第11章ㅤこの刻

 一つの空間に鳴り響く、一つの音。


「赤鬼。金平糖はそんな食べ方しないよ」


「別にいいじゃねえか。オレの勝手だ」


 それは天邪鬼が、私の部屋で、金平糖を乱暴に食べている音。

 如月くんに忠告されたにも関わらず、相変わらずこの調子の天邪鬼。

 金平糖の食べ方は人それぞれな気がするけど(私も、最初は舐めていても最終的に天邪鬼と同じでボリボリと食べてしまうしーー)如月くんは最後まで舐める派なのだろう。

 以前まで仲の悪かった二人には見えない。


「それで君がここに来た理由は、何か話があって、なんだよね?」


 なぜか私の隣に座っているレオ。

 もしかしてあの一件の事で如月くんの事を警戒しているんだろうか。

 いつもより言葉に距離がある。

 その事が空気で分かったのか、如月くんは苦笑いをしてから口を開く。


「僕がここに来た理由はーーハウラの居場所について、話すため」


 一瞬室内が静まった。

 カラッと椅子の動く音。


「どういうことだ?」


 斜め後ろを見てみると、勉強机の前の椅子に座っているルカがこちらを向いていた。


「どういうことって……」


 そのままの意味だよ、と如月くんは笑む。


「ハウラの居場所が分かるかもしれない妖怪が近くにいる。

そういう話、待ってたでしょ」


 まるで何かを企んでいるような表情。ここにいる皆は怪しんでいるだろう。

 でも如月くんはただそういう風に見えちゃう人なんだよね。何も企んでいなくても。

 こちらに歩いて来たルカが、珍しくもベッドに座ると本格的な話が始まった。


「ーーどうして人間である君が、そんな事知っているのかな」


 この辺の森の中に『クダン』という妖怪がいるらしい。

 その妖は予言のできる者で、もしかしたらハウラの居場所が分かるかもしれないと。


「僕って結構顔広いんだ。妖怪の間ではね」


 レオの確認のような問いに、如月くんは少し自慢するように言う。

 ルカとレオに挟まれているような状態で、怪しまれているような視線が気に食わないのかな。いつもこういう感じじゃないのに。


「それじゃあ僕はこれで失礼するよ」


「え。もう帰るの?」


「うん。この話をしに来ただけだからね」


 立ち上がった如月くんはバイバイとだけ言ってこの場から立ち去る。


「あ、ちょっと待てよ」


 その気配に気づいた天邪鬼は、皿に残っている金平糖と立ち去る如月くんを交互に見て、結局如月くんを選んだ。

 前までのあれは何だったんだろうなとつくづく思う。笑みさえこぼれてしまうし。

『信じるか信じないかは君たち次第だよ』

 扉を閉める前に如月くんが言った言葉。

 そんな事言われなくても如月くんの言った事は本当だと私は思うのに。

 レオたちは違うみたい。


「どうする?」


 私の隣にいるレオが、ベッドに座るルカに向けて問う。


「例え嘘でも、探すしかないだろうな」


 了承した、というようなルカの返事になぜか、レオは笑んでいた。


「やっぱり探すって言っても、そう簡単には見つからないよね」


 森の中に入って気づく、この永遠と続くような果てしなく広い空間を。

 呟いたレオは、ルカに向き直る。


「探す自信、ある?」


「……。ない」


「ないのか」


 特定の妖怪を探すのは困難。それも『クダン』という名前だけで、この近くの森にいるという事を教えてもらっただけで、クダンを探そうとした私たちは計画性がないのか。

 ただでさえ、普通に妖怪に会う機会が少ないのに。

 この二人がいるからか、妖怪と鉢合わせする事がない。

 ルカの素直な回答に、ほんの少し自潮気味な表情をするレオ。そんな彼を一度見てから、遥か遠く、森の道を見つめる。


「私は、あるよ」


「ーー」


 一瞬静まる空気感。


「何か、そうでも言わないと絶対に見つからない気がして」


 レオを見上げ、言う。先程、レオのした自潮気味な笑みを真似した訳ではないが、たぶんそうなっていた。

 数分後。


「クダンって、どういう妖なんだろうね」


 比較的多い赤い紅葉。それはカエデ。

