第11話 “世界の理”の調律者たち

 白にライラック色の透ける髪をした老女は“8の魔女・ヘレナ”、灰色の髪に蔦の絡む少年は“9の魔女・スヴェン”と名乗った。二人はキリルとベルにたっぷり食事を与えながら、魔女について教えてくれた。


「王子が知ってる“9の魔女”と違う奴で驚いたか? そいつは八十年ぐらい前に死んじまって、おいらに代替わりしたのさ。一人前になるまではヘレナのばあちゃんのところで見習いやってる。魔女は基本的にあほみてえに長生きで、中には千年以上生きてる魔女もいるけど、大体の魔女は肉体の限界が来ると次の魔女に役割を明け渡すんだ。だからおいらがいくら愛くるしい少年に見えても、実際は八十代なんだから、そこんとこヨロシク」

「口生意気なくそガキにしか見えねえけど」

「うっせえゴリラ! ばあちゃんの薬膳スープもっと食え!」


 よく口の回るスヴェンは、ベッドで食事を摂るキリルの皿にスープを追加した。口は悪いが世話焼きの性質らしく、腰に手を当てながらも療養の指示をきっちり出してくる。


「まずいとは言わせねえぞ。たらふく食ってたらふく寝て、おいらの薬草をきちんと染み込ませることだな。一番深い太腿の傷だって見てくれほど酷いわけじゃないんだ、二、三日もすればあとは元のように走り回れるさ」

「ただし絶対安静が条件だよ。勝手に動き回らないようにしっかり見張っててやるからね」


 魔女の少年に光明が示されたかと思いきや、魔女の老女に釘を刺され、キリルは何も言えずにごくりとスープを飲み込んだ。が、やはりどうしても問わなければならないことがあった。


「あのさ、この傷、竜に出来る傷なんだろ? 兵士があたしを竜だって勘違いしたことと関係あるか?」

「……知らぬは当人ばかりって訳かい」


 ヘレナはやれやれと溜息をついて、キリルのベッド脇のテーブルにパンを山ほど追加して言った。


「お前さん、竜じゃなくたって、何か心当たりはあるんだろう? だから茨の坊やの提案を呑んで、魔女を探す旅に出たんだ。自分の正体を教えてもらうためにね。違うかい?」

「キリル、どういうこと?」


 美しい顔が傾げられて、キリルは居心地悪そうに目を泳がせた。クルミ入りのパンを一口がぶっとやってから、キリルはベルにぽつりと問いかけた。


「……なあベル。あたしはいくつに見える?」

「歳の話かい? うーん……少なくとも、二十一の僕よりは年上だと思うけれど」

「あんた二十一だったのか」

「でも三十ではないような。……いや、分からないな。君ってとても物知りかと思えば、たまに大人げない時もあるし」

「言葉の棘が隠しきれていないよ、茨の坊や」


 ヘレナの返しに曖昧に微笑んで、キリルは言った。


「正直なところ、あたしも正確な年齢は知らねえんだけどさ。おい魔女ガキ、南の方で“アマリリス王国”って国がなくなったのは?」

「人を索引扱いすんな。おいらだって生まれてないけど、たしか九十年ぐらい前じゃなかったか?」

「あたしはその国で女騎士をやっててね。三十年ぐらいいたかなあ。辞めてしばらくしてから、国が弱体化して“エルンスト共和国”に吸収合併された」

「……え」


 綺麗な硝子のような目玉が見開かれた。キリルは息を吐くように笑って、続けた。


「元々生まれが曖昧でね。物心ついた頃にゃあ下町のじいさんに拾われて育てられてたんだ。馬鹿力を活かせるようにって王立騎士団に入団したはいいが、その頃からあたしの成長は止まっちまった。……同期の奴らはどんどん年食って、子供も出来て、でかくなった子供らが見習い騎士ンなって入団するって頃になっても、あたしの見た目はまったく変わらず。それで辞めたんだ。いつまで経っても見た目の変わらない同僚がいるってのはやりにくいだろ? スヴェンの話と併せりゃ、大体百二十前の話か?」

「じゃあキリルは……」

「百三十ちょっとか、それ以上ってことになるな。まあ、二百三十年眠ってたあんたよか年下だよ」


 ベルは驚いた。キリルがそんな長い年月を生きていたこともそうだが、それよりもこれまでひとつもそんな苦悩を見せなかったことに驚いたのだった。

 思えば、いくつか要素はあったのだ。盗賊団“紅鴉”の首領ガンザは初老の男だったが、彼をして「いつまで経っても変わんねえ」と言わしめていたし、あの盗賊団の中でもキリルを見知っているのは、古株と思しき一握りの者たちだけだった。大図書館を見て「町の様子が変わってて気づかなかった」という言葉が出たのも、以前訪れたのが遥か昔だったのならば納得がいく。


