第18話 十五の嘘 ②
午後八時半。
織斗は自宅がある住宅街の一角で緋真の一族と思われる術師と戦っていた。しかし三十分ちょっと戦ったあと、相手は踵を翻し逃げ帰ってしまった。
織斗は大きく息を吐き、その場に座り込む。
「逃げたってことは終わり、だよな。封印はしたくないけど、なんかスッキリしねぇー。つか、広は? なんで来ないんだよ!」
「家で待ってるんじゃない?」
離れたところで見守っていた姫未が織斗のそばにやってくる。
「いやいや、なんで家?」
「眠いんじゃない?」
「俺だって眠いよ! 変な疑いかけられたら困るから、夜はちゃんと戦いたいって広が言うからこうして出てんのに。結奈はドラマ見たいからって来ないし」
「咲ちゃんは?」
「あいつはこっちの暮らし慣れてないから、しばらくは戦わせない」
「咲ちゃん強いと思うけど」
「強さがどうこうじゃねーよ。俺が……あいつを外に出したくないって言うか」
「過保護ね」
「まぁ、念願の本物の妹だし」
「そういうのシスコンって言うんだって。知ってた?」
「それとは違う! 大事にしたいんだ!」
「なにが違うのかわからないけど。とりあえず、家に帰ってゆっくり寝たら?」
促され、織斗は住宅街を歩いた。
クスクスと、楽しそうに笑う姫未を肩に乗せて。
*
同時刻、広は駅前の噴水がある場所に腰かけ、トランプを眺めていた。
「終わった、な」
緋真の術力が消えたことを感じ取り、広はトランプを収めて空を見上げた。少しばかりだが星が見えた。
織斗に悪いと思いながらも、戦いの場にはいかなかった。
京都、緋真本家から連絡があったのは夕方のこと。珍しく本家家長の父親から電話があった。
『書面に誤字があった。緋真当主としての自覚を持て』
抑揚のない事務的な声、意味がわからず広は耳を疑った。
そんなことで……向こうから電話があるなんてどれぐらいぶりだっただろう。
広から連絡をした時でさえ取り次いでもらえないと言うのに。
激昂で未だ混乱していた。だから今夜は行かなかった、取り乱してしまいそうだから。
家臣の前でうまく演技出来そうにないから。
「ダメだな、自分で決めたことなのに……帰るか」
大きなため息をつき腰を上げた。そのとき、見覚えのある服を着た少女が広の前を横切った。
「え……?」
自分でも無意識だった。
広はとっさに、少女の腕を掴んでいた。
「あ、……ごめん」
慌てて彼女の腕を離す。
少女は不思議そうな顔をしたあと、警戒心を露わにして広を見る。
「その服、見覚えがあって」
少女の着ているシャツを見ながら広が言う。白のティシャツの胸元に[気会い]と書かれていた。よくあるオシャレな文字ではなく、素人がボールペンで書いたような下手なデザイン。
少女は自分の胸元を見つめ、次に顔を上げて広を見た。
「これ、兄に借りたんです」
「兄?」
「中学の修学旅行で買ったらしいです。文字は自分で書いたって言ってたけど、似たようなのがあるんですね。漢字間違ってるし」
「似たようなのはないだろ。漢字違うし」
それは中学の修学旅行一日目、観光地で購入したシャツが地味だからと、織斗がボールペンで文字を書き込んだものだ。
漢字が違うと呆れ返ったのを覚えている。
兄とはおそらく、神木織斗のことだろう。
そうなるとこの少女は。
「名前聞いていいかな?」
「私ですか? 神木咲です」
「神木、さき?」
「? はい」
「漢字は?」
「花が咲く、の咲です」
「……あぁ」
納得したように呟き、広は咲の顔を見た。
可愛い、たしかに。
だけど織斗に似ていないわけではない。輪郭や鼻筋、他人の話を聞くときの愛想の良さや穏やかな表情。
織斗と長く付き合ってきた広だからわかる。
彼女は確かに、織斗の家族だ。
「あのさ、俺のこと……わかる?」
咲が顔を上げ、広を見つめて首を傾げる。
「どこかでお会いしましたっけ?」
「覚えてない……」
「え? あ、えっと……でも私のこと知ってる人なんてそんなに居ないはずだし、えーっと」
頭を抱える咲を見て、気づかれていないことを確信した。
演技をしている風でもない。
「ごめん、俺の勘違いだ。中学の同級生に似てる気がしたけど、よく見たら違った」
「中学の同級生? じゃあ違いますね」
「えーっと、高校生だよね? こんな時間に何してるの?」
「高校生ではないです」
「は? あぁ、えっと……」
「街散策してました」
「街散策?」
「田舎で暮らしてたから、都会がどんなものか見てみたくて。で、迷子になって家に帰れなくなりました」
「……迷子?」
「兄に連絡しようにも、通信手段がないし。そもそも、兄が出かけてる間にこっそり家から抜け出したので、助けを求めづらくて」
「なるほど」
織斗の妹だな、と広は思った。
顔や仕草だけでなく、自由奔放な性格も兄と同じだ。
「送ろうか? 家まで」
「え? いいんですか?」
