第9話 北の国の竜殺し
キリルとベルは隣町まで乗合馬車に乗った。ベルはフードと布で顔を隠したままだが、装いを変えたキリルは荒っぽい口調ながら、他の乗客たちからかなり親しげに接された。
「へえ、ブロッケンまでねえ。町に用があるのかい?」
「親戚の伝手を頼ってるところでな。おっと奥さん、連れのフードは捲らないよう気ィつけてくれや、うっかりそいつの顔見ちまった日にゃあ目が潰れっちまうぜ」
「あはは、そんな訳あるかい! 悪かったねえ坊や、きっと見せたくない傷でもあるんでしょう」
人好きのする懐っこい中年女性はカラカラと笑って、次の町でキリルたちと別れた。馬車は西のブロッケンではなく、北北西の別の町へ向かうそうで、彼女たちは旦那の弟夫婦に会いに行くところだったという。
「ベルの言った通りだな。あのおばちゃん飴くれたし。うまかったなあ」
「僕はおかしな勘違いをされてしまったよ、君のせいで。何だい、目が潰れてしまうって」
「間違いじゃねえだろ? あまりの美貌に目が眩んじまうかもしれねえだろ」
「危ないからキリルも目隠しした方がいいね。……君は目が見えなくても強そうだけど」
「あんたあたしを何だと思ってんだい」
キリルが心外そうな顔をして、ベルがくすくすと笑う。かなり馴染んできたのか、二人の間には心地の良い軽快なやり取りが増えていた。
馬車を降りた町では宿をとらず、二人はそのまま西へ西へと歩いていった。あちらこちらで「“眠りの城”が目覚めたらしい」と噂を耳にするようになったためで、魔女の元へ急ごうとキリルが判断したのだった。
二日ほど歩いた頃、道端でキリルはイナゴを見つけた。火を熾して炙って口に放り込むと、ベルは世にも不思議なものでも見るかのような目つきをキリルに向けた。
「期待以上の反応ありがとさん。こいつァな、マジで食い物がねえ時に非常食になるんだよ。あんたもどうだい?」
もう一匹火に当てていたのを冗談混じりに差し出すと、ベルは目を丸くしながらも受け取って、しげしげと眺めて――ぽいっと口に放り込んだ。
「…………香ばしい食感だね」
「マジかよ、絵面やべえ……本当に食うとは思わなかったぜ……」
美しい顔をした青年が興味津々で昆虫を食らう様は、見る人が見ればあまりの衝撃で気絶してしまうかもしれない。キリルでさえ「まずいことをしてしまった」と口を押さえたほどだ。
当の美青年は一通りの咀嚼を終えてごくんと飲み下し、悪戯っぽく笑って舌を出した。
「本で知識を得ていたとしても、実際に経験しないと意味がないだろう?」
「拝啓、ベルの親父さんへ。あんたの綺麗な顔した息子は今日、虫を食いました。いつかワタクシめに会っても殺さないでください。かしこ」
「ふふ。父上にも食べさせてみたいな。どんな顔をするかな」
「……追伸。あんたの息子はいたずらっ子の道をまっしぐらです。しかし決して、このキリルめのせいではないことを、あらかじめ申し添えておくものです。どうか殺さないでください」
キリルは天を仰いだ。そして、今日のことは胸に秘めておこうと誓った。美しい上に人当たりも上品なベルのことだ、城には絶対にベルフォート王子のファンがいるに違いないし、もしファンたちやベルの両親、つまり王と王妃に知られた日には、キリルは縛り首では済まないだろう。
(そういや忘れてた……あたし、ミラクルハプニングキスの前科持ちじゃねえか)
あれは魔女のせいだとキリルは言い張りたいところだが、眠っているベルをキスで目覚めさせてしまった前科は消せない。急に冷や汗が噴き出してきたキリルは、
