ、大体」


「そっか」


 確かに、これは自己満足なんだから、大体で良いのか。


 すると、柴咲さんが自分の指をじっと見つめる。


「あれ、どこまで数えたんだっけ」


「あ、ごめん」


 完全に邪魔になってしまった。申し訳なくなって、僕は自分のスマートフォンを取り出す。


「ぼ、僕も数えるから」


「そっちで数えても、私の数える分は変わらないけどね」


 柴咲さんは薄く苦笑して、もう一度、コメントの数を数え始める。彼女の言うことは尤もだった。僕はどうして良いのか分からず、彼女の声を聞いていた。


「にーしーろーやーとぉ」


 繰り返し聞いていると、段々、言葉の意味がぼやけて、よく分からなくなっていく。一つ一つの声だけが、奇妙に響いた。こういうのを、ゲシュタルト崩壊と言うのだろうか。


 まるで、呪文みたいだ。

 その呪文によって、あまりにも強大で未知数だった「みんな」という存在が、どんどん単なる数になってゆく。


 十数分の後、柴咲さんは呪文を唱えるのを止めて、一言だけ言葉を発した。


「272」


 それが正確な数字なのかは、分からない。


 ただ。


 それが「みんな」のコメントではなく、「272件」のコメントになったことで、僕の印象は明確に変わった。


 このコメントが多いか少ないかは意見が分かれるところだろうけど、どう考えてもこの程度の数を「みんな」と言うのは無理がある。


「どうやら「みんな」は、272人だったみたい。……まぁ、アカウント数とかを考えたら、もっと少ないかも」


 柴咲さんは改めて、僕に現実を教えてくれた。


 僕は、たった272人の気紛れを恐れて、世界の全てに間違っていると言われているような気になっていたのだ。そのことが恥ずかしくて、僕は、古いゲーム機を指で撫でた。


「……何か、馬鹿みたいだ。一体、「みんな」っていうのは、誰だったんだろう」


 もしかしたら僕らは「みんな」という言葉を、軽々しく使いすぎなのかもしれなかった。特に、インターネットの海には沢山の人が集まるから、どうしてもそう言いたくなってしまう。


「きっと、人によって違うんだよ。「みんな」の範囲が。そうやって範囲を広めたり狭めたりして、信じたいものを信じていくんじゃないかな」


 柴咲さんは改めてベンチに置かれたゲーム機を手に取る。


「私、このゲーム嫌いじゃないよ」


 それに続くようにして、僕も言う。


「僕は、このゲームが大好きなんだ」


 考えてみれば、簡単なことだった。

 たった二人をそう呼んで良いのかは分からないけど、この際、細かいことなんてどうでも良い。

 学校の中庭。背もたれさえ無い小さなベンチの周り。

 そこに居る二人は「みんな」、このゲームを嫌ってなんかいなかった。

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にーしーろーやーとぉ かどの かゆた @kudamonogayu01

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