第121話 最後に笑う者と泣く者
7回裏を終わって、得点は3-5。2点ビハインドで迎える8回表。
相手は上位打線の1番から。
ここで失点をするか、否かで、勝負の流れは決まると言っても過言ではない。
だが、潮崎は完全に立ち直っていた。
1番を幻惑するようなシンカー攻勢で、ファーストゴロに打ち取り、2番を逆にストレート重視で、レフトフライに打ち取る。
3番の新井。
2アウトとはいえ、怖いバッターが続く。
ここで打たれると4番の門田に回る。
まさにここが「正念場」だ。
その新井相手には、緩急自在の変幻投法を見せる。
ストレートかと思えば、次はシンカー。決め球をシンカーと思わせて、ストレート。
そうやって、相手の心理の逆を突く投球をしていた。
それでも、この新井は一枚上手だった。
最後のストレートを狙い打ちして、レフト前にヒットで出塁。
まずいことに4番の門田を迎えてしまう。塁にランナーを背負った状態で、門田。しかも次はホームランを打たれている村田に回る。
普通なら敬遠すべき場面だろう。
だが、俺はタイムを取り、マウンドに工藤を向かわせる。
ある伝言を彼女に授けた。
それは、
「これが最後なら思い切って行け」
それだけだった。
事がここに至っては、もう潮崎の実力と、野球センスに期待するしかない。アドバイスとも言えないアドバイスだが。
潮崎は頷いていた。
戻ってきた工藤は、
「まあ、大丈夫じゃないっすか。打たれたら、もうあたしが投げるしかないっすけど」
どこか投げやりにも思えるコメントだった。
勝負の時。
初球から門田の得意なコースの内角低めにツーシームを投げた。これで打たれたら、追加点が入る場面にしては、思いきった配球だ。
結果としては、潮崎の度胸が勝った。
詰まった当たりが、セカンド正面に飛んだ。
田辺が難なく処理して、アウト。
最大のピンチを1球で切り抜けていた。
ところが、8回裏。
我が校は、4番、清原からの好打順で、ここで得点を上げないと後がない。
にも関わらず、村田の投球術もまた、終盤に来て、衰えていなかった。
清原にフォークボールを見せてからの、決め球に速いストレートで、逆を突いて三振を奪う。
5番の石毛には、フォークを多投し、引っかけさせてサードゴロ。
あっという間に2アウトになっていた。
6番、伊東。
彼女には、持ち前の選球眼を期待するが。
その伊東が、珍しくあっという間に追い込まれた挙句に、空振り三振。
チャンスを作ることも出来ずに、最終回に突入していた。
9回表。最後の攻撃は、相手は5番の村田から。
だが、潮崎は、球数が増えているにも関わらず、圧巻のピッチングを披露した。
村田には、ツーシームを多投し、最後に低速シンカーで三振を取ると、続く6番には高速シンカーで引っかけさせてセカンドゴロ。
7番は、シンカーを多投したと思ったら、最後はカーブで空振り三振。
見事に三者凡退に抑えて来た。
「おつかれ」
「ありがとうございます。私はやれるだけのことはやりました。後は打線に期待します」
とは言っていたものの、いつもの潮崎の明るさがないように、表情は固かった。
9回裏。
7番は平野から代打で出た鈴木に代わって、レフトの守りについていた垣内だ。
三塁側スタンドやベンチは、もう勝ったような騒ぎで、「あと3人」で試合が終わることを期待しているような、大歓声が飛んでおり、ムードは完全に逆風。
その垣内は、ストレートを捕らえ、センターに大きな当たりを放った。
1年生ながら、パワーがある彼女らしく、フルスイングしていたが。
わずかながら、スタンドには届かずに失速し、アウト。
8番、佐々木を迎える。
佐々木は、懸命に捕らえようと、早いカウントから狙っているようだったが。経験値の差を突かれ、フォークボールに翻弄されて、三振。
残り1人となって、相手スタンドからは大歓声が轟き、相手ベンチ前は、もう優勝した後にマウンドに駆け寄る準備をしていた。
これが、最後か。
そう覚悟するしかなかった。
この場面。当然、代打を使う場面だろう。
もっとも、代打で出せるのは、工藤、石井、郭しか残っていない。おまけに工藤以外は、打撃としては、あまり戦力にはならない。
「監督サン。あたしが行きます」
当然、来るだろうと予想していた工藤の主張だったが。
「いや、潮崎で行く」
「どうしてっすか? 言っちゃなんですが、潮崎先輩よりあたしの方が、打撃に関しては勝ってるんすよ」
もちろん、工藤の言い分もわかるし、実際、そうだろう。
だが、俺は潮崎にこだわった。
その理由は、エースなら最後まで試合に向き合って欲しいのと、今後の野球人生において、この場面での経験が潮崎に生きるかもしれない、と期待してのことだった。
工藤は、どうしても納得がいかない様子で、
「監督サンの考えが、わからなくなったっす」
と不貞腐れていた。
そして、その潮崎を迎え。
「潮崎さん!」
「エースの意地を見せて下さい!」
ベンチからも一塁側スタンドからも、懸命な声援が轟く。
初球、速いストレートが内ギリギリに入り、見送ってストライク。
2球目。フォークボールに空振り。
あっという間に追い込まれていた。
3球目ははずしてボール。
4球目もストレートがわずかに高めにはずれてボール。
5球目。
渾身の村田のストレートが外いっぱいに入ってくる。その日、恐らくは最速の125キロを越えていた。
打った。確かに彼女は打っていた。
だが、打球は無情にもセカンドの頭上へ。セカンドの新井が落下点に入りがっちりキャッチ。
試合終了と共に、マウンドには三塁側ベンチから、大阪応印の選手たちが、一斉に駆けてきた。
よくテレビなどで見る、甲子園優勝の瞬間だ。
恐らくテレビのテロップでは、「大阪応印、優勝」の文字が躍っているだろう。
潮崎は、バッターボックスでただ立ち尽くしたまま、呆然とその様子を見つめていた。
試合が終わったのだ。
3-5。優勝は出来なかった。
同時に、それは、奇しくもかつて甲子園で俺自身が経験したのと、同じ体験だった。
選手たちが整列する中、潮崎は動こうとしなかった。
現実を直視しないのか、したくないのか。
だが、女房役の伊東が声をかけ、背中を押してようやく整列の中に入る。潮崎は「泣いて」いるようだった。
甲子園を、夢を追いかけた彼女たちの3年間は今、終わったのだ。
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