第7話  One of the pieces ②



 放課後、結奈が自主室に向かうと、すでに広がいて空を眺めていた。

 結奈は一度深呼吸して、勢いよくドアを開ける。


「お待たせ、広くん。遅くなってごめんね」

「大丈夫、全然待ってないよ」

「そ、そうかな……(うわぁ、なにこのやりとり! デートみたい! もしかしてこれってデート?)」

「勉強会って俺、言ったよね? とりあえず教科書出そうか」

「あ、うん! えっと……鞄……」

「……手には、何も持ってないよね?」


 必死に手のひらを見つめる結奈だが、その中には何も握られていなかった。

 制服のポケットの中を探すが、そんな場所に鞄が入っているわけがない。


「き、教室に……忘れてきたみたいです」

「…………ふっ」


 広が口元に手を当ててくすくす笑う。

 結奈は恥ずかしくなり、制服のポケットに手を入れて俯いた。


「ご、ごめ……すぐにとってくるから」

「いいよ、気にしないで。もともとそのつもりだったから」

「そのつもり?」

「まさか鞄ごと忘れるとは思ってなかったけど。教室に戻ったら机の中もちゃんと確認してね?」

「机の中? どうして?」

「教科書、忘れてるかもしれないから」

「えっと……うん……ん?」


 ふっと微笑む広の纏う空気が、少し雰囲気を変えた。


「それより、ポケットの中、なにか入ってるの?」


 広に指摘され、結奈は目線を落とした。

 スカートのポケットに、ちょっとした膨らみ。

 そこまで目立ってはいなかったのに……と疑問に思いながらも、結奈はポケットからピンク色の巾着袋を取り出す。

 象形文字の様な絵柄が、赤い糸で刺繍を施されている小さな袋。


「これね、飴袋」

「飴袋?」

「小さい時にお母さんがくれたの。困ったことがあったらその中に飴を入れて食べなさいって。お守りみたいなものかな」

「へぇー」

「き、緊張したり落ち込んだりした時によく食べててね……今、食べてもいいですか?」

「緊張してるの?」

「えっと……(広くんと二人ってだけでもドキドキするのに、鞄ごと忘れるとか恥ずかしすぎてヤバイ! 糖分食べないとやっていけない! 砂糖大事!)」

「面倒くさいから、心の声は聞こえないことにしておくね?」

「ありがとう! 広くん優しい!」

「……緊張というより、混乱でおかしくなってるね。いいよ、飴食べて」

「じゃあ、お言葉に甘えて」


 結奈が飴袋に指を入れると、中からは包装紙に包まれた赤色の飴が出てきた。

 じっとそれを見つめたあと、広へ差し出す。


「私だけ食べるのも悪いから、広くんもどうぞ」

「……いらない」

「え?」

「俺はいいよ、結奈ちゃんが食べて」

「広くん、飴嫌いだっけ?」

「そういうわけじゃないけど。最近は食べないようにしてる」

「……ダイエットですか?」

「……そろそろ面倒くさいんだけど、怒っていいかな?」

「ごめんなさいっ!」


 わたわたと、結奈は袋を開けて赤い飴を取り出した。

 口の中に入れるまでじっと広に見つめられ、恥ずかしいと思いながら。


「……落ち着いた?」

「え? あ、はい」

「じゃあ、鞄取りに行ったら?」

「そうだった。ごめん広くん、すぐ戻るから」

「ゆっくりでいいよ」

「そんなわけには……」

「ゆっくりで、いいよ?」


 ニコッと笑顔の裏に、憤怒の気配。

 結奈は背筋をピンと伸ばし、大袈裟にドアを開けて自主室を出て行った。


「気をつけて」


 忙しく自主室を出て行く結奈を、広は片手を振って見送る。


「気をつけて……か」


 廊下を走る音が徐々に遠くなり、それが完全に消えたところで、広はため息を吐いた。


「頑張れって言葉は、どっちにいうべきかな」


 ポケットに手を入れると固い感触が指に触れ、スライド式のケースを指でなぞった。

 カチッと、ケースの開く音に、広は目を閉じた。


「茶番だな」





 結奈が教室のドアを開けると、残っている生徒は一人しか居なかった。

 廊下にも、二人組の生徒が歩いているだけ。


「いつもこんなに人少ないっけ?」


 戸惑いを覚えながらも、結奈は教室に入る。

 前方の席に一人、座っているのは艶やかな黒髪が綺麗な女子生徒。

 美人そうだけど暗くて顔がよく見えない子。

 結奈の中でそれぐらいしか印象の残っていないクラスメイト。

 声をかけるのも変だと思い、結奈は机の中を確認する。


「あれ? 英語の教科書残ってる……授業終わってすぐ、カバンの中に入れたのに」

「当主様の計らいよ」


 声が聞こえると同時、教室の扉が閉まった。

 振り返った結奈の目に映ったのは、先ほどの黒髪の女子生徒。

 顔に微かな笑みを浮かべながら、ドアの前に立っていた。どうやら彼女が、教室の扉を閉めたらしい。


「あなたがここに戻ってくるように、仕向けておいたの」

「あ、えーっと……」

北村きたむら美優みゆうです」


 女子生徒は丁寧に名乗り、軽く頭を下げた。

 名乗ってくれて助かったと結奈は思った。クラスメイトの名前どころか、顔すらまともに覚えていない。

 ましてや彼女のような、無口で窓際にいる子なんて。


「えっと、市原結奈です」


 同じようにお辞儀をする結奈だが、美優は「知ってる」とピシャリと言い放った。

 目線がぶつかって、結奈は息を飲んだ。

 彼女の顔がとても綺麗だったから。少し細めだけれど黒が綺麗な瞳の色、陶器のような白い肌。


