第27話 おとぎ話のその先を

「――あの野郎、張り倒してえな」


 目覚めて開口一番、キリルはそう口にした。

 その後できょろきょろと辺りを見回して、「そういやここどこだ?」と問いかけた。エプロン姿のスヴェンが腰に手を当てて呆れた。


「二言目にやっとそれかよ……ここはおいらン家。賢者の魔法浴びすぎだ馬鹿。手当てするこっちの身にもなってみろ、お前の体くそ重たいんだから」

「魔法使えばいいだろ」

「お前は無駄に魔法効きにくいの! 魔法で持ち上げるのも一苦労なんだよ! まったく、背中はこんがり焼け焦げてるし、内臓がもう少しでちゃんぽん状態になるところだったし、あばらも何本かイってるしで、おいらがばあちゃんにどやされたんだからなっ!」

「ほー。そりゃご愁傷サマ」

「お前のせいだよっ! 後でお前もどやされろ!」


 スヴェンは今日も絶好調だ。元気に薬草をゴリゴリやって、器用に湿布や塗り薬を作っている。


「賑やかだね。目が覚めたのかい?」


 騒ぎを聞きつけてか、部屋の戸口から金髪がひょっこり覗いた。ベルだ。


「よう、ベル。あんたの方は怪我の調子はどうだい?」

「スヴェンの薬ですっかり良くなったよ。僕の受けたのはキリルよりもずっと弱い魔法だったからね」

「おいベル。お前は人間で、こいつはゴリラだってのを忘れちゃならねえぜ。お前は拷問受けたんだぞ? それなりに酷い怪我だったっつーの」


 キリルはゴリラではなく竜人である。

 スヴェンからの借り物のチュニックの下で、ベルの腕には包帯が巻かれていた。痛みはすっかり引いたようだが、痕が消えるまでにはもう少し時間がかかる見込みだ。頬の切り傷や手首足首の鉄枷の痕の方は、ほとんど見えなくなるまでになっていた。


 ベルとスヴェンは、目を覚ましたキリルに事の顛末を話した。

 キリルが魂を送るために眠ってやや経った頃、ランプレヒトの体が急に黒ずんで、それきり動かなくなったのだという。ユルギスの思念体は消えてしまったが、本体の様子を見に行った他の魔女によると、呪印が消えてすくすくと成長を始めたのだそうだ。これまで成長を封じられていた反動か、普通の人間よりも早く大きくなりそうだと言っていたとのことだ。


「ランプレヒトは“鉄の国”の皇帝の相談役をしていたそうでね。まつりごとの関係はほとんど彼が行っていたみたいで、彼が亡くなった途端大騒ぎになってさ、僕のことはどうでもよくなっちゃったみたい。だから混乱に乗じて、キリルの荷袋にアウレリア騎士団の皆を詰め込んで、リーゼロッテに国に戻してもらったんだ」

「『麗しの王子の頼みとあらば喜んで!』って一つ返事だったよな。面食いなんだよな、リゼ姉ちゃん」

「ふふ、面白い人だよね」


 ベルはリーゼロッテと面識があったらしい。自分を眠らせる〈紬車のまじない〉を作り上げた時だろう。


「じゃあ父ちゃんの呪いは……?」


 ベルにとってはもっぱらの懸念だったはずだ。キリルが恐るおそる上目遣いでベルの顔を窺うと、ベルは花々が咲きほころぶような笑みを見せた。


「解けたみたいだよ。母様も元気だ。二人とも、後でキリルにお礼がしたいって言っていたよ」


 薬師の道具を洗いに外へ出たスヴェンの代わりに、ベルはベッドの傍に椅子を引き寄せてきて座った。


「キリルに謝らなきゃならないなと思って。妹のことを黙っていて悪かったよ」

「まあ……何か隠してるなとは思ってたけどさ。だいいち、あたしだって夢の中でエリーに会って、魂を送ってやりながら、目が覚めたら忘れるようにしてたんだし」

「……僕ね、予定通り五百年眠ったら、その後は竜を探して旅をしようと思っていたんだよ」


 椅子に座るベルの姿勢は、しゃんと王子らしいものではない。脚を組んで背もたれに身を預けきって、ややだらしない、普通の青年の座り方だった。ベルはそのまま窓の外を眺めて言った。


