第20話 拷問は国際法違反

 “13の魔女”フィーネは、十三人の魔女の中で唯一、未来を予知する力を持っている。

 彼女の予言はまず間違いなく外れない。そして、彼女が他の魔女や賢者、それに人間に与える予言は“世界の理”に関わることがほとんどであった。そのフィーネが“茨の国アウレリア”に授けた予言は二つ。


「生まれた子は大人にならず死ぬ」

「生まれた子は長い眠りにつく」


 別々の結末を示す二つの予言は、双子の兄妹それぞれを指し示すものと考えられた。そして誰もが、前者の予言を享けたのは兄のベルフォートだろうと信じた。何しろ〈茨の魔法〉は代々女性に発現するもので、妹のエレオノラは死を回避するなどやすかろう、特別な魔法を持たない兄はきっと死んでしまう、と誰もが疑わなかったのだ。


 ところが事態は真逆の顛末を迎える。

 二人が七歳を迎えたある日、エレオノラは死んだ。


 〈操り人形の呪い〉に侵され一時的に自我を失った父親の手によって、彼女は殺されてしまった。反対にベルフォートの方は、血に染まった父の手が及ぶ直前、〈茨の魔法〉が彼に乗り移って防いだお陰で難を逃れた。本来血脈を通して受け継がれる魔法だが、双子同士で血が近かったために、兄の体を宿主とすることが出来たのだ。


 ベルフォートは幼いなりに考えた。「大人にならずに死」んだのが妹ならば、自分は「長い眠りにつく」のだろうと。それならば父の呪いを解くことに使えないか、と。そうして〈茨の魔法〉の一部となった妹を宿したベルフォートは、魔女の力を借りることにした。


 魔女のまじないとは、精霊の力を借りて、人間が使う魔法の元となる理論・概念を生み出すものである。つまりは人間たちの深層心理に作用するもので、非常に強力なものだ。

 一番強力な力を持つ“13の魔女フィーネ”が「王子が紬車に触れれば死ぬ」とまじないをかけ、残りの十二人で効力を弱めて「長い眠りにつく」と変化させる。すると人々は王子を呪わせまいと国中の紬車を燃やして棄てるのだが、その意識がますますまじないの効力を強める――〈紬車のまじない〉の完成である。


 最後に唯一つ残された紬車が、魔女の手により塔の最上階の小部屋に運び込まれた時、ベルフォートはこのまじないを使って逃れる機が来なければいいと望んだ。これはあくまで最終手段、引き続き魔女に術者や術式を探ってもらうよう頼み込んだ。

 そして自分も勉強を重ね、王子として外交を務め、協力関係をより強固にし敵を減らすよう努めた。度々呪いに侵された父に兵を差し向けられても、料理に毒を混ぜられても、〈茨の魔法エレオノラ〉の力を借りながら、呪いを解く糸口を探し続けた。


 我が子を殺してしまった罪悪感に押し潰される父と、何も出来ず無力に打ちひしがれる母は、呪いを解けば少しは救われるかもしれない。そして、たとえ呪われた父に命を狙われようとも、息子である自分はちゃんと生を謳歌しているのだと伝われば、その心苦しさも和らぐだろう。


 それが、幼いうちに死んでしまった妹に出来るせめてもの孝行だと――。






  * * *






 竜が壁に開けた大きな穴の前で座り込んだままのキリルに、スヴェンが瓦礫を跨ぎながら近づいてきた。キリルの隣では、手をギュッと握りながら心もとなさそうに俯く少女の姿がある。


「スヴェン、お前知ってたな。ベルが本当は〈茨の魔法〉の使い手じゃなくて、魔法になった妹を宿してただけだったって」


 少女の手を握るキリルは、もう片方の手をギュウっと握りしめた。


「呪文がさ、今思うと変だよな。『僕の片割れ』なんてよ」

「キリル……」

「あたしも本当は知ってた。夢で何回もエリーと会ってたんだ。……ベルには内緒にしておこうってエリーと約束したから、だから目が覚めた時ァ忘れるようにしてた」


 キリルが静かにそう溢す。スヴェンはしばらく佇んでいたが、深い溜息を吐くとキリルの隣にしゃがみ込んだ。


「いくら〈茨の魔法〉が最後の使用者の姿を借りてるとは言っても、その子は間違いなくベルの妹のエレオノラだ。折角さ、王様がちょっとの間正気を取り戻したから、今のうちに会わせてやりたいんだ」

「会わせて平気か?」

「分からない。この子を殺したのは呪いに操られた王様だから。でもだからこそ、この子に父ちゃんを会わせてやりたくてさ。な、エリー、会いたいだろ?」

「いいの? わたし、父様に会ってもいいの?」

「もちろん。魔女おいら竜人キリルみたいに触れはしないけど、話すくらい訳ないさ。話したいこといっぱいあるんだろ」


 少女はパッと顔を輝かせて、スヴェンの手を握った。スヴェンは優しい顔で頷いて、立ち上がってキリルを見下ろした。その視線は悲痛なものだった。


「先に伝えとく。呪いの術者が分かった。――賢者ランプレヒトだ」

「おねえちゃん、また後でね」


 スヴェンとは対照的に、とても嬉しそうに手を振って来る少女エリーに、キリルは片手を上げて応えた。王と王妃が休む入り口際の避難場所へと向かう二人の背を眺めていたが、パンパンと膝を払って立ち上がると、二人とは反対側、広間の奥の方へと歩いて行った。そこでは武装解除され、後ろ手に縄をかけられた竜滅部隊が、アウレリア騎士団に囲まれている。


「キリル殿。……竜が去るや、皆一様に戦意を失くした様でしてな」


 ハインリヒがキリルに耳打ちした。竜滅部隊はこの短時間ですっかり憔悴しきったようになっている。その様を、しゃがんで覗き込んだりして一通り観察したキリルは、次に広間を見渡した。


「ユルギス。お前さ、自分の先代が国王呪ってたって知ってたのかい?」


 少し離れたところで佇む黒髪の男に、キリルは呼び掛けた。ところが問われた本人は押し黙ったままだ。痺れを切らしてキリルは声を荒げた。


「おい、何とか言ったらどうだい」

「……王子に協力したのは……この目で確かめるためだった。呪いに触れれば何か分かるはずだと思った」

「てことは知ってたんだな」

「信じたく……なかったのだな、俺は。たとえ彼のせいで俺がこの様なのだとしても、ランプレヒトは素晴らしい賢者だったから」

「王の惨状がランプレヒト殿の仕業だと……? それはまことか、キリル殿」


 二人のやり取りを聞いていたハインリヒが、衝撃に顔を慄かせた。周囲の騎士たちの間にもざわめきが広がっている。急に様子を変えた彼らに戸惑いを見せつつ、キリルは応える。


「こいつは次の賢者になるはずの奴だ。前の賢者が死なねえってんで、ユルギスの本体は赤ん坊のままなのさ。知り合いかい?」

「国の恩人とも呼ぶべきお方だ。王子と王女がご生誕の折、ランプレヒト殿はお二人に祝福を授けてくだすったのだ。まさかそのような……」

「おや、こりゃあ新しい情報だ。呪いの術者がそいつなら、多分その時に国王を呪ってったんだろうよ。つーことはだ、あたしが“鉄の国”に抱いてた感じとは違ってくるぜ? “鉄の国”が無理やり賢者を取り込んだんじゃなく、賢者の方が協力したってことになる」


 切れ長の目が、すうっと更に細められる。


「考えてみりゃよ、ハインリヒ、昔と今とじゃ状況は違わねえかい? 今この城を攻め落とすメリットが、アイゼンブルクにはねえはずだ。周りの森は力場が狂って、どのみち遠征路には使えねえんだから」

「……そう言われると確かに……殿下を捕えるやに去って行ったところを見ても、この者たちの目的は初めから城の陥落ではなく、ベルフォート殿下の身柄であった……?」

「もっと言えば、〈茨の魔法〉そのものだろうな。ベルはきっとそれに気付いたんだ……それで魔法と一つになってる妹を切り離して、あたしに託していったんだ。つっても、今のは全部憶測でしかねえ、もうちっと確証が欲しいところだな」


 キリルは騎士の一人に向かってちょいちょいと指を動かした。


「そこのあんた。剣貸せ」

「えっ……いや、しかし……」

「何さ。ちょっと借りるだけだよ」

「キリル殿。誤って首を切り落としたという貴女に、剣はお貸し出来ません。一体何をなさるおつもりですか」


 騎士を庇うようにハインリヒが立ちはだかるので、キリルは苛立ち混じりの溜息を吐いた。


「堅物だねえ、ハインリヒさんよ。状況分かってるか? 国王が賢者に呪われて、そのせいで王女が一人殺されてて、王子がどこぞに連れ去られた。こりゃあ一連の渦中にあるこいつらにお尋ねするところだろ」


 騎士の腰元から無理やり剣を引っこ抜いたキリルは、辺りを見回して言った。


「けどあんたら騎士団はお国って立場があるだろ? 人間の味方ヒーローの賢者サマは無闇やたらと人間を傷つけられねえ。魔女だって、ここに首突っ込んでるこの状況が既にヤバいから、これ以上踏み込めなくて黙ってんだ。違うか?」


 誰もキリルに言い返さない。この一言はまったくその通りで、いくら王子の居場所や“鉄の国”の狙いを知りたくとも、考えなしに横暴な手段には出られないのだ。

 騎士団に助け舟を出すかのように、竜滅兵の一人にツカツカ歩み寄るキリルに向かって、ユルギスが問いかけた。


「……キリル。一応何をするつもりか訊いておこうか」

「あ? 決まってんだろ。北の国の皆さんに、ちょいとしてもらうのさ――ッ!」


 そうユルギスに返すと、キリルは顔色一つ変えず剣を振りかぶり、勢いよく振り下ろした。鳴り響く牙突音、思わず目を背ける騎士たち、叫び声を上げる竜滅兵、震えだす他の捕虜たち。ただ一人キリルだけが、愉快そうにくつくつ笑って、床に刺さった剣を引っこ抜き、歯を鳴らして震える竜滅兵の髪を掴んで上向かせ、囁く。


「ククク、可哀そうになあ、お前らさあ。王子確保したらあの竜で全員お国に帰る手筈だったんだろ? 見事に置いてけぼりにされたな。それで戦意喪失したところに、存外手ごわかった二百年前の兵士に囲まれて、あっけなく降参ってところか? あたしに啖呵切ってたあの勢いはどうしたのさ」

「ヒッ……腕、うでッ……」

「馬鹿、よく見てからべそかけよな。斬ってねえよ。ほら、ちゃあんとくっついてるだろ?」


 キリルはぽんぽんと肩を叩いてやった。ただ石床に剣を振り下ろしただけであったのだが、少しのためらいもなく振り下ろされる様は、見ているだけでも恐怖心を抱くものだった。ハインリヒが顔色を変えてキリルの肩を掴む。


「キリル殿。拷問は国際法違反ですぞ!」

「そりゃあんたらの話だろ? あたしは関係ないね」

「関係ない訳が――!」

「あるある。言ってなかったっけ? あたしは盗賊で半分は竜だぜ。役割とか立場とか決まりとか、そんなもん、無頼の身にゃあ一つも枷にならねえのさ」


 だから、ここで何をしようが、自分は自由なのだ。そう言ってキリルはハインリヒの手を振り払って、鎧と鎧の間に刃を当てた。


「もうちょいと皮ァ切ってやりゃあ、喋りやすくなるか? ほれ」


 刃が、ほんの少し沈む。


「ぅあ、あああッァア!」

「そんな大声上げるこたァねえだろ、ちょっとチクッとしただけだぜ。そんで、お前らベルを攫ってどうするつもりだい?」

「ァアッ、しら、知らない……私はしら……しらな、ハァッ」

「こいつじゃダメか。んじゃあそこで冷や汗だらだらかいてるお前、どうだい?」


 キリルは顔色の違う一人を見逃さなかった。鎧を引っ掴んで引きずってくると、剣の腹でコンコンと腕の覆いを叩いた。


「ッ、んま、待て、何をする気だ……」

「こういうの面倒だけど、あたしは平等な女だ。タダで喋って貰おうなんて思ってねえさ。一応寸止めにしてやるが、力加減間違って腕ごといっちまったら、そん時ァまあ、お国から退職金貰って家族と過ごしな。片腕でも人間生きていけるものさ。――せーェのッ」

「わ、分かった、話すッ! 話すからッ!」


 勢いよく振り上げられた剣は、甲冑の継ぎ目に触れる寸前でピタリと止められた。凍りついたように静まり返る広間に、捕虜の悲鳴混じりの喘ぎ声が響く。


「ったく……おいおい、どいつもこいつも根性なしかい。あたしが騎士団にいた頃はもっと骨のある奴がゴロゴロしてたってのに。大国ともなると、やっぱ一人ひとり軟弱になっちまうのかね?」


 キリルは呆れたような息を吐きながら離れて、ぶらぶらと剣を振った。

 途端に広間の張り詰めた空気が緩んで、騎士団の安堵の溜息と、捕虜たちが恐怖から解放された震え声で満ちた。

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