第10章ㅤ一刻と過ぎゆく

 一月一日。

 いろいろあって、初詣での日。

 ガラガラと鈴を鳴らし、二回手を叩き一礼をする。顔を上げてみんなで顔を合わせ。


「あけましておめでとう」


 元旦の挨拶。


「これからもよろしく」


 斗真が一番最初に告げる。


「如月くんとは‘これから’な気がするけどね」


 若葉が如月くんのことを見る。


「これからよろしくね」


 如月くんはあの日を境に、私たちと一緒にいるようになった。


「でももう如月くんとは仲良しだし、‘これからも’でしょ」


 私がそう言うと、なぜか若葉が嫌そうな視線を向けてくる。


「それはあなただけよ」


(……?)

 若葉の言っている意味が分からなくて首を傾げるが、それ以上は何も言われなかった。

 それからどこに行くか話し合っていると、ふと視界に入るもの。

 赤い手すりの上に、赤い何かがいる。

 それはーー。


「天邪鬼……」


 どうしてこんな所に。私の変化に気づいた如月くんも同じ方向を見る。


「どうする?」


 内緒話をするみたいに声の音量を抑え、如月くんを見上げる。


「別に悪さをするってわけでもないし、いいんじゃない」


 まあ、そうだよね。

 如月くんがそう言うんだから間違いない。


「ちょっと二人共、なにコソコソと話しているのよ」


 真後ろから若葉の声。

 振り返れば何だか不機嫌そう。


「何でもないよ?」


「ただ、せっかくだから甘酒は飲みたいよねって話してたとこ」


 ね?と如月くんが私のことを見る。その言葉にう、うんと頷くことしかできない自分。

 如月くんは嘘が上手いと気づかされた日でもあった。……前に騙された事もあるから。

 如月くんのついた嘘で甘酒を飲むことになり、次は食べ物を買うことにした。


「チョコバナナ、食べる?」


 斗真の視線の先には、少し離れた所にある屋台。チョコバナナ……カラフルなチョコの粒がふられている。


「私、いらなーー」


 ちらつく人影。

 屋台の所にいたのは。


「クウ!」


 妖狐のクウだった。


「え、食べるの?」


 斗真の問いに答えることなく、気づいたらクウに駆け寄っていた。


「こんな所で何してるの、クウ」


「お、リオ!」


 気づいたクウは、目を見開いて私の存在を確かめるように名を呼ぶ。


「こんな所で何してるんだ?」


「それはこっちのセリフ。どうしてこんな人の多い場所に来てるの?」


 さっき偶然天邪鬼を発見したと思ったら、今度はクウ。一体何をしているの。


「雄介がな、今日は初詣だから拝みにいけとか言うんだ。だからコンとギンを連れてここに来たんだが……」


「はぐれたんだ?」


 うむ、と正直に答えるクウに、はあーと溜め息をつきたくなる。


「とにかく、ギンとコンを探して」


「だが、その前にーー」


 呆れて物も言えない私にクウは追い打ちをかける。クウの視線の先にはチョコバナナ。期待の眼差しが注がれる。

 もう、誰がクウの食欲を呼び覚ましてしまったのだろうか。

 ……ああ、私か。

 あの日、栗をあげたから。


「分かった。買ってあげるから、ちょっと裏に回って」


「そうか!」


 なんだかんだ言って、クウの食欲に笑わせられている。

 チョコバナナを買って裏へ回った。


「はい、どうぞ」


 私から受け取ったチョコバナナをぱくっと食べて顔を輝かせるクウ。

 何だかパターンが分かってきた。


「美味しいぞ」


「良かったね」


「リオも食べてみろ」


「私はいいよ」


「いいから」


 ぐっと口に突っ込まれる。

 ルカがあの時、熱々の焼き芋で同じ事をされたことを思い出す。

 あの時よりはマシだけど。


「美味しいね」


 コメント欲しそうなクウの目に負けて、一言発した。


「そうだろう」


 なぜか、上から目線なんだよね。

 バイバイと言ってクウとは別れ、溜め息を吐きながら屋台の前に戻った。

 すると目の前には斗真たち。

 ……何か、怪しまれていないかな。

 人の多い場所で妖怪と話した事がないから、周りの人にどんな風に見られていたのか急に不安になってきたんだけど。


「里桜って、チョコバナナそんなに好きだったけ?」


「……好きだよ? どうして?」


 咄嗟に嘘をついてしまった。


「嘘、普通です」


 どうせ斗真にはこんなことすぐにバレるだろうし。すぐに白状した方が自分のため。

 それからは……。

 日本人形の売っている屋台なんて珍しいなー、なんて思って眺めていたらいきなり一体の人形が動いて。

 

「ひっ」

と声をあげてしまい、屋台のおじさんに奇妙な眼差しを向けられた。隣にいた斗真からもそれは感じられ。

 斗真が少し離れたところで、日本人形ーーキクリに声をかけた。


「何しに来たの?」


「里桜に会いに来たの」


「私に?」


 うん、と頷くキクリ。


「わたし、人間の姿になれるようになったんだ」


「へえー」


 ……て、ーーえ?