「いつまで経っても年食わねえんだ。自分が人間じゃねえとは思ってたけど、これまで何回も魔法使いとかに訊いて回っても、何にも分からなかったんだ。なあばあさん、あたしはまさか本当に竜だってのかい?」


 キリルの皿にスープをなみなみ注ぎ足したヘレナは、安楽椅子に腰を下ろすとふんと鼻を鳴らした。


「答えは正解と不正解が半々さね。あんたは半人半竜の、いわば竜人なのさ。見た目は人間の方を随分受け継いだから、これまで気付ける者がいなかったんだろうよ」

「竜人……」


 そう呟いたきり、キリルは自分の両手に目を落として黙ってしまった。切れ長の目はいつものような鋭さを潜め、ぼうっと両手を見つめている。

 その様子を全員がしばらく見守っていたが、ヘレナが空になった皿を片付けながら言った。


「とはいえね、この世に竜人なんてものが生まれたのは初めてのことなのさ。私もあんたを直接この目で見るまでは半信半疑だったんだよ。さあスヴェン、すべてはお前さんの策だ、自分の口で説明しておやり」


 スヴェンは頷いて、片付いたテーブルを指でなぞった。指の動きに従って、焼け焦げたような跡が描かれていく。そのままスヴェンは焼け焦げで簡略的な地図を描いた。


「“鉄の国”がこう広がってるとするだろ? 東方は結構やんちゃなんで、さすがの帝国も手ェ出すのが難しいみたいだけど、代わりに西と南を征服したい。その足掛かりに、まずはベル王子の祖国アウレリアを狙ってた。手の込んだ呪いを王様や家来にかけて、じわじわ〈茨の魔法〉を狙ったりだとかな。護国の術である〈茨の魔法〉さえ破れれば、世界の覇権だって握れる、当時はそんな力を持っていた」


 北の帝国と西側・南方諸国との間に、ぐるりと楕円が描かれ「アウレリア」と書き込まれた。スヴェンにベルが尋ねた。


「敵はアイゼンブルクで決まりなのかい?」

「そう睨んで差し支えないよ。当時から“鉄の国”は賢者を軟禁したり、竜殺しの研究始めたり、世界の理に踏み込むような罰当たりなことしてた奴らだったもんでさ。バランス崩壊を危惧した魔女側は“鉄の国”から〈茨の魔法〉を遠ざけるために、王子ごと城を眠らせることにした。十三人の魔女全員の力を集結させて〈紬車のまじない〉を発生させ――」

「〈茨の魔法〉で訪問者とを拒絶する。そうして時を越えようとしていたね」

「その通り」


 スヴェンの指に従って、「アウレリア」の楕円が焼け焦げで塗りつぶされる。


「目論見は上手くいったよ。城にかかった魔法の影響で、あの山はすっかり力場が狂っちまって、魔法が上手く機能しない土地になったし、無事だった地域は東隣の“ザイツ国”に吸収された。これで“鉄の国”は西方や南方の国々へ進軍する最短ルートを欠く羽目になった訳だ。このままうまくいけば、王子はただ五百年ぐらい眠っておけばよかった……けど、そうはいかなかった」


 ここからはベルも聞きたい話だろうなと前置きして、スヴェンは地図の“アイゼンブルク”をトントンと指さした。


「奴ら、ついに賢者を上手いこと手玉に取って、竜を一頭仕留めた。人間の武器や魔法は竜には効かないが、竜・魔女・賢者の三者はお互いに作用し合える関係でな、そこを利用されたのさ。賢者の作り出した武器でもって竜を殺し、その死骸から得た鱗や牙を使って竜殺しの武器を得た。……これは大きな出来事だ。国家間でもかなりデカい意味を持つことになる。竜の性質ってのはデタラメなんだ、大抵の物理攻撃は意味を為さないし、魔法も無効化されちまう。そのくせちょっと息吐くだけで物凄い衝撃で、皮膚や鱗も鋼鉄より硬い。あんなのでちょっくらパンチでもされちまえば、人間の首なんざすっ飛んじまう」

「この竜の性質をお前さんも持ってるってことさ。身に覚えがあるだろう?」


 ヘレナに補足されて、キリルは唸った。たしかに自分は、人一倍では足りないくらい体が頑丈で、おまけに魔法を使えたためしがなかった。まさかそれが竜の性質からなるものだとは思いもよらぬことだったが、今となっては納得がいく。

 スヴェンが肩を竦めて続けた。


「いいか王子、魔法を無効化できる竜の性質を持つ武器だぞ? そんなモノで茨突っつかれてみろ、たちまちアウレリアは陥落するだろ。“世界の理”の調律役として人間に戦争させないよう働きかけたってのに、それをふいにされちゃあ、魔女のメンツが台無しってものよ。ところがそこへヒトと竜のハーフの存在が分かった。魔女連中で一番若くって頭の回るおいらは考えた……『だったらこっちが先に起こしちまえばいいんじゃね?』と」

