第12話 キリル、全快

 “鉄の国”ことアイゼンブルク帝国は、世界でも随一と言われる軍事・工業国である。魔法に依らない武器や動力の開発をはじめ、近年では馬の要らない乗り物まで開発が進んでおり、国力は増幅の一方を見せるばかりだ。

 国中あちこちで製鉄の煙が上がっていること、またいつになっても衰えない軍事力、そして血も涙もない政治体制を暗喩してか、いつしか“鉄の国”とも呼ばれるようになった。


 要塞のような宮殿に、厳めしい装備に身を包んだ一団が訪れていた。竜滅部隊の一個小隊である。一連の報告を終えた小隊長がその場を辞するのを、上官は片手を上げて止めた。


「竜が擁していた青年……魔法で茨を現していたと言ったか?」

「はい。……それが何か?」

「いや、事実か確かめたかっただけだ。偵察任務ご苦労であった。下がって良いぞ」


 竜滅部隊が去り、その靴音が遠ざかるのを待って、彼は部屋を飛び出した。国の上層部の中でもごく一握りの者にのみ伝えられる話があった。この二百年の間に、それはもはやにまで貶められていたが、ついに、自分の代でこの時が来たのだ。

 彼は通信室へと飛び込み、皇帝の相談役へ取り次ぐよう秘書に頼んだ。その時の彼の高揚っぷりは、日頃の冷徹さからは目を瞠るものがあったと、のちに通信室の担当者たちから陰で囁かれることになる。


「急ぎ相談役殿にお取次ぎを。使と!」






  * * *






 魔女たちの監視の元、キリルは三日間の絶対安静を守った。四日目、ベルとスヴェンの手を借りつつ立ち上がると、元のように立って歩くことが出来るまでに回復していた。そのまま二人に付き添われて庭に出、傷の治り具合を確かめることにしたのだが、ほぼ下着同然の姿なのに平気なのだろうかと内心ベルは思った。


「あん? どうしたベル」

「その恰好で寒くないのかなって」

「全然。傷の調子見るならこの方がいいだろ」


 ベルの心配している趣旨は伝わらなかったらしい。本人が平気ならと、ベルもそれ以上追及しなかった。スヴェンの方は服装よりも傷の方を気にしていて、介助無しで歩かせて様子を確かめて、満足そうに頷いた。


「よしよし、脚は元通りくっついたな。腹も塞がったし、顔なんか見てみろ、元より綺麗ンなったぜ」

「はァ~? 元からあたしは美肌ですけどぉ~?」

「よく言うぜ、ちっともスキンケアしてねえ肌しやがってさ。おいらの方がずっともっちもちのすべっすべだろうが!」


 キリルは今日も元気にスヴェンと賑やかなやり取りを交わし、それをベルが眺めて楽しそうに笑う。

 その笑顔も、キリルの太腿を見て翳った。


「……でも、痕は残ってしまったね」


 無事にくっついたものの、竜の死骸から作られた槍はかなり深くまで刺さったらしく、皮膚には爛れたような痕が残ってしまった。しかしキリルはカラッとしたもので、しょげたようなベルの表情を笑い飛ばした。


「こいつァあたしがヘマして負った怪我だぜ? あんたが残念そうにする謂れはないね」

「……キリルが気にしないのなら、良かったよ」

「くっついたのはいいけどさ、元通り動けるかは別問題だ。ひとまず歩行には問題なさそうだけど……おいゴリラ女、いっぺんそこでジャンプしてみろ」


 スヴェンの指示に、キリルは怪我をした片足でぴょんとひとっとびした。常人の脚力では到底届かない高さだ。

 ベルとスヴェンが見守る中、キリルは跳んだり跳ねたり、宙返りをしたりと、実に快活な動きを見せた。空中で二回転して見せた時には、二人から賞賛の拍手が上がった。


「凄いや、キリル。宙で二回り出来る人は初めて見たよ」

「それだけ元気なら大丈夫そうだな。変な感じはないだろうな?」


 スヴェンは薬師目線の問いかけが続く。キリルも患者としての目線で彼に言葉を返す。


「うーん、皮が突っ張る感じはあるけど、そのうち慣れるだろ。お前の薬、マジで効いたな」

竜瘡りゅうそう専用の傷薬だからな。効かない方がおかしい」


 キリルはしばらくぐいぐいと体のストレッチをしていたが、ふと真面目な顔になって、芝生の上に胡坐をかいて座った。


「ベル。あたしたちは“魔女の元へ辿り着くまで”がひとまずの契約だったよな。場合によってはあんたが王になる手伝いをするってところまでは話してた。けど、あん時から状況が随分変わっちまった」


