第16話 アウレリア城にて
城の玄関で出迎えてくれたのは、年老いて尚背筋をしゃんと伸ばした執事長だった。城に帰還した王子を完璧な礼で迎える。
「お帰りなさいませ、ベルフォート殿下。このヘンリック、御身のご帰還をお待ち申し上げておりました」
「顔を上げて、ヘンリック。混乱する状況だったのに、勝手に出て行ってすまないことをしたね。父上と母上は息災かな? 城の皆も元気かい?」
「……本当に、殿下はお優しいお方だ」
ヘンリックは老いて色素の薄くなった目にうっすら涙を浮かべて微笑んだ。白くなった頭髪も、口と顎に垂らしている白い髭も、きちんと手入れが行き届いていて、着ている背広も皺ひとつない。じいやみたいな人だろうかとキリルは思いつつ、自分が揺すってもびくともしなかった人間が生きて動いているのに、不思議な感覚になった。
ヘンリック翁の視線が、王子の背後の人物に移った。
「して、お隣のお方は?」
「彼女は僕の護衛だよ。旅道中僕の身を守ってくれた。腕もよく立つんだ」
「キリルだ。よろしく」
“彼女”という言葉にほんの一瞬だけ灰色の目に動揺が走ったが、すぐにそれも押し隠された。出来る奴だ、とキリルは思った。
「では、キリル殿の客間を用意させましょう」
「それには及ばない。キリルは僕の部屋で寝泊まりしてもらうから」
「……殿下、貴方は王族ですぞ。年頃の女性と同室というのはいかがなものかと」
「承知している。けど、彼女とは城内でも護衛するよう契約を結んでいる。……君なら事情を分かってくれるだろう?」
暫しの間、王子ベルフォートと家臣ヘンリックの間で、意味ありげな視線が交わされた。やがてヘンリックは納得したように頷いた。
「ではそのように。殿下のお部屋は支度が済んでおります、こちらへ」
「無理を言って済まないね。ところで、近いうちに父上たちにお会いしたいのだけど、取次も頼めるかい?」
ヘンリックに案内されて階段を昇りながら、ベルが尋ねる。
「無論でございます。しかし少々お時間はいただくかと。ようやく城内の混乱も落ち着いて参りましたので、近頃は臣下の者たちと諸々審議なさっておいでなのです」
「うん。……なるべく早く会いたいな。たくさん話したいことがあるんだ」
綺麗な目が細められる一方で、切れ長の目はさり気なく周囲の様子を探っていた。石造りの城内に武装兵は見当たらない。要所要所に警備兵が立つほかは、書簡を抱えた文官と思しき者たちや、城仕えの女性が行き来するのみだが、その数も少ない。彼らはヘンリックが案内している人物に気が付くと、一様に歓声を上げて、口々に「お帰りなさいませ、殿下!」と声をかけた。
「慕われてんじゃねえか」
「ありがたいことだよ」
「当然です。殿下の人徳ですよ」
本人は謙遜したが、ヘンリックは誇らしげに胸を張っている。二人の間に信頼が窺えて、キリルは内心安堵した。はじめにベルが「城では微妙な立場だ」と言っていたので、冷たい反応を浴びやしないかとヒヤヒヤしていたのだ。
やがて城の東棟の奥へ辿り着き、その上階のある部屋に通された。窓を背にして執務机が置かれ、応接用のテーブルと長椅子も設置されていて、寝室は更に奥にあるようだ。そのどこにも埃一つ見られない。
「長旅でお疲れでしょう。ご不便がありましたら何なりとお申し付けください。後ほどキリル殿のベッドも運ばせます」
「ああ、頼むよ」
「別にベッド要らねえけど……」
これに反応したのは、何とベルだった。大真面目な顔でベルは言った。
「キリル。さすがに僕、君とおかしな仲だって思われたくないし、一緒に寝るのも嫌だからね。君の寝相最悪じゃないか」
「ハッキリ言うようになったじゃねえか」