 思わず聞き流してしまい、問い詰めようとした時斗真に呼ばれたんだよね。

 まあ、そんなこんなで焼きそばを買ってベンチで落ち着くことにした。


「からあげ食べたいわ」


「のど渇いた」


「確かにのど渇いたね」


 若葉の一声に続けて今の気持ちを言った私。斗真もそうみたいだ。


「じゃんけんして負けた三人が買いに行きましょ」


「三人? 何か中途半端だね」


「だって飲み物は二人で持った方が楽でしょ。四本もあるんだから」


「ああ、そっか」


 若葉の計算に納得する。まあここに残るのは私だけど、と言っている若葉は自信満々。

 じゃんけんの結果は……。

 最初に負けた若葉がからあげ担当で、斗真と如月くんが飲み物担当となった。

 勝つつもりなかった私はこのままベンチに座っていることに。

 なんだか申し訳ない。

 焼きそばを食べながらに待つ。

 ……一人でいると時間が長い気がする。


「おー、お姫様みっけ」


 お ひ め 様 ?

 この声とこの呼び方には覚えがあった。

 恐る恐る上空を見上げる。そこには一本の木の上から覗く、ルーファスの姿が。

 さっと降りてきた。

 ……今日は何でこうもみんなに会うんだ。


「偶然」


 もう偶然に会ったヒトが多すぎて、本当に偶然なのか疑いたくなってきた。


「何だそれ?」


「焼きそばだよ」


「人間の食べ物か」


 クウとは違う見つめ方。焼きそばに注がれる、ルーファスのちょっと真剣な目。


「食べる?」


「せっかくだから少し貰うか」


 こういうところはクウと同じだ。

 なぜか上から目線という。

 私から焼きそばの容器と割り箸を受け取ると、抵抗もなくルーファスは一口焼きそばを口の中に入れた。

 ルーファスは今日、虎の姿ではないから普通の男の子にしか見えない。


「どう?」


「結構イケるかもな」


 うん、何かルーファス焼きそばが似合う。


「お前も食べるか?」


 私ではなく、さっきルーファス自身がいた木の方向へかけられる言葉。

 当然ルーファスが聞いたのは木相手ではなく、木に寄りかかるレノだった。

 木に寄りかかりながら腕を組んでいる。


「僕はいい」


 相変わらずお面を被っていて表情は窺えない。

 返ってきた答えは予想通りなのか予想外なのか、ふーんと興味なさそうに受け流すルーファス。

 良心で聞いたことなのに少しかわいそう?

 なぜかルーファスとレノの微妙な距離に疑問を浮かべながらも、からあげを買いに行った若葉と、飲み物を買いに行った如月くんと斗真の三人を待った。

 そしてみんなが戻ってきた頃には、ルーファスはここで落ち着いていた。


「はい、オレンジ」


「ありがとう」


 斗真から渡された、炭酸入りのオレンジジュース。如月くんから渡された若葉はサイダーで。如月くん自身はメロンソーダ。

 で、斗真はーーお茶。

 周りはみんなジュースなのに一人だけお茶というのは前から変わらない。

 若葉が私の隣に座る。

 片手にはからあげ。

 どうやら二袋買ってきたようだ。

 一袋は若葉が持ち、もう一袋は立っている如月くんが持っている。

 ベンチに座れるのは三人。さっき立っていたのは斗真だったけど、今度は如月くん。

 ……私も交代した方がいいのかな。

 ーーって。

(えーー!)

