第5話 盗賊団“紅鴉”

 キリルは行商人とやり取りを交わし、荷馬車で隣町まで乗せてもらうことにした。そこで休むのかとベルは思ったが、キリルは別の荷馬車に乗り換えて更に隣の町へ行き、ようやく宿をとった。訳を尋ねると「眠りの城から少しでも離れてえ」とキリルは言った。


「あんな山の森の奥にわざわざ足運ぼうって酔狂もいねえだろうから、すぐには城が起きたとバレはしねえ。けど用心に越したことはねえからな」


 キリルは宿のベッドに仰向けに寝転がり、目を閉じた。


「城の奴らに狙われてるのは変わんねえんだろ。だったらあんたの正体はなるたけ隠しておくべきだ。城から距離取って、『いいとこの坊ちゃんが盗賊とお忍び中ランデブー』ぐらいに思わせた方がいい」

「じゃあ明日はキリルの“伝手”を辿るの?」

「それにはまずは情報だな。最後に会ったのはいつだったか……とにかく、あたしの知る場所にゃもう隠れ家はねえだろうなあ。ちょいと面倒だけど、あいつはあっちこっちで手下を張らせてるから、魔女に近いネタだって何か持ってんだろ。探す価値は十分ある」

「どんな人なんだい?」


 キリルに問いを投げかけたベルはずっと被っていたマントを脱ぎ去り、きちんと壁のフックに引っ掛けてから、もう一つの空いているベッドに腰かけた。やや硬いマットレスは荷馬車旅で痛めた腰に響いて、思わず顔をしかめそうなのをベルはぐっと堪えた。


「身内の面倒見はいい奴だぜ。ま、王族のあんたから見りゃ荒っぽいんだろうが」

「その人も盗賊?」

「おうよ。“べにがらす”って盗賊団の頭さね。あたしも一時期身を置いてたことがあったが、あたしは一人でやってく方が性に合ってるらしい。いたのはほんの短い間だった」

「でも時々は会うんだね」

「同業やってりゃ、縁は途切れねえもんさ。あそこの手下どもがこりゃまた面白ェんだ。会うのを楽しみにしてな」


 くくくっとこれまた盗賊らしく笑ったキリルは、ゴロリと向こう側を向いた。


「早く寝な。馬車の疲れ取れねえぞ」

「そのまま寝てしまうの? お風呂は入らないのかい?」

「なんで」

「昨日も入らなかったじゃないか。今日はずっと外にいたし」


 再びゴロリとキリルの体が転がって、呆れ顔がベルの方を向いた。


「あんたマジで王族だな。庶民はそう毎日風呂なんざ浴びねえんだよ」

「でもキリル」

「あァ?」


 小さく、ベルは本当に小さい声で「あまりこういうことは言いたくないのだけど」と前置きして、整った眉をくいと下げた。


「君、ちょっと、結構、獣みたいな臭いがするから。体を綺麗にしてから床に就いた方が、宿の人も助かると思う」


 キリルから情けない声が上がった。






 その夜、キリルは珍しく夢を見た。

 キリルは無数の星が瞬く暗闇にいた。可憐な少女がぴょんぴょん嬉しそうに飛び跳ねて、自分に抱き着いてくる。それを呆れつつも抱き留めてやると、少女の後ろでずらりと並んでいた何人もの女性や少女や老女たちが、一様に安堵したような表情を浮かべる。

 キリルは何かを約束した。その約束に従って、後ろの女性たち数人にふうっと息を吹きかけると、その姿が淡い光になって溶けていった。少女は満面の笑みで顔を輝かせ、キリルにまた抱き着いて、感慨深げに呟いた。


「よかった。これでわたしたちみんな、ようやく還れるのね」


 キリルは少女の言うことがよく分からなかった。ただ、この時のキリルは何かすべて分かっているような気になって、ぽんぽんと頭を撫でてやったのだった。






  * * *






 三日ほど町の酒場で情報収集を行った結果、“紅鴉”はどうやら西の山を拠点にしているらしい、ということが分かった。“眠りの森”地域を囲うようにして通る交易路のうち、この町から西の山向こうまでの道を縄張りにしているのか、隊商キャラバンの襲撃事件が相次いでいるのだ――と、何人もが口を揃えた。


