災難。

樹 星亜

第1話

「聞いたぞ鷹弥。お前、未だに女に間違われるんだって?」

 クソ親父のその一言で、オレの運命は決まった。

「ごめんね~、先月休み多かったせいで今月ピンチでさー」

 ヒラヒラと万札を振りながら無責任に笑うのは、就職浪人中でフリーターの馬鹿姉貴。


 そう、それは突然の出来事だった。

 思い出すのも吐き気がする、つい先日。

 オレはいきなり現れたどこぞの男子高校生に行く手を遮られた。

 ケンカでも売るつもりかと反射的に身構えた途端、そいつは気味悪く頬を染めてのたまいやがった。

「こ、この間、見た時から好きだったんだ! 良かったらオレと付き合ってくだがふうっ!」

 気が付いたらオレの右拳は綺麗にヤツの腹にめり込んでいた。

 ……速攻でダッシュして家にたどり着いて、息も絶え絶えになりながらコトの顛末をこの馬鹿姉貴に話しちまったのが、運の尽きだったのかもしれない。

 いくら空前絶後の出来事に頭が混乱していたとはいえ。

 よりにもよって、この金のためならさっくり家族も悪魔に売り渡す様な姉にそんな失態をバラすとは。

「テメェ、オレを売りやがったな……」

「ほ~お? お姉様にそんな口をきくのはどこのどなた様かしらぁ~?」

 途端、スリッパが顔面を直撃する。

 さすが元女子野球同好会エースピッチャー、ナイスコントロールっつーか手加減しろよテメェ……。

 痛みに思わずうずくまると、上から勝ち誇った様な声が降ってきた。

「小さい頃はおしめも取り替えてやったって言うのに、こんな恩知らずに育つなんて姉さんは悲しいわ……」

「いつの話だよ! っつーか、そんなに年離れてねぇだろーが!」

「あれは幼稚園の時だったかしら、いじめられて泣いて帰ってきたあんたの為に、仇を取ってやったこともあったわねぇ」

「っ……」

「そうそう、小学生の時には好きな子に話しかけられないってんで私が間に入って一緒に公園で遊んだこともあったわよねぇ」

「……む、昔の話だろっ、そんなのっ」

「そうよねぇ、昔の話よねぇ、今更こんな話、野乃香ちゃんに話したって時効よねぇ?」

「なっ……の、野乃香は関係な――」

「あらー、今時手を繋ぐだけで精一杯なんてヘタレな弟がべたっ惚れしてる彼女だもの、彼氏の過去ぐらい知る権利はあるわよー。彼女、どんな反応見せてくれるかしらねー?  ちなみに当時の写真もあるわよ」

「……スイマセンデシタ……」

 がっくりとうなだれるオレと、ふんぞりかえる姉貴。

 二人を見比べてひとしきり爆笑したあと、クソ親父はオレの肩をぽんぽんと叩いた。

「お前もいい加減、瑞樹に勝てないことぐらい学習しろ? で、相談なんだがな」

「……拒否権は?」

「あると思うか?」

「……女装だけはぜってぇしねぇからな」

 何しろこのクソ親父、前科がある。

 あれはまだオレが小学生だった頃だ。

 元々が童顔で女に間違われることもしょっちゅうだったオレを面白がって、親父はこともあろうに近所のオクサマ方の集まりに放りこみやがった。

 ……ピンクハウスのフリルびらびらの衣装を着せられ、ショートヘアにカチューシャを付けられ、唇にはほんのり色つきリップを塗られたオレの写真は、未だに姉貴がこっそり持っている……らしい。(何度も奪還を試みているんだが、どこに隠してやがるんだか見つかりやしねぇ。その上、勝手に部屋に入ったってボコられるし)

「おー、さすが我が息子、イイ線いってるがちょっと違うなー。女装じゃない、着て欲しいのは巫女服だ」

「……………………は?」

 思わず固まって正気に戻るまで三〇秒と少々。

 巫女服?

 巫女服っつったか、このバカ親父。

「いやー、実は明日のお祭りな、バイトの子が急に休んじゃったんだわ。まぁ、病気じゃしょうがないってことになったんだが、代わりが見つからなくてな。その子の友達にも瑞樹の友達にも当たってみたんだが空いてる子がいないんだわ。そこでだ」

「断る」

「だから拒否権はないって言ったろ?」

 にこにこといかにも人当たりの良さそうな笑顔を浮かべ――この顔に騙されて近所じゃ親父の人気は相当なものらしい――親父は後ろ手に持っていた服をオレに手渡した。

「取りあえず、明日一日おみくじとか絵馬とか売ってりゃいいだけだから。頼むな、鷹弥」

 語尾にハートマークでも付けそうな勢いで言うだけ言うと、親父は居間から出て行った。

「冗談だろ……」

 明日の祭には野乃香も来るって言ってた筈……。

 呆然と居間に立ちつくすオレの肩を親父そっくりのやり方で叩きながら、姉貴も居間を出て行った。

「明日が愉しみねー、鷹弥くん」

 神様。

 オレに何か恨みでもあるんですか……?


 ★


 当日、いっそバレて騒ぎにでもなってくれというオレの願いも虚しく、誰も男が巫女に化けていることに気づくヤツはいなかった。

 元々、十六にもなって、オレの声は変声期を迎えていない。

 いや、正確に言えば変声期はあったんだろうけど、未だに女の声がちょっと低くなった、ぐらいの低さしかない。

 こんなことならラグビー部とか柔道部とか何でも良いから格闘系の部活に入って身体ゴツくしとくんだったと思うけど、柔道の有段者の割にスラリと細身の親父を見ると、多分それでもオレの容姿は今と変わらなかっただろう。

 実際、力的にはないわけじゃない。

 ケンカだってそこそこ出来るし、他の同級生に力負けする様なこともない。

 ……なのになんでだ。

 なんで誰もオレの巫女姿の不自然さに気づかないんだ。

 情けなくて涙が出てくる。

「あ……れ?」

 と、その時だった。

 ものすげー聞きたくない声が、いや、いつもだったら聞くだけで顔が赤くなるっつーか緩むっつーか嬉しいことこの上ないんだけど今この場でこの瞬間にはぜってー聞きたくなかった声が聞こえた。

「た、鷹弥く……!」

 ありがとう野乃香。

 オレの本当の姿に気づいてくれたのはお前だけだ。

 でも今日だけは気づかないで欲しかった。

 驚いて叫びかけた野乃香の口を背後から押さえたのは、どこから見てたんだかバカ姉貴だった。

「はーい野乃香ちゃんストップー。それ以上言っちゃうとちょっとマズいのよこの状況理解してねー」

 そう言うと、姉貴はずるずると境内の林の方へ野乃香を引っ張っていく。

 一方オレは、絵馬だのおみくじのこんなバカ親父が神主やってるような神社にご利益なんかねーよ! と叫びたい衝動を堪えながら、客の相手をしつつ、ちらちらと野乃香たちの方へ視線を投げる。

 二人は何事か楽しげに――それはもう寒気がするくらい楽しげに何か話し合っていた。

 逃げろオレ。今すぐここから逃げろオレ。

 そんな警鐘が頭の中で鳴り響く。

 が、目の前には大勢の客が順番を待って列を成している。

 こんな神社になんでこんなに客が集まるんだ!

 中途半端に責任感を感じて、オレは抜けるに抜けられない。

 その間も二人の談笑は続き、やがて二人は本殿の中へと入っていった。

 予感がする。それも、とてつもなくいやーな予感がする。

 そして、それは見事的中することになった。

「えへ。似合う? 鷹……子ちゃん」

 思わず名前を呼びそうになって慌てて言い直す野乃香は――オレと同じ、巫女服を着ていた。

 ……可愛いさ。あー、そりゃもう可愛いさ。

 ヘタレだなんだと姉貴にはバカにされてきたがオレだって健康男子。

 こんな野乃香のそそる姿を見たら色んな妄想が頭を駆けめぐるさ。

 けど、野乃香がオレに向けてくる視線は純真そのもの。

 その上、えへっ、おそろいだー。なんて可愛く微笑まれた日にゃ、妄想もフリーズするってもんだ。

「の、野乃香、オレ……」

「あ、お客様だ。いらっしゃいませー。こちらのおみくじですか? はい、一回三百円になりますー」

 ……役得なのか。これは役得なのか?

 確かに野乃香と一緒に仕事が出来るなんて機会は滅多にない。というか絶対ない。

 が、何が悲しくて巫女なんぞしなきゃならんのだー!

「よぅ、頑張ってるか、鷹子ちゃん」

 ……バカ姉貴。いつか絶対ぎゃふんと言わしてやる。

「やめとけ、あんたがあたしに勝てる日なんて永久に来ないから。っていうかぎゃふんていつの時代の人間だお前は」

「人の心を読むな! つーか姉貴! なんで野乃香にまで仕事させてんだよ! ていうか、よく考えたら野乃香に仕事頼むか、姉貴がやれば良かっただけじゃねーか!」

「そりゃー決まってるだろう、頑張っている我がおとう……もとい妹の為に可愛い可愛いパートナーを作ってやろうとだね」

「建前は良いから本音を言え」

「百面相のお前が面白かったから」

 えへ、と小首をかしげて微笑む姉貴。

 やめろ、気色悪い。

「気色悪いとは失敬な。これでもクラスの中ではマドンナと呼ばれていたんだぞ」

「どんな狭い空間のマドンナだよ。つーかだから人の心を読むなっつーの!」

「いかんな鷹子。オンナノコはもっと上品に喋らないとダメだぞ?」

「てめっ……」

「あ、大凶だったんですか? ……でも、大丈夫ですよ! 大凶って、滅多に出ないんです、だからきっと逆に運が良いんですよ! それにほら、大凶だったら、これ以上悪いこと起きないし! ね?」

 隣で野乃香が一生懸命接客に当たっている。

 ……おい、そこの大凶引きやがった在る意味貴重なヤツ。

 オレの野乃香に見とれてんじゃねぇ。

 さっさと御木におみくじ縛って帰りやがれ。

「……ほんとにわかりやすい姉弟を持って幸せだよ私は」

 そう言った瞬間、姉貴は野乃香とオレに同時に声をかけた。

「はい?」

「あ?」

 咄嗟に振り向いたのが不味かった……。

 パシャリ。

 いやーな音がして、カメラを手に持った姉貴が愉快そうに笑う。

「うん、バッチリ。野乃香ちゃん、ご苦労さまー。そろそろお客もいなくなってきたし、時間も遅いしあがっていいよー」

「ちょっ……待て姉貴! その写真どーするつもりだよ!」

「さぁ? どうするんだろうねぇ?」

 ふっふっふ、と笑う姉貴の顔はまさに悪魔に見えた。

 ……待てよ。

 確か姉貴、この前、テレビ番組で「美少女な彼」とかいうコーナーに興味津々じゃなかったか……?

「……やめろー! オレは全国に恥をさらすつもりはねー!」

「ほほほっ、諦めなさい、これで賞金ゲットすれば私の当座の生活費は安泰なのよー」

「瑞樹お姉さん、楽しそうだねぇ。私も可愛く取れてたらいいなー」


 神様。いや、この際、仏様でも悪魔でも何でもイイです。


 これは悪い夢だと言ってください……。




 数日後。

 オレの巫女服写真は、野乃香とのツーショットの効果もあってか、見事グランプリ。

 テレビに出演出来た野乃香は大喜びで、姉貴は優勝賞金をがっつり横取りし。

 オレは全国に「男子巫女」として知られることとなった。

 ……でもまぁ、野乃香が喜んでるんだから、いっか。


「……そんなんだからヘタレとか言われんのよ」

 とかいう賞金ゲットした誰かの呟きがあったとかなかったとか。

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