 ルーファスが今、いけないことをしようとしている。さっきから若葉の持っている袋に入っているからあげをやけに近くで見ているなと思っていたら、手を伸ばしやがった。

 これってやばいんじゃ……。


「うわあー!」


 私は前方を指差し、叫んだ。こうするしかなかった。あたかも何かを見て驚いたようなことをしなければ、からあげは宙を浮いていた事になっていたかもしれない。


「ちょっと、何よ。何もないじゃない」


 私の指差す方向を見ていた若葉はこちらを向いて怪訝そうな顔をする。若葉の向こうにいる斗真も、不思議そうな顔をして。

 こんな事になった犯人ーー若葉の後ろにいるルーファスを視界にいれると、からあげをパクッと食べてごちそうさまをしていた。

 如月くんはルーファスの事が見えているからなのか、私の指差す方向を見るタイミングが遅かったような気がする。


「ルーファス、君はーー」


 ルーファスを叱るレノの声がする。

 はは、唯一の救い。

 首根っこを掴まれて後方へ下がったルーファスの後のことは知らない。

 ***


「もう帰りましょうか」


 若葉が席を立つ。

 花火大会とかそういうのではないから、屋台があってもつまらないと。

 少し寂しい気持ちがありながらも席を立つ。そして私たちはそれぞれに解散をす……。

 思わず目を疑った。

 私と目があった女の人も驚いたような表情をして私の事をじっと見つめている。

 あの時のお姉さんだよね?

『あの時の子、よね』

 そう言って私の事を確認するお姉さんにみんなの視線が向いているなと思っていたら、なぜか私にもその視線は向けられたのだった。知り合い?とでも言いたげな顔で。

 ーーそして現在。


「びっくりしたわ。また会うなんて。

それも偶然」


 背中まである髪を微かに揺らしながらに言う。お姉さんは何だか嬉しそう。


「久しぶりですね。東京に帰られたんじゃないんですか?」


 ミカゲのいた神社で話した以来、お姉さんと会うことはなかった。てっきり東京に戻ったのかと思っていたけれど。


「実はあなたに話があって」


「私に? ……何ですか?」


 斗真と若葉、それと如月くんが空気を読んで去って行った理由が分かった気がする。

 ベンチに座っている私たち。

 お姉さんは神妙な面持ちで遠くを見つめる。


「あなたともう一度会えるまでずっと、あの神社でミカゲのことを探していた。

ある事を思い出したから」




 お姉さんの真っ直ぐとした声。


「私ね、最後の別れ際ミカゲに言ったの。『幸せになってね』って」


 幸せに……?


「だからあの時、自然とあなたに訊いたんだと思う。ミカゲは幸せだったのかなって」


 確かに訊かれた。

 あの時私は、ミカゲはお姉さんといられてきっと幸せだったと答えた。


「ミカゲはきっと、あなたといられて幸せだったのね」


「私……と?」


 お姉さんには言っていない。ミカゲと一緒にいたと。ミカゲと一緒に神社を掃除したのだと。それなのにお姉さんはお見通しで。


「だから、消えてしまった」


 あくまでも普通の声音で、切なくそれは屋台の方へ消えていく。


「今度こそお別れね」


 お姉さんが立ち上がる。

 急な事で、とぼけた顔で彼女の事を見ているかもしれない。


「東京に帰るのよ」


「でもまだミカゲはっ……」


 お姉さんは私と会った後から今日まで、ずっとミカゲを探していたと言っていた。

 それなのにもう諦めて。

 もういないんだと知っているのに、お姉さんももうミカゲは存在しないんだと勘付いているのに、止めたいと思ってしまう。

 もっと探して、もっとちゃんとミカゲをーーと強く願って。

 ふわっと吹く風。

 お姉さんの髪を不自然に揺らした。

『お姉さんの、名前は』

『岬よ。あなたは?』

『里桜です』

 最後に自己紹介をして別れを告げた。

 お姉さんは東京に戻ってしまう。今までずっとあの神社は廃神社だった。だけどようやく管理人が決まったらしい。

 管理人を見つけ出すためにこの町へ一旦戻ってきたと。

 ーー……ミカゲの未練は、神社が汚い事ではなかった。汚い神社を綺麗にする事で成仏した訳ではなかった。

 ミカゲは神社が綺麗になったから消えたわけではなく、幸せになれたから消えてしまった、らしい。

 お姉さんのいた神社が汚くて、それが嫌で死んでしまう前に未練として残ってしまって、ミカゲは妖怪となったのではなく。

 私が掃除するのを手伝って、その時間がただ単に幸せだったから。

 ずっと、何十年間も一人だったミカゲは神社を掃除するのを理由にしてまで誰かと一緒にいたかった。あの時はネコくんもいて、あの時間だけ神社を綺麗にしようというやる気が心を一つにして。

 でもミカゲは神社を綺麗にするのに必死だった。寝不足になるほど、立ったまま倒れそうになった時もある。

 ミカゲ、君は神社が綺麗になったから、成仏したんでしょ? 君の未練は誰かと一緒にいたい。ではなく、神社の汚さに呆れて妖怪になってしまったんだよね?

