第12章ㅤ終局の告げ
「ルカと会う前、僕は一匹の兎に出会った」
秘話を話し出したレオは、昔の事を思い出すように遠くを眺め始める。
「その当時、まだ僕は妖怪ではなかったから会話なんてできなかった。でも、兎同士だからなのか、心が通じ合ったからなのか、すぐにその子とは仲良くなった」
優しい声音。暖かな目。
その目が伏せる。
「ーーでも、ある日、彼はあるヒトによってこの世から消された」
「消さ……れた?」
里桜は驚きの目でレオのことを見上げた。レオはそんな里桜のことを一瞬見て。
「うん」
と、静かに頷いた。
そして、『あの日』が脳内で再生される。
思い出したくない、脳裏に焼き付いている、あの場を。
それは満月の夜の日。
草原で何をするでもなく、その場にいる二匹の兎。それがレオと、レオの親友。
草が緩やかに風に揺れる。
満月の夜に二匹の兎。
ーー餅つきしている兎の姿を思い浮かべてしまうかもしれないが、そんな事はしない。レオはただ、友人といれる時間を大切にしているのだ。レオの隣にいる兎も一緒。
ザワッと、風とともに草が揺れた。
不吉な風。ずっと穏やかだった風が、いきなり不穏な空気を漂わせたのだ。
レオは何事もなく、満月を見上げている。だが、それは突然現れた。
感情のない瞳。ルカのように全身真っ黒な服装。目の前にいる彼の事を知らなければ、ルカと間違えてしまうであろう容姿。
目の色は金。
片手に剣を持ちながら彼は言った。
『お前の命を貰いに来た』
それは誰に言っているものなのか。それとも笑える冗談なのか。
漆黒ーーいや、闇でできているような彼は、感情の読み取れない瞳をしていて人の姿をしていた。
否、これは冗談ではないという事をレオは何となく感じ取った。
だからといって今どうするべきなのか。分からずに動けなかった。
だがーー。
『逃げるぞ』
そう、誰かの声が聞こえたような気がした時、丁度、隣にいる兎は駆け出した。
つられるようにレオも、彼の後を追った。その間、物思いにふける。あれは人間、だが、人間のような気配を感じなかった。
だったら何なのか。
いや、でもどう見てもあれは人間だ。僕の考えが間違っている。人の姿をしていて人間ではないなんてありえない。
レオは兎の背を見ながら走り続けた。いつも静かで大人しい彼の後を。
ねえ、どうしたの?
そう問いかけたかったけど、言葉を口にできない兎のレオは心に思いとどめた。
そしてどのくらい走ったところだろうか、闇のような彼がまた前に現れたのだ。
追いかけてきているのなら、後ろにいたと思っていたのに。
危機なんて感じていなかった。
レオは、先頭を走っていた兎の叩きつけられる姿を目前にし、そこで蒼白を感じた。
『おれは大丈夫だから。……逃げろ』
また、さっきと同じ声。
それが彼の声だと分かった時ーー強い気持ちが自分に伝わって、彼の声が聞こえたのではないかと思った。
君をおいて逃げれない。
そう思っていたけど、体は震え、いうことは聞いてくれなかった。
彼の必死な想い。
自分の命はもう助からないと知っていながら彼は僕に逃げろと言った。どうして彼が僕たちを狙っているのかは知らないけど、このままここにいては二人共やられてしまう。
でもここで逃げたら……。
親友と呼べる者を見殺しにしてしまう。
でもここにいても何もできない。
だったら彼の言うとおり逃げた方が良いのかもしれない。少なくとも彼は、上辺だけだと思うがそれを望んでいる。
『……っ』
レオは逃げた。友である兎をおいて。
それしか方法がなかった。あのままあの場にいれば彼の想いも無駄にしてしまう。
何よりも怖かった。
怖くて震える足が勝手に動いて、彼のいる場所とは別ーー反対方向に逃げてしまった。
もちろん悔やんだ。どうして僕はあの時、助けにいかなかったのだろうと。
いけなかったのではなく、いかなかった。
もっと、自分の気持ちに、助けにいこうという強い思いがあったのなら助けにいけたはず。なのにできなかった。
それはつまり、僕に勇気がなかったってこと。勇気が足りなかった。
「ーーユキ。……確か彼は、そういう名だった」
言葉を交わす事ができなくて、本人からは聞いていないが、何となく分かっていた。
(ユキ……)
レオの友の名を心の中で復唱する里桜。
「ユキを、その、消したのって誰?」
