第23話 十五の嘘 ⑦
あやめが織斗と話をしていた頃、広と咲は緋真の屋敷へ向かっていた。
「あの子、置いてきちゃって大丈夫だったかな」
「あやめのこと? 問題ない、歳のわりにしっかりしてる」
「伝言頼むなんて、悪いことしちゃったな」
「気になるなら謝るといい、後から来るから」
「後から来る?」
聞き返した咲だが返事はなかった。広が足を止めたので、同様に立ち止まる。
繁華街からそんなに歩いていないはずなのに、目の前に小さな森が広がっていた。
その中に鳥居のような大きな門が一つ。木々に挟まれた長い一本道が続いており、終着点は見えなかった。
「門を抜けたら絶対にはぐれないで。少しでも道を外れて森に入ったら、抜け出せなくなるから」
術でも仕掛けているのだろうかと、咲は恐る恐る足を踏み出す。
しかし次の瞬間、広に手を掴まれた。
「ごめん、やっぱり、一緒にいこう」
手を取り合って一本道を歩く。
鳥居の門を抜けて十五分ほど歩き、ようやく森を抜けた。森の奥には綺麗に整備された日本庭園。
ゆらゆらと波が風に揺れる池もある。
正面には先ほどより小ぶりな第二の門、今度は扉付きだった。
繋いだ手はいつの間にか離れていた。
池の魚が跳ねる水音と虫の声以外聞こえない、静かな場所。
「あと少し歩いたら最後の門、屋敷に着く」
第二の門から屋敷の入り口までは五分ほどで着いた。
咲は立ち止まって、屋敷への入り口となる第三の門を見つめる。
今までに比べると随分小さな門だった。高級料亭の出入り口のような引き戸の扉がつけられており、青色の暖簾がかかっていた。
広は慣れた手つきで鍵を開け扉に手をかける。
「緋真以外の人間を入れるのは久しぶりだな。ようこそ咲、緋真の屋敷へ」
作り笑いのような表情で広が言い、扉を開けて中へ入った。咲はぎゅっと手を握りしめ、広の後を追う。
屋敷の中でもしばらく歩き続けた。
昔ながらの和室をいくつも抜け、板張りの廊下を行く。今どき珍しい日本家屋、城のような構造だった。
しばらく歩いたところで長い廊下が見え、その先に孤立している建物が見えた。
「正式名称は【当主の
建物の中に入り、広は入り口にあったスイッチを触り電気をつける。
入り口からすぐの場所に廊下があり、正面に障子扉の和室が四つ、廊下の右端と左端にはドアノブがついた扉が一つずつ。
向かって一番左側の障子を開く。
机と椅子、その脇には本棚があり、紙の資料が敷き詰められていた。
正面にある障子の向こうには縁側、灯籠が微かに明るい日本庭園。
「俺の部屋は自由に出入りしていいけど、本棚だけは触らないで。本家とやり取りしてる書類もあるから」
「自由に入っていいの? 広の部屋だよね?」
「問題ない、あやめも勝手に入ってるし」
会話をしながら、広は机の引き出しを開けて鍵を一つ取り出した。
それを手に、廊下に出る。
「廊下を出て左突き当たりが台所、その奥が洗面所、右側がトイレ。建物からは出ないで、咲がここに住むこと家臣に言ってないから」
駆け足で説明して、広は玄関からみて右側から二番目の部屋の前で立ち止まった。
襖の引手下にある穴に鍵を突き刺して右に回ると、カチャリと音がした。
「これ渡しておくから、不安だったら鍵かけといていいよ」
差し出された鍵を、咲は遠慮がちに受け取る。
「まぁ、この建物には他の人が入ってくることないから、心配しなくていいけど」
「それならば私は、何枠ですか?」
突然の声に振り返ると、離れの入り口にあやめが立っていた。
驚く咲と、微笑みを返す広。
「早かったな」
「特に揉めることもなかったので。当主様はいま着いたんですか?」
「ゆっくり歩いて帰ったから。使い走りにして悪かったな、ありがとう」
あやめの頭に手を乗せ、くしゃっと髪を乱す広。あやめは片目をつむり、黙ってされるがままにしていた。
唖然とその様子を見つめていた咲だが、広が視線に気付いて咲に向き直った。
「あやめもこの離れで暮らしてるんだ、一番右側の部屋。あれ? そういえばお前ら自己紹介したっけ?」
「してませんね。直接顔を合わせるのも初めてです。前会ったときはおかしなお面してたので」
「あ、ごめん……えっと、初めまして?」
「……前に二度、お会いしましたけど? 神木の当主に正体を明かした日と、夜の公園で」
「えっ? あの時の? 夜の公園って、もしかしてブランコの?」
「……わたしあの時、仮面も何もない素顔だったんですけど」
怪訝な顔をするあやめと、狼狽して頭を下げる咲。
探り探りの会話、自己紹介を済ませた咲は当てがわれた部屋へ荷物を運んだ。荷物と言っても、小さな鞄に着替えを詰め込んだだけの物。
部屋着として持ってきた服と下着を持って、あやめの部屋へ向かう。
風呂場は端に位置する部屋(広とあやめの部屋)についているとのことだった。
「脱衣所はないので、ここで脱いでください」
あやめの言葉に従い、タオルで身体を隠しながら服を脱ぐ咲。あやめは視線を逸らさずじっと咲の身体、特に胸元を見ていた。
風呂場は綺麗だった。歴史ある日本家屋に内装されているとは思えない鏡張りの浴室、ボタン一つで灯りが調整できてバブルバスまでついている広い浴槽。というか、この離れ自体、他の建物と比べて比較的新しくて綺麗だった。
花の香りのする湯船に浸かり、咲は神木の家のことを思い出した。
『今日だけ特別な』と言いながら、小包装の入用剤を入れてくれた双子の兄。
特別な日は二日に一度あって、毎回同じ色の入浴剤だった。
「……同じ匂いだ」
神木家の特別日と同じ色の湯船に鼻を埋め、目を閉じた。
迷いと不安と後悔と、心配と。
負の感情が、暖かいお湯に溶けて消えていくようだった。
風呂から出ると、あやめが咲の服を床に並べ見比べていた。
脱ぎ捨てた外着と、これから着る予定だった部屋着。
ご丁寧に、下着も横に並べ置いてある。
「これ、逆じゃないですか?」
あやめが視線を落としたまま言う。
左手側に外着、クマの絵が描かれたテイシャツとえんじ色の半ズボン。
右手側に部屋着、淡い黄色のノースリーブシャツと、ベージュの短パン。
「私服クソダサ、って思ってたんですが、今着てたのが部屋着で今から着ようとしてる服が外着ですよ」
そしてあやめは、ベッドに置かれていた黒のキャミワンピを咲に差し出した。
「ちょっと小さいかもですが、これ着てください」
「え、でも」
「肩ひも調整すれば身長は誤魔化せるので。胸元はどうなるかわかりませんけど」
「持ってきた服着るから大丈夫……」
「持ってきた服は明日の朝着てください。そして二度と、こんなダサイ格好で外出しないでください」
凄みのある声、表情に、咲は黙ってあやめの言葉に従った。
借りたワンピースはやはり胸元がきつくて、広に見つかる前にそそくさと自分の部屋に戻って布団に潜り込んだ。
「……布団、敷いてくれたんだ」
お風呂に行く前は、布団は押し入れの中にあった。花のような残り香を嗅ぎながら、咲は目を閉じた。
「あやめって花の名前だよね……いい匂いする」
眠るつもりはなかったのに、いつの間にか意識を失っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます