第3話 女盗賊と王子の契り

 小高い山の上に建つ“眠りの城”は、常に霧の漂う森に囲まれている。その森を南東へと抜け、麓を流れる川を越えて更に行くと、女盗賊キリルがねぐらとする貧民街が見えてくる。

 キリルは外套もフードも身に着けたまま、曲がりくねった細い路地を進んでいった。元は古びた石造りの街であったところへ、無秩序に木造家屋やバラック小屋を構えている上、その隙間にまで生活痕やらゴミやらが詰め込まれているので、道は複雑で薄汚れているし、そこらじゅうすえた異臭で満ちている。


 キリルはやがて、貧民街の南側区域へと辿り着いた。埃っぽさや異臭が幾分薄れているのは、南に行くにつれ貧困層の住民が減っていくためだ。もっと南方へ行けば豊かな街が見えてくるが、盗賊のキリルは滅多に寄り付かない。

 歪に曲がった三叉路で、杖を担ぐキリルは左に進んだ。「骨董・古物」の立看板を掲げる店の前でようやく足を止め、扉を開けて中へ入った。


「よォ、邪魔すんぜ。旦那いるかい?」

「うるせえ。も少し静かにしやがれ」


 所狭しと品々の並ぶ薄暗い店内の奥から、片眼鏡をかけた初老の男が姿を現した。この古物商店の店主である。糊のきいたシャツにループタイを締めた出立ちは上品にも見えるが、ぶっきらぼうな言葉遣いと視線がそれを完全に打ち消している。


「テメエが来ると客が寄り付かねえ。暇つぶしなら失せろ」

「おやおや、上客相手に随分な言いようじゃねえか。コレ見ても同じ口が利けるかな?」


 背負っている荷袋から戦利品の指輪を取り出して、キリルはニヤリと笑って見せた。


「あたしの見立てじゃ、コイツは大体二百年モノだ。興味あるだろ?」

「……ふん。寄越してみろ」

「お宝はこれだけじゃあないんだな。コイツと同じかそれ以上のお値打ち品、しめて十か二十ほど。どうだい旦那? あたしをまだ追い出す気かい?」


 店主は舌打ちと共にカウンターの方を顎で指した。キリルが勝ち誇ったようにニイッと笑みを深めた。

 壺や置物がぎっしり並んでいるのを適当に店主が退かせたところに、荷袋をどさりと置いて紐を解き、キリルは品物を出して並べていった。


「いっぺんにこんな持ち込むんじゃねえ。いくらか時間貰うぜ」

「それはいいけど、この指輪の鑑定料だけでも先にくれねえか。腹ァ減ったんだが、今一文無しなもんでよ」

「馬鹿が。どら、見せてみろ」


 指輪を片眼鏡に透かし、蝋燭を手元に引き寄せてまじまじと観察する。店主が動かす度に、指輪はキラリと淡い光を反射する。


「……こいつァもしや、ウルリッヒ家か?」

「あ?」

「いっとき“鉄の国”で力を持った一族だ。今じゃあ完全に没落しちまって、お家取り潰しンなったが」

「その指輪がそうだって?」

「当主の指輪はキチンとした場所で保管されとる。これァ家の者だって誇張するためのモンだな」


 指輪から目を上げた店主は、シワの浮く指を四つ立てて見せた。


「何? 金貨?」

「バカ言え。銀貨だ」

「はァ!? 金貨一、二枚は見てたぞ!」

「当主でもねえのに家紋ひけらかすような品持ってるってこたァ、家門が相当偉いかヤバいかのどっちかだ。どこで拾ってきたか知らねえが、多分調べりゃ胡散臭えネタがゴロゴロ出てくるに違いねえ。そんな厄介を銀貨四枚で引き取ってやろうってんだ、むしろ感謝されるところだぞ」

「嘘だろ……四枚はねえ。せめて八枚」

「五枚と銅貨二十。それ以上ならこの取引はナシだ」


 キリルが溜息と共に諸手を挙げた。キリルの負けだ。

 代金を受け取ったキリルは再び荷袋の口をきっちり締め、斜めに肩に背負って長杖を担いだ。次の品の鑑定に移っていた店主だったが、支度を終えたキリルの背に向かっておもむろに呼び掛けた。