あえて先程レオの使った言葉を使った。
険しい顔。
初めて見るその横顔に、里桜は、聞いてはいけないことを聞いてしまったかと言ってしまった後に後悔し、酷く気を使う。
「僕の親友を殺したのはシキなんだ。だから僕は絶対に彼の事を許さない。……ずっと、許していない」
また、初めて聞いた、感情が高ぶっているかのような声。憎しみのこもっているかのような言い方。
(それに、シキって……)
いつもと違うレオに里桜は黙り込む。
「ーーなんてね、少し熱く語りすぎちゃったかな」
さらっと、何事もなかったかのようにいつものレオになる。それでもまだ、本当にいつものレオに戻ったのか信じられなくて、何も言葉にせず里桜は窺い続けた。
そんな彼女から視線を外し、レオは語り始める。
「前にリオちゃんがシキに捕まったことあったでしょ。あの時からずっと心配してた」
まあ、前々から心配して見守っていたんだけどね、という穏やかな声を聞いてやっと、いつものレオだと安心した。
「シキは、どうしてユキのことを……。
何かしてしまったの?」
「僕には覚えがない。ユキがシキに何かしてしまったかもしれないという事に否定はできないけど、恨みを持たれるような事をするヒトではないと思うんだ。それに、シキはたぶん、僕の事も狙おうとしていた」
「レオのことも……?」
レオは頷く。
「だけど、ユキが止めてくれた。あの時、ただの兎だった僕をシキから守ってくれた。ーー僕は、そう思ってる」
レオにはユキという親友がいた。それはルカに会う前の話で……。
ユキはシキに消されてしまったらしい。穏やかな言葉を残酷な言葉にするのであればーー殺されてしまったらしい。
どうしてそんな事をされたのかは未だに分からないという。
里桜の事を襲ったことのあるシキ。それと何か関係があるのか。まさか誰かに頼まれたから、ではないだろうか。
里桜の心中で渦巻く何とも言えない闇。
シキは一体、レオの友を殺して何がしたかったのだろうか。それとももう、殺した時点で役目は終わっていたのだろうか。
わけがわからない。
「星、見ないのか」
今までずっと黙って聞いていたルカが口を開く。空を見上げる横顔。妙によく見えると思ったら、空には満月が浮かんでいた。
「こんな夜だった」
レオは懐かしげに呟く。
おそらく、あの日の夜と重ね合わせているのであろう。それか、あの日を鮮明に思い出して悲しくなったとか。このどちらかだ。
「復讐はやめたほうがいい」
「復讐? そんなことしないよ。復讐なんかしたって彼は喜ばない。そんなの分かってる。ーーなに? 僕が復讐なんて酷いことすると思った?」
「目の色が怖い」
珍しくもちゃんとした会話が続く。いつものルカなら一言で済ませていた。
「復讐なんて考えていない。ただ、ユキの最期はどんなだったのか、やり残したことはないのか、そういうことばかり考えるんだ」
(だったらあの日、どうして熱くなった)
静かに話を終わらせるレオに対し、ルカは心中で思った。
以前、里桜がシキに襲われた時、助けに駆けつけて里桜を襲った者ーーシキに会った時、最初は分からなかったもののレオはあの者だと分かった。
分かった直後、レオの纏う空気が変わったのだ。それで無意味な戦いまでして。
ルーファスに助け連れられた里桜はその場を目撃していなく、その事は知らないが、知っていたら今普通に話を聞いていられないだろう。レオの昔の話を。
「わ、星綺麗……。望遠鏡で初めて見た」
「ん、どれ。ーー本当だ」
望遠鏡から顔を離した里桜の目は輝いていた。交代で覗くレオも頬が上がっている。
満月で夜空が明るいにもかかわらず、けっこう星が見える。透明感のある空。
「ルカも見なよ」
「俺は」
「良くないから。こんな時間まで一緒に待ってたんだから見なさい。ほら」
「……」
何故かお母さん口調のレオに手を引っ張られ、渋々望遠鏡を覗くルカ。そんな光景に里桜はくすくすと笑っていた。
「綺麗でしょ」
「ああ。ーーだが、お前は俺の……いや、何でもない」
ーーオカンか。そう突っ込もうとしたのだろう。ルカにしては珍しい事だ。
星空を満喫した三人は帰路を急いだ。
夜を待ちながらずっとビルの屋上にいたのだが、肝心のハウラは姿を表さなかった。
夜道。外灯が道を照らす。
