第123話 旅立ち
半年後。
彼女たちの卒業式を迎えていた。
共に過ごした3年間。彼女たちとの「別れ」は、俺には格別なものがあった。
卒業式が終わった後、彼女たちを部室に呼び、卒業する女子部員たち一人一人と挨拶を交わすことになった。
まずは、石毛英梨。主に5番を打ち、神主打法で何度もホームランを打って、試合を勝利に導いた。野球と共に、抜群の剣道の実力も持っている。
「監督。もし、体を鍛えたいと思ったら、いつでも私に言って下さいね」
彼女は、卒業後は、野球を辞めて、剣道に専念するという。
進路は大学だが、体育大学に進学し、そこで剣道を続けながら、将来的には教師になって、子供たちに剣道を教えたいという。
元々、素直で優しい子だ。きっと子供たちに慕われる教師になれるだろう。言わば、彼女は俺と同じ「教師」という道を選ぶ「同士」となるのだ。
「ああ。石毛なら、きっといい先生になれるよ」
「ありがとうございます。監督もどうかお体を大切にして下さい」
そう言って、微笑む石毛。
最後まで、しっかりした子だった。
続いて、吉竹愛衣。1番を打ち、その俊足で何度もチームを助けてくれた彼女。その別れ際も彼女らしいものだった。
「監督さんには、随分お世話になりました。残念ながら、私は野球から離れてしまいますが、この3年間のことは決して忘れませんわ」
その言葉通り、彼女も石毛同様に、「野球」から離れてしまうことになる。
というのは、その「俊足」を買われた彼女は、陸上の実業団からスカウトを受けていたからだ。
スプリンターとしては、非常に優秀な吉竹は、それを快諾したのだ。
「ああ。頑張れよ」
「ありがとうございました」
意外にあっさりとした別れとなっていたが、彼女の「旅立ち」と「活躍」には期待していた。
続いて、笘篠天。主に3番を打ち、「アイドル女子高生野球選手」として、アイドル活動と野球を両立するという離れ業をやってのけ、野球でも第一線で活躍してきた。
「私は念願のアイドルになれるから、もう野球はいいかなー。でも、結構楽しかったよ、カントクちゃん。ありがと」
相変わらず、人を食ったような態度だが、彼女のアベレージヒッターぶりにどれだけ助けられたかわからない。
笘篠は、その言葉通り、アイドルとして無事にオーディションに受かって、4月から都内にあるアイドル事務所に所属するという。
既に、ネットアイドルとして、その筋では有名だった彼女には、固定ファンまで着いている。
石毛、吉竹と同じく野球から離れてしまうのは残念だったが、彼女なら上手くアイドル活動、というか人生を生きていけるだろう。したたかなところがある子だ。
「ああ。良かったな。夢が叶って」
「うん。カントクちゃんも良かったら、私のライブに来てね」
それが最後に交わした言葉だった。
別れ際もあっさりしていた。結局、俺は彼女に「からかわれた」という印象というか、記憶が強かったが。
4番を打っていた清原裕香。強烈なスイングから繰り出されるホームランが鮮烈に脳裏に残っている。だが、彼女もまたプロのスカウトを受けることなく、進路は野球とは関係のないものだった。
「あたしは、これから格闘家を目指す」
それが彼女の進路だった。
正直、途方もない目標ではある。格闘家で、しかも女子で食べていくとなると、相当困難な道になるだろう。
だが、彼女の笑顔は晴れやかだった。
「まあ、何とかなるだろうさ。あたしはあたしで、何とかやっていく。監督もせいぜいがんばんな」
最後には、偉そうに、背中を叩かれていた。
何だか、彼女には、終始ナメられているような気がしたが、これはこれで彼女らしい、あっさりとした別れ方だった。
平野麻里奈。主に下位打線を打ち、小技と守備で活躍してくれた。最初はボールも怖がって、まともに野球すら出来ていなかった、泣き虫で、庇護欲をかき立てる女の子。
「先生。ありがとうございます~。私、私。本当に先生には感謝してます~」
泣いていた。
それも思いっきり。
「ああ。ほら、泣くな、平野」
別れを見送るはずの俺の方が、かえって心配になって、彼女のフォローに回る始末。
「でも、でもぉ」
なおも涙が止まらない泣き虫の彼女を見ていると、彼女を好きになる男子が多いのもわかる気がした。
そんな彼女は、一番普通の進路だった。大学に進学し、普通にOLになるつもりらしい。野球は楽しかったけど、続けるつもりはない、ときっぱりと言われた。
「まあ、平野は良く頑張ったと思うよ。一番小さな体で、必死についてきてくれた。こちらこそありがとう」
そう言ったら、ますます泣いてしまった。
「先生~。やっぱり優しいですね。もう、好きになってもいいですか?」
などと言ってくるものだから、
「いや、それは……」
と言葉を濁すと、彼女は泣き笑いの表情を浮かべ、からかうように告げてきた。
「冗談ですよ」
「えっ」
「だって、先生にはもう唯ちゃんっていう、大切な人がいますもんね」
そう言って、微笑んだ。
すでに、平野には見抜かれていたらしい。元々、潮崎とこの平野は、仲がいいから、本人から聞いたのか、言動から察したのだろう。
「いや、潮崎のことは別に……」
かえって俺が慌てる羽目になった。
「お二人ならお似合いですよ。どうかお幸せに」
最後には、祝福の言葉を受けてしまった。
まだ、潮崎と付き合うとは一言も言ってないのだが。
