第16話 兄妹とその親友 ⑦



 公園にある時計の針は六時三十分。

 太陽が沈みかけているがまだ明るい時間に、織斗と広は勝負を開始した。


「約束だからな広、俺が勝ったら昼はもう攻撃してくるなよ」

「家臣に説明しづらいな、それ。まあ、おまえが勝つことはないから問題ないか」


 左腕の紐めがけて手を伸ばす織斗と、余裕でそれを交わす広。

 腕の長さが違うため、がむしゃらに向かっていくだけでは織斗にとって不利だった。しかしそれがわかっていないのか、ただひたすら手を伸ばす織斗、避ける広。



 どう見ても広が優勢な戦いを、咲とあやめはブランコのところで眺めていた。


「……わざと、捕まってくれたよね?」


 戦いが始まってしばらくしたころ、咲が言った。

 あやめはチラッと咲を見たが、すぐに視線を織斗たちに戻す。


「私にとってあの方は緋真の当主です。でも、神木が敵かどうかはわからない」

「……え?」

「神木が目覚めたことで怒り狂ってる雑魚を充てがい、ただ家臣の数が減っていく。それがダメだとわかっていながら当主様は前に進まなかった。正直、勝ち負けなんてどうでもいい。この戦いの決着の末に、当主様の悩みが無くなるなら」


 じっと広を見つめるあやめ。

 咲はそれに倣い、広と織斗を見た。


「好きなんだね、緋真の当主のこと」

「その好きがライクかラブかは別として。緋真の人間で、当主様のことを好きじゃない人なんかいません。私含めみんな、当主様の幸せを最優先に考えています……気付いてもらえないだけで」


