第7話 西の国の大図書館

 二日後、荷馬車に運んでもらったキリルとベルの二人は、大図書館で有名だという大きな町に着いた。

 図書館を目当てに来る観光客も多いようで、町はとても賑わっている。活気づいた市場に、客を泊める宿も多くみられた。


「ああ! 図書館ってコレのことか」


 宿探しの途中、大図書館の前を横切った時、キリルが思い出したように声を上げた。


「この町に来たことがあるの?」

「昔な。しばらく来ねえうちに町も変わるもんだなあ、見るまで全然気付かなかったぜ」

「ふふ。キリル、おばあさんみたいだよ」


 感慨深げに頷くキリルを見て、ベルはくすくす笑った。

 こぢんまりした宿を見つけ、旅の荷物を置いた二人は、互いの行動を確認し合うことにした。


「しかし何だって図書館なんかに。自由になってもまだお勉強するって?」

「僕が眠りについていた間のことをね。この時代のことも色々と知っておきたいし」


 本から何が分かるってんだなどとキリルはぶつぶつ言ったが、ベルを止めはしなかった。「まあ好きにしな」とひらひら手を払った。


「あんたにゃ身を守る魔法もあるし、たまには一人で羽伸ばしたいだろ。ここは別行動と行こうじゃねえか」

「そんなこと言って、キリルは本が嫌いなの?」

「図書館が嫌いなんだよ。静かにしなきゃいけねえだろ。あたしが大人しく出来るとでも?」


 出来ないねえ、とベルはすぐに納得した。


「でも僕が出来るのは本当に身を守ることだけで、悪意のある人を退けられる訳じゃあない。茨ごと僕を持って行ってしまうかもしれないから、有事の際の動きは考えておいた方がいいと思うんだ。もちろん、キリル、君の方も」

「あたし? ……まあ、怪しい奴見かけたらすぐトンズラ出来た方がいいよな。じゃあ何かあったらあたしは図書館に探しに行くから、あんたは酒場街に来な」

「分かった」


 危険を察知したら、酒場でひと際騒がしい店を見つけるのが良さそうだと、心の中でだけベルは決めた。キリルと出会ってまだ短いものの、かなりその人物像を把握してきたベルフォート王子である。






  * * *






 キリルは酒に強い。とんでもなく強い。

 どれくらい強いかというと、酒豪で知られる“紅鴉”の首領ガンザを負かした後、腹十二分目まで詰め込んで元気に下山出来るほどには強い。そもそもキリルは酒を飲むようになってこのかた、酔いを一度も経験したことがなかった。キリルにとって酒とは、賑やかな場所とひと時、それに良い気分をもたらしてくれる、素敵な飲み物なのだ。


 ベルを図書館に送り出した後、キリルはそこらで見つけた酒場で一杯ひっかけて、いい気分で二件目に入った。奥の方のテーブルで何やら賭け事に興じている男たちが見えて、キリルもそちらへ吸い寄せられそうになったが、脳裏で透き通るような声が忠告してきた。


『そのお金は僕の城からくすねたもので生まれたんでしょう? なら、無駄遣いはいけないよ。路銀がすぐに尽きてしまうからね』


「くそっ、あたしのお袋にでもなったつもりかよ!」


 そう悔し気に叫んでカウンター席に片肘を立て、ジョッキ一杯の酒を注文した。不服そうにしながらも結局は言うことを聞いてしまう。


(ベルの言うこたァもっともだ。賭け事は病みつきな刺激がたっぷりだが、今は二人分の心配をしなくちゃならない。すべてはあいつからの報酬のため……それから、魔女のツラもちゃあんと拝んでやらねえと)


 賭け事に流れそうになる体をエールで抑え、キリルはぷはあと息を吐き出してつまみのナッツをガリガリやった。


 ベルは自分に何か隠している。

 それを咎めるつもりは、キリルにはない。ベルは“ベルフォート王子”なのであり、いち庶民のキリルに国の事情をぺらぺら喋るはずもない。しかしキリルに関わる何か重要なことを、話さずに留めている気がしてならないのだ。


(まあ、今は好きにさせてやろう。魔女にはあたしも用がある)


 酒をがぶりともうひと飲みし、キリルは酒場全体に聞き耳を立てた。視線は酒やつまみを行ったり来たりさせながら、耳に入る話すべてに注意を傾ける。


 また東の山で“紅鴉”だとよ、東の方はもう商売あがったりだな――

 北の帝国から商人が持ってきた武器、ありゃあいい品物だぞ――

 ウチの息子が家出して、もうひと月も帰って来ないんだ、どうしたものか――

 おい聞いたか、“眠りの城”がとうとう目覚めたって話だ――


(来た。ここまで噂が出回ってるのか)


 切れ長の目が僅かに細められる。追加の酒とつまみを注文して、“眠りの城”の噂を喋る男に耳を澄ませる。


「あの城が起きたって? どこの酔っ払いから聞いたんだよ。そんなことが起きるもんか」

「東からやって来た行商人から聞いたんだ、確かだよ。何となく例の山ァ見上げてみたら、いつもはてっぺんが見えないほどかかってる霧が晴れていて、城が立ってんのが見えたんだとさ。それで、本当かどうか確かめに行ってみれば、茨は消えてるし、城はそっくりそのままピカピカで、門の奥で人が動いてるのも見たって」

「その商人が?」

「いや。商人のお得意さんだそうだ」

「なんだい、又聞きじゃないか」

「けどよ……」


 聞き手は信じていないようだが、キリルは本当だと知っている。茨を突破した張本人だと名乗れば彼らは一体どんな反応を見せるだろうか。

 キリルは財布から金を出してカウンターに置き、そのまま店を後にした。そして今度は楽し気な音楽を響かせる別の店へと吸い寄せられていった。






  * * *






 「国一番」と銘打つだけあって、大図書館はとても立派だった。知の宝庫に相応しい、重厚ながらどこか温かみもある建物の外観に圧倒された後、受付で入館証を受け取って中へ入ると、その広さにまた圧倒される。五階建のうち三階までが自由に閲覧できる書架で、残る上階と地下は貴重蔵書や歴史的文書が保管されているため、入場は研究などの目的に限られる。

 だが、一般書架でも充分な蔵書量だった。書物のぎっしり詰まった書架の間を抜ければ、三階まで吹き抜けになっている広い読書コーナーに辿り着く。天井の絵画をシャンデリアが柔らかく照らす中、長テーブルの他にもクッションの置かれた長椅子や安楽椅子が設置されていて、くつろぎながら読書を楽しめるようになっていた。


 しかしベルは、それらのゆったりした椅子ではなく、長机の一角に築き上げた書物の山に、埋もれていた。


(――二百と、三十年……)


 山のおかげで麗しい容姿を隠せているのだが、今度は山そのものが注目を集めている。とはいえここは図書館、机の上に本の山が出来るのは時折あることなので、一瞬の視線ののちはすぐに興味を失う。

 ベルは各地の、特に祖国アウレリアの周辺地域の歴史書を読み漁っていた。それらから得られた情報を纏めて分かったことは、自分は二百三十年ほど眠っていたこと、その間の周辺国の動向や、自分と関りのあった他国の王族・貴族たちの送った人生……。


 アウレリアと友好関係を築いていた公国は商業を盛んに推し進めたが、やがて権力を得た商人たちにより政権は転覆。その後周辺の小さな領土も吸収し、現在はこの大図書館のある“エルンスト共和国”となっている。

 旧公国を治めていた公主の息子と、ベルフォート王子は懇意にしていた。年上で面倒見の良い、ベルフォートが兄のように慕っていた男だった。そんな彼は、数十年後にクーデターの憂き目に遭い、僻地で監視されながら絵を描いて暮らす余生を過ごしたようだ。


 同じく友好国であった北東の王国は、現エルンストに吸収されていた。吸収前、王国の第三王女は北方の帝国へ嫁ぎ、そこで激動の時代を生き抜いた晩年は『鉄血皇妃』と呼ばれるほどの女傑にまで成長した。

 この第三王女はベルフォート王子の許婚いいなずけであった。アウレリアとその王子の名は伏せられた上で軽く記述されているのを見て、ベルは複雑な面持ちになった。


 いや、別にいいのだ。自分がいなくなった後のことをあれこれ言える義理はない。彼女からしてみれば、婚約者が突然目覚める気配のない眠りについてしまったのだから、国益のため、そして王族の娘として身を固められるよう、恐らくは諸々の事情も含めた上で帝国に嫁いでいったのだ。

 ただ彼女は気立ての良い娘だった。何が起こって『鉄血』の名を冠する女に変貌を遂げたのか……もし自分が眠らずにいればと、ベルが思いを巡らすのも無理のないことだ。


(“アウレリア”の名前はどの文献にもほとんど載っていない。茨に呪われた国、魔女に呪われ眠りに落ちた国として伝えるよう、情報をいじった跡がある。……依然体制も国名も変わっていない“アイゼンブルク”が圧をかけたんだ)


