第24話 十五の嘘 ⑧


 翌日、障子越しに差し込む陽の光で咲は目を覚ました。

 時計の針は九時を過ぎたところ。

 寝過ぎたことを反省しながら、眉間を押さえる。

 外から聞こえる物音に恐る恐る障子を開けると、中庭にいるあやめが洗濯物を干していた。


「あ、おはようございます」

「おは……ごめん、手伝う」


 慌てて中庭に出ようとするが、あやめが「大丈夫です」と咲を制した。


「私の仕事なので。あ、当主様は高校に行きましたよ、随分前に」

「……寝坊してごめんね」

「大丈夫です、気にしてません」


 言葉とは裏腹に、あやめは本当に咲の寝坊を気にしていないようだった。

 パンっと、あやめが着るにしては大きいシャツを広げてハンガーにかけていく。


「それってもしかして、広の?」

「はい。当主様の洗濯物は私がお世話しています。本棟の方達に任せてもいいんですけど、私の仕事が減るので」

「仕事?」

「洗濯したり掃除したり、当主様の身の回りのサポートをするのが私の仕事です」

「あやめちゃんがそんなことしてるの? 広は家事できないの?」

「……今の言葉で気がつきました。私の行為は、当主様をダメ人間にしていたかもしれません」

「そんなことは……自分のことは、自分でやったほうがいいね」

「それとなく提案してみます。お礼に私も、咲さんに提言をします」

「なに?」

「下着は上下色を、可能ならばデザインを揃えたほうが運気があがります。何よりダサイし、サイズあってなさそうだし、新しいの買ったほうがいいですよ」


 洗濯籠の中の、上がピンク下がクリーム色の下着を指さしながらあやめがいう。

 見覚えのある、咲が昨日身につけていた……


「ちょ……いいから、そういうお節介いらないから!」


 羞恥と困惑、動揺で顔を真っ赤にして中庭にかけてくる咲。

 慌てるその仕草が愛らしくて、あやめは微かに笑みを浮かべた。





 偶然にも、教室についたタイミングは織斗と広、同時だった。

 織斗は東の廊下から、広は西の廊下から。下を向いて歩いていたので、教室の入口でようやくお互いの存在に気づく。


「お、はよ」


 言葉もまた同時に、気まずそうに挨拶する。


「先入れよ、広」

「織斗が入れよ」


 お互いに譲り合い、入口で立ち止まる。

 しばらく動かないでいると、教室の中から川谷が飛び出してきた。


「何してんだ、神木緋真コンビ。邪魔なってるぞ」


 川谷の声に振り返ると、二人の後ろに女子生徒が立っていた。


「あ、大丈夫です。邪魔になってないです」


 女子生徒は遠慮がちにいい、チラチラと広を見る。邪魔だったが、声がかけれなかったのだろう。

 広は先に女子生徒を通し、続いて自分も中に入る。


「咲、元気?」


 しかし織斗の声に、広が振り返る。


「ああ、そうだった」


 広は思い出したように引き返し、織斗の制服の胸ポケットに四つ折りにしたメモ用紙を入れた。


「昼のお前に渡すから、それ」


 一方的に告げ、広は教室の中へ戻った。

 織斗はメモ用紙を取り出し、中身を眺めた。

 そこに書かれていた内容を見て顔をあげるが、すでに席に座っている広は川谷と何かを話し込んでいた。


「昼の、俺に……」


 友人として渡した手紙。

 生徒たちが行き交う廊下、織斗はそれを再びポケットに入れ、教室に入った。


 広が織斗に渡した二枚のメモ用紙。

 一枚目には、緋真の屋敷の簡単な間取り図が描かれていた。本棟と書かれた屋敷の端に、【当主の間(通称:離れ)】と赤い文字で書かれている。

 二枚目は織斗への手紙だった。


[ 朝起きてこなかったから、よく寝れたんだと思う。

  離れにはあやめも暮らしてるから、変な心配はしなくていい。

            以上 ]