 落ち葉を規則正しく踏みながら、レオはどう思う?とルカを見る。


「あの子供は容姿について何も話さなかった。という事はあいつ自身も、その妖の事を話した妖怪も知らないという事だ。そんなやつ、知るわけないだろ」


 あの子供……、如月くんの事か。

 そういうこと聞いた訳じゃないんだけどね、という感情がレオの表情からなぜか伝わった。が、私は別の事を考えていた。

 ルカやレオたちにとって如月くんは子供。という事は私も子供に見られているんだ。

 ルカとレオは身長もあって落ち着きもあって、確かに私たちと全然違うけど。学生に例えたら二人は大学生か高校生だけど。

 何か、子供に見られるのは嫌だな……。


「なーにしてんの?」


 妙に耳に届く声。

 振り返る拍子に見上げれば、そこにはネコくんがいた。

 木の上にネコくんがいてそれを見上げる、これで何度目だろうか。


「クダンっていう妖怪探してるんだけど。ネコミミくん、何か知らない?」


 レオの口から久しぶりに聞く『ネコミミくん』。前までは私もそう呼んでいたんだけどな。ネコくんは

「クダン……?」

と考え。


「ああ、あいつか」


 知っている素振りを見せた。


「知ってるの?」


「まあ一度だけ会った事がある」


 反射的に聞くとなぜかネコくんは、嫌そうな微妙な顔をした。


「その場所に僕たちを連れて行ってくれる?」


 ネコくんを見上げるレオ。対してネコくんはあからさまに

「え」

と嫌そうな顔をする。


「ダメかな?」


「いや、ダメじゃないけど……」


 何を考えているのかネコくんはそっぽを向いたまま、それ以降何も答えない。


「ネコ。連れて行ってくれ」


 ーールカの一言で。


「……。分かったよ」


 それまで答えなかったネコくんは、迷いながらも了承した。

 あまり頼み事をしないルカが、ネコくんに頼んで。ネコくんはそれを了承。

 ……何だか微笑ましい。


「リオちゃん僕と同じ事思ってたでしょ?」


 木から降りたネコくんが先頭で歩いている中、レオが話しかけてくる。


「微笑ましいなって」


 私たちの前を歩くルカとネコくん。

 その後ろ姿はちぐはぐ。

 ネコくんは私と同じくらいの背だから。私より数センチ高いってほどの。


「二人とも言葉が通じ合う前から一緒にいて。今でもこんな風に一緒にいられるのって、何か良いよね」


 レオはそうだねと頷いた。

 私たちの会話が聞こえたのか、前の二人が同時に振り返ってきた時にはびっくりした。


「確かここら辺で……」


「よお。やっと来たな」


 森の奥。急に聞こえてきた声。ネコくんの背後には妖と思われる姿があった。

 ネコくんはびくっと体を震わせるとともに、髪の毛を逆立てる。


「だからびっくりさせないでよ」


「勝手にびっくりしてんのはそっちだろ」


 はあ、と溜め息をつくネコくん。まさかこの妖と会うのが嫌で案内する事に対して嫌そうにしていたとか。


「はい。こいつがクダン。

一言で言い表せば奇妙なやつ。

何の用事でこのヒトに会いに来たの?」


 クダンという妖の横に立ち、脱力しているような声で適当に彼の自己紹介をする。

 そんなネコくんを通り越し、レオはクダンを真っ直ぐと見据えた。


「実は聞きたい事があってーー」


「ハウラの事だろ」


 ここにいる誰もが目を見開いた。と、思う。内容の知らないネコくん以外が。


「……。何故、知っている」


 沈黙後、ルカが問うが。


「なぜって言われてもなあ。分かるもんは分かんだよ。いや、違う。知っていた、か」


 何だか曖昧。


「ホントこのヒト、奇妙でしょ。だから僕、苦手なんだよね」


 と愚痴っぽい事を言うネコくん。

 その尻目で行われる会話。


「じゃあ、ハウラの居場所も?」


「ああ、知ってる」


「どこだ?」


「タダで教えて貰おうってか?」


 珍しくもルカが押し黙る。

 そして、負けた、かのように訊く。


「何が欲しい」


「そこの嬢ちゃん」


 クダンの視線が……私に、注がれた?

