第8話 キリル、盗賊あらため

「あたしはしばらく、“盗賊”を名乗るのをやめようかと思う」


 大図書館のある町で二、三日過ごしたある日、キリルは宿で腕組みして宣言した。

 ベルは首を傾げた。


「盗賊って、名乗るものだっけ?」

「そりゃあ積極的にゃあ名乗らねえさ。そんなことしてみろ、あっという間に掴まって縛り首だ。そうじゃなくて、盗賊ってバレるような真似は控えた方が良さそうだって話」


 キリルはここのところ、自ら進んで嫌いな風呂に入っている。おかげで随分髪の毛がまとまってきて、何なら艶らしきものまで出始めている。ただやっぱりごわごわとした髪質は相変わらずで、後ろで纏めた髪は重力に従わずぼさっと跳ねている。

 何か劇的な心変わりでもしたのだろうかと心配すらしていたベルは、今ようやく訳を聞くことになる。窓際に寄りかかるキリルは切れ長の視線を外へ向けた。


「あんたが図書館に籠ってる間、あたしは酒場や商業街でいろいろ話を聞いてね。“眠りの城”が目覚めた話はかなり噂になってる。まだ持ち切りって程でもないが、そうなるのも時間の問題だ。そんで、その噂の中に『美しい姫は盗賊に攫われた』って話が流れ込んできてる」

「そう……つまり、城が活発に動き出したということだね。僕を連れ去る間際に君はわざわざ“盗賊”と名乗っていたから」

「そーゆーこと」


 黒い目が、美しい王子に向けられた。


「美しいって言われてる以上、まだあんたの正体に迫られはしねえ。しかも綺麗なお姫さんを盗み出すのは決まってだ、女のあたしとも遠い。だが美人のあんたと、盗賊のあたしが一緒にいるのは、疑われてもおかしくねえ。だから本腰入れて護衛役に専念する必要があるってワケさ」

「具体的にはどうするつもりだい? ドレスを着たり……はしないよね。護衛だもの。やっぱり髪型を変えるの?」

「ベルはまだまだお子ちゃまってことだな。見ろ、連日風呂で磨き上げたこの髪を!」


 見ろと言われたので、ベルは見た。

 キリルの、黒く猛々しい頭髪を。


「見たよ」

「何か感じることは?」

「うーん。キリルは髪の毛も元気だなあ、とか」

「……そっか……やっぱ無理あるよな……」


 心なしか、キリルはちょっとだけ気落ちしているように見える。髪を解いてもう一度縛り直して、「昔のあたしはどうやってたんだっけ」などとブツブツ言っている。逞しいキリルにも女性らしい時期があったとでもいうのだろうか……ベルには想像も出来なかったが、ひとまず方針変更を促すことにした。


「もう少し立派な服を着ればいいんじゃないかな。盗賊らしさは落ち着くと思うよ」

「なるほどな! そりゃ盲点だったぜ」

「お役に立てて嬉しいよ。それじゃあ、今日は服を手に入れようか。衣装合わせは僕に任せてくれるかい?」


 ベルフォート王子はいつにも増してキラキラと顔を輝かせて、胸を叩いた。






 庶民は滅多に服を買わない。……というのがキリルの認識であったが、二人のいるこの町は交易路の中継地。遠方から買い出しに来た客も多く、中には農夫たちやお使いでやって来た子供の姿も見られた。

 ベルはキリルを引き連れて、市場のあっちこっちを歩き回り、珍しい品や新しいものに目を輝かせつつ、キリルの新しい服を探した。


「はい、キリル。これ着てみて。肩周りは動きにくくない? こっちも着てみようか。君によく似合うと思うんだけど」

「坊ちゃん、こんなに吟味しなくたってよ、安いのをテキトーに買えばいいだろ」

「人間、自分自身のことは存外分からないものだよ。似合う服を着た君はきっと誰よりも格好いいだろうね」

「そりゃああたしは超絶カッコいい女だけどよ。あまりのカッコよさにあんたより目立っちまうかもしれねえだろ?」


 キリルは身軽に買い物が出来るように、いつもは手に持つか背負っている杖を魔道具の荷袋に収納している。ベルが見繕う服を体に当ててみたり、試着したりするのだが、キリルよりもベルの方が生き生きしている。


「そうなったら、それはそれだよ。ねえキリル、印象って案外侮れなくてね、人の目に魅力的に映る人は信用されやすいんだ」

「……つまり?」

「例えばの話、この店から一つ品が消えたとする。その場合、泥棒を真っ先に疑われるのは、僕じゃなくて君だろうね。たとえ僕が犯人だったとしても『より悪事に手を染めそうな方はどちらか』という目で、人は見るんだ」


 ベルは悪戯っぽく笑って、フードに隠れた自分の顔を指した。


「自分で言うのも何だけど、説得力はあるだろ? 君の作戦は実際の性別を使ったトリックだけれど、何も性別にこだわらなくたって、人攫いなんかするような人間に見えないと思わせればいいんだ。だから君が身なりを素敵にする必要があるっていうこと」

「めちゃくちゃ説得力あるわ……じゃ、王子サマのセンスにかけて、お手並み拝見といこうじゃねえか」


 数時間後、装い新たなキリルが出来上がった。サッパリとしたシャツにオリーブ色のチョッキを重ね、ズボンと靴も新調した。筋肉質で逞しいことに変わりはないものの、清潔感が底上げされたキリルは「薄汚い女盗賊」から「凛々しい女用心棒」へと様変わりした。いつも身に付けている魔道具の外套も、泥や汚れを洗い落とすと途端にしゃんとした姿を取り戻したのだった。