「そういえば咲さん、学校はいいんですか?」


 午前十時半、一通りの家事を終えたあやめが言った。

 縁側で庭を眺めていた咲だが、ドキッとして視線を逸らす。


「私……小学校の途中から学校行ってなくて」

「行ってない? それはありなんですか?」

「ナシ、だよね。普通は」

「そうですか、残念です」

「あやめちゃんは、学校は?」

「今日は休みです」

「休みなんだ」

「はい、休みにしました」

「……?」


 深く追求していいものかわからず、咲はあやめから目線を逸らして話題を変えた。


「私ここに居ていいのかな? あやめちゃんと広って一緒に住んでるんだよね、ごめんね」

「謝罪の理由がわかりませんが?」

「だって私、邪魔者でしょ?」


 ますます怪訝な顔をするあやめだが、やがてその言葉の意味に思い当たって空を見上げた。


「私と当主様の間に恋情的なものはありませんよ。ただの主と家臣です」

「でも一緒に暮らしてるよね?」

「従兄妹同士だしそれ以前に、当主様とは別の関係になることを望んでいるので」

「別の関係?」

「…………」


 じっと咲の瞳を覗き込むあやめ。

 やがて顔を逸らし、小さく深呼吸した。


「私、遺伝子的な父親はいるけど、そう呼べる関係の人はいないんですよね」

「……え? ん?」

「私がこの屋敷に来たというか、緋真の人間になったのは、当主様が緋真当主に就任した日です」

「えっと、二年前だっけ?」

「それまでは緋真家と関係ないところで暮らしてました、母親と二人で」

「そうなの? でも緋真って、一族の管理に厳しいよね?」

「外で暮らしている人もいますよ。まぁ、監視は厳しいみたいですけど。私はその中でも例外、本当に予定外でした」

「予定外?」

「父親は女好きの甲斐性なしだから結婚も認知もしてもらわなかったと母は言っていました。稼いだ金は酒と母の娯楽に消え、私たち親子は荒んでいました。そして二年前です、母は偶然、父の実家である緋真に財力があることを知り、この屋敷に乗り込みました……何の話してましたっけ?」

「え? あ、えっと、あやめちゃんと広がこの部屋で暮らしてて、私が邪魔者って」

「あぁ、そうでしたね。私の父親は当主様の叔父、つまり緋真本家の直径だったんですよね。そんな男が他所でこそこそ拵えた隠し子が私。当然、緋真家からは歓迎されず、居心地は悪かったです。それを見兼ねた当主様が、この離れを改装してくれました。だから当主様は私のことをそのような目で見てない、あえて言うなら親心ですかね」

「広って、優しいよね」

「宇宙が爆発するレベルで優しいです」

「……例えが、ちょっとよくわからないけど、あやめちゃんは広に、大事にされてるね」

「……その根拠は?」

「広って本当に大切な人しか自分のテリトリーに入れない気がするから。同じ屋根の下で二年も一緒に暮らせてるあやめちゃんは、広にとって特別な存在だと思う」

「……咲さん今、自分がなに言ったかわかってます?」

「え?」

「そうですね、当主様は本当に大切な人しか自分のテリトリーに入れない。邪魔者はむしろ、私のほうですね」

「邪魔者? どうして?」

「当主様と咲さんは、相思相愛の仲なんでしょう?」

「そうしそうあい?」


 言葉の意味をはかりかねていた咲だが、気づいた途端、ぶわっと顔を赤く染めた。


「違っ、違うよ! そういう関係じゃない」

「大切な人しか自分のテリトリーに入れないって、さっき自分で言ってたじゃないですか」

「あれはあやめちゃんのこと! とにかくそういう関係じゃなくて、広が私に優しいのは、織斗くんの妹だからだと思う」

「……咲さんと当主様、お付き合いすることになったのでは?」

「だから違うって! そういう関係じゃない!」

「…………えぇっ⁉︎」


 あやめにしては珍しい大声が中庭に響いた。

 どうやら、広と咲が恋仲になったと勘違いして、あやめは身の上話をしたらしい。

 広の恋人である咲を勘違いさせてはいけないと。

 不貞腐れてそっぽを向くあやめと、一生懸命に彼女を宥める咲。

 しかし不穏な空気は長続きせず、昼食を摂る頃には普通に話をするようになり、広が帰宅した時にはすっかり打ち解けていた。

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