「結局、ハウラは現れなかった。クダンの情報が誤っていたのかな」
「いや、それはない。あの妖怪の予言は100%当たるようになっているんだ」
「そうなの? 知ってるなら早く教えてくれればいいのに」
クダンの予言が100%当たる事を知らなかったレオは、少し捻くれるように言う。
「聞いてないのか?」
「聞いてない。ね、リオちゃん」
「え、うん」
誰に聞いたというのか。それまで黙っていた里桜は曖昧に頷く。すると、ふと、里桜の視界にある人影が映った。
それに気づいた他二人も、その人影に視線を集める。
外灯の上に立っているそれは、レオの昔話に登場したシキ。
二人はオーラが変え、威嚇大勢に入った。特にレオの顔つきが変わりすぎている。
「何しにきたの」
言いながら、里桜の前に立つ。
ルカは動かずにシキを見上げている。
「お前たちの他にハウラを狙っている者がいる」
「ーーそれだけを言いに来たの?」
「……ハウラはこんな時間にはもう現れない。現れるとしたら夕方、四時から五時の間の一時間だけだ」
え、と驚きの表情になったレオを尻目に、シキは立ち去った。
どうしてあんな事を知っているのだろう。そもそも何故あのようなことを教えてくれたのか。里桜の中のシキは、自分の右目にある氷力石を狙っていた、力を求めている者だ。
なのにどうして氷力石を狙ってこず、ハウラの出現する時間を教えてくれたのか。
何もかも、理解不能だった。
◆
満月の夜。木の上にある二つの姿。
「ひっどいなぁ。話す事ないのに」
「……」
先程、里桜たちに貴重な話をしたシキは、赤髪少年と一緒にいた。
「ハウラを見つけ出して一体何がしたい? お前は氷力石を狙っていたはず」
「んー、そうなんだけどさ。氷力石を持っているのは女の子じゃん? 女の子の目を抉り出すなんて事できないよ」
(女、じゃなかったらしていたのか)
真実を求めるような探るような視線に気づかず、赤髪少年は話を続ける。
「だからまあ妖怪を狩るような真似はやめておいて、ハウラを狙う事にする。もう力がないとしても、何かしらはあるでしょ。それに男だから狙いやすい」
(ーーそういう狙い方か)
「氷力石がなくてもあっても、妖怪はもう狩らないよ。……あれで一度きり」
赤髪少年は目を伏せる。
ーー少年というほど小さい訳ではないが、儚しげな表情はやはり幼さを漂わせている。
「また君に、殺されたくないしね」
表情を変えずに意味ありげな事を言う。
「俺はただ、氷力石を元あるべき場所へ戻すためにお前に刃先を向けたまでだ」
「そっか」
シキは一言、それだけを言い放った。
◇
「どうするの。シキの言葉を信じて、言われた通りの時間にあのビルの屋上へ行くの?」
「ーー行こう」
「罠かもしれない」
「それでも。……そうするしかないから」
里桜の部屋。中心に集まるようにいる三人。レオはベッドに、里桜は床に、ルカは立ったまま。最初に問いをかけたのはレオだった。それに答える里桜だが、用心深いルカは推測を立て、けれどそれにも自分の言葉を曲げない。だが、申し訳なさそうに俯いた。
「もし何かあったら、ごめん」
シキには一度襲われたことのある里桜。彼がどんなに怖いヒトなのか知っている。両腰に普通の剣より少し短い剣を持つ、刃先を向ける事に躊躇しないヒト。
もし、ルカの言う通り罠だとしたら……。
「いいよ。僕が守るから」
「俺もいる」
さりげない一言。レオは普通に言ってくれそうな言葉だが、ルカまでもが言ってくれるとは思っていなかった。ルカもルカで、どこか成長したという事だろうか。
「でも、もし本当に何かあった場合危ないから、とりあえず祐介に連絡しとこうよ。ーー皆にも挨拶しなきゃね」
その『挨拶』が妙に重たいものと気づかずに、里桜は頷いた。
「ーーハウラの元へ行きます」
「ほう、そうか。ハウラの居場所が分かったのか」
いつもの座布団の敷いてある神社の一つの部屋。レオから報告を受けた祐介はふと、里桜の事を見た。
「里桜、皆への挨拶はいいのか」
「え?」
「お前のその右目のこと、誰にも話しておらんじゃろ」
挨拶。それはレオにも言われたこと。
確かに右目の事は誰にも話していない。
クウコの体の中から出てきた氷力石が、里桜の目の中に入った場面はルーファスやレノが見ていた。だが、二人は何も聞いてこなかった。ただ、どうしてお前の目に入ったんだろうな、とルーファスが疑問を口にしていただけ。だから里桜は何も答えなかった。何でだろうね、と返し、それで終わり。