「北村さんって、綺麗だね……」


 結奈の言葉に美優は首を傾げたあと、嘲笑を浮かべた。


「当たり前でしょ、当主様と同じ血が流れてるんだから」

「当主様?」

「あなたたち神木もよく似てるわよ。頭の悪そうなふわふわ髪に、知性の無さそうな色素の薄い瞳」


 くすくすと、美優が笑う。

 馬鹿にされているのかな? と思った結奈だが、それよりも彼女の言葉の一つが気になった。


「神木はお兄ちゃん……従兄の名前で、私の苗字は市原だよ?」

「なに言ってるの? 神木一族でしょ? あぁ、そうよね。神木は解散してあなた、何も知らないのよね?」

「……ごめん、北村さんがなに言ってるかわからない」

「ふふっ、愚かよね、本当に。ねぇ、あなた、緋真先輩が好きなのよね?」

「え? うん……えっ、待って! 普通に返事しちゃった! どうしてそんなこと聞くの? (なんでバレたの? 私ってそんなにわかりやすい……いや、この子も広くんのこと好きでライバルだから?)」

「広くん? ……あなた、彼のことそう呼んでるの?」

「え? そうだけど……えっ! なんでわかったの? 私、声に出してないのに、(なにこの子、私の心を読んだ……超能力者⁉︎)」

「漏れてるのよ、心の声が!」

「心の声⁉︎ なに、なんのこと? (え、怖……)」

「面倒くさいから聞こえない事にしておくわ! そうじゃなくて、広くんって……そんな呼び方……同じ高校に通ってる私ですら、良くて緋真先輩なのに……なんで神木のあなたが、特別な呼び方で……」


 ぶつぶつと独り言を呟いていた美優だが、やがて決心したように顔を上げた。


「許可はもらってるの! お膳立てもしてくれた! 戦ってきてもいいって、当主様が……初めて、私のために!」


 叫ぶように声を震わせる美優が、ポケットの中から消しゴムを取り出した。

 マジックで相合い傘が書かれた消しゴム。その文字を塗りつぶすように、青色の模様と血のような赤が描かれていた。

 それを見た結奈が、ぱっと顔を背ける。


「そ、それ、相合い傘のおまじないだよね? すっごい昔に流行ったっていう、あの!」

「本で読んだのよっ!」

「本って子ども向けのやつだよね? 今時の小学生でもそんなのやらないよっ! それより、それって人に見せちゃいけないんだよ。今すぐ隠して! 両想いになれなくなるから!」

「知ってるわよ、そんなこと! 知ってる……! こんなことしてもどうせ……消しゴムを使い切っても私は、当主様と両想いになんかなれない!」


 ぶわっと、室内に風が吹いた。

 窓は開いていなかったはずと外に目を向ける結奈だが、やはり部屋は密封されていた。

 正面に向き直ると、美優の姿がなくなっていた。


「……さなぎ?」


 美優のいた場所にあったのは、黒い糸でできた蛹のような形の物体。

 大人一人が入れそうな。


「もしかして北村さん、中にいる? えっ?」


 慌てて駆け寄るが、手が触れる直前、また風が吹いた。

 咄嗟に目を閉じた結奈。

 再び開いた瞳に映ったのは、翼竜だった。


「……なにこの姿。予想外」


 壊れたスピーカーのように若干のノイズが入った音で喋る美優の声。

 さなぎの殻を破って現れたのは、ゴツゴツした硬そうな皮膚に鋭い爪と嘴を持つ翼竜。

 呆然とその姿を見ていた結奈が、ぽそりと呟く。


「恐竜……お兄ちゃんの部屋の図鑑で見たことある……」

「プテラノドンね」


 美優は翼を大きく羽ばたかせ、風を起こした。

 風圧によって、結奈とその周辺にあった机や椅子が一瞬で吹き飛ぶ。がしゃんと大きな音を立てて机と椅子がドアにぶつかるが、ガラスは割れなかった。

 結奈はドアにぶつかったものの、腕を擦りむいた程度で大きな怪我はなかった。


「思ったより力が大きいわ。殺すのは反則だからほどほどにしないと」


 自身の翼を見ながら翼竜と化した美優が呟く。

 パタパタと小さく翼を羽ばたかせ、力加減を調整し始めた。


「……なにこれ」


 擦りむいた腕を押さえ、結奈は呆然と翼竜の様子を見つめていた。

 うまく頭が回らない。

 今のこの状況はなんだろう?

 なぜクラスメイトが翼竜になったのか、なぜ自分は襲われているのか。


 なぜ、この騒ぎに誰も来ないのか……


 そしてふと、足元に飴玉が落ちていることに気がついた。

 黄色いレモン味の飴玉が一つ。

 とっさに飴玉を拾い、包装紙を破いて中身を取り出す。


「なにやってるの?」


 しかし飴を手に取った瞬間、美優が風を起こし黄色い飴玉は結奈の手から離れてしまった。

 カツンと音がして、飴玉が床に転がる。


「飴? なに考えてるの、この状況で」

「私のお守りだから」

「お守り?」

「緊張した時とか、困ってる時に食べなさいって言われて育って……私いま、困ってるから」

「……どれだけ平和ボケしてるの。バカみたい」


 美優が翼を振るい、結奈の指先にぶつかった。

 小さな切り傷から血が流れる。


「……困ったな、なにこれ」


 バタバタと大きな翼を動かし、美優は次の攻撃の準備をしている。

 結奈は血を拭うことも忘れ、スカートのポケットに手を入れた。


「ちゃんとお守り持ってるのに……全然、解決しない」


 ギュッと飴袋を握りしめて縮こまる結奈。

 容赦なく、美優が翼を振るう。


 その直前で、竜巻のような風が起こって美優の身体が弾け飛んだ。

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