 それ以上は喋らなかった。ただ黙って二人を見守る。

 仕掛けた糸はとっくに外していたが、あやめが逃げることはなかった。



 無鉄砲に紐を取りに行く織斗。らちがあかないと思った広が手を伸ばすが、あっさりとかわされてしまった。


「広が俺のを取るのは無理と思うぞ」

「へえ、大した自信だな」

「まあな、運動神経だけなら広に勝てるからな」

「動体視力いいもんな、昔から」

「どうたいしりょく? 目はいいぞ、遠くのものでもはっきり見える」

「そうじゃなくて……」

「あ、でも広が相手のときは難しい。広って背高いのに細いから、間合い取りづらいんだよな」

「間合い?」

「動きは読めるんだけど、距離感がわかんなくてさ、サッカーとかバスケの時とか、まだ大丈夫だろうと思ってたら意外と近くにいてボールとられる」

「それはな、」


 言いながら、広は織斗に近づき足を伸ばした。

 避ける織斗だが、つま先が足のすねにぶつかった。


「おまえが思ってるより、俺の足が長いってことだ」

「自分で言うな!」

「まぁ、そういうことなら、この勝負俺の勝ちだな」


 術を使っているかのような広の素早さ、織斗は紐を取られまいと左腕を背中の後ろに隠した。しかし広の狙いはそこではなく、無防備になっている織斗の右手。

 がしっと右の手首を掴まれた織斗が、呆けた声を出す、


「は? え?」


 広は掴んだ手首を引っ張り、織斗を地面に押し付けた。


「目、いいんじゃなかったのか?」


 うつ伏せ状態の織斗の左手に手を伸ばす広だが、寸でのところでかわされてしまった。

 地面を這うように、織斗が逃げ出す。


「だから、広は俺に勝てねーんだよ!」

「逆だろ、おまえは俺に勝てない」


 公園の隅にある大きな木の根元まで逃げる織斗と、ゆっくりとそれを追う広。

 織斗は木の幹に背を預けて座り、広を見上げた。

 灯りが消えた空、外灯の光が園内を照らしていた。


「……なに笑ってる?」


 織斗の表情を見た広が呟く。織斗は笑みを抑え、人差し指で空を指さした。


「広、悪いけど今日は、俺が勝つから」

「……根拠は?」

「お前が悩んでるから」


 織斗は天に向けていた指先を、広へと移動させる。


「不機嫌オーラすごかったぞ。クラスの雰囲気めっちゃ悪いし、みんな心配してた」

「……明日から改善しよう」

「そうだな、明日の朝には友達に戻れるな」

「虚言だな。もう二度と、お前と話をすることはない」

「無理だな……」

「無理なわけない。それが普通、今までが偽りだった」

「……ケジメをつけよう、広。今まで、十年間一緒にいることが自然だった。それを急にやめろ、切り替えろって、人間には無理なんだよ」

「そうだな、ケジメをつけよう。俺が勝てば、俺とおまえは敵だ」

「俺が勝ったら昼間は今まで通りだぞ、約束しろよ」

「わかってる。ただしお前が勝てばの話で……」

「約束したな! よし、咲! 姫未!」


 織斗が叫ぶと同時、咲が指に絡めていた糸を引いた。

 プチン、と音がして広の腕に巻き付いていた紐が千切れ、地面に落ちる。


「…………は?」


 驚いたのは広だけではない、時雨も何が起こったかわからず、目を丸くしていた。

 ヒュンッと、広の眼前を緋色の衣が舞う。


「なにしてる……神木の従者」


 名前を呼ばれ、姫未はぴゃっと背筋を伸ばした。


「お前、いま、俺の糸……切ったよな?」


 地面に落ちた青紐、その傍らに姫未の姿。


「ち、ちち違うわよ! 切ったのは私だけど、私をここまで運ぶための糸を操ってたのは咲ちゃんで……」

「人のせいにするな」


 ギロッと鋭い眼光で睨まれた姫未は萎縮し、半泣きになりながら織斗の肩に乗った。


「怖い! こわい怖い! 緋真の当主怖すぎ!」

「姫未が広の糸、切っちゃったからな」

「私じゃないでしょ、考えたのは織斗でしょ!」

「つまり、お前ら全員グルだったと?」

「待て、広。俺は悪くない。いや、ていうか俺の勝ちだな、勝った!」

「ルール違反だろ、これ!」

「一対一とは言ってないし、手助けがダメとは言わなかった、俺!」

「言っ……てないけど、普通……」

「普通にやったら勝てないだろ!」

「だからってズルするか? 馬鹿だろ、おまえ!」

「とにかく、俺の勝ちだから! 昼は今まで通りな!」

「ふざけるな、こんな勝敗で……」

「約束したじゃん、ついさっき!」

「そ……これとそれとは違うだろ!」

「でも実際、ヒロは負けたよね?」


 珍しく声を荒げる広の背後にいつのまにか、時雨が立っていた。

 広の肩に手を乗せ、くすくすと笑いながら。


「約束は守らなきゃ」

「時雨おまえ、まさか……」

「オレは関係ないよ。むしろびっくりして……いや、面白すぎて笑いが止まらない」

「笑うな!」

「大丈夫です、当主様はちゃんと負けました」


 時雨と反対の肩に、あやめの手。

 振り返った広と目を合わせないように、あやめは顔を背けた。


「私が証言します。当主様は神木との戦いに負けて、条件を受け入れたのだと」

「あやめ、笑ってないよな?」

「私はちょっとやそっとのことで笑いません。冷徹冷血の……」

「笑ってるよな? そんなに面白かったか?」

「……してやったり、ですね」

「日本語の使い方違う……待て、あやめ、お前、俺の味方だよな?」

「……私は当主様の幸せを願っています」

「誤魔化……いや、マジか」


 盛大なため息をつく広の目に、地面に落ちた青い紐が映った。

 気がつかなかった。

 混乱すると前が見えなくなる。


『広って昔から、混乱すると変なことしたり言ったりするよな』


「確かにそうだな。よく見てる……」


 自嘲気味に笑い、広は空を見上げた。

 いつの間にか日が暮れていた。満天に輝く、たくさんの星。


「夜は敵、だったな」


 ぽつりと広が呟く。織斗は慌ててポケットに手を入れるが、微笑んでいる広を見てトランプを出すのをやめた。


「納得はできないけど、約束は守るよ。明日から、夜は敵だ」

「じゃあ、昼は……」

「昼は友達で夜は敵なんて、家臣に説明しづらいな。どうしよう」


 くすくすと笑う広を見て、織斗も安堵の表情を浮かべた。

 そして背後に目を向け、ブランコのところにいる咲に手を振る。


「咲! ありがとな!」


 織斗に呼ばれ、咲はブランコのぺこりと小さく頭を下げた。

 華奢な身体のラインが露わなゆるいシャツに、仰々しい獣の仮面。


「……強いな、あの子」

「あ、わかる? 田舎の自然の中で鍛えられたせいで、サバイバル能力に長けてんだ」

「サバイバル能力って……」

「空、綺麗だな」


 織斗が言った。見上げると、暗い空に星が散りばめられている。


「また一緒に、星みたいな」


 織斗の言葉に、広はふっと笑みをこぼす。


「いつになるかな」

「神木との緋真の戦いが終わったら、だな」

「……終わればいいけどな」


 千二百年前から続く一族同士の戦い。

 最初に争いが始まったその時も、こんな星空が広がっていたのかもしれない。


「戦いが終わったら、また、みんなで一緒に星をみよう」


 空を見上げながら呟いた広の言葉。

 織斗は「ああ」と返事をし、そして笑った。

 後で聞いた話だが、その日は空がとても澄んでいて、何十年かぶりに星空が綺麗にみえる日だったらしい。





 翌朝、遅れた分を取り戻すためにと早めに登校して広に勉強を教わる織斗。

 いつも通りの時間に教室に入った川谷は二人を見て、嬉しそうに駆け寄る。


「おっはよー、神木緋真コンビ! 仲直りしたんだな」

「おい、その呼び方やめろ」


 馴れ馴れしく肩を抱く川谷の腕を振り払う広。

 織斗は「おはよ」と返事だけして机の上の教科書に再び目を落とす。


「神木、勉強してんの?」

「広と喧嘩してから、ほとんど授業聞いてなかったから」

「わかる! 俺も緋真が怖すぎて全然勉強してない! 緋真のせいで! 勉強できなかった!」

「……楽しそうだな、川谷」


 呆れた顔をして頬杖をつく広と、教科書を凝視している織斗。


「よかった!」と笑う川谷の背後で、別のクラスメイトが織斗を呼んだ。


「神木ー! 妹ちゃんきてる」


 教室の入り口には、弁当を掲げる結奈の姿。


「だから、妹じゃなくて従妹だって! そうだ、俺さぁ、本物の妹が帰って来たんだよ」


 なんでもない世間話のように語り、出入り口に向かう織斗。


「……神木、妹いたっけ?」


 織斗の背中を見つめながら、川谷が言った。

 同じように織斗と、そして結奈を見つめ、広はふっと笑みを浮かべる。


「今は昼だから、話さない」

「え? なに?」

「天気いいな、今日」


 窓の外を見る広につられ、川谷も空を見上げた。

 雲ひとつない快晴、青が眩しかった。


 あと十二時間もすれば、空が色を変える。

 闇夜が始まる。


『俺たちの代で、ぶっ壊そう』


 織斗が言った、昨晩、街の丘公園で。


「壊そう、歴史ごと……緋真のしがらみと、それを辛いと思う人生を」


 呟いてしまった声に川谷が反応したが、広は適当に誤魔化して再び空を見上げた。



 またみんなで、星が見れますように。


 同じ空の下で、いつか。


 どちらの一族とか関係ない、同じ人間として。

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