教えたくなかったとか、そういう理由ではない。ただ単に、聞かれなければ答える必要がないと思っていた。自分にもちゃんと理解できていない難しい話を、ちゃんと説明できるのか、そう不安だった面もある。
「ーーなるほどな。お前の右目に氷力石が入ったのは元々その目に氷力石があったからで、その氷力石を取ってもらうためにハウラの元へ行くって訳か」
一つの部屋に皆が集まったところで全てを話すと、一番理解できなそうなルーファスが的確にまとめて言った。
「……」
「でもよ、大丈夫なのか」
何も言葉を発さないレノの代わりに、またルーファスが喋る。
その言葉の意味が理解できなくて、大丈夫って?と首を傾げると。
「ハウラがどんな妖か分からねえだろ。もし向かってきたらどうするんだよ」
そこまで考えていなかったと里桜は頭を捻る。ハウラがどんな妖なのか、ルーファスの言う通り何も知らない。そんな妖に会いに行くなんて、大丈夫なのだろうか。
沈黙が続く。
その沈黙を破ったのはクウコだった。
「わらわには理解できん。お前らが何の話をしているのかさっぱりだ」
腕を組みながら、難しい……煩わしい顔をしたまま口を開いた。
クウコの身体から出てきた氷力石が里桜の右目に入った時、クウコは意識を無くしていた。だから知らないのが当然。
説明するのが面倒なのか、ルーファスは涼しい顔をして言う。
「お前は知らなくていいんだよ。知っているやつだけ知っていればいい」
「……っ、なんだと、教えてくれてもいいじゃないか」
クウコが引っかかることで始まる、永遠に続くような会話。
「メンドくせーんだよ、説明すんの」
「リオの右目に氷力石? それはどういう意味だ。そういえば私の身体の中にあった氷力石はどこへ行った。あと……」
「だから面倒くせーって」
邪魔を無視して数々の疑問を口にするクウコだが、とことんルーファスに負かされる。
顔を顰め、機嫌の悪くなるクウコ。
そんな時。
「その人の右目に氷力石が入った、というのは単純に理解してくれ。君の身体にあった氷力石は、その人の右目にある氷力石に引き寄せられ、彼女の右目の中で一つとなった。だから君の身体から氷力石がなくなったんだ」
ルーファスと打って変わって、レノの分かりやすい説明に耳を貸すクウコ。
「それと、この人たちは氷力石の持ち主ーーハウラに会い、彼女の右目にある氷力石を取ってもらいに行くらしい。このままでは、危険、だからな」
「危険? 妖にでも狙われるのか?」
「ああ」
本当にとても理解のしやすい説明。納得したクウコは大人しくなった。そして、気をつけろ、と一言言い残し、静かに居座った。
こちら側としてはもう言うことはなくなり、去るために立ち上がった。
そして、外まで来た時。
「ーーリオ」
振り返った先にいたのはレノ。
何だか視線をそらすように……(と言ってもお面を被っていて瞳は見えないのだが。)顔を背けている。
里桜は何だろうと首を傾げる。
「もし、その……右目にある氷力石が取られたとしたら君はーー変わってしまうのか?」
「……? 何も変わらないよ」
ただ、右目に入ってしまった氷力石を取ってもらうだけ。
そう、『今』と何も変わらない。
不思議な質問。
里桜の笑みに、レノはひとかたも安心するような態度を見せなかった。
「レノ、何だか心配してたね」
帰り際の並木道。
何でだろうと思った事を言うと、答えてくれるヒトはいなかった。
ここには自分を入れて三人いるはずなのに、一人な気分になる里桜。
レオもいるのに何故話に入ってきてくれないのだろう。独り言だったけど、いつも入ってきて何だかんだ解決してくれるのに。
二人を横目でさりげなく見つめる。ルカはいつも通り涼しげな顔をしていて何も聞こえていなかったみたい。レオを見つめていると、ふと、自分の視線に気がついた。
「たぶん、君が変わってしまうと思ったんだよ」
取り繕う頬笑み。
「どうして? 私何も変わらないよ?」
もしかしてハウラに会うと何か変わってしまうの?と聞くと、レオは慌てて否定した。
「違う、違うよ。……リオちゃんが微かに忘れてしまっている事と関係する」
(忘れてしまっていること?)
