第8話  One of the pieces ③


「……誰?」


 結奈は目を見開き、美優を弾き飛ばした人物を見つめた。

 いや、これは人と呼んでいいのだろうか?

 結奈の目の前にいるのは、全身真っ暗な服を着た少年。背中の部分が破れていて、そこから羽が生えている。

 一メートル強はある、厚みのある大きな翼。


「呼び出すのおせーよ。大丈夫か、瀬奈」


 少年は振り返って結奈の状態を確認したあと、翼竜となっている美優を睨む。


「……ナンバーズ」


 ボソッと美優が呟く。


「召喚能力だったのね、市原さん」

「召喚? え? なに?」

「悪いけど、早々に封印させてもらうわ」


 美優は翼を広げ、天井ギリギリのところまで飛んだ。身体をネジのようにして飛びかかるが、少年が結奈を抱えて飛んだので攻撃は当たらなかった。


「残念だったな、俺が出た時点で勝敗は見えてる」


 少年は右腕で結奈を抱きかかえ、教室中を飛び回る。

 乗り物に酔ったことがない結奈だが、さすがにこれは気持ち悪かった。


「まってまって! すみません、気持ち悪いです!」

「は?」

「酔う、吐く! 気持ち悪い!」

「あぁ、気持ち悪いってそっち……いや、瀬奈おまえ、これくらい慣れてるだろ?」

「瀬奈? それはお母さんの名前で……」

「は? お母さん?」

「とにかく止まってください! 女子高生のリバースよくない、絶対!」


 結奈の懇願により、少年が動きを止める。


「ちょっと待て、まさかおまえ……っ」


 しかしその途端、美優の嘴が少年の腕に突き刺さった。


「よそ見してるからよ」

「……確かにな」


 無理に笑みを見せる少年が美優の嘴をつかもうとしたが、易々とかわされてしまった。

 少年は床に膝をつき、突き刺された右腕を左手で押さえる。

 黒い服にじわっと、血が滲んでいく。


「空気読めよ、化け物が」

「あなただって人外じゃない」


 黒い羽が生えた少年と、翼竜の姿をした美優が睨み合う。

 気持ち悪さからようやく解放された結奈が、顔を上げて少年の腕を見た。


「……え?」


 睨み合う少年と美優を交互にみやり、状況を理解する。

 だが次の瞬間、結奈は少年に抱きかかえられ再び宙を舞った。

 しかし今度は『気持ち悪い』なんて言えない。結奈はぎゅっと少年の腕にしがみつき、二人は机が散乱して積み重なっている場所、美優の死角に入った。


「無駄なことを……」


 獲物を失った美優だが、その声色はむしろ今の状況を楽しんでいるようだった。

 ゴツゴツした皮膚、翼竜となった姿では、顔の表情はわからない。



 少年に抱えられて机の陰に隠れた結奈は、じっと彼の傷を見つめた。

 腕の怪我は、自分が惚けている間に負ったもので……


「ごめん……」


 結奈の謝罪に、少年が首を傾げる。


「なんで謝るんだよ?」

「だって、私を……守ってくれたんだよね?」

「……お前、名前は?」

「名前? えっと、市原結奈です」

「……本家じゃないもんな、神木の名は捨てるよな」

「神木? あ、お母さんの旧姓は神木です、神木瀬奈」

「で、一世代変わって今回俺を呼び出したのはおまえだな」

「呼び出した?」

「黄色い飴使っただろ?」

「あめ……あ、あぁ! 転がっていった」

「黄色の飴は戦闘獣召喚効果がある。今からおまえが俺のマスターだ」

「マスター?」

「俺の名前はブラックだから。あと、そっちの方が身分高いから敬語は使うな。で、さっそくだけど青い飴食べろ」

「青い飴? どうして……」

「回復魔法だ」


 ブラックが言うと同時、結奈たちを隠していた机が吹き飛んだ。しかしブラックが身体を張ってガードしたおかげで結奈に被害はなかった。

 ブラックの両腕の皮がはがれ、血が床に落ちる。

 それを見た結奈は慌てて飴袋から青色の飴を取り出し口に含んだ。口の中にブルーハワイの味が広がると同時、ブラックの両腕の傷が回復し始めた。


「回復術もできるのね」


 離れた場所にいた美優が納得したように呟く。


「回復は、俺たち召喚獣専用だけどな」

「便利ね」


 口元が大きく開いた美優が翼を広げてブラックに襲いかかる。

 それに対抗し、ブラックも羽を広げて飛んだ。

 頭上で繰り広げられる獣同士の戦いを、結奈はただ見守るしかできなかった。





 ブラックと美優は飛び回ったまま攻防を繰り返し、しばらくして美優、翼竜の身体が地面に横たわった。

 立った状態のままのブラックが、深くため息を吐く。


「すごいな、お前。強かった」


 腕に負った傷を触りながら言うブラックの言葉に、美優がふっと笑声を漏らした。


「想いが強いのよ……だって初めて私、当主様と同じ土俵に立てるって……思ったのに」