6番を打つことが多かった伊東梨沙。潮崎の親友にして、不動のキャッチャー。大柄な体格で、いつでも冷静沈着で、チームの司令塔且つ、縁の下の力持ち。
彼女は、潮崎と同じく野球を続けるという。しかも、その的確なキャッチングと配球センスを買われ、有名大学の野球部からスカウトを受けていた。
「伊東は、やっぱプロの目指すのか?」
「そうですね。野球をやる以上、やっぱりそこを目指したいですね」
「潮崎とは別の道になるけど、いいのか?」
潮崎は、すでに女子プロ野球球団からスカウトを受けていたから、伊東とは別の道、というより伊東より先に進んでしまう。
「そりゃ、寂しいですけどね。いつか私もプロに入って、唯と一緒に野球やれたら嬉しいです」
そう答える彼女。
彼女の場合は、全然湿っぽくはなかった。元々、冷静でしっかりしている子だ。あまり感傷的にはならないところがある。
「先生には唯共々、随分お世話になりました。本当にありがとうございました。この3年間のことは、私にとって宝物です」
眼鏡越しからそう言って、礼儀正しく頭を下げてきた。
「ああ。こっちこそな。伊東がいなかったら、正直、甲子園なんて行けなかっただろう」
「そんなことないと思いますよ」
「そうか?」
「ええ」
「何でそう思う?」
そう尋ねると、彼女は含み笑いしながら、
「だって、先生と唯がいれば、どこまでだって行けるでしょう? お二人はもう信頼し合ってるパートナーみたいなものですから」
そうからかわれた。
恐らく、この伊東もまた、親友の潮崎の「気持ち」を察していたのだろう。
「伊東。大人をからかうな」
そう、たしなめるように言うと、彼女は珍しく、口に手を当てて笑い出した。
「ごめんなさい。でも、きっと先生と唯なら、上手くいきますよ」
尚もからかってくるのだった。
マネージャーの鹿取すみれ。最初は「男性恐怖症」で俺に近づくことも出来なかった。
家庭の事情で、虐待を受けていたことがあり、それがトラウマになっているという、一番「重い」現実を抱えていた彼女。
彼女もまた、大学に進学するという。
「鹿取は大学で、やりたいことはあるのか?」
かつてと違い、俺と半径4メートルも離れることなく、適切な距離で会話が出来るようになった。
もっとも、今でも「男の人は苦手」と本人は発言していた。俺には心を許してくれたらしい。
「そうですね。特に考えてませんけど、大学でも野球部があるので、マネージャーやりたいです」
「そうか。まあ、お前の場合は、男が苦手だから、女子野球部の方がいいかもな」
「ですね」
「でもな、鹿取」
「はい?」
「男がみんな、お前の父親みたいな奴だかりじゃないからな。優しい奴だっているし、お前に合う奴だって、必ずいるはずだ」
そう諭すように告げると、彼女は、軽く微笑んで、俺の瞳を見つめてきた。
「わかってますよ。監督みたいな人だって、いるってよくわかりましたから」
そんなことを面と向かって言ってくる彼女が、可愛らしいとも思ったが。
「潮崎さんがいなかったら、もしかしたら、私が監督と付き合ってたかもしれません」
「なっ」
いきなりそんなことを言い出したから、俺は面食らって、言葉を失っていた。
「何を言い出すんだ、お前?」
「ふふふ。では、ありがとうございました。お幸せに」
そう言って、立ち去って行った。
全くどいつもこいつも、俺と潮崎をくっつけたがる。
そして、最後に潮崎唯。彼女とはあの告白からもちろん、付き合ってなどいない。もっとも潮崎が俺に好意を抱いているというのは、女子野球部ではある程度、広まっているようだったが。
「先生。私、頑張って絶対、メジャーに行きますから、待ってて下さい」
その言葉が示すように、彼女は高校野球や甲子園での活躍により、女子プロ野球球団からのスカウトを受けて、春からはその球団に所属して投げるという。
しかも、その前にはすでにU-18野球女子日本代表に選出され、アメリカで投げていた。
「U-18なんかじゃなくて、本当にメジャーを目指しますから」
「わかった。期待してる」
教師の立場を守るべく、俺はそう言っていたが。
「わかってますよね? 約束?」
「ああ」
「それまで、絶対彼女なんて、作らないで下さいね」
と、しつこく念を押されていた。
かと言って、もう20代後半を迎える俺だ。ぐずぐず待っていては、婚期を逃すかもしれない。
そう思って、自然と、
「それは約束できない。俺にだって、いつ好きな女が出来るかわからないからな」
と答えたら、さすがに彼女に思いっきり睨まれていた。
「先生~。言っておきますけど、工藤さんと付き合ったりしたら、私、絶対許さないですからね」
「じょ、冗談だよ。多分、大丈夫だと思う。あと、工藤と付き合ったら、俺の立場が破滅する」
「多分? 本当ですか? 約束は約束ですよ。男なら守って下さい」
「ああ。努力する」
尚も、俺の言動が納得がいかないように、彼女は俺に訝しげな瞳を向けていた。
こうして、彼女たちとの「別れ」は終わった。
俺は、残った7人のメンバーを抱え、夏から続く「連合チーム」を率いる監督として、これからもこの高校で野球を教えることになるだろう。
もっとも、この過疎の高校自体が、一体いつまで存続するのかわからないし、少子高齢化で、ウチの高校の野球部がいつまで残っているかはわからない。
将来のことなど、誰にも予測はつかないのだ。
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