第14章 君に望むもの

第122話 君の思いと、俺の望み

 試合は終わった。

 甲子園準優勝という、あと一歩だけ届かなかったという現実を残して。


 誰もが泣いていた。涙脆い平野は真っ先に泣き出し、潮崎をはじめ、誰もが涙していた。こういう場面には強い清原までもが、目頭に薄く涙を浮かべているように見えた。


 最後にベンチ前で、俺は彼女たちに声をかける。

「よくやった。甲子園準優勝でも、十分立派だ」

 だが、その言に真っ先に、涙声で反論したのは、潮崎だ。


「でも、先生……。私、私。やっぱり優勝したかったです!」

「そうですよ。悔しい! ここまで来て負けるなんて」

「あとちょっとだったのに」

 潮崎以外の選手からも、涙に混じった声が響いてくる。


 その気持ちは痛いほどよくわかる。

 俺自身が、数年前に同じことを経験しているからだ。


 だが、現実は現実。受け止めなくてはいけないのだ。

 俺はマスコミからのインタビューを受けた後、涙に暮れる彼女たちを引き連れて、甲子園を後にする。


 その日ばかりは、反省会も野球の話も一切しなかった。


 だが、ホテルに帰り、一人、部屋で佇みながらも、俺は彼女たちを「誇り」に思うのだった。


 何しろ、最初はたったの4人からスタートした、部とは言えない、野球もできない部活動だった。


 野球経験者はいたが、部員を必死でかき集め、少ない戦力で苦労を重ね、努力を重ねて、ここまで来れたのだ。


 この経験は大きいし、彼女たちの今後にも生きるはずだ。



 ひとまず、翌日には、大阪を発ち、俺たちは埼玉県にある母校を目指した。

 当然、その日は移動した後、そのまま解散となるから、授業は受けない。もっとも、敗戦のショックが大きい彼女たちは、ほとんどが沈痛な面持ちで、無言のままだった。


 さらに翌日。朝礼で、校長が、「甲子園準優勝」の報告を行い、彼女たちは多くの生徒や教師からの賞賛の言葉と視線を受ける。


 そうして、敗戦後は、すぐに日常に戻り、授業が開始され、3年生は引退。残るは2年生と1年生だけだが。


 問題があった。

 もちろん、部員が足りないことだ。


 3年生の潮崎、伊東、石毛、吉竹、笘篠、清原、平野の7人が抜けると、残るは2年生の工藤、佐々木、田辺、郭の4人と、1年生の垣内、鈴木、石井の3人だけ。

 合計7人。人数が足りない。野球は再び出来ないことになる。


 それをどうするか相談するため、9月のある日、俺は校長室に向かった。


 秋山校長に相談すると、

「仕方がないね。連合チームを作るしかないかもしれない」

 との回答だった。


 そう。過疎が進む現代。他の地域でもよくあるが、1校だけでは生徒数が足りず、部活動が出来ないため、近隣の他校と合同して、連合チームを作るのだ。


 だが、連合チームの常として、互いの練習時間を捻出できないから、連携が甘くなり、結果として「弱く」なる傾向が否めない。


(来年は難しいな)

 今年のような快進撃は、とてもじゃないが無理だろう。

 

 ただでさえ、ピッチャーは3人もいるが、一塁手と遊撃手、外野手と捕手がそれぞれ足りないのだ。


 連合チームを作ることを妥協するしかなかった。

 そんなわけで、俺は部活動に向かい、そのことを生徒たちに説明しようと思っていた。


 放課後。

 職員室を出ると、今や担任ではなくなって、普段は離れているはずの潮崎が、待ち構えるように廊下に立っていた。


 表情は明るかった。あの敗戦から1週間近く。さすがにもう「心の整理」がついたようだったから、安心していた。


 だが、彼女の口から語られたのは、

「先生。この後、ちょっと時間ありますか? 話したいことがあります」

 だった。しかも、どこかもじもじして、視線を逸らしている。


 何があったかわからないが、

「ああ。わかった」

 一応は彼女のことが心配だったから、答えを返した。


「じゃあ、ちょっと私について来て下さい」

 そう告げて、彼女は俺を先導する。


 仕方がないから後をついて行くと、不思議なことに彼女は、俺をグラウンドの端の方まで連れて行った。


 今、グラウンドでは男子硬式野球部が練習しているし、第二グラウンドは女子が使っている。


 そのグラウンドのうち、メイングラウンドの端、荒川の河川敷付近まで来ていた。ここまで来ると、すでにグラウンドから離れていて、男子野球部の歓声がわずかに聞こえてくるだけで、人気ひとけがほとんどない。


