第24話 拒絶

 ――キリルたちが書斎に突入する少し前。

 魔道具を使って姿を隠していたにもかかわらず、ベルを連れ去った竜に見つかってしまったキリルは、一か八かの賭けに乗ることにした。すなわち、竜との会話を試みたのだ。

 半分竜の血が流れるキリルは、どうやら竜語を理解できるらしい。真っ青な鱗の竜としばらく会話を交わすと、ジークリンデという名の竜は自分を繋ぐ鉄鎖を引きちぎり、キリルを背中に乗せて空へ飛びあがった。


「えっ、何? このままどこに行くわけ?」


 スヴェンが戸惑いながら尋ねると、竜の首にしがみつくキリルはニヤリと笑った。


「ジークちゃんと話がついた。エリーとの約束を果たしに行くのさ。――いっけえジーク! 突っ込めェェェ!」




 ――そうして、宮殿の賢者の書斎目がけて、竜ごと突っ込んだのである。

 その衝撃で気を失っていたベルも目を覚ました。キリルに救出されたところまでは理解が追いついたようだが、彼はこの状況の半分も理解出来ていない。荷袋から這い出たベルは、ブローチから姿を戻したスヴェンに肩を借りて歩いている。


「おいゴリラ、エリーとの約束なんておいらも聞いてないぞ。ベルにも分かるように説明しろ」


 憤慨顔でスヴェンがキリルの背に呼び掛ける。当のキリルは銀の指輪をポケットにしまい込んで、ぐるぐる片腕を回している。


「あたしは夢ン中でエリー……正確にゃあ〈茨の魔法〉って言った方がいいか? そいつと取引を交わしたのさ。〈茨の魔法〉の望みを聞く代わり、あたしは当分退屈な時間を過ごさずに済む。ランプレヒトに会わせてやるのもその一環さね」

「まさか……エレオノラをここに連れて来たの!?」


 キリルがベルの大声を聞くのは、ほとんどこれが初めてだった。ベルはふらつく足で駆け寄ると、キリルの外套を掴んで縋った。


「一体どうして!? ランプレヒトの狙いはエリーだ! 僕ごと連れ去られないようにと切り離したのに、どうして連れて来たんだ!?」

「双子の兄妹だからってツーカーとはいかねえらしいな。こいつァそのエリーの頼みだぜ。まあ見てな、兄貴ならここはじっと見守ってやるもんだぜ」


 ベルの肩をしっかりと抱いて抑え、ドンドンと杖で地面を叩くと、杖の先から茨が生えて少女の形を作り、エレオノラの姿に変わった。兄そっくりの金髪をサラリと揺らしてベルに笑いかけると、パッと賢者の元へと駆けだした。


(キリル……一体どういうつもりだ?)


 ユルギスは考えていた。ランプレヒトはキリルたちを見るや、魔法を消して動きを止めていた。


(ランプレヒトが〈茨の魔法〉を狙っていると、城でも話していたというのに……)


「ごきげんよう、ランプレヒト様。わたしはエレオノラ・ドロテア・アウレリア。――〈茨の魔法〉の使い手です」


 かわいらしい仕草で淑女の挨拶をして見せるエレオノラを見て、ランプレヒトの表情が和らいだ。何かとてつもなく眩しいものを見るかのように目を細め、膝をついて、諸手を広げて少女を招き寄せた。


「嗚呼……ああ、〈茨の魔法〉、ようやく我が手に……」

「『戻ってきた』?」


 ベルが怪訝な顔で言葉を繰り返す。それに応えたのは、何とキリルだった。


「聞いて驚け。あれはな、元は賢者が人間に与えた魔法なんだってよ」

「……そうなの?」

「魔女のヘレナばあさんから聞き出した話だ。大昔、魔物を引き寄せちまう体質の少女がいて、当時の賢者がそいつに〈茨の魔法〉を授けたらしい。そいつの名前がアウレリア――あんたの祖先だな」


 〈茨の魔法〉は世代を経るごとに変質していった。そもそも魔法は解釈によって容易に変質するもので、世に溢れる魔法の数々もそうして広がったのだ。賢者から授けられたこの魔法も例外ではなく、代々の使い手により新たな解釈が加えられるうちに、初めから持っていた“拒絶”の本質の幅が広がっていったのだという。