「おい。品はこれっきりか」

「あ? ……何で」

「まだ入ってんだろ、そン中によ」


 フードの向こうで、ほんの僅かにキリルの目が瞠られた。それもすぐさまふっと笑って掻き消した。


「あたしだって、自分で持っときたいお宝はあるさ」

「魔道具か。気ィつけろよ、一歩間違えりゃ命取られるだけじゃ済まねえ代物だって――」

「わーってるっての。んじゃ、頃合い見計らってまた来るよ」


 ひらりと手を振って店を後にすると、ボロ布で鼻まで覆って、また薄汚い町を突き進んでいく。しばらく進んだところで、背中の荷袋から透き通るような声が囁いてきた。


「あの古物商、僕の存在に気付いていたのかな」

「伊達に鑑定やってねえな、あの野郎。流石に中身が人間とまでは思わなかったみてえだが……」


 「つーか喋るな」と低い声で嗜めて、足早に町を進み、露天商で食べ物や飲み物を買い込んだ。やたらと量が多いと驚く商人に、久々のメシだからなと軽く返して金を突き出し、再び大股で歩き出したかと思えば、とある場所で歩みを止めた。その家は今にも崩落しそうで、二階部分が露出している。

 キリルは扉の抜けた入り口をくぐって奥の部屋へと向かった。昔は納屋であったであろうそこで棚によじ登り、天井の一点を肘で突くと、天板がずれる。その隙間から身体を入り込ませて上に登れば、キリルの隠れ家だ。


「ささ、汚ねえところですが。……いや流石に汚ねえな。これでも尻に敷いてくだせえ」

「あなたの上着では?」

「いいんだよ、泥も砂も雨も血もいいだけ被ってんだ、それ以上汚れるこたァねえさ」


 王族を気遣っているのかいないのか分からなくなるが、王子は頷いて外套を受け取り、きちんと折りたたんで行儀よくその上に腰を下ろした。対するキリルは荷袋をまさぐって買ったばかりの飲み物を王子に差し出した。果実を絞った汁を水で薄めて飲みやすくしたものだ。


「盗人にゃこれが精一杯のもてなしだ。そいつで我慢してくれ」

「ありがとう」

「素直すぎて怖えな……」


 瓶を傾けながら、王子の青い目がきょろきょろと辺りを観察する。外から見た時は二階が吹き晒しになっていると思ったが、ここは奥に隠れた部屋なのだろう、やや埃っぽいが風雨に晒されることはなさそうだ。

 その代わり、窓はない。家具の一つもない。ただ朽ちかけの床板の上に毛布が無造作に放り置かれているだけだ。


 淡いブルーの目は次いで、目の前でどっかり胡座をかいて瓶を煽る女盗賊に向けられた。フードも外套も取った彼女は、本人が言わなければ間違いなく男と見紛う風貌だ。伸びっぱなしでボサボサの黒髪を適当にまとめ、前髪の向こうから覗く切れ長の目は鋭いし、荒れた肌にはそばかすが浮いている。女の割に背は高く、ガッシリと逞しい体つきに、袖が不揃いに破れた男物のチュニックを着て、これまた男物のズボン、それに丈の短い古い編み上げ靴という出立ちだ。


「盗賊は初めてですかい」


 前髪の向こうから険のある目付きが向けられた。対する王子は怯むこともなく、ふわりと微笑んだ。


「そうだね、初めて会ったよ。あなたほど凛々しいひとも初めてだ」

「ヒヒヒ、上手いねえ色男。……さて、一息つけたところで話をしようじゃないか。え? さんよ」


 王子は瓶を置いて、改めてキリルに向き合った。顔立ちこそ美しいが、醸す雰囲気や姿勢は間違いない、のそれだ。


「あの城から連れ出してくれたこと、無茶を言ったが感謝している。僕の名はベルフォート・クリス・アウレリア。アウレリア王国の第一王子だ」

「アウレリア……?」


 ゆっくりとその名を呟いて、記憶の中をまさぐる。しかし思い当たる単語ではないようで、視線がゆらゆらと宙を辿るばかりだ。


「アウレリアの名を?」

「ああ……ああ、知らねえな。初めて聞く名だ」

「そうか。国を閉じてから年月が経てば、やはり仕方がないのだろうね。あの場所は国と国の交易路が交差する場所で、自然と街が作られ、周辺国家の中立を担う形で国が成り立ったと聞く。アウレリアがどこかに落ちれば、国家間の均衡が崩れてしまう……それほどに重要な地点だったんだ」

「なるほどね。まあそんな国が実質絶えたとなりゃ、その辺の情勢も変わる。あんたの国の名前は伝わらねえまんま、茨の向こうに眠る姫さんが超美人って話だけ残った。……超美人ってところしか合ってねえけどよ」


 キリルの目は警戒心を隠すこともせず、目の前のベルフォート王子を睨んで指を突きつけた。


「いいか、あんたにとって後世になった今じゃ、あんたの国はってことになってんだ。ところが今の口ぶりじゃまるで自分から眠ったみてえだ。ここから先、一盗賊のあたしが聞いても何の得にもならねえどころか、しち面倒に巻き込まれる未来しか見えねえんだが?」

「……多分、あなたが国を訪れた時点で、既に事は動き出していたんだ。魔女が『計画を改める』と言ったことと関係があるかは分からないけれど、普通〈茨の魔法〉も〈紬車のまじない〉も、そうやすやすと解けはしない」


 悩ましいといったふうに、形のよい眉が下がった。


「僕の持つ〈茨の魔法〉はね、王家に伝わるとても強力な魔法なんだ。国中を覆っていた茨は魔法だった。ところがあなたは拒絶されず、中にまで入り、僕の元へ辿り着いた。それどころか、魔女たちがかけた強力な〈紬車のまじない〉まで解いてしまった。……何が起きたのか分からないのは僕も同じ。だから、あなたを巻き込んだのは僕というより、魔女たちの方だろう。遣い鳥を寄越したところを見ても十中八九はね」


 片膝を立てたキリルはふうむと唸って、顎に手を当てて考え込んだ。

 キリルが〈紬車〉と〈茨〉の関係性に疑問を抱いたのは、あながち的外れでもなかったということだ。〈紬車〉は王子を町ごと眠らせるまじない、〈茨〉は王子本人による外敵排除の魔法と、それぞれ別物であったのだ。それらがどういう訳かキリルの前で解けてしまったのは、魔女が為したわざだろうというのが、王子による推測。

 その推測は一応、辻褄が合っている。彼がキリルの協力を得るための方便ともとれるものの、納得できる要素は揃っている。


「……じゃあ、落とし前つけてえんならあんたじゃなく魔女に、って?」

「そういうことになるのかな。あなたが何を望むのか、僕は理解しきったわけではないけれど、あなたには僕が魔女の元へ訪れるのを手伝ってほしいし、一緒に来てくれるのなら“落とし前”もつけられると思う」

「あたしの望みは、当分食いっぱぐれないことと、懐が十分に暖まることで、厄介ごとに振り回されんのは正直ご免だ。――と、言ってもいいんだが」


 女盗賊キリルは、不意にニイッと口元を歪めて、王子にずいと迫った。


「なあベルフォートさんよ。あんたの言う手伝い、つまり旅道中の護衛を引き受けりゃ、ちったァ恩賞がもらえたりなんぞはしないかね?」

「……え」

「ほらァ、あたしは腕利きだよ? その綺麗な顔に泥一つ付けさせやしねえさ。そうすりゃ王族のあんたからご褒美がもらえるってワケだ。どうだい? お代が約束できるってンなら、この先の面倒も付き合ってやるよ」


 王子は暫し、美しい顔を大層困らせて考えた。困り顔も綺麗なもんだな、とキリルは半ば呆れを混ぜて感心した。

 唇をしばらく引き結んでいたベルフォートは、やがて諦めたように息を吐いた。


「お、取引する気になったかい?」

「……僕は城での立場も微妙なところでね。正直、確約はできないけれど……悪いようにはしないと約束しよう」

「何だそりゃ。微妙ってンなら簡単だろ、城であんたと敵対してる奴ら全員ねじ伏せて、あんたが王になりゃいいのさ」


 ベルフォートの青い目がいっぱいに見開かれた。埃の舞う薄暗いこの空間で、その目玉はひと際綺麗に輝いて見えた。


「何驚いた顔してんだよ。だってそうだろ? 王になっちまえば、城の財産だってあんたの思うままさ。そのうちちょいとばかし、護衛を担ってくれた女盗賊に分け与えてくれりゃ、それ以上の褒美は望まねえよ」

「……ふふっ、あははは! なんて面白い人だろう!」


 まるで鈴を転がすようにベルフォートが笑うので、キリルは少々面食らった。ひとしきり笑った後で、涙を指で拭ってベルフォートは手を差し出した。


「いいだろう、なら僕が王になるまで協力してくれ」

「ヒヒッ、契約成立だな。あたしはキリル」

「僕のことはベルと呼んでくれ。よろしく頼むよ、キリル」


 二人は握手を交わした。王子は護衛を、女盗賊は見返りを、それぞれ求めての関係がここに成り立った。

 その様子を、ほのかに光る小さな鳥が天井の隅で見守っていた。キリルの手の力強さに「いたた」と声を上げるベルを見て、小鳥はひとつ羽ばたいて壁をすり抜けると、どんよりと暗い貧民街の遥か向こうへと消えていったのだった。

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