 キリルは息を吐きながら長い前髪を掻き上げた。回復したとは言え、三日も動かずにいたため、まだ体が重たいのだ。


「正直言って、初めはこんなに拗れた話になるとは思ってなかったが、ここで『面倒だからここで手ェ引きます』なんて不義理は働くつもりはねえよ。あの竜滅部隊とかいういかれポンチ軍団を相手取った以上、あたしも一蓮托生の身になっちまったしな。だから今一度、ここでの意思を聞いておきてえんだ」


 キリルとスヴェンが見守る中、ベルは立ち上がって、薬草や花々の植えられた花壇の間を歩いて行った。その向こうには、キリルとベルが通って来た小さな池があって、森を映し込んで碧い水を湛えている。ベルは少しの間水面を眺めて、何度か言葉を発しようと口を開いたり閉じたりした後で、ふうっと憂いを含む溜息をついた。


「こんな事態になってもまだ、僕は父の呪いが解けないか考えているんだ。帝国の手の者がかけた〈操り人形の呪い〉はね、誰がかけたかも分からないし、術式の全容も明らかになっていないから、解呪の手段が魔女にも分からないんだ。そうだよね、スヴェン?」

「悔しいが、まったくその通りだ」

「僕の望みは、父の呪いを解くこと。それから〈茨の魔法〉をこと。この二つだよ」


 澄み切った声で放たれたその言葉に、キリルは思わず固まった。

 ベルはいつも物腰柔らかで、時折言葉に棘を滲ませることはあっても、強い言葉を用いることは決してしない男だ。そんな彼から「殺す」などという言葉を聞くとは、まったく予想だにしていなかったのだ。

 一方でスヴェンは沈痛な面持ちで短く問いかけた。


「いいのか、それで」

「うん。彼女とも話し合って決めたことだ。みんなそれを望んでいるって」

「……本人たちの意思ならいい。元々魔女はそのつもりだったし、協力するよ」

「ありがとう」


 ベルは微笑んだが、キリルは更に戸惑いを深めるばかりだ。


「おい、何の話だ? 魔法を殺すってどういう……彼女って……?」

「その話は追々な。ゴリラ女の怪我もひと段落ついたことだし、事を急がなきゃならなくなった。行動計画練るぞ、来い、二人とも」


 一方的にスヴェンが話を切り上げて家の中へ入ってしまったので、困惑の中一人残されたキリルは舌を打った。


「あんにゃろう、人を置いてけぼりにしやがって!」

「ごめんキリル。いずれちゃんと話すから」

「当たり前だ、説明責任放棄すんなよ!」


 ベルに手を引っ張ってもらいながら立ち上がって、キリルはそう言い捨てた。一方で、以前から抱えていた疑念が確かなものになったとも感じていた。


(……まあ、隠し事してるって分かっただけ、まだいいか)


 基本的に楽天家のキリルはひとまず自分の中でそう折り合いをつけ、二人について家の中へと戻って行った。






 ベルフォート王子の父・クリストハルト王の呪いは、魔女二人の話を聞けば聞くほど、厄介なものだということが分かった。

 王に呪いがかかっていることに気付いた魔女は、早速分析を行ったものの、得られた解析結果は僅かなものであった。北方呪術を基本に様々な解釈を付け加えた独自の術式であろうということ、ある条件の下で他人に呪いが伝染すること、そして当時の段階で解呪法が存在しないこと……つまりは状況が絶望的だとしか分からなかったのだ。


「あれから二百年経ったからといって、根本的な問題解決の術が成立したわけじゃないんだ、茨の坊や。気の毒だが、正直なところ、私ゃ親父さんのことは諦めるのがいいと思うけどねえ」

「だからさ、ばあちゃん。ここは魔女ン中で一番フレッシュな頭脳を持つおいらに任せるのがいいと思うんだよ」


 灰色の髪の少年スヴェンは妙に前のめりだ。


「そろそろおいらだって、魔女としても薬師としても一人前だろ? “6”や“7”の姉ちゃんたちも賛成してくれるさ。他にいい案がないならまずはやってみないと」

「別に私ゃ反対してるわけじゃないよ。その向こう見ずさが仇になりやしないかって危惧してんだ。あんたたちもそう思うだろう、アンネマリーにリーゼロッテ?」


 魔女ヘレナが戸棚の水晶玉に呼び掛けると、中で何か文字が渦巻いた。キリルとベルには読むことが出来なかったが、スヴェンが苦い顔をしたところを見ると、彼にとってはあまり良い反応ではなかったらしい。