「今は思い出さなくていいよ。全てが終わったら思い出すから」
意味深な、意味不明な言葉を言い残し、レオは前を見つめた。
いろいろと考えた挙句、里桜は、ちゃんと教えてくれないのだからそんなに対したことではないのだろうと、考えることをやめた。
そんな里桜たちを物陰から見ていたネコミミの目は、深く、何を考えているのかさっぱりな目をしていた。
「いよいよだね」
ハウラが出現するという時間の三十分前。早めの時間にビルの屋上へ到着。
気張るレオもハウラのことを一度も見たことないのだろう。しかし、ハウラは一体どのように出現するのか。何もかも不明。
昨日、星を眺めた屋上を見渡す。
その時。
「ニャーオ。猫だぜ」
赤髪の彼が目の前に現れた。
彼は、手首を曲げ、招き猫のようなポーズを取り、猫の鳴き声を真似した。
「君は……」
「お久しぶりさん。お元気ですか?」
レオをじっと見て、告げる言葉。それはまるで、彼とレオが親しい関係のような。
「こいつのことを知ってるのか?」
割り込むルカ。
「知ってるも何も、お友達ですから」
「お友達……?」
見覚えがないのか、彼の言ったことを復唱するレオ。
「俺の名前はユキ。君のお友達。親友って言ってもいいほどの仲だったかも?」
「ーーユキ」
レオは目を見開いた。
「……君は、シキに殺されてしまったはず」
レオは二人に話した。自分の親友はシキに殺されてしまったのだと。その要因は分からず、レオはシキを恨んでいるようだった。それなのに、どうしてその親友が目の前に。
不敵に笑うユキ。
「ん、そう。実は俺、前まで兎だったのに、殺されて生きがえってみたら猫に生まれ変わっていたんだ」
「違う動物に生まれ変わることなんてできるの?」
「氷力石があったから、かもな」
その隣で、里桜は、あの時の人だと赤髪の彼を見つめていた。
森の中で会った人。
自分の不注意で小さな崖から落ちてしまった里桜、そこで偶然会った。レオの声がすると颯爽にいなくなってしまって……。
(まさか妖怪だったなんて。全然気づかなかった)
ただの人間のひとだと思っていた。
「今まで何してたの? 僕の所に来ないで」
彼は笑ったまま何も答えない。
「もしかして僕のこと、嫌いになった? あの時、僕一人だけ逃げたから。だから会いに来てくれなかったの?」
瞳を真っ直ぐと見ながら、何も。
「……これも答えてくれない?」
レオは悲しげに、不可解そうに、呆れ気味に。
「じゃあこれだけ聞かせて。どうして僕たちはシキに狙われていたの? 僕たちを殺す動機は?」
諦めずに聞き続ける。
「ーー俺、アイツの友人の恋人殺しちまったんだ。ハウラを襲って氷力石を手に入れて、力試しにやってみたらそいつ……殺しちまって」
やっと口を開いたと思ったら赤髪青年は、重たい話をし始めた。
「そしてその夜。お前と一緒にいた日、あいつはオレを始末しようと現れた。……計算外だった。まさかお前まで巻き込まれちまうとはな」
こちらもまた、先程のレオのように悲しげな表情を見せる。一つ違うところは、自潮気味な笑みを浮かべているところ。
本当に悲しそうだ。
「シキは氷力石を元ある場所に返すためとか言ってたけど、俺を殺す動機に入っていたと思う」
つまり、狙われていたのは赤髪青年ーーユキだけだったと。レオはただ巻き込まれただけだったのだ。
「俺さ、まだハウラに興味あるんだよね。まだ力が残ってんじゃないかって」
レオは嫌な予感を的中させる事となる。
「だから、またハウラを狙いに来た」
「どうして」
「力があればもう殺されずにすむでしょ。痛い思いしなくてすむ」
「だとしても、力のないハウラを今襲っても、取れるものは何もないよ。下手したらハウラを殺してしまうかもしれない」
「ああ、殺すのもいいかもね。俺が殺されたのはあいつのせいでもあるし」
「ーーユキ……」
「戦おうよ、ホラ」
戦うーーそれは戦闘。
「見ないで、リオちゃん」
レオは始めて里桜の前で剣を向いた。それはユキの攻撃を受け止めるためだが、レオにとってそれは一番したくないことだった。
前にルカが里桜を助けた時、とても驚いたような顔をし、怯えていた。それは妖怪を目の前で消し去ってしまったことが原因かもしれないが、たぶん、ルカが片手に持っていた剣にも怯えていたと思う。
だから里桜の怖がるようなことをしたくなかった。それも、目の前で自分の親友となる相手と対立しているとなったら、里桜は心苦しい思いをするだろう。
……でもーーでも、でも。
やはり、里桜は自分を止められない。
「ダメだよ」
対立している二人の間に一歩前に出た。そして、赤髪青年ーーユキに向き合う。
「どうして貴方はハウラを狙うの?」
「さあ。なんでだろう」
「貴方もハウラも妖怪ーー。どうして同じ類の者を消そうとするの」
赤髪青年は意表を突かれたかのように目を見開く。
「たぶん、俺も消えたいから。かな」
……消え、たい?