「だって痛かったんだよ? 君の馬鹿力で向こう脛蹴っ飛ばされて、あの日は眠れなかったんだから」
「……ふっ」
小さく笑いを堪えるような声に振り向くと、ヘンリックが白手袋を着けた手で口元を押さえていた。
そうして、優しい笑みをベルに向けた。
「良いご友人が出来たのですね。
それは心の底から安堵したような、そしてどこか切なさも含んだ、優しい顔だった。
ヘンリックが部屋を辞し、更にキリルのベッドが奥の寝室へ運ばれた後で、キリルはどっと全身の力を抜いてソファーに倒れ込んだ。
「疲れた……黙ってんのめちゃくちゃ疲れた……」
「お疲れ様。そろそろあの二人も出してあげたら?」
面倒くさそうにしながらも、起き上がって胸の留め具を外し、荷袋の口を解いた。すると、灰色の野兎と、茶色い梟が、袋の外に飛び出した。
「やいゴリラ、荷物ン中きったねえぞ! 何でもホイホイ放り込みやがって」
「し、知らねえよ、あたしの勝手だろ!」
早速スヴェンが捲し立て、キリルの目が泳ぐ。泳いだついでに梟を見て眉を寄せた。
「ユルギスは何やってんだ?」
「小型になった方が魔力消費も少ないのでな。必要あれば人間の姿に変えるが?」
「い、いや、是非そのままでいてくれ。あたしの鼻腔を守るためにもな」
一行は応接用のソファーに集合した。王子の服に着替えたベル、さっぱりとしたシャツとベスト姿のキリル、それに野兎に茶梟と、奇妙な組み合わせの話し合いが始まる。
「ひとまず第一段階“城への潜入”はクリアだ。いよいよ本命の“王様の解呪”に向けて動かなきゃならない」
兎は鼻をひくひくいわせて言った。
「おいらとユルギスは城の中をあちこち調べてみるよ。二人とも変化魔法が使えるし、姿も消せる。……お前も消せたよな?」
「ああ。他人の姿にも変えられる。城の人間に成りすまして探りを入れてみようと思う」
茶梟が瞬きしてくるりと首を回転させる。声を聞かなければ本物の梟のような仕草で、スヴェンは感心と同時に「賢者の魔法をこんな風に使っていいものか」と不安にも思った。
「まあおいらたちはそれぞれ動くとしてだ。ベルとキリルは王様と謁見が最大目標になるけど、さっきのヘンリックじいさんの話だと、それまで少し時間がある。その間は、この前の打ち合わせ通りに行動してくれ」
頭の後ろに両手をやって、両足をテーブルに載せるキリルは、窓の外へ目を向けた。
「今んとこ城内に部外者がいるようには見えねえ。けど油断はするなよ。息を吹き返したって言っても、ここは二百年前の世界だ」
「そうだな。偶然にも、竜も賢者も魔女も揃っていながら、ここには二百年を生きた者はいない……気を引き締めよう」
四人は目を合わせて、一斉に頷いた。
「それじゃあ――作戦開始」
王子の一声で、四人はそれぞれ動き始めたのだった。
* * *
明くる朝、ベルはキリルを散歩に誘った。部屋でじっとしているのが苦手なキリルは快く頷いた。
屋外へ出るまでに、ベルの部屋からはいろんなところを通らねばならない。ベルは城内のあちこちをキリルに案内してくれたが、茨に覆われた城をあちこち歩き回っていたキリルにはどこも見覚えのある景色だ。
「王子ってどんな仕事してんだ?」
「ほとんど勉強。それから、父の政務の手伝いも少し。町の整備状況を確認したり、来年の作物収穫予想を立てて、今年の収穫の分配を練ったり」
「聞いてるだけでめんどくせえ。よくやるぜ」
思わず顔をしかめたキリルに可笑しそうに笑って、ベルは続ける。
「でも王城を残して国が無くなってしまったからね。会議で何か方針でも決まらない限り、僕の王子としての仕事もしばらく無いだろう。本来ならその会議に僕も参加するべきだけれど……君と旅に出なかったとしても、会議には出なかったろうね」