――ふと皮膚がヂリッと焼け付く感触を覚えた。
「ベル。袋ン中入れ」
「敵?」
「分かんねえ。けどやべえ気配の奴らがこっちに来る」
突然顔色を変えたキリルに、ベルはあれこれと問い質しはしない。キリルが広げた荷袋の口に体を滑り込ませ、そっと息を潜める。
キリルは前方に目を凝らした。視力のいいキリルの目に、こちらへやって来る一団が映った。全員統一された武装で身を固めているところを見ると、どこかの国の兵士たちだろうか。
「ああ、無理だなこりゃ。逃げ道も身を隠すもんもねえや。ここは大人しいフリしてすれ違うか……」
「盗賊?」
「遠くに見た感じだと、何かの兵隊たちだ。けど何かおかしい。分かんねえけど、何かが普通じゃねえ」
ベルは外套をきつく体に巻き付けて、しっかりと手で杖を持った。フードを目深に下ろし、俯き加減で目を合わせぬよう、地面だけを見つめて歩く。
兵士の一団まであと百歩。
五十歩。
数十歩――。
「――そこの者。止まれ」
あとちょっとで先頭とすれ違えるというところで、鋭い声で呼び止められた。内心歯ぎしりしながらも、どうにか穏便に済ませようと振り返ったが、すぐさま顔を強張らせた。
既に大剣が鞘から引き抜かれ、真っ直ぐキリルに向けられている。口の端を引きつらせて両手を上げて見せるが、警戒が緩められることはない。
「い、嫌だなあ、何すか急に。あたしはただのしがない旅人ですぜ? 兵隊さんらの気に障るようなことしましたかね?」
「しがない旅人だと? 笑わせるな。人の目は誤魔化せても、我ら“竜滅部隊”は欺けぬぞ」
「竜……?」
キリルは眉を寄せて、十数人はいる兵士たちの装備をざっと確認した。厳つい甲冑は全身を覆うもので、顔すら見えず、しかも大剣や長槍に大槌と、得物も大型のものばかりだ。そのどれもが、金属とはまた違う赤黒い素材で出来ているように見える。つい最近ベルの口から実在すると聞いたばかりだが、彼らは本気で竜を狩る部隊だとでも言うのか。
「んな恐ろしい声で脅してくんなよ。竜狩り部隊の皆さんが、このあたしに一体何の用で?」
「ふむ……我らを知らぬか。ならば好都合――忌々しい竜め、この世から滅してくれる! かかれェ!」
「ちょ、おい待てよ……何だってんだくそッ!」
赤黒い大剣が振り下ろされ、キリルは後ろへ飛び退いた。地面に剣がめり込むが、すぐに引き抜かれ、また横なぎに振り払われる。
「おいおい、お前らの目は節穴か!? 兜で前見えねえってのか!? どこに竜とやらがいるってんだ!」
「貴様からは竜の気配がする。隠しても無駄だ。さあ、本性を現すがいい!」
「――……ぎゃっはっはっは!」
キリルは槍を軽々いなして、腹を抱えて笑った。
「お前ら馬鹿か? あたしが竜だって!? 鱗なんざ生やした覚えはねえんだがなあ。もうちっとてめえの目で人を見てから剣振り回すこったなァ!」
「竜の上位個体の中にはヒトに擬態し、人語すら操る者もいる。だが我らは竜滅部隊、擬態した竜を見抜くなど容易いことよ」
「話の通じねえ奴らだなあ。身に覚えがなさすぎるし、そもそもあたしは未だに竜の存在を信じてねえんだよ。って、マジで話聞きやがらねえなこいつら!」
頭上に降って来た大槌を躱し、剣の一太刀を避け、槍を受け流す。攻撃をやり過ごすので精一杯で、なかなかこちらの攻撃に繋がらない。
(こいつら、かなりやる奴らだ。何より攻撃に迷いがねえ。まさか本気であたしを竜だと思ってんのか?)