「消えたいって、どうしてそんな事ーー」
消え入りそうな弱々しい声に、里桜は強気にでた。が。
「もうこれ以上教える気はないよ」
ぐっと手が、里桜の首に回る。
「これで手出しできないっしょ?」
里桜を自分の向いている方向へ向かせるようにし、後ろから首に手を回すようにした赤髪青年。
「もしこのままこの子の右目にある氷力石を取ったら、どうなるかな」
わざとゆっくり、右手に手を伸ばす。でもそれはわざとらしそうで、本気そうで。本当に力が欲しいというのなら、もうこのまま取られてしまってもおかしくない。
「ユキっーーやめろ」
初めて聞いたレオの乱暴な口調に里桜は耳を疑った。今、まさにレオの口から出た発言だろうか。それほど焦る場面だということだろうか。
赤髪青年からは悪意的なものを感じられない里桜には、他人事のようにしか考えられていなかった。
「やめてほしい? だったら俺を殺してみなよ」
死ねないけどねーー。と口ずさむ彼は、何を考えているのだろう。
本当は何を思っているのだろう。
里桜から離れた赤髪青年はレオとの攻撃と防衛を始める。それがなぜか楽しそうに見えて、止めるにも自分との対話が必要だった。
ーーもし、親友同士が喧嘩以上のことでしか収まらない亀裂を生んでしまっていたとしたら、私は何かできるのだろうか。
ルカも、ここは入るべき場面ではないと思っているのか、二人の間に入るようなことはせず、眺めている。
ーー私もそうするべきだと一瞬思ってしまったのが、いけなかったのかもしれない。
ビルの屋上。レオの攻撃によって後退していた赤髪青年は、足を踏み外し、下へ落下してしまうところだった。それをレオは受け止めた。持っている剣など捨てて。
レオが手を離せば、赤髪青年は落下し、死んでしまう状況。
「殺せよ」
「殺せない。そもそも、死ねないでしょ?」
殺せーーつまり、手を離せという意味だ。だがそう簡単に妖怪は死ねない。
「また違う動物になるつもり?」
違う動物になるには氷力石が必要だ。それは赤髪青年にはもうない。
「違う動物になるつもりなんてない。俺はただ、消えたいだけなんだ」
(この世からーー)
赤髪青年の台詞に、レオは動揺した。どうしてそんな事言うんだろうか。
「どうして?」
「……」
「どうして消えたいの?」
「存在したくないから」
一度目の問いには何も答えず、二度目にはっきりと聞くと、彼は渋々答えた。
ーー僕と離れてから、ずっと消えたいと思っていたのなら、どのくらい彼は苦しんでいただろうか。
レオの予想だと彼は、自分のしてしまった事に悔やんでいる。ハウラの恋人といわれる女性を力試しにも殺してしまった事、それ以外の事全て。
彼は生きることに希望を持っていない。生きることに苦しんでいる。
「君の……未練って、何?」
レオは彼を見下げたまま、とても悲しげに聞く。
「お前が無事に笑って幸せな毎日を過ごせていたらーーそう……あの時、死ぬ直後から思ってた」
「僕は幸せだよ。毎日笑って過ごせている。君があの時、僕を守ってくれたおかげで」
笑顔で答えるレオは一体何をしようとしているのか、里桜には分からなかった。
「守ってねーよ。俺がまいたタネだ」
赤髪青年ーーユキもまた、笑んで。
「ばいばい」
「ああ」
別れの挨拶をした後、レオは彼の手を離した。先程まで落とすまいと必死に掴んでいた手を。本当に、里桜には訳が分からなかった。
ーー前世が動物の妖怪は、未練がなくなれば消えてしまう。それは良いことなのか悪いことなのか、私には分からない。分からないけど。
(ーーこれで消えれる。これでやっと)
赤髪青年の顔は清々しく、とても、これからなくなってしまうヒトには見えなかった。
「レオ……」
「大丈夫」
心配して声をかける里桜に、レオはいつもの笑みを向ける。それはいつもの笑みのようで、いつもの笑みではない。
無理をしている、そう感じる里桜だが、本人が大丈夫と言っているのならこれ以上言えない、とレオの心から一歩身を引いた。
親友である者をこの手で殺した……とまではいわないが、見殺しにしてしまったのだから、このくらいの違和感当たり前。
そんな事よりも、この状況で嘘でも微笑みを向けられるのはすごい事だ。
少しの沈黙。その時、里桜の背後に現れたものがレオの瞳に映った。それは鏡のような、扉の形をした光輝くもの。その気配に気づいた里桜は後ろを振り返った。
「これって……」
「ハウラの居場所だよ。きっと」
ハウラの居場所。ずっと探してた。
この先にハウラがいる。
「行ってくる」
「僕たち、待ってるよ」
緊張して体を強ばらせている里桜に対し、優しく声をかけるレオ。
里桜はルカに顔を向ける、と相変わらず無表情のまま視線だけを交わした。
鏡のようなものに触れる。すると吸い込まれるように指が入った。一瞬怖くなり行動を止めるも、二人に背中を押されているんだと心を引き締め、歩みを進めた。
その中に入ると幻想の世界。
「ハウラ……?」
少し先にあったヒトの姿。それは、ああ、と頷いた。
「あんたが来てくれると信じていた」
ーー私が来ることを知っていた……?
