第19話 僕の片割れ

 キリルが銀の指輪を取り出したのを見て、贈り主であるユルギスは怪訝な顔をした。


「俺の指輪……何故今?」


 あれほどつけるのを嫌がっていたというのに、一体どんな心変わりだろうか。相変わらず嫌そうではあるものの、キリルは素手のままの右手中指に指輪を嵌めて、ニヤリとこれまた悪辣な笑みで顔を歪めた。


「くそ不本意だけど、役に立つもんは何でも使うのがあたしのポリシーなんでな」


 竜滅兵は動きを止めた。悪人面でニタニタ笑うキリルと、自分と同じく理解の追いついていない様子のユルギスを見比べて、思考に窮した。

 故に、彼は防御が遅れた。反射的に受け身を取ろうとした時には、指輪の光る拳が目前にあった。


「ッ、パガァッ!?」


 拳が振り抜かれ、竜滅兵が吹っ飛んだ。兜は大いにへこんで顔面にまでめり込み、更に鼻血も噴き出て息が出来ず、ますますジタバタともがく。彼の兜を他の兵が外そうとするが、変形した兜は上手く外せない。


「な……竜鱗の兜が破壊されただと!?」


 一部始終を目撃した竜滅兵たちの武器が、一斉にキリルを取り囲む。ところが誰一人として第二の刃を振るおうとはしない。一つの事実が彼らの足を竦ませていた――「竜に有効な装備が破壊された」。

 キリルは傷ひとつない拳を見つめると、愉悦に身を震わせた。


「くくく、ぎゃっはっはははァ! こりゃあいいぜ。賢者が竜に攻撃できるンなら、あたしも賢者属性のアイテム身に着けてれば攻撃が効くわけだ! あとはお前らの攻撃に当たらなきゃ、あたしは最強!」


 ガツンと拳同士をぶつけて、キリルはユルギスに言い放った。


「ユルギス、あんたは呪いの方にかかれ。こいつらぐらいあたし一人でどうにか出来るさ」

「くっ……怯むな、相手は半竜の女一人。数の利はこちらにある!」


 広間に怒号が轟き、一斉に竜滅部隊がキリルに襲い掛かった。

 前回とは違い、大槌や大剣のような大型武器は見当たらず、剣に槍そして鎌が絶妙な連携で攻撃を仕掛けてくる。それらをキリルは次々と避け、懐に入り込んで鎧や兜ごと殴っていく。


「何だお前ら、デカブツばっか相手にして、対人戦闘は初心者か? 的がちっちゃくて狙えませんかー、残念でちゅねー」


 煽られた兵士が力んだ隙を見逃さず、槍の突きをいなして兜を鷲掴み、そのまま地面へ叩きつける。二度、三度と打ちつけ、手から離れた槍を拾い上げると、勢いよくぶんっと振り回した。あまりの勢いに慄き、さあっと包囲網が散っていく。


「ヒヒ、槍の扱いがまるでなってねえぜ。いいか、槍ってのァな――こうやって投げて串刺しにすんだよッ」

「ぎゃあああッ! あがッ、ああァ……!」


 キリルの投げた槍が肩に命中、そのまま石壁に刺さって兵士を縫い留めてしまった。槍が刺さったまま抜けない兵士は絶叫するが、痛みに悶絶したところで槍に抉られるばかり。キリルはぷらぷらと手首を揺らした。


「ありゃ、あたしも鈍ったもんだ。二、三人はまとめて串刺しにしてやろうと思ったのに」

「……半分でも竜は竜ということか」


 余裕を見せるキリル、焦りを浮かべる竜滅部隊。彼らは確かに、キリルを確実に仕留めるべく、前情報を元に小柄な武器を揃えてきたのだが、彼女がこれほど動けるとまでは把握していなかった。何せ前回衝突した時、キリルは自分の正体を知り得なかったので、竜性武器の対策をしないまま無知の状態で戦っていたのだ。

