03 襄陽の嵐

「チャガン将軍、宋の孟珙もうきょうが攻めてきました」

 この時代、南宋は公式には「宋」であるため、金や蒙古モンゴルの将は、いずれも宋の孟珙と呼んだ。

 チャガンは斥候ものみの兵を労って下がらせ、襄陽じょうようの城門を閉じ、城壁の兵には必要以上に応戦しないよう命じた。

「我ら蒙古は城のいくさは苦手。ならば、基本に忠実であれば良い。さすれば、おのずと敵は退こう。時をおかず、クウン・ブカ将軍、あるいは史天沢がやって来る。それまでの辛抱だ」

 さすがに落ち着いて指揮を執るチャガンに、蒙古の兵たちは安心し、それぞれの持ち場につき、チャガン自身は櫓に上った。

「トゥルイどのと馬をならべて戦った男か……フビライどのから、端倪たんげいすべからざる男と聞くが、どうかな?」

 チャガンが基本に忠実であるように、孟珙もまた、定石に従い、遠巻きに矢を射かけるという矢戦をしかけた。

「ふむ……手堅い用兵だが、面白味はない」

 チャガンが、これなら城外へ出て、ひと当てしてみてもいいかと思った時、孟珙の軍に変化が生じた。



「城門へ突進せよ! 丸太を突っ込め!」

 孟珙の怒号にも似た命令に、兵たちは勇んで馬を馳せ、丸太を担ぎ、一丸となって襄陽の城門へと突撃した。

 矢戦に慣れてしまった蒙古軍は突然の変化に対応できず、南宋軍の城門へ破壊攻撃を許してしまった。

「チャガンどの!」

「落ち着け! おそらく、我らの援軍到来の報に接したのであろう、それゆえの焦りよ!」

 チャガンは動揺する幕僚たちを鎮めると同時に鼓舞した。

 援軍、すなわちクウン・ブカや姚枢、史天沢らが襄陽に至るのはもうすぐ、と。

 チャガンが落ち着きを取り戻す兵たちに、改めて命令を下す。

 城門を開け、と。

「は、しかし……」

「このまま無理矢理城門を破壊されても困る。基本の矢戦も良いが、ここは蒙古の鉄騎をもって、撃退する」

 城にこもっての戦いに、そろそろ兵たちがんできたのを見て、チャガンは士気を高める必要を感じ、出撃を命じた。



「城門、開きます!」

「自慢の鉄騎を出してくると見た。丸太は置け! 矢戦の用意!」

 丸太を騎兵の邪魔になるように置いて、南宋軍はさっと城門から離れた。

 ほぼ同時に城門が開き、蒙古の誇る騎兵たちが勇躍して飛び出して来た。


 蒙古が誇る、蒙古騎兵。

 成吉思汗をして、世界を取らせたと言わしめる、精強の騎馬部隊である。


「射よ!」

 孟珙は危なげなく、距離を置いての弓兵の射撃に徹した。このあたり、孟珙自身が、蒙古と共闘し、または友軍を追撃から救った経験が大きい。

の矢など気にするな、とにかく突撃せよ!」

 チャガンは西夏の出身であるので、たまに表現がそぐわないこともあるが、騎兵たちは即応して突っ込んでいった。



 一方の孟珙は、弓兵を中心とした反撃に徹し、しかし、徐々に後退していった。

り足で後退あとずさるがごとく、次第に次第に退いていけ」

 南宋軍のじりじりとした後退に、チャガンは罠の存在をいぶかしんだ。そのため、蒙古軍の進撃も遅々とした、慎重なものとなった。

「折角出撃したものの、これでは機を転ずることがかなわぬ」

 チャガンは鶏肋けいろくの故事を思い出し、全軍に撤退を命じようとしたその時だった。

「チャガン将軍! 敵軍の後方に、兵が現れました!」

 襄陽の櫓の斥候ものみからの急報に、チャガンを始め、蒙古の将兵の心は躍った。斥候は、さらに第二報をもたらす。

「旌旗には史と書かれているようです!」

 真定の史天沢か、とチャガンは破顔した。

「クウン・ブカ将軍と姚公茂がやってくれた! 全軍突撃!」

 蒙古軍は今こそと、勇躍して南宋軍に襲いかかった。

 一方の南宋軍は蜘蛛の子を散らすように、わっと叫んで、それぞれが一目散に逃げ出した。

「孟璞玉将軍、これではあまりにも……」

「承知しておる。三十六計逃げるにかず、といったところかな」

 孟珙は兵らを責めることなく、自らも剣を取って蒙古軍の追撃を防いだ。



「チャガン将軍、孟珙の軍はほぼ四散した模様」

「うむ」

 ばらばらになった南宋軍のを、『史』の旗印の一軍が進んでくる。

 その将とおぼしき一騎が、駆けてくる。

卒爾そつじながら申す。なんじはチャガン将軍か」

 金朝の訛りの漢語。

 この男が、史天沢に相違ない。

 チャガンは挨拶をしようと馬を寄せた。

「足労である。予はチャガンである」

「…………」

「いかがした? そういえば……クウン・ブカ将軍と姚公茂どのは?」

「…………」

「……何故、何も答えぬ?」

 この時点で、チャガンは馬を返して襄陽の城中に戻るべきであったが、生来の勇敢さが災いし、重ねて問おうと馬を進めた。

「貴殿は真定の史……」

「……残念ながら、ちがいますなあ!」

 いつの間にか『史』の旗は下ろされ、別の旗が掲げられた。

 劉、と。

「孟璞玉はくぎょくどのの別動隊、劉武仲! 襄陽の城を頂きに参った!」

「……何ッ!」

 劉整の剣がチャガンを襲う。

 チャガンは馬を巧みに操ってかわしたが、その隙をついて劉整の軍は襄陽の城門へ驀進ばくしんする。

「しまった! 詭計か!」

 劉整は金の出身。華北訛りの漢語はお手のものである。

 そして、この機に、四散していたはずの孟珙の軍も再集結を遂げ、劉整の軍に続いて、城門へ突進した。

 チャガンを襲ったのも詭計であり、劉整、いや、孟珙の狙いは、襄陽の攻略にあり、チャガンとはそれ以上戦わず、城門をあっという間に占拠した。

「逃げる者は追わぬ! 降る者は殺さず!」

 孟珙のその叫びに、蒙古軍は一目散に逃げ出す。草原に生きる者たちは、命を捨てる時機をわきまえており、逃げられるときは、徹底的に、逃げた。

「……是非もなし」

 チャガンもそれを責めるようなことをせず、逃げて来た者たちを糾合し、そして城の扱いに慣れている南宋軍を相手に城攻めをせず、北へ撤退していった。


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