(ーーえ。私?)

 ……。


「そこの嬢ちゃんに頼みがある」


(……何だ、頼みか)

 ほっと一息。


「もしこの先辛くて苦しい事があっても、逃げずに受け止めてほしい。

ひとときの平和が長く続いてその中に慣れてしまうかもしれねえけど、時には鬼になるのも必要な事だ」


 ……?


「分かり、ました」


 クダンの言いたい事は何か、ちゃんと理解できていないけどこう答えるしかない雰囲気に頷いた。正直に言うと、自分でも気づかないどこかで、もやもやとした、何かを感じているような気がする。


「それじゃあハウラの居場所についてだな」


 取り引きは成立、といった感じで今度は自分が話す番だとクダンはハウラの居場所について淡々と語り始めた。

『ハウラはここから西に行った所にいる。廃墟となったビル。こっから遠く、電車を乗ってずっと行った先にな』

『待って。ビルなんて似たような建物よくあるでしょ』

 その中からどうやって探すの? と、私たちの中で一番良く話を聞いていたレオが突っかかっり、それに対してクダンはーー。

『そのくらい自分で探せ。行けば分かるだろ。こんな小さな町、ビルなんて珍しいだろうよ』

 少し癇に障るような事を言って、勝手ながらも去って行った。そして私たちは話を聞き終わってからすぐその場へ行く事に。

 だがーー電車を使い、歩いたことのない道を回ったりしたがそれらしきものは一向に見つからず。最終的にはお腹が空いたという事で一旦家に戻ってきてしまった。


「明日も探す?」


 目の前にいる二人に聞くと、

「んー」

どうしようか、と顎に指先を当て頭を捻るレオ。

 と、いつものように冷静な顔つきで物事を考えるルカ。

 ハウラの居場所は『西にあるビル』ーーそう聞いただけ。何も知らない以前に比べ、断然に見つけ出せる確率は上がったけど、途方もない探し旅になりそうな予感。

 誰もが沈黙になる中、突然ガラッと窓が開いた。出窓の縦枠に手を当て現れたのはネコくんだった。

 さっき、クダンの所で別れたのに。


「物騒」

と言いながらも入ってくる。と思ったらそのまま窓枠に座った。


「ハウラの居場所。そっち方面の森を抜けた所にヒントがあるって」


「ヒント?」


 腕を外に出し、遠くを差すネコくん。思ってもみない情報にレオが復唱した。


「双眼鏡を持ってけ、っだってさ」


 ーー双眼鏡。遠くを見るもの。それを森の中に持って行って何をするのか。……たぶんネコくんは、私たちと別れたあと、クダンの後を追ってこの情報を聞いたのだろう。


「ハウラの居場所が分かったとして、ここから歩いて行こうとしたらどのくらいかかる」


「四時間はかかるんじゃない?」


 知らないけど、と、さらっと付けたすネコくん。それを聞いたルカは相変わらずすぎる無表情。驚くくらいないのかとネコくんの目が言っている。が、それもルカらしいといえばルカらしいと思ったのか、半端呆れ気味に笑った。