 ただしこれはあくまで賢者の魔法。“拒絶”の力が増幅した反動か、魔法は使い手の魂を取り込んでしまう強力な性質を得てしまった。魔法の中にこれまでの術者たちの魂を絡め捕ったまま、次の術者へと血を伝って続いていったのだ。


 かけた者の存在しない呪いだね、とヘレナは水晶玉の向こうから言った。そして、ともするとランプレヒトはこれらの魂たちに心惹かれたのかもしれない、とも言った。

 ヘレナの見立ては間違いではなかったようだ。様変わりしたランプレヒトの表情を見て、スヴェンは「取りつかれているみたいだ」と思う。


「なんと美しい魂だ。何百年と人の世に留まるというのに、一つも輝きを失わない。さあ来い、〈茨の魔法〉よ、魔法に宿る女たちの魂よ。再び賢者のものとなれ。そうすれば……」


 エリーの姿をとる〈茨の魔法〉に手を差し伸べたランプレヒトは、ふと何かに気が付いたように眉を寄せた。


「いや……少ない。何だこれは、明らかに魂の数が減っているい……」

「そうよ。は決めたの。わたしたちはあなたとは行かない。――永遠を過ごすよりも、魂の故郷ふるさとに還れるのならば、そうしましょうって、みんなで話し合って決めたのよ」


 かわいらしい声ながら、エリーはランプレヒトを見据えてキッパリとそう言った。それは少女の姿を借りた〈茨の魔法〉の、代々の魂たちによる“拒絶”。


 宿主ベルの体にキリルの吐息ブレスが吹き込まれ、魔法と魂の癒着が剥がれた。長い時間留まり続けて倦んだ魂たちに新しい風がもたらされ、魂を眠りから解き放った。

 それは正しく、歴代の“いばら姫”を揺り起こしたであった。


「おねえちゃんは力強い人だけど、吐息はとっても優しいの。みんなみんな、優しい風に乗って故郷に還っていったわ」

「そんな……そんなことがあるはず……竜のでは魂ごと吹き飛んでしまうから、これまで竜は〈茨の魔法〉に手を掛けなかったのでは……」


 狼狽えるランプレヒトの濁った蒼い目が、キリルを捉えた。その内側に竜の血を感じた彼は咆哮した。魔力のこもった怒号は空気をビリビリとつんざき、稲妻を走らせ、天井や壁に穴を開けた。


「貴様の仕業か、竜人! おのれ、存在を見過ごしてやったというのに、この仕打ちか!」

「見過ごした? あたしはあんたとは初対面だぜ」

「いいや知っていたとも……今は無き“花の国”の女騎士!」


 老賢者が呼び出した杖を振るう。刹那、蒼い稲妻が迸り、キリルの体を貫いた。


「ガハッ――!」

「“アマリリスのじゃじゃ馬騎士”とは貴様を指すあだ名だろう。儂がかつてかの国を訪れた時、その女騎士は休暇を取っていたが、竜の血の混じった気配が強く残っていた。あの時に始末しなかったのは、儂もまだまだ青かったということだな」

「……そういや『賢者が来る』って城中大騒ぎになった時があったな。賢者だなんて大層な名前の大魔法使いがどんなツラか拝んでやりたかったが、生憎あの時は育ての親の死に目だったもんでね」


 口元の血を拭って、キリルは立ち上がった。


「懐かしいあだ名で呼んでくれるじゃねえの。もう二度と聞かねえと思ってたぜ、ありがとうな」

「盗賊ごときに身を貶めた貴様が、賢者たる儂の前に立ちはだかるか」

「いいや、立ちはだかるたァちょっと違ェな。こいつァ勝負さ」


 ランプレヒトの注意がキリルに逸れている隙を狙って、スヴェンはユルギスを保護していた。今にも戦闘が始まりそうな二人から少し離れたところで、天井が抜けて空すら見える場所に、ベルもエリーも竜のジークリンデも連れてきていた。