 ただでさえ田舎だ。河川敷にも、わずかに水際で釣り糸を垂れる人が、遠くにいるだけで、他に人影がなかった。


 こんな人気のないところに誘い込んで、何をするつもりだ、といぶかしんだ。


「なあ、潮崎。どこまで行くんだ?」

 しびれを切らした俺が声をかけると、ようやく彼女は立ち止まって、振り返った。


 その瞳が、どこか潤んでいるようにも見えるし、頬は心なしか紅潮しているようにも見える。


 そして、彼女は突然、意を決したように俺に言い放ったのだ。

「森先生。いえ、森さん。あなたのことが好きです。付き合って下さい」

 驚くべきことに、それは彼女から発せられた「告白」だった。


 今時、女子から告白することなど珍しくないし、古風に男子から告白しないといけないわけではないが。


 それに、その告白に関しては、俺は躊躇の気持ちの方が先に来てしまう。

「あのなあ、潮崎。俺とお前は教師と生徒だぞ。しかもお前はまだ未成年だ。付き合えるわけがないだろう? もし、そんなことが発覚したら、俺はこの高校をクビになるし、社会的に終わってしまう」

 当然の、正論を吐いたら、彼女は珍しく怒気を発し、俺の目を真っ直ぐに見つめてきた。


「そんなことはわかってます!」

「潮崎……」


「わかってるんですよ。私は子供で、先生は大人。付き合えるわけないって。でも、この気持ちはもう止められないんです。私は先生と出逢って、憧れて、そして先生のお陰で成長できたんです。先生がいなかったら、何も出来なかった」

 告白の必死さが伝わってくる。彼女は拳を握り締め、悔しそうに目に涙さえ浮かべていた。その決意と気持ちは本物だろう。


 ついこの間まで、「子供」と思っていたが、女子の成長は早い。そして、同時に、俺はこういう瞬間がいつか訪れることを、心のどこかで予感していたのかもしれない。


「そもそも先生は、私のことをどう思ってますか? 1人の女として。答えて下さい」

 一転して、鋭い眼光を向けられて、俺は一瞬たじろいでいた。

 本気の女というのは、怖い。


「いや。それは、まあ。嫌いではないけど」

「それじゃわかりません。好きか、嫌いか、二択で答えて下さい」


「……好きと言えば、好きかも」

「かも? かもって何ですか?」

 さすがに失言だったか、と後悔した。少し彼女を怒らせてしまった。


 俺は溜め息を突いた。同時に、この場面を打開し、回避しようと、「大人」として動くことにした。

「潮崎」

「はい」


「お前はまだ高校生だぞ。そういうのはせめて、あと半年経って、卒業してからにしろ」

「じゃあ、卒業したら付き合ってくれますか?」

 あくまで、退くつもりはなく、本気のようだ。目が座っているように見えるほど、真剣だった。


 今までの人生の中で、こんな年下の子に好かれたことなど、俺は一度もないから、対処方法がまるでわからない。俺の脳の知識の中にはない類のものだ。


 長い沈黙が続いた。考える俺と、待つ潮崎。


 2人の間に荒川から吹きつける、生暖かい夏の終わりの風が流れる。


 俺は、深く考えた後、一つだけ解決策を思いついていた。それはある意味では「逃げ」でもあるし、別の意味では彼女の気持ちを「試す」目的があったのだ。


「潮崎」

「はい」


「俺と付き合いたいなら、条件がある」

「条件、ですか?」

 さすがにこれは予想外だったのだろう。彼女は、一瞬、目を大きく見開いた。


「ああ。お前がメジャーリーグのマウンドに立つことが出来たら、その時は付き合ってやる」

 そう。それは、とてつもなく大きな「目標」で、普通に考えると「無理難題」に近い。

 ついこの間まで、高校生として、甲子園で投げていた彼女。


 そんな彼女が、メジャーリーグの舞台に立つというのは、相当難しい。

 元々、メジャーリーグには1943年から10年ほどの間、女子選手によるプロ野球リーグがあった。1997年にLadies League Baseballとして復活したが、興行収入の問題があり、1年で消滅している。


 だが、昨今の少子高齢化はアメリカも抱えており、野球人口自体が減っていることから数年前にアメリカでも、女子プロ野球リーグが復活していた。


 そこに立つことを条件にした。

 だから、念のために、

「言っておくが、U-18日本代表じゃダメだぞ」

 と言い含めておいた。


 U-18日本代表。つまりアンダー18、18歳以下の選手で構成される国際的な野球大会に参加する資格を有する者たちの中で、選ばれた人たちのことだが。

 甲子園で活躍した潮崎なら、そこに選ばれる可能性はあるだろう。


 だが、俺の条件はさらに厳しい。

 男子でさえ、プロに入って、何年か活躍しないと、メジャーリーグに行けないだろうし、そもそもメジャーに「行きたい」と言っても、向こうが「取って」くれないと行くことすら出来ない。


 こんな条件を突きつけたら、普通は諦めるだろう。

 実は俺の目論見はそこにあり、高校生特有の「年上への憧れ」を俺に抱いているであろう、潮崎の「本気」を確かめる目的があった。

 同時に、俺の中では彼女が「どこまで行けるか」見てみたいという、純粋な野球人としての期待もあった。


 だが、潮崎は少しもひるんだ様子を見せずに、

「わかりました。約束ですよ」

 と、俺の目を真っ直ぐに見つめて、決意の籠った瞳を向けた。


「ああ。約束は守る」

 こうして、俺の無理難題を彼女が実現できるかの「勝負」となったのだった。

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