 それが今や、キリルは武器の特性を理解した上、更には自信を取り戻している。キリル本来の戦闘能力が十二分に発揮されているのだ。


「くそっ……油断するな! 確実に隙を突け! 数の利は依然我らにある!」

「おーおー、出来るもんならやってみな!」


 太刀筋を器用に避け、鎧ごと腹に一撃入れ、よろめいたその頭を掴むと、そのまま一団に突っ込んでいく。重心を欠いた兵士たちが将棋倒しに倒れていき、互いの重たい装備の下敷きになってひしめき合った。


「そのまんまひっくり返ってな。次ィ!」

「キリル殿! 近衛騎士の一報により馳せ参じた!」


 ハインリヒの声と共に、アウレリアの騎士たちがわっと乱入してきた。振り下ろされた剣を奪いながら、キリルが大声で返す。


「助かる! 兵力は!?」

「二十数名ッ!」

「十分だ。こいつら竜殺しの武器持ってるぞ、人間に効くかは知らねえが気ィつけろ!」

「承知。聞いたな! 総員、キリル殿を援護し、侵入者を制圧せよッ!」


 騎士たちから怒号が上がり、広間は戦いの声で埋め尽くされた。キリルが一人で相手していた竜滅部隊は、二百年前の騎士たちが乱入するや、態勢がどんどん崩れていく。


 “鉄の国”の竜滅兵の中には、盾を持っている者も少なくない。片やアウレリアの騎士たちは兜のほかは革製の胴鎧や腕当てに籠手ガントレット、それに腿当てといった軽装備であるし、誰も盾を持たず、剣か魔法を放てる魔剣などを携える者ばかりだ。

 それもそのはず、アウレリア騎士団は「防御は最大の攻撃、攻撃は最大の防御」……〈茨の魔法〉をもって国の盾たる王族を守るべく、己を茨の棘に見立て、敵を攻撃することのみに特化した戦術を基本とする。故に彼らは盾など持たない。王族が“盾”を果たしてくれるから、自分たちはただ“矛”であればよいのだ。


 その戦法と息の合った連携とが噛み合い、アウレリアの騎士たちは少数ながらにして竜滅部隊をみるみる圧倒していく。戦況はこちらに有利かと、キリルが一呼吸挟んだ、その時。


 突然、広間に轟音が響き、すぐ近くの窓と石壁が崩れた。頭上に大きな石が落ちてくるのを、キリルは近くにいた騎士の首根っこを掴んで跳んで避けた。

 大砲でも撃ち込まれたのか……辺りを確認しようとしたキリルは、ピタッと動きを止めた。


 全身の血が何か変な動きをしている。

 毛という毛が逆立って、を感じている。


「キリール! まずい、こいつベルを狙ってるぞ!」

「ッ……そりゃやべえ」


 スヴェンの大声に我に返り、入り乱れる兵や騎士を掻き分けてベルの方へと走った。と、ぞくりと嫌な気配がして横っちょに飛び込むと、ちょうどキリルがいた床を大きな爪がごっそり抉った。

 キリルはとうとう振り返った。石床に亀裂を入れる鋭い爪、蛇のそれにも似た腹、晴天の空よりも真っ青な鱗、膜の張ったコウモリのような翼……瞳孔が縦に割れた、切れ長の金色の目。


 竜だ。

 キリルは声を出さず唇だけで呟いた。


「キリル殿、敵兵です! あすこの竜の背中、敵兵が見えます!」


 騎士の一人が竜の背を指さす。そこにはたしかに、数人の竜滅兵たちが乗っているのが見える。笛のような高音がつんざき、次の瞬間キリルたちめがけて凶暴な爪が振り下ろされ、敵味方入り乱れてがむしゃらに走って避けた。


「何だありゃあ! “鉄の国”ってのァ竜も操るのか!?」


 騎士を突き飛ばして自分も避けると、間一髪で尾が壁を叩きつけた。その一撃で壁が崩れるように瓦解し、向こうに青空が広がった。


「よそ見は禁物だぞ、竜人!」

「こンのくそ忙しい時に……邪魔すんな!」


 今度は刃がキリルを襲う。咄嗟に瓦礫を投げつけ、革手袋を着けた片手で剣を掴むと、指輪を嵌めた素手で殴って剣をへし折った。と、その腕をガシッと掴まれ、更に背後から打撃を食らい、地面に組み伏されてしまった。