 ――“アイゼンブルク帝国”。通称“鉄の国”。

 ベルの元許婚の嫁ぎ先であり、城が眠りに落ちてより混乱が生じた諸国の内でも、唯一頑として体制を保持し続けた軍事国家である。二百三十年が経過した現在も国力が衰えることはなく、北方諸国をまとめ上げる大国として君臨している。


(やっぱり目覚めるのが早すぎた。“鉄の国”がまだ権力を振るっている中で〈茨の魔法〉を眠りから放つのは危険だ。なのに何故魔女たちは……)


 長い眠りから覚めた王子は、書物の壁に隠れて様々な感情を巡らせた。どうして魔女は自分を目覚めさせたのか。何故キリルに魔女のまじないも〈茨の魔法〉も解けてしまったのか。そして、自分の友人知人たちが、それから城で自分と共に眠りについた者たちの家族や友人たちが、たった一度瞼を閉じている間に遠い人になってしまったことを想った。



 二百年後の世界に放り出された自分たちは、一体何者だろう?



(他に道はなかった。選べなかった。やれることは全部やった)


 深く深く息をついて、ベルは金色の睫毛を触れ合わせた。視界が暗くなる代わりに、周囲の雑音や気配がより濃く感じられるが、この雑音ですら思い知る――この大図書館に集う大勢の人々の中で、誰一人として、自分と僅かにでも縁のある人はいないのだ。


(想像も覚悟もしていた。けれど……)


「……ねえ、エレオノラ。僕が眠ったのは、やっぱり本当に正しかったんだろうか」


 誰の耳にも届かない声で呟いて、ベルは書物に深く顔を埋めた。






  * * *






「何ィ? このキリル様がイカサマ師だって? おいおい、冗談も大概にしろ、こんなガサツ極まりねえ奴がそんな器用な真似なんざ――ッベ、ベル!」


 を見つけて入ると、キリルが慌てたように諸手を挙げて立ち上がった。


「本当だよ、マジでイカサマ勝負になんか手ェ染めてねえって! あたしの……あー、何だ、そうだな、この杖にかけて誓ったっていい!」

「……賭博?」


 チラとキリルの背後を見遣っただけだが、そのベルの視線をどう捉えたか、キリルは口を尖らせて弁明した。


「う、うるせえな、賭けてんのはちゃんと自分の小遣いだけだって!」

「そう。僕は何も言っていないけれどね。でもそろそろお終いにしようか。楽しいことは何でも終わりが来るものだよ、キリル」


 くすくすと笑うベルは、キリルの賭け金を卓上から回収してしまった。キリルに制止させる隙すら与えずに別のテーブルに座って、コップに注がれた水を飲み干した。


「図書館は喉が渇くね。それにとってもお腹が空いたよ」

「本当に一日中いるとはなあ」

「そっくりそのまま同じ言葉を返すよ。酒場に一日中いる人を、僕も初めて見たかな。宿に戻ったらお風呂に入ってくれよ」

「…………」


 口を尖らせつつ、キリルはそれとなくベルの様子を窺った。どうにも言葉に棘があるのを感じたのだが、本人の表情は至っていつも通りだ。


「……こんなに長時間、何調べてたんだ?」

「ここ二百年のことをね。一日で二百年分のことを調べるのは流石に無茶だったかな。何だか疲れてしまった」

「ふうん。なら、たらふく食ってたらふく寝るのが一番だな」


 キリルはニヤリと笑って、店の奥に大声で呼びかけた。


「おーいオヤジ、この店で一番マシなメシ持って来い!」

「あんだとこの野郎、散々飲み食いしておいて、一番だと? ウチは酒も料理も町一番だ! 今に見てろや、美味すぎてゲロ吐くなよ!」

「おっと、口にゃあ気ィつけることだな。あんまり過ぎるとこの坊ちゃんに叱られるぞ、かーちゃんみてえにな」

「――ふふっ」


 キリルは驚いて振り返った。ベルは笑いを堪えるように肩を揺らしていたが、やがて堰を切ったように声を出して大笑いした。


「あはははは! 僕は君のお母さんじゃないよ、あはは!」

「だってよぉ、無駄遣いすんなだの風呂入れだの、あんた結構口うるさいじゃねえか」

「ふふふ、あは、『一番マシなメシ』だって。『美味すぎて吐く』だってさ。あははは」

「……殿下の変な笑いのツボ抑えちまった……」


 へらへらと笑い止まなくなってしまったベルを、キリルはしばらく呆れ顔で眺めていたが、そのうちふっと口の端を柔らかくした。そして、たまには言われる前に風呂に入りに行ってやろうかと思ったのだった。

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