第2話

「ねーちゃん、オレ巫女になるんだ!」


 そんな弟の爆弾発言で、あたしの平穏に過ぎるはずだった休日は脆くも崩れ去った。


「……は?」

 頭は悪いが顔はそこそこイケてるらしい(友人・談)弟がさらりとそんなことを言いだしたのは一週間前の夕食時だった。

 父親は飲んでいたビールを吹き出し、母親はフライパンの中身をキッチンの床にぶちまけ、そしてあたしはと言えば危うくリビングにダイブしかけた食器をかろうじて受け止めた。

 あ、危なかった……お気に入りなのよこのお皿。

 っていうか、今、なんて言いました? この愚弟は。

「だーかーらー、オレ、巫女になんの! ねーちゃん、絶対見に来てねー!」

 いや普通そこは『見に来るな』の間違いだろうっつーかそもそも自ら女装趣味を家族にカミングアウトするバカがどこにいるあぁこれであたしの平穏な人生も終わりを告げるのねきっと近所から白い目で見られてこそこそ高校に登校する日々がくるんだわ……って、現実逃避してる場合じゃないあたし!

「……で、何がどうなって巫女がどうこうなんていう話になるのよ?」

 取りあえず落ち着いて一から話したんさい。と、リビングのソファに弟を座らせ、その両肩に手を置いて諭すようにそう言うと、弟はあっけらかんとした表情で――いやむしろ嬉々として経緯を説明し始めた。

 いわく、一週間後の文化祭で、クラスの出し物として女装神社をやることになったこと。

 いわく、その神社にいる巫女さんは全員クラスから選抜された絵的にそこそこイケてそうな男子ばっかりだということ。

 いわく、クラスで人気投票の結果、自分がぶっちぎりで第一位に選ばれ、目出度く一番偉い巫女頭に選ばれたこと。


 ……いかん。頭の隅っこに花畑が見え始めた。ばーちゃん、今のあたし的心情には持ってこいだけど未だ迎えに来ないで。つーか目の前の弟の頭には間違いなく一本どでかい花が咲いているわよね。


「雅樹。……あんた、一応、男よね?」

「え? そーだよ? なに、ねーちゃん、証拠みたいのー?」

「ベルト外すなズボン脱ぐなそんなもん見せんなー!」

 マッハのスピードでつかんだ両肩を揺さぶってやると、雅樹はがっくんがっくん揺れながら、あははー冗談だよー、とか言いやがった。

 ちくしょう。絶対遊ばれてるあたし……。

「……あのね、雅樹くん。普通、男の子は、女の子の格好をさせられて喜んだりしないと思うんだけど?」

 一部、そんなコアな趣味の人がいなくもないんだけど。

 そこに我が弟が入っているとは思えないっていうか思いたくない。

「えー、でもねー、クラスの女子がすっげー嬉しそうに、めいくー、とかいうのやってくれんだよ。それに巫女服ってなんか可愛いじゃん。オレ、巫女さんて好きなんだよねー」

 間違ってる。

 そのベクトルは絶対間違ってる。

 巫女が好きなら、そこらの神社でバイトしてる女の子でもナンパしやがれ。

 間違っても巫女服着られるとかって喜ぶなー!

「……ねーちゃん、来てくんないの……?」

 と。

 突然、雅樹の表情が変化した。

 それはもうまさに捨てられた子犬の表情そのもので。

 眉毛を八の時に曲げて若干うるうるした目でじーっとあたしを見つめてくる。

「うっ……」

 やめろー! そんな目であたしを見るなー!

 怒濤のように罪悪感があたしの中に沸き上がってくる。

 わかってる。わかってはいるのだ。

 こいつは絶対確信犯だ。間違いなくわかってやっている。

 あぁ、なのに。それなのに。

「行けばいいんでしょ、行けば……」

 がっくりと肩を落とすあたしを、両親が哀れむような目で見ていた。

 ――同情するならこいつの躾やり直してよ父さん母さん……。




「えぇっ、あれ雨宮の姉ちゃん? うわっ、すげー! さすが姉弟! 似てる! しかも美人度3割り増し!」

 ……そこの多分愚弟の同級生。3割という曖昧な数字はなんなんだ。お世辞言うならいっそキリ良く5割り増しぐらいにならんのか。

 とツッコミたいのをぐっと堪えつつ、弟のクラスのドアをくぐったあたしは、あっという間に男子生徒数人に取り囲まれた。

 ごめん。いくら中学生でもそれなりに育ち盛りな少年に取り囲まれると怖いんですけど……。

 冷や汗浮かべて固まっていると、背後からものすごい大音響で声が響いてきた。

「ねーーーーちゃーーーーーん!!!」

「うぎゃぉぁっ!?」

 少々可愛らしくない悲鳴を上げて、あたしは背後から突進してきた物体を睨み付ける。

「まーさーきぃぃぃ」

 飛びつくな! 突進すんな! いちいち叫ぶな!