彼らの戦い方、連携の取り方は、まさに大型の獲物を仕留めるためのそれだ。それを人間に向けられては堪ったものではない。キリルとて例外ではなく、徐々に息が上がってきている。
疲れを見せ始めたキリルに、兵士が勝ち誇ったように嘲笑う。
「どうした? さっさと元の姿に変化すればよいものを」
「出来るならやってみてえところだけど、生憎と変身なんざしたことがねえもんでな」
(まずい。こりゃあまずいぞ。やっこさんら、絶対にあたしを逃がさねえ気だ。ここにゃあ隠れる場所も逃げ込める町もねえ……)
ほんの一瞬、キリルが気を緩めたその隙を、兵士たちは見逃さなかった。
槍が空を切って突き出された。咄嗟に顔を逸らして避けるも、先端が頬を斬り裂き、キリルの顔が苦痛に歪んだ。
「づッ――」
一発当たった程度では、兵士たちは手を緩めない。続けざまに大槌や剣がキリルを襲う。キリルはどうにか躱し続けるが、脇腹と太腿に食らってしまった。
「ぐ……ァア……何だこりゃ、いってェ……!」
距離を取り、地面に膝をつく。刃が掠めた頬と脇腹が爛れて、じゅくじゅくと煙を上げていた。槍で突き刺された太腿も焼け付くように熱い。
霞む目を擦った。兵士の一人が、警戒を少しも緩めることなく、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「普通の武器では竜を殺せぬ。竜を殺し得るのは、同じ竜のみ……我らの剣や防具はすべて、竜の死骸を素材に作られたものだ。傷口が爛れるだろう? それこそが、貴様が竜族であることの証左」
「……馬鹿が……竜殺しの武器なんかで人殴ったら……そりゃあ肌も爛れるってもんだろうがよ……」
「もっと体力を削れば、いずれ本来の姿に戻るはず。人の姿を借りるのも今の内だ」
ギラリと頭上で刃が光るのを見て、キリルはあらん限りの力で地面を蹴って避けた。そのまま杖を頼りに走るが、しかし傷を負った太腿が燃えるようで、だんだん感覚が失せていく。ついには地面に倒れ込んでしまった。
「キリル! キリル、しっかり!」
「……ベル……大人しく袋ン中入ってりゃいいものを……」
荷袋からベルが這い出てきて、キリルを揺さぶった。キリルの頬は斬り裂かれたところから爛れた火傷がみるみる広がって、左目や首まで覆うとしている。恐らくは脇腹や太腿も同じだろう。
「その竜に連れ去られたのか、可哀想に。もう安全だ、君の身は我らが守ろう」
「違う。僕は自分の意思で――」
「無駄だベル。中で聞いてたろ、そいつらまるで人の話聞かねえぞ……」
ベルがキリルの前に立ちはだかるが、兵士は憐れみを含んだ声で諭すばかり。彼らの中では「自分を連れ去った竜に情が湧いた哀れな青年」という認識なのだろう。
ベルはフードの下で、ガラスのような目に焦りを浮かべて、キリルと兵士とを交互に見た。たしかに兵士たちは聞く耳持たずで、自分の説明も聞いてくれる気はなさそうだ。しかしこのままではキリルが死んでしまう。
ベルは両手をキリルの傷の上にかざして、〈茨の魔法〉をかけようと試みた。しかし何度やっても、茨はキリルの体に触れる寸前で動きを止めてしまう。
「血を拒絶出来ない……〈茨の魔法〉で血を止めることも出来るはずなのに、どうして魔法がかからないんだ?」
「……無駄だよ……あたしは魔法がかかりにくい体質なんだ……」
「そんな体質聞いたことがないよ!」
「そりゃ……ッ、あんたが知らねえだけさ……アァくそッ、痛ェッ!」
痛みが全身を支配していく。おぞましい感覚に、キリルは相反する二つの感情を抱いていた。
(ようやっとあたしも死ねるってワケだ……けど、ここでおっ
キリルは身勝手になりきれない自分を呪った。ここですべてを手放せば楽になれるというのに、つい最近出会ったこの王子のために生き残ろうとする自分を恨めしく思いながら、必死に状況を打開する策をまさぐっていた。何かあるはずだ。荷袋の中に使える魔道具はなかったか。着ている外套は空中で力を発揮するもので、今は役に立たない。魔石のついた指輪は? 火や水で攻撃したところで、竜を相手にするようなこの兵士たちは痛くも痒くもないだろうし、まず自分がもう戦えそうにない。
(指輪……)
キリルの脳裏に、その言葉が繰り返される。指輪。そうだ、魔石の指輪の他にももう一つ持っていた。文字が刻まれた銀の台座に、綺麗な青い石が嵌め込まれた指輪を。
キリルがその指輪を手に入れたのは、もう随分昔のことだった。困り果てたら指輪に願いなさい、そうしたらきっと助けに行く、そんな言葉と共に渡されたものだ。
(今の今まで忘れちまってたが、今更だな……もう生きてるわけがねえ)
キリルは、しかし賭けることにした。他に手段が思いつかなかった。あの男はもしかしたら別の誰かに譲り渡しているかもしれないし、まだ老人として生きていて、呼び掛けに応じてくれる、その一縷の可能性に賭けることにした。
「荷袋に……底の方に、銀の指輪が……」
「キリル。何?」
「銀の指輪が入ってんだ……そいつを擦って、助けを呼んでみろ。運が良けりゃあ、じいさんか誰かが来てくれる……」
うわごとのようにベルに頼み込んで、脈打つように拡がっていく灼痛に恐怖と不安と、仄かな愛着すら抱いて、キリルは目を閉じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます