第17話 女武人キリル

 ハインリヒはキリルに訓練用の剣を用意しようとしたが、キリルは断った。曰く、「力加減難しくて間違って首跳ねちまったことがあって」とのことだ。以来己に刃物の類を禁じているのだそうで、それを後ろの方で聞いていた年若い騎士たちは顔を青ざめさせた。

 準備運動を終えたキリルはちょいちょいと手招きした。


「まどろっこしいから一斉にかかって来いよ。剣使っていいからさ」

「しかし……不公平だろう」

「おお、見上げた騎士道精神だ。けどな、悪漢はジェントルなあんたらに優しくねえもんだぜ――うらァッ!」


 雄叫びを上げてキリルが地面を蹴り、一人に飛びかかって地面に押し倒した。倒れた騎士は何が起きたか理解できないようで、突然目の前に広がった青空を不思議そうに見つめている。キリルはそのまま地面を転がったかと思うと、両脚を上へ蹴り上げて同時に二人に食らわせた。


「いっぺん地面に倒れた奴は場外な。ズルして戻ってくんなよー」

「何だあの身のこなしは……!」


 一瞬で三人倒され、王子の護衛が威勢だけでないと知った騎士たちに、ぶるりと戦慄が走り気迫が漲った。この瞬間から手合わせは“訓練”から“実戦”に切り替わったのだ。

 一人が指揮役に回り、瞬時に班が形成された。十数人犠牲にしながらも一班がキリルの手足を取り押さえ、別の班はキリルが振り払った際に備えている。身動きの取れないキリルに、一人が剣を振り上げた。


「安心しろ、訓練用で刃びきしてあるッ」

「ご心配どうも。食らわねえから平気だよ……ッ!」


 ふんっとキリルが力を籠めて大きく体を捩り、拘束を振り切った。そして剣を振りかざす騎士に向かって、右腕を締め上げていた三人をポイポイっと放り投げ、拘束を解かれて体勢を崩した騎士たちも外輪に投げてしまった。


「いやー、今のは危なかったよ! あんたらすげえな、いいチームワークだ。さあ、楽しくなってきたぞ、続きをやろうぜ!」

「……なるほど。これは強い」


 離れたところでベンチに座って見守るハインリヒは、キリルの暴れっぷりを見て唸った。隣に座るベルは嬉しそうに笑って、すぐに笑みを引っ込めた。


「ねえ、ハインリヒ。……君には奥方がいたはずだ」


 ほんの僅かに髭が動いて、視線がベルに向けられる。が、すぐさまキリルたちに戻された。


「その話、城の全員にされるおつもりですかな。……良いのです。中には口さがなく貴方への恨み節を申した者もおりましたが、皆本当は分かっているのです。殿下は最小限の犠牲に留める道を選んだのだと」

「……けれど、現実はとても辛いだろう?」

「貴方も共にお辛いのです。王族だから、決断を下したからと、すべてをその身に背負われる必要はない。そのための家臣、仕え、騎士なのですから。我々は同じ痛みを味わっている……それで話はお終いにしようじゃありませんか」


 ハインリヒは優しく目を伏せてそう言った。ベルは唇をキュッと結んでいたが、堪えられなかったのか、両手で顔を覆った。しばらくそうして、会話無く騎士たちとキリルの一方的な手合わせを見守っていたが、唐突に明るい声をハインリヒが出した。


「さて殿下、私めをよくご存知のあなたに少々意地悪な問いかけをいたしましょう。キリル殿とこのハインリヒ、戦えばどちらが勝ちますかな?」


 顔を上げたベルは束の間驚いたような顔を見せたが、キリルの杖を弄りながら少し考えて、ハインリヒを見上げた。その目には悪戯っぽい少年のような色が浮かんでいる。


「君はとてもいい戦いをすると思うよ」

「……ほう。殿下はキリル殿が勝つと?」

「最終的にはね。何しろ彼女は、僕が知る限りで一番自由な人だから」

「自由……」


 少なくなってしまった残り人数全員で一斉に飛びかかられたのを、すべて跳ね返し投げ飛ばしたキリルを眺めて、ハインリヒの口元が上がった。


「たしかに、何者にも囚われず、のびのびとした戦い方だ。我々にはないものでしょう」


 その日の夜、城中はある話題でもちきりになった。

 ――「“鉄のハインリヒ”が、王子の護衛に打ち負かされた」と。







「それで、騎士たちの様子は?」


 兎姿のスヴェンは、肉球を押し付けてキリルの太腿の傷の具合を確かめながら尋ねた。キリルはベルと顔を見合わせて頷いた。


「今日中庭で訓練してた奴らは全員。大体五十人ってところだ」

「半数くらいが目を覚ましたような顔をしていたよ。何だか頭がスッキリしたって。みんなはキリルに投げ飛ばされていい刺激を受けたんだろうって思っていたけれどね、あはは」

「お気楽な奴らだぜ……けどこの手が有効だってのは示せたな」


 キリルの城での役割は、ベルの身を守ることの他に、城にいる人間に出来る限り接触することだった。

 王にかかった〈操り人形の呪い〉は、魔女たちの調べでは“王が命令を下した人間”に伝播してしまうというものだが、王城という場においてはほぼ全員がその条件を満たしかねないため、呪いに伝染した者の特定は不可能といえる。

 だがベルには竜人キリルという強力な切り札がある。王子の護衛役をこなしつつ、城の人間に手当たり次第触れて回り、魔法や呪術を無効化する竜の力で呪いを解こうという作戦だ。


「警衛騎士長のハインリヒには上手く言って、城にいる近衛騎士や前衛騎士も、キリルに一度訓練をつけてもらうようにしたよ。これで騎士のほとんど全員がキリルと接触できるだろうね」

「近衛……? ハインリヒがトップじゃねえのか」

「騎士団は大きく三つの分野に分かれていてね。ハインリヒが率いる警衛部は主に城内の警備が仕事。王族の身辺警護担当の近衛部と、戦地や治安維持の前線に遣わされる前衛部の二つは、本来ハインリヒの管轄外なのだけど……近衛騎士長、前衛騎士長、それに騎士団を総括する団長も副団長も、二百年前当時は城の外へ出かけていてね。城の残留騎士を動かす全権は、王である父を除いて彼にあるようだ」


 ふうんと相槌を打つキリルに、スヴェンがからかうように言った。


「珍しいな、ゴリラがちゃんと人の話聞いてる」

「そりゃあ自分の仕事はきっちりやるさ。もしかしたら騎士団丸ごと相手にするかもしれねえんだぜ」


 脚の診察が終わったので寝間着のズボンの裾を下ろし、ベッドの上であぐらをかいて宙を睨む。元々鋭い目つきが更に険を帯びる。


「今日やり合った奴ら、鍛錬はまるで足りてねえけど、あの統率力は厄介だな……ベルを連れ出した時に襲撃に来た奴らはもう少し出来そうだったし、あのハインリヒって奴ァ、正直かなり手こずった。腕っぷしが強いばかりじゃねえ、下っ端にもちゃあんと慕われてる。ああいう手合いは面倒だ」

「そういやお前、昔騎士やってたんだっけ」

「大昔の話さ。いざ自分が襲う側になってみるといろいろと気付くもんだ。今んとこサシでやればあたしが勝つけど、あたしが負ける未来があるとすりゃ、ハインリヒが部下を鼓舞しまくって、数の利を存分に活かしてがっつりチームワークを発揮された時だ」

「なら敵対するのは全力で避けないと。僕たちは数の上では圧倒的に不利だ」


 ベルが寝室のソファーからそう締め括った。二百年前の様式の城で、王子の衣服を纏うベルは、まるでおとぎ話から出てきたかのように現実離れした美しさを放っている。

 床に就く間際だというのにその輝きをいかんなく発揮するベルに、感嘆を通り越して呆れすら感じながら、野兎スヴェンは少し開いた窓の枠にぴょいと飛び乗った。


「それじゃあ、おいらは引き続き城を探索してくるよ。何かあったら呼べ」

「ユルギスを見つけたらよろしく言っておくれ」


 ひげをピクピクさせて空気の匂いを嗅いだ後で、灰色の野兎は外へ飛び出して行ってしまった。窓をそっと閉じ、蝋燭にキャップを被せて火を消すと、ベルもベッドに潜り込んだ。


「おやすみキリル。良い夢を」

「あたしは夢なんか見ねえよ。片っぽ目ェ開けたまんま寝るし」

「あはは、挨拶じゃないか。……僕は目覚めてから夢を見なくなったな。前は小さい頃の夢を何度も見ていたのに」


 明かりの落とされた部屋を、白い光が明るく照らして、幻想的に浮かび上がらせる。


「父様も母様も笑っていて……飼っていた犬と追いかけっこして遊ぶんだ、中庭で。楽しい毎日だった」

「ふうん」


 “父上、母上”と畏まった呼び方ではなく、ベルは“父様、母様”と呼んだ。育ちのいい呼び方に変わりはないが、より親しみのこもった響きに感じる。キリルはそこには触れずただ相槌を返して、尋ねた。


「犬の名前は?」

「グスタフ。賢い犬だったよ……エリーもとても……かわいがって……」

「エリー? 誰だ、それ」

「……ぼくの……」


 ベルの声はだんだん眠気に蕩けていたが、キリルにきちんと答える前に寝息が上がった。やれやれと溜息をついたキリルも、片目に月光を映したまま、半分だけの眠りに落ちていったのだった。






  * * *






「きゃあっ! ……まあ、キリル、ごめんなさい。本がぶつかってしまったわ」


 曲がり角でキリルは本を抱える女性とぶつかった。どさどさと重そうに本が床へ落ちるのを、キリルは屈んで拾い集めた。


「あたしは平気さ。あんたはどこも痛めてねえかい?」

「え、ええ、大丈夫ですわ……!」


 本を拾う二人の手が触れ、女性は小さく「きゃっ」と悲鳴を上げた。


「ま、まあ私ったら……! ごめんなさい、ぶつかったのにお手伝いいただいて」

「いいってことよ。ほら、ちゃんと立てるか?」

「……ふぁ……ああっまた手を……!」


 立ち上がる女性に手を貸すキリル。しかし折角立ち上がったのに、女性は本を抱えたままへなりと壁に寄りかかってしまった。更に、傍に駆け寄って来た別の女性の手をキリルが取って握りながら一言、


「悪ィな、あたしがぶつかっちまって怪我したかもしれねえんだ。けどあたしはこれから王子と用があるんで、あたしの代わりに医務室に連れてってやってくれ」

「キッ、キリル様……! 手っ手を握っ……!」

「あんがと。んじゃ、足元にゃ気ィつけろよ」


 キリルはいつも通りやや荒っぽい調子でニッと笑いかけただけなのだが、彼女たちの脳内は「背の高い女武人が微笑みかけて、目配せまでされてしまった」と変換されている。

 ベルは廊下を少し行ったところで、唇をギュッと噛みしめて笑いを堪えていた。


「くっ……君、人たらしっぷりが過ぎるよ……っ、ぷふっ」

「殿下ー。こいつァあたしの仕事でさあ」

「ふはっ……あは、でもよかったよ。無茶な話だと思っていたんだ、城にいる全員に触れて回るなんて。でももうかなりの人に触れたんじゃない?」


 ここ数日、“ベルフォート王子が連れて来た二百年後の世界の用心棒”という立場を存分に行使し、キリルはベルと一緒に城中を歩き回っていた。こっそりベルが魔法をかけて足元をもつれさせたり、転ばせたりして、それを通りがかったキリルが手助けする、そんな手段だ。

 おかげで城内では「最近足元が疎かな者が多いので気を付けるように」とお触れが出された。それから召使いたちや文官の間で少々荒っぽい女武人の存在が人気になった。彼ら彼女ら曰く、


「絶世の美男子であらせられる殿下のお隣に、背が高く凛々しい女武人ですって。嗚呼、私、このお城と共に時を超えてよかった」

「女人に手を貸されるなんて……と思う隙もなかった。ちくしょう、俺の心はめちゃくちゃだ、殿下のお傍にいる方でなければすぐ声をかけに行くのに!」


 ……などと、男女問わずキリルを慕う声が日々高まっている。

 彼らはあくまで二百年前の人間、価値観もその時代で停止している。更に城仕えという立場にあるので、荒くれ者と初めて接したという者も少なくない。そんな彼らにキリルという人物は刺激が強すぎたらしく、いろんな意味で新しい風をアウレリアに吹き込んでしまったようだ。


 ――そしていよいよ、その新しい風を本命に吹かせる時が近付いている。


「明日の昼だな。お前の父ちゃん母ちゃんに会うの」

「うん。楽しみだよ」


 ベルは美しい顔が殊更に明るいが、反対ににキリルは複雑そうな表情だ。


「楽しみでいいのか? なあベル、城から逃げ出した日だって襲われかけてたろ。あの時の奴らにもまだ会えてねえし、いくら呪いで操られてるって言ったって、自分の命狙われてんだぞ」

「心配してくれているの?」

「そりゃな。明日謁見の場でひと暴れすることになるかもしれねえんだしよ」

「ふふ。君の独特な心配の仕方が僕は好きだよ」


 くすくす笑って、ベルは廊下の窓の傍へ近寄った。かつて城壁の向こうでは、山の裾野にまで町が広がっていた。キリルの住んでいた南東の貧民街も元はアウレリア国の領土で豊かな町だったのだ。それが今や、城の周辺は鬱蒼とした森が広がるのみ。


「……呪いにかかった今でも、父上は僕を愛してくれていると分かっている。自我が残っているうちに王位継承も済ませて、国に影響を出さないようにしようとも話してくれた。王になるには若すぎるって反対する家臣も多くて、なかなか上手くはいかなかったのだけどね」

「それで何も出来ねえうちに追い込まれる羽目になったのか」

「うん。……この二日、王に近しい臣下の者には一人も会えなかったね。彼らにもいろいろと思惑があるだろうから、皆が呪いのせいだとは一概に言えない部分もあるけれど、中には呪いの影響を随分受けてしまった者もいるはずだ。早く解いてあげたい」


(大臣たちの呪いを解いて、父ちゃんの呪いも解けたとして……その後は?)


 キリルは訊けなかった。アウレリアは今や城を残すだけの亡国、ベルフォートは“王子”という肩書すら危ういのだ。〈茨の魔法〉保持者として、悪意のある者の手に渡らぬようただ生きていくのか、それとも“茨の国アウレリア”を復興させるのか。「〈茨の魔法〉を」とは一体どういう意味なのか……その意図をキリルははかれずにいる。

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