第22話 十五の嘘 ⑥




「神木と緋真が争いを始めた本当のキッカケは、知らないよな?」


 元助の言葉に織斗は頷く。


「遡るは千二百年以上前になる。当時、神木と緋真は今のように対立しておらず、術力を持つ一族同士、力を高め友好関係を築いていた。しかし、神木本家に男女の双子が生まれてから事は変わった。お前たちのように、本家の跡取り長男とその妹」


 ちらりと織斗を見やると、真剣に話を聞く眼差しがあった。

 元助は話を続ける。


「その子たちが十七の年を過ぎたある日、双子の妹が豹変した。二つの一族はこの世界に不要だと突然、攻撃を仕掛けてきた」

「攻撃って、自分の家である神木にも?」

「二族の血を引くものに対しては、容赦なく」

「でも、攻撃してきたのはそいつ一人だろ? 他に仲間がいたの?」

「最初は一人だった……少女一人で、千ほどいた両一族は半数以下まで減ったという」

「え、でもそれなら、どうして神木家やら緋真家やらが存続してんの?」

「神木の一部が寝返ったのよ」


 答えたのは姫未だった。


「双子の妹側について、共に緋真一族を攻撃し始める者が現れた。神木が緋真より規模が小さい所以はそれね。妹について緋真を攻撃するグループと、抗うグループの二つに分裂した」

「双子の妹側って、自分たちを殺そうとしてるやつだろ? なんで?」

「殺されてもいいと思ったんじゃない? すごーく綺麗な子だったらしいから、その子」

「姫未って千二百歳だよな、その時のこと……」

「私が関与しているのは、二族間の戦いが始まったところから。双子の妹が死んだことは知ってるけど」

「双子の妹が死んだ? どうして?」

「理由は知らない、覚えてない。とにかく、その事件で二族間に蟠りができて、神木と緋真は対立したの」


 ため息をつく姫未。

 そして今度は元助が口を開いた。


「それが緋真と神木の因縁の始まりだ。緋真は神木の血は危険だと、神木一族を潰しにかかった。神木は抵抗したが、緋真と同じことを感じていた。またいずれ、双子の妹のような子が生まれ落ちるのではないかと。ゆえに新しい掟を作った、男女の双子が生まれた場合、女児を生かすなと」


 元助は一度言葉をとめ、唇を噛む。

 織斗は黙って話を聞いていた。


「お前たちの両親は賢くてな、双子を懐妊しているなんて知らなかったよ。医者も巻き込んで、最後まで隠し通した。退院して家に帰ってきた時は背筋が凍ったよ。そのときお前の親はなんていったと思う?」

「……双子の妹はダメだ、って?」

「そんなわけないだろう、逆だ」

「逆?」

「殺人が裁かれる現代においてこの子を殺す気ですか、とな。緋真なら裏で手を回せるだろうが神木にそんな力はない。女児に手をかければ、それは殺人になる」

「裏で手を回せる緋真が異常だろ、こえーよ」

「一族の者……いや、違う、わしら古い世代は納得しなかった。ではせめて、女児を手放せと悠斗たちに迫った。まんまとやられたよ、悠斗はそれすらも想定していたようで、その後半年かけて神木一族を崩壊させた。神木なんてなくなれば、当主なんていなくなれば、子供たちに文句は言わせないと」

「じゃあ、神木家が崩壊した本当の理由って、咲を……」

「守りたかったからだ。それでも納得しなかったわしに、悠斗は言ってのけた。『この子が狂気の子で、十七の年に豹変して我が子に殺されることになっても後悔はない。世界なんか滅びてしまえ』と」


 織斗は仏間に飾ってある父親の顔を思い出した。

 自分そっくりの顔立ち、優しい笑顔の写真。


「まあ、さすが悠斗というべきか、双子の妹が豹変しないよう次の策も考えていた」

「次の策?」

「お前たち二人を普通の人間として育てること。術力は感情の起伏に起因する。強く激しい感情があればあるほど力は強くなる。わしら神木や緋真が最も感情が高ぶるのは相手を憎み、恨みを重ねている時だ。悠斗はその状況を避け、トランプも神木から手放した。だからお前がトランプの封印を解いたとき信じられなかった。なぜ、どこで、と」