「そうするしかないだろ。場所は知ってるから問題ないし」
「場所知ってる? 知ってるんですか?」
「中学まではよく遊びに……散歩して遊んでたから、なんとなくわかる。住所教えてもらっていい?」
「なるほど。住所なら覚えてます」
聞かなくてもわかるけど。という無駄な一言は告げず、広は咲から話を聞いて歩き出す。
名前を尋ねられたとき、緋真の苗字は名乗らなかった。
この少女はきっと、緋真と神木の関係を知っている。
「広さんですね」
「呼び捨てでいいよ、敬語も。同じ年だし」
「え? 広さ……広って何歳?」
「……九月で十七になる」
「本当だ、私はもうすぐ十七だから」
人見知りしない、初対面の人にも好かれる愛想の良さ。
疑う余地はない、織斗と同じ血が流れている。
だけど広の手に入れた情報では、隣にいるのが神木本家の妹だということはありえない。
「探り入れるか……その前に」
ぼそっと呟き、広は後ろを振り返った。
微笑みを浮かべながら、不思議そうに首を傾げる咲。
初めて会った男について暗い路地にも無防備に入り込む、愛らしいほどの無邪気さ。
「少しだけ、話しようか」
神木宅まであと少し、ひと気のない住宅街。
殺気を感じて身を引いた咲だが、判断が遅かった。
広が咲の両手首を掴み、壁に押し付けた。
抵抗しようとする咲だが、力が敵わない。リストバンドの中に隠している針を取り出すのも困難なほどに、身動き出来なかった。
やがて広が、ぱっと咲の拘束を解く。
「やばいって、思ったよね?」
「え?」
針を取り出そうとした咲だが、広の言葉で動きを止めた。
広の表情は変わっていた。咲の手首を掴む前の、穏やかな顔。
「俺が言うのもあれだけど、知らない男についていかない方がいいよ。世の中いい人ばかりじゃないし、何かあってからでは遅い。現にいま、俺が悪いやつだったら取り返しつかないことになってたよね?」
「…………」
広を睨んでいた咲の目から、ツゥーと涙がこぼれ落ちる。
「……えっ」
咲は涙を隠すように、両手で顔を覆った。
そこまでするつもりはなかった。いや、そこまでのことをしてしまったのか。と動揺して自責する広が、咲の肩に手を触れようとする。
しかしそれも逆効果だと思い、触れる直前で手を引いた。
「ご、ごめん! 泣かすつもりはなかったというか、酷いことするつもりはなかった! 警戒心ないみたいだから忠告しようと思ったんだけど、実践する必要なかったよな。女子……のこと、よくわからなくて。いや、屋敷には同じ屋根の下で暮らしてるやついるけど、あいつは女子というより娘ってか、親子みたいな関係で……」
「ふ……その歳で父親なの?」
ふふふっと、小さな笑声。
振り返った咲が、口元に手を当てて笑っていた。
「広って、混乱すると変なことしたり言ったりする人?」
「……少し前にも、同じこと言われた」
「かわいいね」
くすくすと、堪えきれないように小さく笑う咲。
そっちの方がよほど可愛いと思った広だが、言葉にはしなかった。
「ごめん……」
広の言葉に、咲は首を傾げる。
そして左手を強く握り、広の腹部めがけて拳を振った。
しかし咲が腕を動かすと同時、広はその手を掴んで攻撃を防いだ。
「殺気、感じた?」
「……一瞬だけど」
「広って、武術か何かやってる?」
「家族の人たちと、模擬戦……的な? ことはしてきた」
「模擬戦?」
「俺の家、ちょっと厄介だから」
「広は都会の中でも強い部類に入るの、かな?」
「……体育の授業は、人並み以上に出来る。力抜いてやってるけど」
「そっか。じゃあ、よかった」
「よかった?」
「たいていの人が広より弱いなら、今の状況になっても私は逃げれるよね」
「えっ、いや、それは……」
「大丈夫、気をつける」
広の言葉を遮って咲が言う。
「嘘じゃないよ、さっきの。やばいって思って、びっくりした」
「ごめん……やっぱり殴っていいよ」
両手を掲げる広。
咲は軽く俯き、広の手のひらを小突いた。
緩く握った拳で柔からに、にゃんと可愛らしい鳴き声が聞こえて来そうな。
「猫パンチって知ってる?」
「……受けたのは初めてかも」
「掴まれた腕が痛かったし涙は出たけど、忠告してくれる優しさは嬉しかったから、これで相殺、かな?」
「……改めて、家まで送っていいかな? 今度はないもしないから」
「……なにもしないなら」
冗談に笑い合い、今度は隣に並んで歩き出した。
神木宅の前で咲が「街の光が綺麗だった」と言い、「なら夜景見にいこう」と、明日また会う約束を交わした。
街の丘公園に、夜八時。
「……情報引き出すつもりだったのに、普通に話してしまった」
振り返るが、咲の姿はもうなかった。
まぁ、明日また会えるしいいかと、広は一人歩き出した。
空を見上げると星が、以前ほどではないが輝いていた。
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