「俺ン隊商とこもやられっちまってよ。商品が根こそぎ持ってかれちまった。立て直す金もねえ。これが飲まずにやってられっか」

「けどよ、おっさん、そいつらがどうして“紅鴉”だって言うんだい?」


 キリルの問いに、酒場で飲んだくれている中年男は唾を飛ばしながら答えた。


「そらァおめえ、黒地に紅い鳥っつったら、“紅鴉”の印以外にねえだろ。俺ァ見たんだ、奴らほとんど印付きのバンダナ着けてたんだぜ」

「ふうん。そりゃあ災難だったな。ほら、一杯奢ってやるから、そうくよくよしてんなよ。おい亭主、この哀れな商人あきんどにこれでちょいといい酒やっとくれよ」


 泣き崩れる中年男のテーブルに銀貨を一枚置いて、キリルは酒場を後にする。盗賊団の紋章の目撃情報はこれで八件目。断定材料としては十分だと、キリルは判断した。


「明日には発つぜ。西の山のどの辺りに構えてるかも大体分かった」


 大股で宿へと向かう道中、キリルは背中の荷袋に向かってぼそりと呼び掛けた。すると透き通るような声が返ってきた。


「キリルは凄いなあ。こんなに早く盗賊団が見つかるなんて」

「あんたも出来るだろ? このあたしを脅して、あの城から連れ出させたんだからさ」

「ふふ、どうだろうね」


 かまととぶってんじゃねえとキリルは小さく口を尖らせた。


 ベルの頼みで、キリルは滞在中毎日風呂に入っている。今日も宿に戻るなり、キリルは併設の入浴施設へ行くようベルに勧められた。無料で入れるのだから気兼ねもないだろう、入った方が気持ちよく休めるよ、と様々理由を並び立てられ、最後には「スラムじゃ気にならなかったのかもしれないけれど、町で宿泊するのならになっておいた方がいいと思うよ」と決まって毎度止めを刺されるのだった。

 残念ながら、キリルに反論の余地はない。それでここ三、四日で、キリルはだんだんと小ざっぱりした雰囲気になってきている。


「殿下ー、上がりましたよー。ったく、石鹸の匂いが落ち着かねえ……あたしは水に濡れるのが嫌いなんだ」

「本当に獣みたいなことを言わないでおくれよ。でも、よく眠れているだろう?」

「護衛のあたしがよく眠っちゃいかんだろうに。何だい、ひとを人間じゃねえみたいによぉ……」


 湯上りでほかほか湯気を漂わせるキリル、しかしやはり大柄で筋肉質の体躯が、女性的とは感じさせない。心なしか毛先のまとまってきた黒髪を手拭いでガシャガシャ乱暴に拭いている。


「明日は山登りだ。交易路だから道は悪くねえとは思うが、きちんと自分の足で歩いてもらうからな」

「是非そうさせてもらうよ」

「おや、いい返事だな」


 それはそうさと、ベッドに入りながらベルはにこにこと笑った。


「不謹慎かもしれないけれど……いろんな土地を見て回るのはとてもわくわくする。きちんと自分で世界を見て、聞いて、感じなきゃ、勿体ないだろう?」

「……ふん、そういうもんかね」

「それに“二百年後の世界”というのも面白いしね。父の呪いも解けていないし、狙われているのは変わらないけれど、何だか枷が取れて自由になったみたいに、心も体も軽いんだ」


 キリルにおやすみと挨拶したベルは、眠る前の祈りを捧げて、目を閉じた。ほどなくして安らかな寝息が上がる。安心しきったような寝顔は今日も美しい。


「まあ……あんたの気持ちも、ほんの少しは分かるかもな」


 ぽつりとそう溢して、髪を拭き終わったキリルも床に就いて明かりを消した。護衛の役をするキリルは完全に警戒を解くことはしない。片目だけを閉じ、もう片方の目で暗闇をじっと見つめながら、キリルも浅い眠りに入った。






 交易路にも関わらず、山道は閑散としている。

 なだらかな坂道は木々が少なく、岩や下草ばかりで視界が広い。そんな中に伸びる道は、程よく手入れがされて歩きやすいというのに、ロバに荷を積んだ老人や男と何度かすれ違うのみで、行商人や隊商は一つとして見ない。以前は活気づいた場所だったと聞いた後では、より寂寥感を誘う景色だ。

 そんな中、キリルは実に陽気に道を進んでいた。


「いやあ、本日も晴天なりっと。あんたの魔法は悪天候も跳ねっ返すのかい?」

「そんなことが出来たら、日照りで国が大変なことになるじゃないか」

「真に受けんなよ。ほらほら、外の世界を楽しむんだろ? もっと肩の力ァ抜いて、気楽にやろうぜ」


 キリルは豪快な笑い声を上げて、ベルの肩に腕を回した。その力の強さにベルは思わずよろめいたが、キリルは気にも留めず、妙に芝居がかった仕草で辺りを指し示した。


「ほれ、見なされ殿下。鳥は歌い花はそよぎ、青い空に白い雲。ああ、何と素晴らしく美しき世界!」

「鳥も花も淋しげだけれどね。それはそうとキリル、お願いだから『殿下』はよしてくれないか」

「堅いねえ。っと――近いな」


 肩に回した腕でベルを止め、キリルは荷袋と一緒に背負っていた杖を手に持った。小声で「あたしから離れんじゃないよ」とベルに指示し、次いですうぅと息を吸い込んで声を張り上げた。