 元助は顔を手で覆い、大きく息を吐く。


「だからこれは修学旅行で……」

「ねえ、話逸れてない?」


 織斗の言葉を遮ったのは姫未だった。コツコツと指で机を鳴らし、元助を睨む。


「咲ちゃんは無事に生きれることになったのよね。それがなんで、遠い親戚の家に預けられて別々に育ってるの? 織斗に存在すらも教えないで」


 姫未が鳴らす音が速くなる。

 少し苛立っているようだった。

 元助は手を開き、また下を向く。


「わしはやはり、納得できんかった」

「……は?」

「当主というのは普通、事故や災害で命を落とすことはない、それなのに悠斗は……これ以上、女児と神木を関わらせてはいけない、織斗に近づけてはならないと遠い親戚に預けた。だが、それが間違いだった」


 握った拳から血が流れる。

 元助はもう一度顔を手で覆い深呼吸をした。


「七年前、あの子が十歳の時だ。双子の妹は死んだと報告を受けた。旅行中に川に流され、行方不明になったと。その話がどうも妙でな、預けてからの事を徹底的に調べ上げた。そうしたら……」





「今でいうと虐待になる」と咲が言った。


 街の丘公園、同じベンチに座る広と咲。

 咲は顔を伏せたまま話を続ける、時計の針は十時近くを指していた。


「その家には私の他に本当の子どもがいて、幼いながらに立場の違いがハッキリ分かったし、差別されていることも理解できた。家憲の話をしてたのも私にだけだし。双子の女児がいかに悪か、そのせいで当主夫妻が亡くなったとも言われた」


 咲は顔をあげ、左耳の後ろから首筋にかけて指でなぞった。

 古い切り傷の跡。


「夏休み前だったと思う。その家の本当の息子を傷つけてしまった」


 咲は古傷をなでながら、当時のことを振り返った。

 その家には兄弟がいた、咲より四つ歳上の兄と、一つ下の弟。

 夕方だったと思う、兄の方と口論になった。

 理由はよく覚えていない。

 気がつくと、彼の手のひらが綺麗に裂け、血が吹き出ていた。自分の手元には、工作で使う普通のカッターナイフ。

 刃の部分に滴る、どろっとした赤い液体。

 異様に痛い左耳を手で押さえ、部屋を飛び出した。

 どの道をどう通ったのか覚えていない。気がつくと海辺にいて、砂浜に蹲って涙を流した。


「その時に師匠、育ててくれた人に拾われて……逃げている最中、私が何を考えていたかわかる?」


 咲の言葉に、広は首を横に降る。


「きっとまだ死んでない。あの人、こんなことじゃ死なない。もっと強く斬りつけなきゃダメだ、って」


 咲の身体は震えていた。

 ぎゅっと腕の力を強めて自分を包み込む。


「そんなことを思ってる自分が怖くなった。私、ここにいたら何をするかわからないと思って……この話を、織斗くんと、したかった……」


 膝を抱え、そこに顔を埋める咲。

 震える肩を抱くべきか迷って、広は手を引いた。


 織斗に聞いて欲しかった。ということは本来、ここにいるべきなのは自分じゃない。

 手を握るのは、抱き締めるのは双子の兄、織斗の役割だろうから。

 だけど何故、それほどまでに織斗を求めるのだろう。たった二年間、覚えてもない時期を共に過ごしただけなのに。

 そう思うが聞くことはできない。

 広は黙って、咲の言葉を待った。


「広が緋真なら……緋真の力で私のことを調べたなら、最初からバレてたと思うんだけど」


 そして咲が、話を始めた。


「私、嘘ついてることが一つある」

「嘘?」

「名前、サキじゃなくて」





「サオリだ」と元助は言った。


「花がくに織斗と同じ織物の咲織さおり。それが両親がつけた、あの子の本当の名前だ」

「でも爺ちゃん、何も言わなかったじゃん。サキって普通に呼んでたし」

「言えなかった。名前を変えるほど神木を恨んでいると思ったら、それ以上あの子に近づくことが出来なくなった」

「それで、咲ちゃんはますます何も言えなくなったのね」


 頬杖をつきながら黙って話を聞いていた姫未が言った。

 織斗はそちらに目線をやる。


「私が見る限り、咲ちゃんは神木に、元助や織斗に恨みを持ってる感じじゃなかったわ。もしかしたら期待してたんじゃない、この家の人は自分を暖かく迎え入れてくれるかもって」

「どういう、ことですか?」

「自分を虐待したのは親戚であって、本家の祖父や兄はそんなこと指示してない、虐待の事実を知らないかも。そう期待を込めてここに来た。だけど実際話してみれば、病気で預けたなんて嘘つかれるわけだし?」

「それは……」

「その嘘で、咲ちゃんは元助が全てを知っていたことを理解した。そして織斗、あんたは当主としての自覚なさすぎ、無知すぎ。何も知らされてなかったとはいえ、封印は解いたわけでしょ? だったらあんたが神木のリーダー、当主なのよ」


