最終話 未来へ続く道
4年後。
俺はまだ武州中川高校で教師を続けながら、野球部の監督を続けていた。結局、甲子園での活躍が決め手となり、廃校はしなかったのだ。
もっとも、あの後、さすがに「女子」の監督を俺が務めるのは、色々と問題があるだろう、という議論に発展し、生徒の保護者からの意見もあって、校長は外部から女子野球経験者を招聘した。
そのため、俺は男子の硬式野球部の監督に変わっていた。
工藤にはあれからも、迫られるというか、言い寄られていたが、俺はきっぱり断って、距離を取っていた。
それは、潮崎との約束のこともあったが、俺の心の中では、やはりなんだかんだで、潮崎の存在自体が大きくなっていたからだろう。
何故なら、彼女は本当に「活躍」していたからだ。
高校卒業後にすぐに女子プロ野球界に入った潮崎唯。
小さくて、可愛らしい容姿が受けて、テレビやネットでちやほやされ、しかも凄い変化球を投げるということで、各種マスコミにも取り上げられていた。
だが、彼女は全然「浮かれて」いなかった。
マスコミへの対応は、あっさりとしたもので、それよりも真摯に野球に取り組むことが彼女の最優先事項だったらしい。
とにかく彼女の「頑張り」だけは、目を見張るものがあった。
高卒すぐにプロということで、もちろんすぐには活躍できない厳しい状況があった。
女子プロ野球は、かつては興行収入や人手不足の問題で解散したり、男子に劣るから面白くない、と人気がなかった。
だが、徐々に女子野球は認知されてきており、2060年代のこの時代には、一般常識として認知され、年間試合は、男子とほぼ同じ130~140試合制で、プロリーグも男子と同じく12球団も出来ていた。
潮崎がプロに入ってからの彼女の成績は。
初年度は、ほとんど2軍暮らしで、夏に1軍に上がったものの3勝止まり。
2年目は、ようやく少しずつ活躍し始めたが、それでも8勝7敗。防御率は4点台。やはり現実は厳しかった。
潮崎唯という少女は、一体いつメジャーに行けるのか? いやそもそも行けないのか? やはり少し彼女には「いじわる」をしすぎたか。
とも思い直していた。
そもそもあんな「無理難題」を吹っかけたら、普通は付き合うつもりがないと、相手に受け取られるだろう。
だが、今さら取り消すつもりもなかったし、俺は俺で、やることが多かったから、彼女と会えない日々に、それほどの不満を感じてはいなかった。
というよりも、自分の気持ちが本当に潮崎に向いているのか、それとも単に野球が好きだから、彼女に期待しているだけなのか、わからなくなっていた。
ところが、3年目。
突如、彼女は「覚醒」したかのように活躍し始めた。
先発として、年間22試合も投げて15勝4敗、防御率1.25という抜群の成績で、最多勝と最優秀防御率を奪取。
一躍、時の人となり、マスコミやネットを賑わすまでの存在となる。
そのシーズンオフ。彼女は、メジャーに行くことを宣言。
実は、日本人の野球選手が、メジャーリーグに挑戦し、行くには3つの方法がある。
一つは、海外FA権を取得すること。これはプロ野球で一軍登録された日数のうち、145日を1年として累計で9年が経過すると、取得ができる。ただし、この日数をクリアする頃には大抵の選手は、30歳を越えてしまう。
もう一つは、ポスティング制度というもので、日本のプロ野球団が海外FA権を取得していない所属選手の移籍を認めた場合、対価となる譲渡金を設定して、メジャーリーグの球団に告知(=ポスティング)するというもの。
契約を望むメジャーリーグの球団が選手と交渉し、契約を結ぶという方法だ。
最後は、自由契約となってメジャーに行く方法。日本の球団を自由契約になった後、メジャーリーグ球団と交渉して、契約するというもの。ただし、若い主力選手をわざわざ自由契約にして、メジャーリーグとの契約を認めても、日本の球団にはメリットがないため、大抵は戦力外になった選手が取る方法だ。
このうち、潮崎は2番目のポスティングを選んだ。
もっとも、これは「メジャーリーグ球団からこの選手が欲しい」という要望がないと、そもそも契約自体が成立しない。
つまり、日本球界である程度どころか、かなり活躍しないと難しい。
ところが、すでに21歳になっていた潮崎は、なんとメジャーリーグの、アメリカ西海岸、ロサンゼルスにある有名球団との交渉を確立。
本当に海を渡ってしまった。
(あいつ。マジでやりやがった)
正直、俺は彼女がそこまでやるとは思ってはいなかった。
恋人にするにしては、彼女は若すぎるし、どうせ高校生の、単なる「憧れ」で俺に好意を抱くという「勘違い」に近い感情だろう、くらいにしか思っていなかったのかもしれない。
だからこそ彼女の本気度を確認したかったわけだ。
もっとも、結局、この4年間で、俺には恋人自体が出来ていなかった。仕事が忙しかったのと、出逢いがなかったのもあるが。
ちなみに、渡辺先生とは、さすがに付き合おうとは思わなかった。
翌年春から本当に彼女はアメリカの女子メジャーリーグで、ピッチャーとして投げることになったのだ。
半年後、4月。
BS放送では、よくメジャーリーグの試合中継が流れる。俺の家には、そのBS放送がマンションの契約内容に含まれているらしく、自然と見ることが出来た。