「……相変わらずだな、お前ら一族は」


 再度ため息を吐くブラック。

 その様子が酷く疲れているように見えて、結奈は飴袋を漁って青い飴を探した。


「もういいぞ、結奈。それ以上食うなよ」


 しかしブラックの言葉に、結奈は指を止める。


「でも、怪我……」

「飴とおまえの体は繋がってんだよ。飴を使えば使うほど体力がなくなって、限界を迎えると死ぬ。覚えとけ」

「私なら大丈夫だよ、怪我もしてないし」

「血が出るだけが怪我じゃねーだろ」


 ちらっと、ブラックが結奈を一瞥した。

 目に見えてわかる結奈の疲労。

 本人は無意識かもしれないが、結奈は壁にもたれて座り込んでいた。酸素を求めているような、荒い呼吸。


「市原さんってどこか抜けてる……端的に言えば馬鹿ね」


 二人のやりとりを見ていた美優が呟いた。

 瞼を閉じて、ため息混じりに声を出す。


「だけど、私はそれ以上の馬鹿ね。覚悟はしてたけど、こんな姿になるとは思わなかった。かっこいい近づきたいなんて……好きになんてならなければよかった」


 普通の人間の声ではない、ノイズが入った機械のような声だが、その声色が泣いているように結奈は感じた。

 結奈は胸をおさえ、袋から飴を取り出して美優に差し出す。


「……なにしてるの、市原さん」

「えっと、飴、どうぞ」

「は? 封印されろってこと?」

「封印? 違うよ。これ、私のお守りだから」

「お守り?」

「緊張したり混乱したり、あと悲しい時に食べればいいって、お母さん言ってて……人を好きになることは、悪いことじゃないよ?」

「……なに言ってるの?」

「誰かを好きになるってことは、その人の幸せを願う……優しくしてあげようって思うことでしょ? 好きになって欲しいから好きになるって自分本位の人もいるけど……なんか話聞いてたら、北村さんの好きは、相手の幸せを願ってる好きだと思うから」

「当たり前でしょ、私はいつも……ずっと、あの方の幸せを一番に、最優先に願ってる」

「えっと、じゃあ、よかったね」

「よかった?」

「そのぶん、北村さんは優しくなれた。その人を想ってる分だけ、人に優しくすることが出来た。相手は誰だが知らないけど、その人のこと好きになれてよかったね」


 ぱっと、美優の目が見開いた。

 黙って話を聞いていたブラックも、結奈の言葉に驚き、やがて目を細めた。


「親子揃って恋愛脳……優しいな女だな」


 呟いたようなブラックの声が聞こえていたわけではないが、美優が小さく頷いた。


「驚いた、あなたみたいな子がこの世にいるなんて」

「それ、褒めてる?」

「なに言ってるのよ……ふふっ」


 思わず漏れてしまったような美優の声が人間の時のように柔らかくて、結奈は微笑んで飴を持っているのと反対の手を美優に差し出した。


「ねぇ、北村さん。友達になろ?」

「友達?」

「あのね、私もね……好きな人がいるの」

「……え、いや、知ってるけど……ていうか、あなたの好きな人と私の好きな人って……」

「だからえっと、同じ恋する女子高生同士? 協力して仲良くやりたいなーというか」

「……協力というか、ライバルだと思うけど……」

「ライバル? はっ、そうだね! 高めあっていこうね! (すごい、北村さん、良いこと言う、語彙力すごい!)」

「語彙力の問題じゃないし、心の声漏れてる……ふふふっ」


 翼竜の姿だというのに、美優の笑い方はとても上品だった。

 その笑顔を見た結奈はやはり、彼女と友達になりたいと思った。


「今度から美優って呼ぶね、私のことは結奈でいいから!」

「……私、あなたみたいな子嫌いだったわ」

「だったってことは、今は好き?」

「もし世界が違ったなら、私たちが普通の家の生まれだったら、私、結奈と友だちになりたい」

「なろうよ! 私ね、誰とでも仲良くなれるけど深い関係の友達いなくて……お兄ちゃんや広くんみたいな関係を、美優と築けたらいいな」


 微笑む結奈につられ、美優が笑った。

 ゆっくりと、美優が上体を起こす。


「築けたかもしれないわね……私が人間のままだったら」


 ぼそっと呟いた美優の言葉。

 はっとしたブラックが、慌てて結奈に手を伸ばす。


「ごめんなさい、私はもう元に戻れない。それ以前にあなたと私は……神木と緋真は、敵同士なの」


 起き上がった美優が、翼を大きく広げる。


「……え?」


 突然の攻撃に、状況が理解できずただ美優を見上げる結奈。

 美優の硬い翼が結奈に触れる直前、美優の身体に三本の蔓が巻きついた。


「ぐうっ」と唸り声を上げた美優の身体が、床に崩れ落ちる。

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