「とりあえず、ハウラを探すにはそのヒントとやらを探すしかないね。リオちゃん、望遠鏡持ってる?」


「……ない、かな。おじいなら持ってるかもしれないけど」


 突然話が振られ、三人の視線が自分へと集まる。今まで黙って成り行きを見ていた私は、レオの問いに曖昧に答えた。

 双眼鏡ならまだしも、望遠鏡なんてうちにはない。それならどうするべきか。私の祖父、おじいの所に行って借りるしかない。


「ーー望遠鏡とな? 望遠鏡なんてどうするんじゃ? まさかお主ら星を……」


「ハウラの居場所を突き止めるため」


「ハウラの居場所を……?」


 心底信じられないというようなおじい。いくら妖怪の中で信用のできる二人の内の一人、ルカの発言でもすぐには信じられない様だ。


「望遠鏡を使ってハウラの居場所が突き止められるかもしれないんだ。だから祐介、望遠鏡を僕たちに貸して」


「分かった。ーーがしかし、望遠鏡でどうやってハウラを探すと言うんじゃ。適当に穴を覗いて見つけ出そうというのか」


「それがクダンという妖に会ってーー」


 ルカと同じような発言をレオもした事により、おじいはほんの少しだけ信じようという素振りを見せる。

 その妖ーークダンは何故かハウラの居場所を知っていて自分たちに教えてくれたと。

 けれどそれは『西にあるビル』という事だけで……途方にくれていた時、ネコくんが助言をしてくれたんだ。

 ハウラの居場所についてクダンから聞いたヒント。一つ、ある方向の森を抜ける事。二つ、望遠鏡を持っていく事。

 なぜ望遠鏡を持っていくのか、その場にいた皆が不思議に思っていたと思うけどヒントに従うしか道はなくて。おじいなら望遠鏡を持ってるかも、という私の発言を聞いてここへ来たと最後までレオは話した。


「……なるほど、そうか。なら望遠鏡を持っていくがいい。ーークウ、クウはおらんか」


 祐介は大きな声で呼ぶが返答はない。そこに現れた一人の人物。


「あの人なら不真面目なルーファスを追いに行きましたが、代わりに僕が取りに行きましょうか?」


 少し空いている障子。そこへさりげなく横から現れたレノ。今までの話をずっと聞いていたのだろうか。

 というよりいつからそこに……?


「レノか。望遠鏡は神社の倉庫にある。すまないが持って来てくれ。いつもありがとうな」


 最後に付け足されたおじいのお礼の言葉に、私の瞳にはレノが笑ったかのように見えた。

 実際はお面を被っていてレノの表情は伺えないのだけど、何か、そう見えた様な気がした。


「ありがとう」


 レノから望遠鏡を受け取り、早速ネコくんの指差した方向へ行く事になった。

(私の家はあっち。ネコくんはあそこから森の方へ指を差した。ここからすると……)

 どの方向へ行けばいいのか推測するが、方角や道、私よりも優れて分かっている二人がここにいる事を忘れていた。


「ネコミミくんの差していた方向はあっちだよ。早速行こう」


 こんなにもあっさりと言われるとは。

 レオはこの町に関してどのくらい知っているのだろうか。

 どれほどここにいたのだろう。

 というより、私がちょっとした方向音痴なだけかな。

 里桜たちが去ってしまう後ろ姿を、レノは、お面の下にある真っ直ぐとした瞳で見ていた。

 その光景を全面的に見た者が一人。

(ーー?)


「あれってリオたちか」


(何しに来たんだ?)

 三人の姿を見て木の上で止まったルーファス。そこには三人の事を見送っているようなレノもいる。

 見る限りもう帰っていく様子だが一体何しに来たのか。


「ルーファス。お前良い加減に神社の掃除を手伝え!」


 後ろから聞こえてきた怒号ともいえる声。背後をちょろっと窺ってから

「やべ……」

と呟き走り出す。

 ーーあの人は不真面目なルーファスを追いに行った。

 これはレノの言葉。レノの言った通りクウコはルーファスを必死に追いかけている。


「やだね。てか、こうした無駄な時間を掃除に活用しろよ」


「そうしたいのは山々だ。だが何もしないであの神社に住み着いているお前が許せん! だからお前もちゃんと掃除をしろ」


 ーー何だその理屈。

 道理には合っている、だが納得するのは嫌だった。


「あの神社の守り神は一体誰だろーな?」


 くっ……、と押し黙るクウコ。意外にもこの一言は効いたようで、ルーファスはクウコに渾身の一発を食らわせる事になった。


「それとこれとは関係ない」


(関係ありありだろ)

 負けじと否定してくるクウコに呆れ顔を見せ始めたルーファス。

 訳あってクウコはあの神社ーー祐介の神社の守り神となった。がしかし、守り神にもならず神社の掃除すらしないルーファスが神社に住み着いている。それはクウコにとってとても許せない事だった。