 姫未の言葉に胸が痛くなった。

 当主と言われても、そうなったのはつい最近、一ヶ月前までは何も知らない普通の高校生だった。

 自覚と言われても、何が何やら理解するのがやっとで。


「でも、せっかく……帰ってきたのに」


 小さい頃、よくわがままを言っていた。

 妹に会いたい、と。

 周りの人達はそれを結奈のことだと思って宥めようとしたが、織斗は納得しなかった。


『本当にいるから! 俺の妹が!』


 なぜか、そう信じて疑わなかった。

 そして現実に今、咲が会いに来てくれたのに。


「迎えに行ってくる……」


 立ち上がってリビングを飛び出す織斗の背中を、姫未と元助は黙って見送った。

 やがて元助が立ち上がり、出口へ向かう。


「どこ行くの?」


 姫未の言葉に、元助は振り向かないまま答える。


「書斎に、記録書がありますので」

「……咲ちゃんが必死になって、読んでたやつね」

「隠しておこうかと迷ったのですが……十五年も経てば人は変わりますね。孫というのは可愛いもので……今はただ、十五年前に戻りたいです」


 パタンとドアを閉めて書斎に向かう元助。

 残された姫未はため息をつき、天井を見上げた。


「簡単に戻れるわけないでしょ、過去になんて……それが出来るなら、人間世界はとっくに終わってる」





 家を飛び出した織斗は、再び街を走り回った。人通りの多い場所には見当たらない。そもそも見つけ出せるかわからない。

 だから次はひと気のない場所、街の丘公園を目指して走った。階段の麓へたどり着いたとき、ゆらっと現れた人影に気がついて織斗は足を止める。


「おまえ、緋真の……」


 階段上にはあやめが居て、織斗を見下ろしていた。

 薄暗くて表情はよく見えない。


「桐生あやめです。いい加減、名前覚えてくれません?」

「あ、ごめ……」

「当主様から伝言です。『お前の妹、しばらく緋真で預かるから』とのことです」

「……は?」

「では、伝えました」


 そう言って階段を下りるあやめ、長い黒髪がふわりと揺れた。


「え、いや、ちょっと待て!」


 咄嗟に階段を登り、あやめの手首を掴む。


「預かるってどういうことだよ、なんで」

「あなたが無知だからじゃないですか?」


 凛とした声、織斗は目を見開き、視線を逸らした。


「ちなみにこの家出、あなたの妹が言い出したことなので」

「咲が? なんで……しかもよりによって緋真に」

「落ち着いた方がいいですよ、お互いに」


 返す言葉が見つからなかった。

 俯く織斗に、あやめが話を続ける。


「当主様は優しい方です。知っていますよね?」

「知ってるよ! 広は頭いいし、空気読めるし、咲も……広の方が話しやすくていいって、言ってたし」

「? そんなことはないでしょう、詳しくは知りませんが」

「だって、それならなんで緋真に……」

「あなたのもとへ帰るためでしょう?」


 ざぁっと風が吹いて、顔を上げるとあやめと目線がぶつかった。

 漆黒の、広と同じ瞳の色。

 長く見つめていると吸い込まれそうだった。


「でも、咲は俺の妹で……」

「今まで存在すら知らなかったのに? 十五年も離れていたのでしょう、少しの間くらい我慢してください」

「十五年も離れてたから! 一日でも長く取り戻したいんだよ!」

「一時的な感情で、残りの人生を蔑ろにしないでください。突発的な一瞬の感情で人は暴言を吐く、その一言で絶縁してしまう友もいる。だったらその言葉を口にする前に、取り返しのつかないことになる前に、少しの時間を考えるために使ったらどうですか?」

「…………」


 やはり返す言葉が見つからなかった。

 目線をそらしたのは、織斗から。


「大丈夫ですよ、あなたは当主様のお友達ですから」

「は?」

「私はあなたのことはよく知りません。だけど、当主様が家憲に逆らってまで友でいたいと思った相手だから。きっとあなたはいい人で、正しい未来を選択できる人なんでしょう」

「今の俺は、そんなこと……」

「……喋りすぎました、喉が痛くなりそうです」


 ふぅーっと息を吐き、あやめが階段を降りる。

 すれ違いざまに、織斗の肩に声をかけた。


「まぁ、せいぜい、頑張ってください」


 ツンっと言い放ち、あやめは夜の闇に消えて行った。


「……口悪いな、マジで……助言ならもっと、優しい言葉使えよ」


 一人、階段に残された織斗は手のひらで顔を覆った。


「優しいな、緋真のやつら……広の家族は」


 再度ため息をつき、織斗もまた、踵を返して歩き出した。

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