そこに彼女はいた。
メジャーリーグの、広い球場の一番目立つマウンドの上に。
俺はそのメジャーリーグ中継を、日本時間の深夜に生放送されることを確認し、その日がたまたま土曜日だったこともあり、起きて見ていた。
身長はあれから少し伸びていたが、それでもせいぜい158センチ程度。
メジャーリーグの選手は、男子に限らず、女子も高身長が多く、大抵は170センチ以上はある。
明らかに小さかった。
そんな小さな「日本から来た奇妙な女」に、全米も日本も注目していた。
もちろん、俺も複雑な思いで彼女を画面越しに見ていた。
だが、彼女はさらなる成長を遂げていた。日本の女子プロ野球にいた頃から、変化球の精度はもちろん、種類も増えて、スローカーブ、フォーク、シンカー、ツーシーム、チェンジアップだけでなく、スライダーにカットボール、さらにスクリューにパームボールまで習得。
もはや「変化球王」と言えるくらい多彩な変化球を扱えるまでに成長していた。
しかも、そのメジャー最初の試合で、彼女は6回を投げて、被安打3、1失点で、いきなり勝利投手になっていた。
メジャーリーグのマウンドに「立つ」だけでも十分すごいのに、俺の条件以上のことを初マウンドでこなしてしまった。
ヒーローインタビューでは、アメリカの大柄な体格のマスコミに囲まれながら、通訳を介して、
「日本で見てる私の大切な人に、この勝利を捧げます」
そう言っていたため、俺は思わず自分の胸が高鳴るのを感じてしまった。
そう。遅まきながら、俺は彼女のことを本当の意味で「好き」なんだと気づかされてしまった。
最初は、彼女を「試す」ために課したはずの課題が、いつの間にか、彼女が本当にどこまで行けるのか、という野球人としての興味に変わり、それがついには「彼女の活躍を一番近くで見ていたい」気持ちに変わっていた。
こうなると、単なる「約束」ではなくなってしまう。
すぐに彼女に連絡しよう。だが、時差があるし、明日でいいや、と思ったら、その前に向こうから国際電話がかかってきた。こちらは深夜なのに。だが、そんなことは関係なく、彼女の声が聴けるのは嬉しかった。
「森さん。私、やりましたよ。見てましたか?」
興奮気味に、話す彼女は、電話越しでも心底嬉しそうに、語っていた。
「ああ。おめでとう」
「約束、覚えてますよね?」
「もちろん」
「じゃあ、ロサンゼルスまで来てくれますか?」
突然の告知。それはもちろん、現役メジャーリーガーとして活躍する彼女は、今すぐにシーズン中のアメリカを離れられないことを意味している。
「わかった」
俺の中で、もう心は決まっていたから、すぐに有給の届け出を出して、その2日後にはアメリカに飛んでいた。
ロサンゼルス国際空港。
現地時間で、午後1時を回ったところ。
日本の成田空港から大体10時間で来ることが出来る。
その日、潮崎は試合があったが、先発はしない予定だという。だが、ベンチには入らないといけない。
試合自体は、夜からで、地元のロサンゼルスで行われるため、少しなら時間が取れるらしい。
ともかく、長いフライトを追えて、International Arrivalsと書かれた、到着口のゲートをくぐった。
カートを引きながら歩く、俺に向かって、真っ先に飛び込んできた小さな影があった。
「森さん!」
突如、つむじ風でも吹いたのかと思った。
それくらい勢いよく飛びつくように、抱き着いてきたのはもちろん、彼女だ。赤いジャケットを着て、短いスカートを履いた私服姿に、サングラスをかけていた。
「潮崎……」
そのあまりにも唐突な、タックルのような抱き着き行為に、俺が戸惑っていると、俺の腰に手を回したまま、彼女は不服そうに、俺を睨んだ。
「もう。まだ『潮崎』って言ってる。唯って呼んで下さい」
その様子がたまらなく可愛く見えて仕方がなかった。
もう、俺は彼女からは離れては生きていけないだろう。
「じゃあ、俺のことも悠一で」
そう、内心、照れながらも告げると、
「はい! 悠一さん。約束は果たしました。私と付き合ってくれますよね?」
そんな彼女にかける言葉は、もう一つしかなかった。
「当たり前だろ」
俺のその一言に、彼女は自然と目を閉じた。
俺は、そんな彼女のサングラスを取って、そのまま口づけをしていた。
空港の到着口で、昼間から熱いキスを交わす、日本人らしくない2人は、目立っていたかもしれないが、ここはアメリカだ。構いやしなかった。
長いキスの後、俺の腰に両手を巻き付けたままの彼女に、俺は気になっていたことを問いただす。
「でも、本当に俺でいいのか? 俺はもうすぐ30歳だぞ。ただのおっさんだ」
しかしながら、彼女は、全く意に介さないように、柔らかく微笑んだ。
「年齢なんて関係ないですよ。私はあなたを好きになった。それだけです」
「そうか。ありがとう。俺も唯がどこまで野球で活躍できるか、一番近くで見てみたい」
俺と彼女の、長い時間をかけた、出逢いと、野球を通した、奇妙な「勝負」は彼女の勝利で終わりを告げ、これからは新しい2人だけの「野球」が始まる。
(完)
逆境のダイヤモンド少女たち 秋山如雪 @josetsu
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