「……“立場が微妙”なのは、お偉いさん方との間の話か」
「そうとも言えるし、違うとも言える。難しいんだ。みんな君みたいに、思っていることを全部口にしてくれればいいのにね」
外へ出ると、ひんやりとした空気が出迎えた。秋が肌を撫でてくる感覚に、ベルはくしゃみをした。
「ほらよ、これでも巻いとけ」
「かっこいいね、君」
荷袋から比較的綺麗な襟巻を選んで出してやると、冗談めかしてベルが言う。
「ここの冬は寒いのか?」
「雪が積もるくらいには。でも二百年経った今はどうだろうね、君の方が詳しいんじゃないのかい?」
「下町の冬は寒かったな。下手すりゃ路地の死体が増える――なあ、あれは騎士団の訓練か?」
キリルが話を切り上げて、向こうの方を指さした。広い庭を挟んで宿舎や倉庫、それに騎士団の司令部棟が建っており、庭に併設された運動場で騎士たちが剣の打ち合いをしているようだ。
ベルがキリルを振り返る。透き通ったブルーの目には、何か企むような色が浮かんでいる。
「ちょうどいいんじゃない? 行ってみる?」
「そうだな。試してみるにゃあちょうどいい」
黒い目に同じ色を浮かべて、キリルも頷き返した。
騎士たちに二人が近寄って行くと、上官らしき男が気付いて、ベルに礼をした。
「殿下。ご帰還されたと伺いました」
「ハインリヒ。騎士たちは変わりない?」
「ええ。皆この通り、息災ですよ」
そう言って男は濃い髭の口元を僅かに上げた。厳めしい顔つきで、それに体躯もがっしりとしている。
ハインリヒはキリルにも礼をした。
「殿下の外遊中、護衛をしてくださったそうですな。アウレリア国の警衛騎士長として礼を申し上げます」
「畏まらないでいいよ。あたしは堅ッ苦しいのが嫌いなんだ。で」
キリルの悪人面が、それはもう楽しそうに、ニイッと歪んだ。
「あんた強そうだな。国一番の腕利きってところかい?」
「……それを知ってどうするおつもりですかな」
「ちょうど体を動かしてえ気分なんだ。あたしとどっちが強いか勝負しようぜ」
警衛長ハインリヒは大層困った。たしかに彼は国で一番強いとあだ名される程に強く、本人にもある程度の自負があったので、仮にも王子の護衛に怪我を負わせるわけにはいかないのだ。困り果てた彼はどう断るべきか考えあぐねた末、美しい王子を見た。
王子は頷いた。陽の光を浴びて、金細工のような髪がキラキラと光った。
「構わないよ、ハインリヒ。キリルと手合わせしてやってくれ」
「は……ええっ!?」
ハインリヒは目を丸くした。王子は断ると思ったのだ。
だが他でもない王子からそう言われてしまえば、逆に断る道が絶えてしまった。溜息をどうにか堪え、ハインリヒは礼をして応えた。
「……仰せのままに、殿下。しかしやはり心配ですので、先にあすこで訓練中の若手騎士たちに手合わせさせてもよろしいですかな? なに、彼らにとっても良い経験にもなりましょう」
「いいかい、キリル?」
「やり合える奴が増えてあたしは嬉しいけどねえ。ヒヒヒ、泣かせちまったら悪いな」
そう不敵に笑うキリルは、ベルに杖、外套、荷袋を預けて身軽になると、軽く準備運動を始めた。少し離れた場所で見守ることにしたベルは、ベンチに座ると、襟巻に埋めた口元を引き結んだ。
(どうか上手くいきますように)
吐いた息が襟巻の中でこもって温かい空気に変わり、冷気に触れて白い靄へと形を変える。その向こうで伸びをするキリルを見つめながら、ベルは何にとも知れず祈った。
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