「ヒヒ、今の雷、効いたぜ。竜を殺す力持ってるあんたならあたしを殺せるかもしれねえな……逆を言うと、半竜のあたしだってあんたを殺せる。つまりこれは、生きたいあんたと死にてえあたしの、どっちが先にくたばるかっていう勝負なのさ」


 老賢者の白杖に魔力が集積する。蒼い光が魔力の高揚と共に白くなっていく中、キリルは不意にユルギスを見た。


「指輪で助けて貰った礼がまだだったな。これで貸し借りはチャラな」

「キリル――」


 空気が轟いた。蒼白い光線が一直線に貫かれ、書斎の壁を抉って灼いた。

 キリルは体を掠めるすれすれで躱して、踏み出した足に力を籠めて思い切り地面を蹴って駆けた。正面から次々と光線が飛んでくるのを、右へ左へと器用に避けて、杖を振りかぶって賢者に肉薄する。


「ぐ……ッ」

「意外に力持ちだな。それとも魔法で身体強化してんのか」


 キリルの怪力でもって振り下ろされた杖を、ランプレヒトは杖で受け止めた。どちらも木製だというのに、火花が散るのは、魔法の杖だからだろうか。

 押し切れないと断じたキリルは即座に一歩引いて、再び杖を突き出す。と思えば宙に跳び上がって側頭へ膝蹴りを見舞った。食らった賢者はくらりとよろめいたのも束の間、すぐさま片手で水魔法を呼び出した。


「水棲の竜でもなくば、水中で息はできまい」

「そりゃやべえ、あたしは水嫌いだッ」


 水中に暮らす竜がいるのかと感心する隙も無い。矢継ぎ早に現れる水泡に閉じ込められまいと、キリルはひょいひょいと飛び退きながら躱す。魔法を警戒するあまり攻撃に転じられないキリルを、ランプレヒトは鼻で一笑した。


「どうした、“花の国”の元騎士。自慢の剣技は見せぬのか?」

「剣は封じたんだ。昔うっかり悪党の首を跳ねちまったんでね。いいとこの坊ちゃんがいる前で血しぶき浴びせる真似は出来ねえだろ」


「……なあユルギス、ベル。“花の国”の騎士ってそんなに連呼されるぐらい強いの?」


 約八十歳の魔女スヴェンが二人に問うた。キリルの出身だという“アマリリス王国”は百年近く前に周辺国家に吸収された国で、その存在をスヴェンは直に見聞きしていないのだ。“茨の国”の王子であるベルは頷いた。


「美しい花々が咲き誇る“花の国”アマリリスはね、僕が眠る前からどこの国にも従属しない単独国家だったんだよ。たくさんの国と友好関係を築いていた僕の国も、アマリリスとはほとんど親交が無くてね。特別仲の良し悪しもない、互いに干渉しない関係だったのだけど……それを可能にしていたのは、小国ながら強固な騎兵団を持っていたからだ」

「キリルのいたっていう王立騎士団がそれか?」

「とにかく武勇に秀でた騎士たちが粒ぞろいだという話だ。ハインリヒに聞けばもっと詳しいことが分かると思うけど、王子の僕の耳にも、“花の国”の騎士の強さは届いていた」


 魔女の家で“アマリリス”の名を聞いて、キリルの強さに得心が言ったと、ベルは語った。


「たしかに力の強さや身体能力は竜の血によるものだろうけれど、あの無駄のない戦い方はきっと“花の国”の武人ならではのものだ。僕は正直、竜人って話よりもそちらの方が納得がいく。『美しき花に惑うことなかれ、摘まんとせば庭師の鎌に刈り取られん』ってね」


 ぐるり、地面に沈んだキリルが片手を軸に賢者の背後に回る。その背を上から降り注ぐ槍が追いかけるも、それよりも早くランプレヒトの腰に両腕を巻き付けて持ち上げ、仰け反って地面に打ち付けた。スヴェンが拳を握りしめて期待に身を乗り出す。


「よっしゃ! やったか……!?」


 脳天に衝撃の走った賢者は一瞬白目を剥いて意識を飛ばした。

 ……が。


「――〈秘術・蒼〉」


 大気が低く唸るような音と共に、突然静寂が訪れた。

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