「私の目にある氷力石は、あなたのものなんですよね?」
確認として聞く。ハウラという妖はもっと恐いオーラの放ったものだと思っていた。だが違った。恐いというものとはかけ離れ、真逆。清楚で美しいーーずっと見ていられる一枚の絵画の様と言っても大袈裟ではない。
「ある日、俺の力目当てで一匹の妖怪が襲ってきた。その時、その君の目にある氷力石をあらゆる方向に飛ばしたんだ。
ただ悪用されずにとしたことなのに、迷惑をかけてすまない」
「……」
「正直に言えば、人間であるあんたの目に入ってくれてこっちとしては好都合だった。あんたには守ってくれるやつもいたから。だが、これ以上迷惑をかける気はない」
「……」
ハウラを襲った一匹の妖怪とは赤髪青年ーーユキのことだ。教える必要はないと思った里桜は何も言わずにただ聞いていた。
ユキはちゃんと、反省している。これでもかってくらいの大きな後悔も。だから消えたがっていた。
呆然と見上げていれば、ハウラは何を勘違いしたのか。
「俺の力だ、ちゃんと返してもらう」
「でも、また妖怪から狙われたりするんじゃーー」
「大丈夫だ、もしまた他の妖怪が来たとしても今度はやられたりしない。だいぶ前に散らばせといた力も集めてくれたようだしな」
「……」
里桜は思わず俯いた。
クウコとネコミミの身体から抜け出た氷力石が自分の右目に入ったこと。
井戸を覗く行為をして右目に入ってしまった氷力石のこと。
全て合わせれば全部で三つ。それがハウラの全てなんだ。
「失礼する」
ハウラは手を伸ばす。
里桜は素直に目を瞑った。
が、やはり体を後ろに引く。
「あ、あの」
「どうした?」
「氷力石が私の身体からなくなっても、今まで通りですよね……?」
右目に入ってしまっている氷力石をどう抜き出すのか、という事よりも、レノに言われたことが一番気になっていた。
ハウラはルカと同じように無表情だが、ルカよりも少し神秘的な要素がある。
「ああ。何も変わらない」
その言葉にもう一度目を瞑った。
ハウラの手は里桜の瞼に触れることなく、右目に手をかざすだけ。
時間が経ち、目を開ける。
すると……光の中に氷力石の欠片が三つ浮いている、ありえない現象を目にした。
「この三つの氷力石は元々一つのものだったんだ」
ふわふわと浮き続けていた三つの氷力石は更に輝きを増し、ハウラの言った通り一つの氷力石となる。
ガラスの破片のようだった三つの氷力石は一つとなり、丸い形となった。
それはハウラの手によってハウラ自身の胸元へ寄せられ、スッとそれは体内へと入っていく。
そして、跡形もなく消えてしまった。
里桜の右目にあったはずの氷力石は、今はもうハウラの体の中。
ハウラの力がハウラ自身に戻った。
ーー良かった。
里桜は安堵し、自身の体から力が抜けたのが分かった。
目を開けばさっきの場所に戻っていた。後ろを見てみれば、そこにはもうハウラの居場所へ続く鏡のような扉は存在していない。
「ルカ。レオ 」
良い知らせを伝えるように、前に振り向き二人の姿を探すが。
「ルカ、レオ……? 」
どこにもいない。
後ろや横を見回してみるが、誰もいない。
そこでひらめく。
ーーもしかして……、と。
「私、これでルカたちのこと見えなくなっちゃったんだ。もう迷惑かけずにすんだのに、やっぱりこうなっちゃうんだね」
どこかで分かってた。右目から氷力石がなくなれば、氷力石をハウラに返せば、見えなくなってしまうんではないかと。
何も変わらない。
そう、『前』と何も変わらない。これが普通。見えないのが当たり前なはずなのに。
「ねえ……ルカ、レオ。返事ぐらいしてよ。『良かったね』って笑いかけてよ。ルカも、その無愛想な顔で微笑んで見せてよ」
ーー私、これで良かったんだよね? ……と、問いかける自分がいる。元々妖怪なんて見えないもののはずだったのに、どこかで見えることが当たり前となっていた。
(二人共もうここにはいないのかな。私が守るべき存在ではなくなったから。おじいに報告にでも行ったのかな)
ーーあの日、出会ったあの日からあなたたちは私のそばにいてくれた。ずっと。
(なのに、なんで……なんでよ)
本当はわかってる。
「私にはあなたたちが見えなくなってしまったんだね」
感傷的になる里桜は、清々しく発する。
まるで、見えなくなったことに未練がないかのように。