「いるのは分かってるぜ! 顔見せな、盗賊ども!」


 キリルの怒号が岩ばかりの山肌にこだましていく。辺りに響き渡ったところで、岩々の陰からわらわらと男たちが姿を現した。彼らは頭や腕に黒い布を巻き付けていて、チラリと赤い鳥のような模様が見える。


「彼らが“紅鴉”……」

「案外すんなり見つかったな。よう、お勤めご苦労さん。あたしはあんたらの頭と古い馴染みでね、久々にツラ拝みに来たんだが、隠れ家へ通してくれないかい?」


 持参した酒を掲げて、朗らかに盗賊たちに呼び掛けるが、一言も返ってくることはなかった。ただ無言で武器を構えられるばかりだ。

 ベルがキリルに耳打ちした。


「キリル、それじゃあ信じてくれないよ。今のはまるでペテン師の口上だ」

「んなッ……言ってくれるじゃねえの。まあ信じてくれるとは少しも思っちゃいねえさ」

「負け惜しみ?」

「違ェわ! 向こうもこっちも一戦交える気満々って意味だよ!」


 キリルの言う通り、彼らはじりじりと包囲網を狭めてきている。キリルも手の中の杖を握りしめながら、ベルの方を振り返った。


「こっからは荒事の時間だ。あんたは袋に入ってるかい?」

「いいや、ここで見ているよ。案ぜずとも、〈茨の魔法〉があるから、自分の身は自分でちゃあんと守れるよ」

「へへ、頼もしいや。そんじゃ――行くぜェッ!」


 言うや否や、キリルは目にも止まらぬ速さで男たちの懐に入り込み、みぞおちを蹴り上げ杖で胸を突き、かと思うと地面に体を沈めて足払いを食らわせた。図体の大きい男たちだが、この数秒で三、四人も倒れ込んでしまった。


「こんなもんじゃねえだろ? ほら来いよ、こっちは女一人だぜ」

「くそッ、かかれェ! 魔法使いは足止めだ!」


 怒号と共に、一斉に盗賊たちが襲い掛かってくる。キリルは投げ飛ばしたり蹴り飛ばしたり、杖で突いたり殴ったりと向かい来る敵を捌いていくが、不意に敵の背後から光線が迸った。


「ヒュウ、あっぶねえ」

「今のは当たるとこだろ!? あの体勢から避けるってのか……!」


 キリルは安堵し、敵は悔しげに歯を鳴らす。しかし双方手を止めることなく、盗賊たちは数で圧倒せんと猛攻を続け、キリルはひたすらに薙ぎ倒していく。


 その様を、マントとフードで身を隠すベルは傍観していた。成り行きでかの女盗賊と行動を共にすることにしたが、彼女の強さはベルの想像を遥かに超えていた。ベルがこれまでに出会った誰よりも……祖国アウレリアで最強と謳われていた騎士をも容易に凌ぐだろうと、ベルは見積もった。

 その一方で呆れてもいた。


(『魔法を使えない』とは言っていたけれど、何も魔法の杖でことはないだろうに)


 キリルが振り回すのは年季の入った樫の杖だ。力のある魔法使いが手にすれば、上質な媒体となり強大な術も難なく使えるだろう。

 そんな代物だというのに、槍より太く、長さもちょうどいい上質な“木の棍棒”くらいにしかキリルは思っていない。事実、杖はキリルの怪力を充分にのせて、敵に多大な攻撃を加えている。


 杖を思うと可哀そうな気持ちになるベルだったが、フードの中では笑顔を浮かべていた。これでいいのだ。これがきっと“キリル”という人なのだ。


「――よそ見してると人質に取られるぜ!」


 突然、ベルの背後から一人が襲い掛かってきた。

 しかしベルは少しも慌てることなく、フードの中から一瞥だけくれてこう唱えた。


「〈僕の片割れ、守っておくれ〉」

「あァ!? 何言ってやが――」


 盗賊の言葉は最後まで続かなかった。ベルの足元から勢いよく茨が生えてその身を包み、盗賊の下顎に激突したのだ。茨は一撃では留めず、触手のように蠢いて盗賊を弾き飛ばした。


「ご覧の通り、僕には近付かない方がいいよ。吹き飛ばされるか、さもなくば体を締め上げられてしまうからね」

「ぎゃっはっはっは! 綺麗な顔しておっかねえなァ!」

「僕は君の方が怖いと思うけれど、キリル?」


 地面にほとんどの男たちが倒れ伏す中、無傷で高笑いを響かせるキリルに向かって、ベルは言葉を返した。キリルは興奮に任せたような荒々しさを見せていながら、その戦闘っぷりは実に冷静なもので、激戦の最中において的確さが少しも失われることがなかった。

 王子であるベルに戦地の経験はない。しかし、戦闘で我を見失わないことの重要さ、その強さを、ベルは感じたのだった。


 キリルは杖で地面をどんと突いて、高らかに言い放った。


「さあ、てめえらの負けだ、“紅鴉”。カシランとこまで案内しな」

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