 ーー私は居場所が無くなって必死な思いで目の前にある救いの手を取りあの神社にいれる事になった。

 それなのにルーファスはそんな危機感すら感じず呑気に神社に住み着く様になった。

 レノもそうではないかと聞かれればそうだと答えるが、あいつは真面目に神社の掃除や祐介の世話をしている。ーー

 ……だからレノは、クウコの苛々に関して論外だった。

 何もせず、神社内でうろちょろしているルーファスを見ていてクウコには怒りが溜まっていたのだ。不公平すぎる、と。

 ーー私は神社の守り神になってまでここにいたくていれる事になった。それなのにあいつは……。

 ならずにここへ住めたのだったらなりたくはなかった。

 守り神なんて神社の全部の責任を背負わなければいけない様な役目、誰がするか。ーー

 ただクウコは下に遣えるギンとコンの居場所を無くしたくはなかった。自分のせいで、自分が壊してしまった神社(居場所)の代わりにどこかないか、必死に考えたのだ。

 救いの手。それは祐介の『ここの守り神になるか』という発言で、クウコのーーギンとコンの新しい居場所は祐介の神社となった。

 それはとても運の良かった事なのだが。

(目の前にいるこいつは……!)

 ーー私の苦労も知らずに呑気にと。

 白目を剥くクウコ。怒りでどうにかなりそうのだろう。


「掃除をすると心が清々しくなるぞ」


「ご遠慮しときます、っと」


「こういう時だけ遠慮するな!」


 待て!と木の下へ降りるルーファスに言うが、もちろん待ってはくれず。

 平静と対応していたのに……。

 今の平静と接していた気遣いを返せ!と言わんばかりに猛スピードで降りる。

 もうどこかに隠れてしまったか、間に合わないか。

 葉をくぐり抜けるまでそう思っていたが、すぐにやつはいた。

 ーーなぜ止まっている。観念したか?

 ルーファスの目に止まったもの。それは、草木に隠れるようにしゃがみ込み神社の方を見ていた赤髪の者。

 その者はルーファスと目が合うと木の上に飛び、すぐにここから立ち去った。


「今の誰だ」


 何だか嫌な予感がした。




 変わる事のない景色。森の中を歩く三人。

 特にどこへ行くとは決まっていない。ただ、真っ直ぐ行き、この森を抜ける。それがハウラの居場所を突き止めるための一つの方法であり、今はそれしかできる事がない。


「ハウラのヒントって、何なんだろう」


 里桜は思わず呟く。並木道のような道のできている森の中を歩きながら。

 本当にあるのだろうか。この森を抜けた所にハウラの居場所となるヒントが。

 ハウラについて何も知らない里桜。知っている事とすれば自分の右目に入ってしまった『氷力石』はハウラのものだということ。それ以外は、何も知らない。本当に何も……。

 首から下げる双眼鏡を軽く握る。


「ヒントはともかく、こういうの良いよね。何喋る訳でもなくただ三人で歩くの」


 ね、そうでしょルカ。と、純粋な笑みでレオはルカに同意を求める。

 確かに前にもこんな事があった。こういう並木道で、里桜がルカとレオの二人に会ったばかりの頃。自分の事、つまり里桜の事を守れと言われたという二人。

 その者が誰なのか里桜は気になり確かめに行くことになって、並木道を歩いた。


「別に、良くもないし悪くもない」


 淡々と言ってのけたルカに、五分五分か……と、レオは半分分かっていたかのような笑みを浮かべながら呟いた。

 良くもないし悪くもない。つまり、普通。まあ、ルカの答えにしては良い方か、と微かに思うレオだった。

 前までだったら、『良くない』の一言で終わりのはずだから。

 かなり進んだ。けれど一向に森を抜けられる気配がない。

 暇を持て余した里桜は望遠鏡を覗く。レンズ越しに見る景色。三月の今は冬を過ぎ、気温も暖かくなってきていて、草木が生い茂始める、そんな時期である。

 滅多にじっくりとこんなにも景色を見ることはなく、里桜は意識を持っていかれる。

 その時。

(ーーうわっ)