すぅーっと息を吸い、想いを吐く。
「ルカ、レオ。もうここにはいないかもしれないけど、今まで私のそばにいてくれて、助けてくれて……ーーありがとう 」
◆
「ありがとう、か……」
変わらないビルの屋上。去って行ってしまった里桜の事を考え、レオは呟く。
そして、隣にいるルカの目を見る。
「ルカ。本当にこれで良かったのかな。
何も言わず、リオちゃんの前から消えるような真似して」
「別に俺たちは消えていない。ずっとここにいた。ただアイツの目に俺たちの姿を映さなくなっただけだ」
正論。二人は里桜のそばにずっといた。だから消えるような真似はしていない。ルカの言うように、ただ、里桜が二人の姿を瞳におさめられなくなっただけ。
「でも、僕たちはこうなること、知っていたよね」
「……」
図星、というようにルカは黙る。
「リオちゃんは知っていたのかな」
「知らない訳がない」
「もし、見える事がリオちゃんの中で当たり前になっていたとしたら、急に見えなくなった時びっくりするかと思ってたんだ。
だけど……」
ーー“案外、平気そうだね”
安心したような寂しそうな顔をして、最後の言葉を残すようにレオは言った。
「立花さん見てよ。縄跳びできないでしょって挑発したらできるとか言い出して、やり始めたらやっぱりできなくてさ。やりすぎてへばってんの」
なんとなく歩いていたいつもの道端で、里桜は如月透に偶然会った。
今日になる前、里桜は一度おじいの神社に行った。
あの神社にはクウコやレノ、ルーファスという妖怪がいるから。
本当はまだ見えるんではないかと少しの希望を胸に抱きながら行ったのだ。
でも皆の姿はなかった。ただ単に自分が『見えない』だけで、声すらも聞こえなかった。あの大きなクウコの声さえ。
祐介に、皆はまだここにいるのかと聞いたら、皆は里桜の周りにいると言った。その時、心が刻み込まれるような痛みを感じた。
自分の事を見ている皆の事を、自分は姿さえ見れない。それが酷く、心苦しかった。
だから里桜はその一度しか行かなかったのだ。どうせ行っても見えることができなければ喋ることなんてできない。
皆のことを見えない自分がいれば、皆も、傷ついてしまうんではないかと思ったから。
祐介と向き合って話をしていた里桜は、自分の後ろ髪が揺れたような気がした。
風も通っていないのにどうしてだろうと思い、考え、ふとずっと前の記憶が蘇った。
若葉と森の中に入り、井戸の所であった出来事の事を。
前触れもなくいきなり風が吹いた井戸の近く。その原因はルカだった。ネコミミを追い払っていておきた風だったのだ。
その時は見えていなかった。
だから、風だけを感じて。
ーー今もそうだとしたら。
里桜は考えついた。これはルーファスか、クウコの仕業だろうと。レノは絶対にこういうことはしないから。どちらかの二人が近くで風がおきるような事をしているのだと。
そこでまた、ズキっとしたものを感じたのだ。
……祐介の話によると、ルカとレオはどこかへ行ったらしい。
如月は下を見ながら、少し笑んでいる。天邪鬼がうるせぇとか何とか言っているのだろう。
里桜はやっと意識を現実へと戻す。
「赤鬼必死すぎなんだよ」
ーーその姿は私には見えない。
「立花さん? どうしたの?」
里桜は首を横に振り、「何でもないよ」と笑みを浮かべた。
(立花さん……?)
誰にでも分かるような嘘の笑み。意外にも鋭い如月がこの違和感を逃すはずがない。
ーー四月になり、リオは中学二年生となる。
満開の桜を見上げ、リオはずっと昔の出来事のような事を思い出す。
妖怪が見えるようになってしまったのは九月。見えなくなってしまったのは三月中旬。約七ヶ月間、ルカたちと一緒にいたのだ。
妖怪は怖いものだと思っていたけど、そうではないものだと知った。もちろん、とても怖い妖怪はいる。
とてもあっけなかった。
皆と一緒にいた時期は。
(ーー楽しい思い出をありがとう)
リオはお礼を言った。
今は姿形見えず喋られなくとも、君たちとの出会いは無駄なんかじゃない。
そう、思いたいのだろう。
ー終ー.
ハルウターもふもふなあやかしたちの事情ー 音無音杏 @otonasiotoa
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