「アンネなんとかとリーゼなんちゃらって?」

「それぞれ“5”と”11”の魔女さ。まあ、どうしてもと言うんなら、その突っ走り性を抑えてくれそうな誰かがいれば、許しを出してもいいけれどね」


 ヘレナは薄紫の目をベルに向けて、くつくつとまったく魔女らしく笑った。


「茨の坊やじゃあ役不足だろうね。一緒になって面白がる性質タチのようだから」

「ぎゃはは、本性バレてやんの。じゃあここは最年長のあたしが――」

「おや、あんたはスヴェンと相乗効果で加速するクチだろうが、竜人のお嬢さん」

「おじょッ……!?」


 唐突な「お嬢さん」扱いにキリルが目を白黒させている間に、老女は薄紫の目を細めて、皺だらけの指を組んだ。


「私が提案できるのは一人。うちの駆け出し魔女とそれなりの交流を築いていて、そこのお転婆な竜人の手綱も握れそうな男だ。彼を味方につけることが出来るなら、いよいよ“ことわり”もお前さんの策に乗っかるのが最善ということだろうから、まずは試してご覧な」


 それからヘレナはキリルとベルに地図を与え、南西のとある村を目指すように示した。山間に隠れるように存在するその村に行けば、ヘレナの言う男がいるということだ。

 どんな男かと問うと、魔女は悪戯っぽく笑って人差し指を立て、「まあ行ってご覧」と言うばかり。スヴェンも何も言わないと決めたようで、キリルがどんなに訊いてもはぐらかされてしまう。

 二人の旅支度が整うと、魔女は二人にたっぷり食べ物を持たせて送り出してくれた。人をからかう癖こそあるようだが、食べ物はずっと潤沢に与えてくれた上に、治療もしてくれたので、少なくとも二人にとっては悪い魔女ではないようだ。


「それで……お前は何してるわけ?」


 キリルは自分の足元の少し後ろを見て、呆れたように言った。そこでは灰色の毛をした野兎がぴょこぴょこ跳ねてついて来ていた。

 野兎は変声期の少年の声で元気よく返事した。


「見ての通り、お前らに付いてってんだよ!」

「魔女が変身したってもう驚かねえけどよ、なんでウサギ?」

「そりゃあお前、かわいい小動物は人間に愛されるからさ。気ィ抜いてると狩られるけど」


 キリルがニヤニヤと意地悪く笑った。


「なるほど。ぶりっこか」

「黙れゴリラ女! お前みたいな体力無尽蔵の脳筋にゃあ分からんだろうけどな、この姿でいた方が山越えが楽なんだ!」


 スヴェンは自分の姿を野兎に変えて旅に加わったのだった。早速始まった賑やかなやり取りを、ベルは口を出すでもなくただ傍観する。

 野兎は小さな鼻をピクピク動かした。


「いいか、この薬師スヴェン様がいるからには、怪我ァ悪化させるような真似はさせないからな。ゴリラ、お前に言ってんだぞ、分かってるんだろうな」

「くっついたってお前自分で言ってたろ」

「残念だけど、竜人を治療した前例がないからな、くっついたからって安心は出来ない。経過観察をしっかりこの目でやっておきたいんだ。定期的に患部見せてもらうからな」

「あたしの太腿拝みてえとか、とんだすけべ野郎……あ、すけべ魔女だな」

「お前のどこにすけべ要素あんだよっ!」


 魔女の少年スヴェンは、ベルの父親の解呪法を探る他に、薬師としてキリルの経過を診るという狙いも、この旅の目的に挙げていた。魔女は人間社会に溶け込む時、大抵占い師や医術師などを名乗るそうだが、スヴェンは薬師として時折人里に降りているらしかった。キリルの傷を癒したのも、その薬師経験が活きてのことだろう。


 魔女の森は、キリルたちが初めに辿っていた交易路よりも南方に位置している。ここから更に南へと向かうことになり、ベルの祖国アウレリアからもまた離れることになる。しかしベルは内心浮き立つような気分でいた。

 これから行く南方の山は、他の山よりも少し高い。運が良ければ、祖国のある森も眼下に収められるに違いなかった。


(僕が外に出て、たくさん良い思いをしたと分かれば、きっと父様も喜んでくれる。ねえ、エレオノラ)


 束の間物思いにふけっていた王子は、いつの間にか竜人キリル野兎スヴェンの口喧嘩がエスカレートしてジャンプ力を競い始めていたことに気が付いて、思わず涙が出るほど笑いこけてしまったのだった。

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