「エリーとずっと話していたんだ。魂を導く竜なら〈茨の魔法〉に閉じ込められた自分たちを解放出来るはずだって。たとえそれでみんな消えてしまうとしても、この先何百年も何千年も留まっているよりずっといいって。だから、魔法を宿した僕が旅をして、僕ごと息吹ブレスで滅してもらおうと思っていた」

「エリー諸共あんたまで?」

「予言に従って死ぬのは僕だと思ったのに、エリーに守られて生き残ってしまった時、僕は決めたんだ。精一杯やれることをやった後で、エレオノラと命運を共にしようって。だって僕らは魂を分けた双子なのだから」


 ぼうっと外を見遣っていたベルの視線が、再びキリルに戻された。透き通るガラスのような綺麗な目を潤ませて微笑んだ。


「ありがとう、キリル。妹たちを救ってくれて」


 それは息が止まるほど美しい涙だった。綺麗な目玉から零れ落ちた大粒の涙は、宝石のように煌めきながら落ちて、リネンの上に染みを作った。暫しそれに見惚れた後で、キリルは照れくさそうにはにかんだ。


「まだ途中だろ。あんたの妹がまだ残ってる。つっても賢者送るのが思いのほか消耗したみてえで――」


 そこまで言ったところで、キリルは突然仰け反って悶絶した。


「うああああ! あンの野郎、次会ったらシメてやるッ!」

「次って、ユルギスのことかい? 一体何があったの」

「名前言うんじゃねえ、くっそ、ああぁあああ……そう、そうだ、あれはあたしの夢! つまりホンモノの体じゃない! だからノーカンだノーカン! よっしゃあたしの勝ち、ざまあみやがれスカシ野郎!」

「キ、キリル、一体どうしたんだい……? 落ち着きなよ。ほら、水飲む?」


 長い手足をじたばたさせながら叫ぶキリルに、ベルは椅子を少し引いて宥めようとした。コップ一杯の水を貰ってどうにか落ち着きを取り戻したキリルは、ふうと息をついた。


「まあ、あたしもしばらくは“夢”を作れなさそうだし、今のうちにエリーと別れを惜しんどくことだな。父ちゃん母ちゃんと話させてやってさ。あんたも、あたしに付きっ切りになってねえで、元気な姿見せてやりなよ」

「うん……」

「何だ、父ちゃんたちに会うのが気まずいか?」


 それもあるけれど、とベルは言い澱む。


「……何て言えばいいか……予想もしなかったから。本当に全部が丸く収まって、僕も両親も生きているなんて思いもしなかった。だから、正直……この先どうしたらいいのか、少し分からないんだ」


(この先……か)


 キリルは舌の根っこが苦くなった。この感覚には覚えがある。誰にも平等に訪れると思っていた老いが、自分にはなかなかやって来ないと気付いたあの日と同じ苦さだった。それは息のつまるような、終わりのない恐怖。いつまでこの苦みと付き合わねばならないのか、まったく分からないのが何よりも恐ろしかった。

 境遇は違えど、ベルも似たような思いをしているのだろう。“眠りの城”の美しい王子の話は、女盗賊のキスで目覚めただけでは終わらない。おとぎ話の結末の、更にその先を自分の足で歩いていかねばならない。突然二百年後の世界で生きることになった王子にとって、それはきっと茨の道なのだろう――キリルは少しの間物思いにふけった後で不意に明るい声を上げた。


「とりあえずよ、あたしはまずこの邪魔な包帯が早く外れてほしいもんだね」

「え? ……まあそうだね、君はじっとしていられるたちじゃないものね」

「まあ聞けって。そんで元気になったら肉をたらふく食うだろ。葡萄酒もつけたら最高だな。それからベルと王サマから褒美をもらって……あとは、ちぃとばかし気は重いけど、エリーの魂を送ってさ」


 指折り数えて、また考えるように天井を見上げて唸るキリルを、ベルは首を傾げながら見守っていた。彼女の意図をいまいち掴めないので、黙って聞いていることにしたのだ。


「それが終わったらまた暇ンなっちまうなあって思うんだが……こうなったらいっちょ親でも探してみるか? 竜は長生きなんだから、竜の方の親はどっかで生きてンだろ。ジークちゃんに会いに行くのもいい」

「ふうん……?」

「ああもう――だからよ、どうしたらいいって、こんな感じでいいんだよ! その時のノリと勢いとフィーリングで!」


 苛立つようにキリルの拳がマットレスを叩いた。ぽすん、と間抜けな音がした。


「いいかベル、あんまり生ぬるい生き方してると自分のどっかが死ぬんだぜ。人生、スパイスは多けりゃ多いほどやりがいがあるものさ。死にそうなピンチでシャキッと生を感じて、ピリッとするようなスリルを渡り歩いて、そうやって楽しいこととか面白いことを探してりゃあ、明日に食う飯も美味いってもんだ」

「……ああ!」


 束の間呆けていたベルは、キリルの意図が分かるや破顔して笑った。普段は目を細めた含み笑いなところを、珍しく大口を開けて高笑いを上げている。


「あっはっは! 君が盗賊になった理由が分かったよ。キリルは本当に典型的なダメ人間だねえ、死と隣り合わせじゃなきゃ生きられないなんてさ」

「おい王子、言葉に棘がびっしりだぜ」

「あはは! ……でもキリルはそうでなくっちゃ。生きるためにもがくのは、君らしくって格好いいよ」


 ベルは立ち上がって、戸口のところでキリルを振り返って微笑んだ。


「僕にとっての“楽しいこと”や“面白いこと”は、きっと君のことだろうね」






  * * *






 二か月後、傷もすっかり癒えたキリルはアウレリア城にいた。


 国賓を宿泊させる客室を貸し与えられたのだが、どうにもそわそわと落ち着かない。ベルと王様から二重に貰った褒美の金貨を数えるのにも飽きて、暇を持て余して中庭に出れば、ハインリヒが練兵に混ぜてくれるのだが、もっぱら指導をせがまれて、夕方になる頃にはへとへとになってしまう。キリルは自分が暴れまわるのは好きだが、教える時は何故か妙な律義さを発揮して、ついつい丁寧に教え込んでしまうたちだった。


「キリル殿はどこかの騎士の出だろうと踏んでおりましたが、いやはやまさか、かの有名な“花の国”とは! お強いわけだ」


 キリルはハインリヒと城の広間で夕食を共にしていた。現状アウレリア騎士団を統括する彼はよく通る声で、たちまち周囲の騎士たちや城仕えの者たちの間で「“花の国”って、あの……?」「キリル様はアマリリスの出身か、道理で」などと話が広まっていった。キリルが苦笑いして肩を落とす。


「ハインリヒも知ってんのかい。こりゃ参ったね」

「しかし、もう亡びてしまったのですな……二百年の間で世情は随分と変わったようです。我らも一国の騎士ではなくなってしまうのでしょう」


 城の広間で一緒に食事をするハインリヒは、しんみりとした目でゴブレットの中の

で揺れる葡萄酒を眺めた。こっくりと深い赤色をした液体が波打って、髭の濃いハインリヒの顔を歪ませる。


「現在この辺りを領する“ザイツ国”が、この地をクリスハルト陛下が自治区として治められるよう周辺国に働きかけてくださるそうです。民のいないアウレリアはもはや国ではない。しかし王族であったお方が突然平民に身を下されるのもやすからぬこと。この上ない寛大な配慮ではありますが、もし陛下が領主になられるとすれば、我ら騎士団は形式上、エルンスト共和国の兵士に帰属することになる……主に忠誠を誓う騎士の矜持は失われたも同然だ」

「ふうん」


 早々に料理を平らげてしまったキリルは、もう何杯目かの葡萄酒をぐいと呷って、ボトルからまたなみなみと注いだ。


「あたしはケンカが好きだから騎士団に入っただけで、正直忠誠とか何とかよく分かんねえンだけどさ。まあ、形はどうでもいいだろ、大事なのは中身さね」

「キリル殿……」

「少なくとも、兵士になったからって、あんたの堅物さが失われるってこたァなさそうだ。ヒヒヒッ」

「ああキリル、ここにいたんだ」


 石の床を踏みながら、金の髪に松明の光を躍らせて、ベルがやって来た。王子の装いはどこへやら、外の世界で身に着けていたような平民のチュニックにズボンという出で立ちである。

 ハインリヒの敬礼ににこりと笑って応え、ベルはキリルに言葉少なに言った。


「支度が整った」

「いいんだな」

「うん」


 迷いのない様子を見て、キリルは葡萄酒をまたぐいっとやって杯を置いた。


「分かった。案内してくれ」

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