「危なっかしいから、私ら古参は反対したんだがね」

「けど納得してくれたろ? 竜の力を持つ女の存在を知って、そいつを利用しない手はないと考えた。王子側の問題も綺麗スッパリ解決出来るどころか、上手くいけば、軟禁されてる間に腐っちまった賢者の廻りの輪も元通りに出来るって寸法よ」


 あとは情報屋を操って、半竜の女を“眠りの城”に導けばよかった。竜の性質を持つキリルが茨に触れれば、魔法は無効化され茨は解けていく。魔女の分身を使って力技にでもベルフォート王子を目覚めさせれば、機転の利く王子のことだ、あとはどうにでもなる。

 粗削りの過ぎる作戦ではあるが、キリルが目論見に利用され、結果として上手く事が運んだことは事実だ。


「……くそ、まんまと利用されたってわけか……」

「遅かれ早かれだったと思うぜ? お前の存在を知ったら“鉄の国”が放っておかなかっただろうし、生き血絞り取られるよりかは、似たような立場の魔女とやってく方がまだマシだろ。ま、お前を動かすのはチョロすぎてビックリしたけど?」

「……てめえ何だとこの魔女男!」

「誉れ高き魔女族の男になんて口利くんだ、このゴリラ女!」


 キリル(竜人・女・130歳以上)とスヴェン(魔女・男・約80歳)の間で口喧嘩が勃発するのを見て、ベル(亡国の王子・男・21歳+230年)は楽しそうにくすくすと笑った。


「二人は仲がいいねえ」

「ドコをどう見りゃそうなるんだ、頭お花畑かこの王子は! ……まあとにかく、目覚めを繰り上げた方がいろいろと利があると踏んだんだ。実は他にも問題があってさ」

「さっき言ってた“賢者の廻りの輪”の話かい?」

「そう。魔女と同じく、賢者も長生きした後、世代交代をするんだ。賢者はベースが人間だからか、どんなに長くとも大体三百年ぐらいと相場が決まってる。ところが帝国に捕らわれた賢者は、もう五百歳近くなるってのに、一向に死ぬ気配がない。既に次の賢者が生まれてるにも関わらず、だ」


 スヴェンの翠の目が険しく細められた。


「このままじゃ確実に悪いことが起きる。既にあちこちで影響が出始めてんだ……おいらが代替わりして以降も魔女は死んでるけど、ほら、お前らが噂を頼りにして来た西の魔女は“4の魔女”なんだけどさ、彼女も含めて誰も代替わり出来ていない。今“十三人の魔女”連は二人欠けてるんだ」

「それってまずいのか?」

「魔女は精霊たちとの仲介役だぜ、それが二人欠けたともなれば、世界に満ちる精霊の力が弱くなる。馬鹿にも分かりやすく言ってやると、日照りが減って冷夏になったり、作物が上手く育たなくなったり、水が減ったり、そういうことが起こる」

「そりゃあえらいこったな」


 だからそう言ってるだろ、とスヴェンが言うので、またキリルと喧嘩が始まりかけて、ベルがそれを制した。最年少とは思えないベルの振る舞いは、やはり王族という出自から来るものだろうか。

 キリルから引っぺがされたスヴェンは溜息をついた。


「賢者が上手く廻らない現状もかなりまずいぜ、人間たちの使える魔法がどんどん弱くなってきてる。昔は精霊を視れる人間も多かったのに、今じゃほんの一握りだ」

「ねえスヴェン。もしかして僕、“次代の賢者”に会ったかもしれないよ。キリルも知ってるんだろ、ほら、指輪をくれた人」


 ベルがキリルに話を振ると、何故かキリルはぷいと横を向いてしまった。


「……忘れた」

「忘れちゃだめだろう? 僕らは彼のお陰で助かったのに。この指輪の石と同じ、蒼い目をした男の人だったのだけど」


 ベルが銀の指輪を見せると、スヴェンは納得したように声を上げた。


「道理でお前らが来た時、あいつの魔法の気配がしたと思ったんだ。そう、次の賢者になるはずの男だよ、ユルギスは」

「だから“成り損ない”って言われていたんだね。……キリル?」


 キリルの様子がおかしいことに、ベルは気が付いた。キリルは何とも言えない表情に顔を歪ませて、全身をプルプルと震わせていた。


「思い出したぜ……そうだ、ユルギスって名前だった。蒼い目の奴。あたしが一等苦手な奴だ。まさか生きてるなんて……」

「……苦手なの?」

「ゴリラにも苦手な人間がいるとはなあ」

「苦手っていうか……なんかこう……あんまり会いたくねえんだ」


 珍しく口を閉ざすキリルに、ベルとスヴェンはただただ首を傾げる他ないのだった。

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