 と言おうとしたあたしの言葉を遮るように、雅樹は頬を背中にぐりぐりすりすり擦りつける。

 あーあー、せっかくのメイクが落ちちゃうじゃんよ。つーか私服にファンデが! これでも結構高いシャツなのに!

 何とかべりべり音を立てるように引きはがすと、雅樹は満面の笑顔であたしを見上げた。

「やっと来たー! オレ、ずっと待ってたんだよー! ね、ね、どうこれ似合うだろー?」

 くるり。

 ターンして見せた雅樹の巫女姿は――悲しいほど似合っていた。

 元々、似たもの姉弟というよりは、あたしの顔立ちに雅樹が似ているので、こいつは基本的に女顔だ。しかも、小顔でパーツも小振りにまとまっているので、下手するとそこらの女子より女らしいかもしれない。クラスの女子がおもしろがってメイクしたがったのがわかるよ雅樹……。

 情けなくて思わず涙が出そうなあたしの気持ちを知ってか知らずか、相変わらず雅樹はあたしにまとわりつく。

 雅樹……周りで「雨宮ってもしかしなくてもシスコン?」とかって声が聞こえてるよ。

 あんたが変態呼ばわりされるのは別に構わないけど、あたしまで巻き込まないでよ。

 とは思うものの、言っても無駄だ、というのも骨身にしみてわかっている。

 基本的に、こいつは、わんこ属性なのだ。

 自分が興味を持っている物、好意を持っている人間にはとことん構って貰いたがる。

 四人姉弟の末っ子で初めての長男だったせいか――ちなみに上二人は既に結婚して家を出ている――父も母も……不覚ながらあたしもこの弟を溺愛した。

 そりゃもう、小さい頃は片時も離れないわ! という勢いで溺愛した。

 ……結果。

「おい雨宮、いい加減ねーちゃんから離れて紹介しろよ」

「そーだよ、独り占めはずりーぞ」

「やだね! ねーちゃんはオレんだもん!」

 ――こういう弟に仕上がってしまった。

「雅樹……いい加減はなれなさ」

 い、と言おうとしたあたしの目に飛び込んできたのはキラキラ輝く少年の瞳。

 あぁぁ。あたしのバカ。どうしてこう、わんこ属性に弱く出来てるのあたし。

「ねーちゃん、ねーちゃん、今、別のやつが巫女役やっててオレひまなんだー。だから、オレがねーちゃんのぼでえがあどやってやるよ、ぼでえがあど」

 せめてカタカナで発音しろ愚弟。

 そうは思うものの、弟の「構ってオーラ」にあたしが勝てるはずもなく。

 渋々頷くと、雅樹はそれこそ背中にお花畑でも咲かせそうな勢いでぱぁっと笑った。

 あ、どこかで黄色い声が聞こえる……君たち、騙されちゃいかんよ。わんこは躾を間違うと身が保たないからね……。

 ちょっと遠い空の彼方へ行きかけたあたしの意識を引き戻したのは、やっぱりというか何というか雅樹の爆弾発言だった。

「ねーちゃん、ねーちゃんもおみくじやんない?」

「……はい?」

 何が悲しくて良い年齢の女子高生が中学生の出し物でやってる程度のおみくじなんぞを引かなきゃならんのだ?

「あのねー、うちのおみくじさー、大吉が当たると巫女とツーショット写真取れるんだー。しかもゴールデン大吉だと自分も巫女服着れんだよ、お得でしょー?」

 おみくじは基本的に占いだ。抽選会じゃあるまいし、なんだその当たりとかいうのは、しかもゴールデン大吉って!

 今時の中学生は何考えてんの!

 思わず頭を抱えかけたあたしをひきずりながら雅樹がおみくじが置いてある教壇の方へ歩いていく。

「ほらほら、引いてみー?」

 にっこにっこ。

 きっと今こいつに尻尾が見えたら風が起こせるくらいぱたぱた振られていることだろう。

「あーもーわかったわよ! やればいいんでしょ、やれば!」

「わーい。ねーちゃん、大好きー!」

 ぎぅ。

「だから抱きつくなー!!!!」


 数日後。

 部屋に遊びに来ていたあたしの友人が、二人揃って巫女服を着て映っている写真を弟から見せられ、あたしは暫く彼女の下僕と化した。


 いやぁぁぁぁぁぁぁ。

 そんな写真、嬉しそうに見せびらかさないでぇぇぇぇぇぇぇ。


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災難。 樹 星亜 @Rildear

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