 そうであってほしいと思ってしまうのは、なぜか。


「何か嫌な事でも言われた?」


「……ううん。何でもないよ」


 待ってくれていた斗真には悪いけど。

「私、行く場所あるから。ごめん」

そう言うと、斗真は

「そっか」

と身を引いてくれた。



 行く場所ーーミカゲのいた神社。

 初めて会った日を覚えている。あの時はルカとレオもいた。

 草が生え放題で。ルカが剣で草を切ろうと一振り振った時、悲鳴が聞こえて。草原から出てきたそれはミカゲーー妖蛇だった。

 すぐに妖怪だと分かった。

 なんせ蛇が喋るんだから。

 ここを綺麗にしきるまで一ヶ月くらいかかった。ミカゲと一緒にやって。ネコくんも枯れていた手水舎を直してくれた。

 大変だったけど楽しかったんだ。


「明けましておめでとう。これからもよろしくねーーミカゲ」


 これを言いにここまで来た。

 簡単に風に消えてしまう。誰も受け止めてくれない新年の挨拶。

 本当はここへは来るか迷った。また、あの時の事を思い出してしまうから。初めて目の前から、親しくなった妖怪が消えてしまったあの日。動物が妖怪となった動物妖怪は、消えてしまうんだと分かったあの日。

 妖怪は死なないという誤った考えはなくなった。妖怪は一度死んでしまっている生き物で、生きている事が奇跡なのかもしれないけど。消えてしまう道理が今でもわからない。

 分からなくていいのかもしれないね。

 というより、分からないのが普通。

 妖怪が見えなければこんな事は考えず、のうのうと生きていた。

 消えてしまう道理なんて分からない。

 未練なんてものはヒトそれぞれで、その重さもそれぞれなのだから。

 前から何となく思っていた事だけどーー妖怪が消えてしまうのは人間が成仏する事と同じ。永遠なんてこの世に存在しない。

 それを思い知らされる。

 “ーー明けまして、おめでとうございます”


「え……」


 閉じていた目を開くとそこにはーーミカゲの姿。なんてあるわけがない。ただの幻聴。

 幻聴だーーと思いたいのに。

 目の前にいる。


「ミカゲ……」


 名を呼ぶとふっと微笑む。

 その笑みは本物。

 ミカゲ、貴方は消えてしまって本当に良かったの? 消えていなければ今頃あのお姉さんーー岬さんにもう一度会えたのに。

 消えてしまって、また未練ができてしまったから現れたとか?

 ……そんな事ではない。

 そうどこかで分かっているのに。

 ミカゲの体は今にも消えそうで、光の粒子できらきらと輝いている。


「ミカゲーー」


 それで良かったのか。

 訊こうとすれば、にこりと微かに笑って消えてしまう。

 そっか……、今のは【幻影】。

 実際には存在しないのに、存在するかのように見えるもの。

 そうだよね。ミカゲはもうとっくに消えてしまっている。目の前に現れるはずがないんだーー。

 今のは。


「幻なんかじゃないよ」


 えっ。

 はっきりと聞こえた声に動揺し振り返れば、そこには。


「ネコくん……」


 いつからそこに。


「たぶん今のは、ミカゲが最後の力を使って粒子をかき集め、元の姿のような形にした。いわゆる、……幻、であっているのかな」


 ネコくんが私のそばまで来て説明をする。隣まで来ると、さっきミカゲのいた所を遠くを見るかのように見つめている。


「……でも。私に会う前に、会うべき人がいるはずなのに」


 そう、岬さんだ。小さい頃この神社にいた女の子。今はもう立派な大人だけど。

 ミカゲとも親しく話していて、とても楽しそうだった。

 ミカゲの記憶から、一番の思い出を私は見た。

 お姉さんは今はもうミカゲの事が見えないかもしれない。ネコくんが私の隣にいても気づいていなかったから。……でも、一番に思っているのは岬さんーーお姉さんの事でしょ。綺麗な女性になっているよ。

 どうして新年の挨拶をするためだけに私の前に現れたの。ミカゲにとってそれは、最後にお姉さんと出会えるチャンスだったのに。


「ーー君に会いたかったんだよ」


 久しぶりに来たミカゲの神社。

 それはもう、本当の意味で、ミカゲのいる神社ではなくなった。

 守り神のいない神社なんて、誰も来ないよ……。

 知っていればの話だけどね。

 私は知っている。けれど。


「またここに来るから」

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