「そのまま押さえつけてろ。さあ“茨の王子”、我らと共に来いッ」

「ベル!? まずい、てめえら退け、邪魔だッ!」


 ジタバタともがくが、キリルの体は数人がかりで押さえつけられて身動きが取れない。背後からはベルが〈茨の魔法〉を呼び出すまじないを唱えているのが聞こえる、しかし恐らく竜滅兵たちは茨ごとベルを連れて行ってしまうに違いない――。


「〈秘術・蒼〉」


 低く柔らかな声と共に、辺りに蒼い光が走り抜けた。


 竜滅兵もアウレリア騎士もピタリと動きを止めた。ある者は武器を翻した姿勢のまま、ある者は盾で攻撃を弾こうと力んだまま。誰も彼もが、息をするほかは、指一本動かせずにいる。

 そんな中、キリルがただ一人、どうにか拘束を跳ねのけて、地面を這いずって立ち上がろうとしていた。傍らに現れたユルギスの思念体が、杖を構えたまま呼び掛けた。


「竜は賢者の魔法をもってしても効きにくい。あの竜だけ三重に術をかけているが、破られるのは時間の問題だ。連れ去られてしまっては事だ、急げ、ベルを取り戻せ」

「……お前なんかに言われなくたってそうするよ!」


 兵士たちの足の間をすり抜けると、キリルはすぐさま立ち上がって、動かない人間の間を、瓦礫の間を、風のように駆け抜けた。そうして、竜の背に急いでよじ登り、茨ごとベルを閉じ込める鉄檻に手をかけた。


「うぐ、ァアッ……さすが“鉄の国”、曲げづらい……おわッ」


 格子を力尽くで曲げて開こうとしていると、竜が大きく体をしならせて魔法を解いた。時間がない。キリルは急いで力を籠めた。

 ところが……不意に、ベルが静かに言った。


「キリル。流石の君でも、檻を曲げて僕を出す時間はないよ」

「うっせェ……ッ、あんたも魔法で手伝いな!」

「そうしたいところなんだけど、〈茨の魔法〉が弱くなって、思うように動かせないんだ」

「こんな時に何弱音吐いてやがる!? ああっもう、あとちょっとなんだよ……」

「――キリル」


 格子を掴むキリルの手を、すらりとした手が解いて、そっと握った。こんな逼迫した状況だというのに、ベルの声はどこまでも美しく、凛として澄んでいた。その音がキリルの耳に届いた時、切れ長の黒い瞳に映ったのは、穏やかで優しい、けれど力強い決意に満ちた表情だった。


「君になら任せられる。キリルは僕が出会った中で、唯一、何のしがらみもなく対等に付き合える友だから」

「…………」

「妹は、任せたよ」


 そう言ってベルは微笑んで、唱えた。


「〈エレオノラ、。僕の中から出てお行き〉」


 ――竜がもう一度体をしならせて、飛翔態勢に入った。ベルに握られていたはずのキリルの手は、二つに分かれたもう一人の誰かの手を握っていて、キリルはそのまま床に転げ落ちた。


「おい待て、ベル――」

「さようなら、エレオノラ。僕のいばら姫。……ここでお別れだ」


 キリルが立ち上がることは叶わなかった。竜の羽ばたきは強烈な風を生み、キリルは簡単に煽られて吹っ飛んでしまった。

 そのまま竜は滑るように空へ飛んで行って、あっという間に遠のいて行ってしまった。後に残ったのは、沈痛な面持ちで押し黙るスヴェンとユルギス、王子を連れ去られたアウレリア騎士団、取り残されたアイゼンブルクの竜滅部隊、そして……。


「……よかったのかよ、。あんたの兄貴、行っちまったぜ」


 キリルの夢に出てきた、ベルフォート王子とそっくりな顔をした幼い少女が、悲しそうに顔を歪ませて、キュッとキリルの腰に抱き着いた。

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