 宿で着替えたキリルを見て満足げに息を吐いたベルは、ぽんぽんとベッドを叩いてキリルを座らせた。


「さあ、仕上げをしよう。髪を解いてくれるかい。君の元気な髪の毛はどうにもならないけれど、櫛で梳かすだけで見違えると思うんだ」

「もう好きにしてくれ……」


 数時間にわたる買い物で疲れてしまったのか、キリルは半ば投げやりだ。大人しく結んでいた髪を解いてベッドに腰を下ろし、されるがままに任せる。

 絡まっている髪を丁寧にほぐし、櫛を入れ、またほぐす。それを繰り返すベルの手つきを見て、キリルから不意に問いが投げかけられた。


「手馴れてンな。人の髪いじったことあんのか」


 束の間、ベルの手が止まった。

 笑むように息を吐き出して、また櫛を入れる。


「昔ね、互いの髪で遊んだことがあったんだ。三つ編みをしたり、面白い結い方を考えたり……もう随分昔に死んでしまったけれど」


 ベルの声はいつも通り、柔らかく透き通っていた。寂しそうでも、辛そうでもなく、ただ昔話をするように言った。それでも、夕日の差し込む部屋では、空虚な響きをもって床に落ちた。

 と、キリルがフンと鼻を鳴らした。


「あのな、ベル。人は死ぬんだぜ」

「え……うん、そうだね」

「分かってねえ。いいか、眠ってた二百年が無くてもな、生きてりゃ先立たれることなんざフツーなんだよ。歳くってぽっくり逝く奴もいりゃ、何てことねえ怪我で次の日に死ぬ奴も、よく分かんねえまんま目ェ開けなくなっちまう奴だってザラにいる」


 明日は我が身だぜとぶっきらぼうに言い放つキリルを見て、ベルは初め目を丸くしていたが、やがてふふっと笑い声を洩らした。


「励ましてくれているの?」

「あァ? なんでそうなる?」

「いいや。でも、君が言うと何だか説得力が増すなあ。僕もいつかは死ぬんだろうけれど、その時はきっと君のことを思い出すんだろうな」

「なんだそりゃ。告白かい?」

「あはは、違うよ。でもキリルみたいな強烈な人は、この先何年生きても出会いそうにないや」


 終わったよと頑丈な肩が叩かれ、キリルは髪に自分の指をくぐらせてみた。

 切れ長の目が見開かれる。するりと指通りの良い黒髪を首の後ろで纏めると、やっぱり外に向かって毛先が跳ねているものの、きりりと締まった印象に変わった。


「そうそう、こんな感じだったな! こりゃすげえや!」

「お気に召したかい? 良かったよ。櫛を入れるのはね、衛生的にもいいんだよ。病気から守ってくれたり、しらみも湧かないし」

「病気ねえ……生まれてこの方かかったことねえなあ」

「本当に? 熱を出したり、風邪をひいたりしたことも?」

「ねえな。ガキの時分から既に丈夫だったし、剣で斬られた時も毒食らった時も、次の日にゃあケロッとしてたしな」


 一体どんな人生を送ればそんな修羅場をくぐることになるのだろうか。そしてそれでも平気なキリルがまったく想像に難くないことが、ベルには何だかおかしかった。


「ふふ。君はおばあさんになっても杖を振り回しているんだろうね」

「……あたしがばばあになる日なんて来るのかねえ」

「その時には君も魔女って呼ばれていそうだな。そういえばキリル、魔女のことを図書館で調べていたのだけど、“ブロッケン山”には『魔女がいる』という話の他に『竜がいる』というのもあるそうだよ」


 ブロッケンの山はどうやら岩山らしく、草木の生えないごつごつとした山の様子が挿絵になっていた。そこに火を噴く竜がいるのも、腰の曲がった魔女がいるのも、どちらも簡単に空想できてしまう。


「魔女に竜ねえ。こりゃいよいよ、ただの噂話掴まされたかもしれねえぞ」

「いやキリル、竜は実在するよ」

「……はァ?」


 キリルは目を剥いたが、ベルは至極大真面目な顔だ。


「竜は昔から恐れられているけれど、とても大切な存在なんだ。世界の在り方が正しいかどうかを見張る役目があるんだよ。魔女たちも似たような存在で、精霊や妖精や、幻の種族たちの側に立って、人間たちとの調和を取るんだ」

「えーっと、つまり、竜は睨み効かす奴で、魔女は仲介役ってことか?」

「そう。あともうひとつ、人間側の仲介役“賢者”がいる。この三者で世界の調律を担っていて、その恩寵の一つが魔法ってわけさ」

「あたしは使えないけどな!」


 ちょっと拗ねたように口を尖らせるキリルを見てベルは笑った。

 その裏でこうも思っていた。


(魔法をまったく使えない人が本当にいるのかな。〈茨の魔法〉や魔女の〈紬車のまじない〉がキリルの手で解けたことにも、何か関係しているはずだ)


 しかしそのことを伝えるには、自分の口には重すぎる……だからベルは本音を微笑みの裏に隠し込んで、もっともらしい提案をする。


「……魔女に会ったら訊いてみたらどう? 仲介役なのだから、魔法を使えるようにしてくれるかもしれないよ」

「あたしもそれは頼んでみてえな。いっぺん、自分の手で魔法を使うのはどんな感じなのか、味わってみてえもんだよ。やっぱ魔道具使うのとはわけが違うんだろうな」


 皮の厚い手のひらを開いたり閉じたりして、キリルは魔法に思いを馳せた。自分の思いのままに何か不思議な力を操れるというのは、きっととても気分がいいに違いない。それから、魔女に求めるもう一つのものを思って微笑んだ。


 ――普段のキリルからは想像もできない、何か憂いを感じさせる、そんな笑みを。

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