 視界が揺らぐ。

 この並木道の右側には小さな崖がある。そこで足を滑らせたのだ。

 落ちる瞬間、里桜の瞳に映る二人の後ろ姿。全くこちらに気づいていない。

 いつの間にかだいぶ開いていた距離。そのせいで、崖から落ちて酷い音がしたとしても、気づかれないかもしれない。

 一応持ってけと言われ渡された双眼鏡。そのせいでこんな事になるなんて。

 一瞬、おじいこと祐介から双眼鏡を受け取った場面が脳内で再生される。


「ーーっ、いった……」


「わぁお。上から人が派手に転げ落ちてきた」


「え?」


 尻餅をついた格好。下腿を外側へずらし、足をハの字にしたまま振り返る。

 そこにいたのは赤髪の少年。少年というほど体が小さい訳ではないが、戯けた喋り方は少し幼さを感じさせる。


「大丈夫?」


「……はい、なんとか」


 彼は木に寄りかかったまま、首を傾けた。里桜は反射的に答え、立とうとする。が、立てない。少し足を強打しすぎてしまったか。


「はい」


 立ち上がる事に苦戦していると、急に横から現れた手。

 それは差し出されたものだった。


「あ……ありがとうございます」


 お礼を言いながら立ち上がる。軽く引いているように見えて、ちゃんと力の込められている力強い手に引かれながら。


「あの……」


「ん?」


「ありがとうございます」


「ん、さっき聞いた」


 まだ繋がっている手。里桜はその事を言おうとしたのだが、何故か失礼かなと思い途中で言うのをやめた。そのせいで馬鹿な女の子としてじっと見られ始めたのか、里桜は居心地の悪さを感じ何もない所を眺める。


「……何か、近くないですか?」


 先程まではそう近くはなかった。彼が一歩近づいてきて、顔を覗いてきた時は里桜も相手の事を考えずに後ずさろうとした。だがそういう事はできなくて、訊ねる事に。


「君の左目って、綺麗だね」


「左目?」


 返ってきた答えはそれ。

 里桜は左目に手を伸ばそうとする。

 左目に特殊な事はしていない。どうして左目だけなのだろう。右も左も同じなのに。


「そっちじゃなくてこっち」


 相手から見ての左、つまり、右。左目に手を当てようとすると、右目に指を差された。


「私、別に特別な事してませんよ」


「うん、そうだろうね。目をどうにかするなんて事、できないもんね」


 だったらなぜ綺麗と言う、それも右目だけ。里桜は疑問だらけだった。

(それに何か、怪しいーー)

 赤髪男に疑いの目を向けかけた時、どこからか声が聞こえてきた。

 それは遠くから。段々と近くなって……。


「リオちゃーん」


 というような声が。

(レオ?)

 さっき、自分の落ちた小さな崖上を見る。

***


「ルカも呼んでよ」


「一人で十分だろ」


 もう……といった感じで一度は諦めたものの、もう一度繰り返す。


「もしリオちゃんが妖怪にでも襲われていたりしたらどうするの」


「……。りーー」


「あ、いた」


「あー……。じゃあバイバイ」


 そう聞こえて、里桜が振り向いた時にはもう赤髪男子はいなくなっていた。


「大丈夫? 後ろ振り返ってみたらいなくなってたから。……どこか怪我とかしてない? 足とかちょっと、汚れてるけど」


「汚れているだけだから大丈夫だよ」


 駆け下りてきたレオに笑みを向ける。いつも以上に心配しているようだ。


「それにしても水で洗い流さないと」


 里桜はその言葉とその顔に、瞳から光をなくす。

(ーーいつも、レオに心配と迷惑どちらもかけている)

 そういう事が少し嫌だった。

 陰る顔。

 それを遠くで見つめるルカは何を思っているのか。


「このまま行こ。私、大丈夫だから」


「え」


 意外だったのかレオは目を丸くする。


「このまま行くぞ」


「だってリオちゃ……」


「ソイツは気にするなと言っている。特に問題ないという事だろ」


 冷めた口調でルカが言う。


「でも……」


「本当に大丈夫だよ」


 納得しない様子のレオに、里桜も続けて。


「でも、リオちゃんは普通の人間」


「……っ」


「何かあったら心配するのは当たり前だよ?」


 普通の人間。

 一瞬、里桜はこの言葉に目を見開いた。まさかレオの口からそんな言葉が出るなんて。

 ーー優しい言葉。だけど、それは私の中で小さな棘と化す。

(私は別に、心配されるのが嫌な訳じゃない。ただ、レオは過剰すぎると思う)

 ーー私に何かあったら必ずレオは心配する。……それは、おじいに頼まれたから?


「馬鹿げた事を言うな。お前がそうやっていつも甘やかせるから、こいつはいつまでたっても危機感を感じ取れないんだ」


 的確な事を言うルカ。

 確かにそうだと思った。

 心配されすぎているから、どこかで安心しているのかもしれない。何があっても助けてもらえると思っているのかも。

 でも、成長はしている。


「でも」


「“でも”が多いぞ。心配しすぎだ」


 冷ややかで鋭い目。

 それでレオは黙る。


「後もう少しかもしれないし、早く行こ。ごめんね、足引っ張って」


 異様な空気。

 空元気でこの場を取り繕う里桜。


「……うん」


 ーー何故かは知らないけど、今日はいつも以上にレオが過保護になっている気がした。

 森を抜けた場所に待っていたのは広大な光景だった。わー、と感嘆の声を漏らす。


「やっと抜けたね」


 建物が並ぶ街。里桜たちはそれらを上から一望する。


「あれかな?」


「どれ?」


 望遠鏡を覗く里桜、代わり、レオが覗く。

 こんな場所にヒントが隠されている。それを解明するため望遠鏡が渡されたのだとしたら、こういう使い道しかなかった。

 望遠鏡で街を見渡し、その中にあるハウラのいるとされてるビルを探す。無謀に見えてこれが一番良い探し方法かもしれない。

 まあ、望遠鏡の使い方は間違えているが。


「確かに、そうかも」


 一つだけ、ビルと思われる建物が突き出ている。だが。


「これって、別に望遠鏡じゃなくて双眼鏡で良かったんじゃ……」


「クダンがくれたヒント。これにはきっと理由があるんだよ」


 レオの言葉に曖昧に納得する里桜。


「ーーそれじゃあ、行ってみようか」


「待って。まずは家に戻ってから、ね?」


 仕切り直して望遠鏡を片付けようと里桜が手をかけると、レオは静止させるように言い、里桜の手から望遠鏡を取った。

 肯定せざる終えず、里桜はぎこちなく頷く。

 それを見ていたルカは、心の中で微かに溜め息をついただろう。

 家へと戻ってきた。

 里桜の膝などについた土の汚れを洗い流してほしいがために、レオが言った一言が原因である。ルカは何も言わずについてきた。

 いつものようにドアに手をかけ開ける。


「ーー? ……誰?」


 その部屋には、黒髪女の子がいました。



(私の部屋には見知らぬの女の子がいました。ーーって、……ありえない)

 里桜はドアノブに手を当てたまま固まる。

 その後ろにいたルカとレオ。どうしたのだろうと不思議に思い、半分まで開いている扉をルカが手をつけ開けた。

 里桜の目の先には黒髪ロングの少女の後ろ姿。どうやら見覚えがないらしい。

 途端、こちらの気配に気がついたのか黒髪少女が振り向いた。


「おかえり」


 ぱっと、にこっと笑った少女はあまりにも純粋そうで。


「えっと、どちらさまで?」


 強気に立ち向かえない。


「私だよ。忘れちゃったの?」


「(忘れちゃったもなにも、会った事ないと思うんだけど……)」


「キクリだよ」


「……え、キクリ?」


 キクリーー。聞き覚えのある名だった。けれどそれは、身長がわずか何センチくらいかの人形の名で、今目の前にいる人間の子の名がそうであっても、あの子ではないはず。

 今でも十分に小さな子かもしれないが、とにかくキクリという名の持ち主は人間ではなく妖怪。目の前にいるのは、人間。


「ま、まさかあの日本人形のキクリとか言わないよね? 私が前髪を切ってあげたあの妖怪とか……」


「言っちゃダメ?」


 可愛らしげに首を傾げた。


「うそ……。キクリもーー人形も、人間の姿になれるものなの?」


 人の姿に化けられるのは前世から動物の妖怪だけだと思っていた。まさか人形も人の姿に変われるなんてと思ったけど、キクリは。


「さぁ。わからない」


 と、首を横に振った。


「リオに会いたくて」


 可愛らしい黒髪ロングの女の子がふわっと笑う。こんなにも可愛い子だったなんて、と里桜は直視してしまう。


「人間の姿で」


 確かにキクリだ。紅葉柄の浴衣を着ていて和装の格好をしている。


「どうして、人間になれるの?」


「分からない」


 またもやキクリは首を横に振った。


「もしかして、何かが崩れてきている……」


「もしかしてって?」


「分からないけど、そうなんじゃないかって」


 『何かが乱れている』ーーそう、顎に手を当て、真剣そうにレオは言った。

 不思議そうな顔をしたままの里桜。


「あそぼ」


 それなのにキクリは幼い顔をして希望の持つ音色(声)で聞いてくる。


「ね、いいでしょ?」


「でもこれからハウラの元にーー」


「ダメ?」


「……。あ、あそぼっか?」


 幼い子供にせがまれるのってこういうものなんだ。

 里桜は、小首を傾げて自分の事を見るキクリを見つめ返す。

 え、というようなレオの声はキクリの元気の良い返事によって消された。

 良いよね、ごめんね、というような申し訳ない顔でこちらを見る里桜に、レオは微かに笑いながら頷き了承した。


「遅くなっちゃったね」


 五時の鐘が鳴る。気づいたらこんな時間になっていた。電車をつかい、あの場所で見下ろした街へ行く。もう六時になってしまう。急いであのビルへ向かう。


「ここで望遠鏡使ったら、星、綺麗に見えるかな」


 着いたビルの屋上で、見上げる。夕方、まだ明るい空を。

『ちょっと待ったー。望遠鏡は持った?』

『望遠鏡?』

『望遠鏡は持たないとダメだよ。あー、あとハウラは屋上にいるって』

 途中、待ち伏せしていたのか、木の上にいるネコミミと会った。必要な事だけを言ってバイバイと行ってしまったのだが。クダンにでも頼まれたのだろうかという考えが、レオたちには浮かんだ。

 里桜が何気なく言った一言。


「じゃあ夜になるまでここにいようよ」


「俺は帰ーー」


「帰さないよ、ルカもここにいるんだよ。ね?」


 有り無し言わせない物言いに、立ち去ろうとしていたルカは珍しくもその場に立ち止まった。剣を閉まう鞘に触れたのは何故か。

.

(ーー暇かも……)

 体育座りしながら夜を待つ。辺りはもう暗くなってきてはいるが、星が綺麗に見える時間までまだある。


「昔話でもしようか。リオちゃん、小さい頃どんな子だった?」


 ……どんな子?

 いきなりすぎる質問に里桜は戸惑う。

 あれこれ考えて。


「んー……たぶん今より素直な子だったんじゃないかな」


 無難な答えを。

 子供なら皆誰しもそうだ。

 どこに笑いどころがあったのか、レオはくすくすと笑い始めた。


「え。どうして笑うの」


「だって今よりも素直な子って……」


 ーー相当素直なコ。


「今でも相当素直なのに、これ以上素直な子ってどんなコなのかなって」


 ずっとくすくすと笑いながら続ける。会ってみたかったな、などとも言っている。

 レオの笑いのツボは分からない。そう思った里桜だった。


「そういえば……ルカもネコミミくんとの秘話を話してくれたよね。僕も、話そうかな。僕の、親友のこと」


 とてもさりげなく発しられた一言。その横顔は穏やかであり、どこか切なげで。

 レオの親友はルカだと思っていた里桜は、とても新鮮味を感じた。

 ルカの昔からの親友はネコミミ。レオの親友は一体どんなヒトだったのだろう。それより、今どうして親友と呼べる者が傍にいないのか。

 色々と質問したいことが出てきたが、これから話してくれるんだと気持ちを抑えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る