第7話 One of the pieces ②
*
放課後、結奈が自主室に向かうと、すでに広がいて空を眺めていた。
結奈は一度深呼吸して、勢いよくドアを開ける。
「お待たせ、広くん。遅くなってごめんね」
「大丈夫、全然待ってないよ」
「そ、そうかな……(うわぁ、なにこのやりとり! デートみたい! もしかしてこれってデート?)」
「勉強会って俺、言ったよね? とりあえず教科書出そうか」
「あ、うん! えっと……鞄……」
「……手には、何も持ってないよね?」
必死に手のひらを見つめる結奈だが、その中には何も握られていなかった。
制服のポケットの中を探すが、そんな場所に鞄が入っているわけがない。
「き、教室に……忘れてきたみたいです」
「…………ふっ」
広が口元に手を当ててくすくす笑う。
結奈は恥ずかしくなり、制服のポケットに手を入れて俯いた。
「ご、ごめ……すぐにとってくるから」
「いいよ、気にしないで。もともとそのつもりだったから」
「そのつもり?」
「まさか鞄ごと忘れるとは思ってなかったけど。教室に戻ったら机の中もちゃんと確認してね?」
「机の中? どうして?」
「教科書、忘れてるかもしれないから」
「えっと……うん……ん?」
ふっと微笑む広の纏う空気が、少し雰囲気を変えた。
「それより、ポケットの中、なにか入ってるの?」
広に指摘され、結奈は目線を落とした。
スカートのポケットに、ちょっとした膨らみ。
そこまで目立ってはいなかったのに……と疑問に思いながらも、結奈はポケットからピンク色の巾着袋を取り出す。
象形文字の様な絵柄が、赤い糸で刺繍を施されている小さな袋。
「これね、飴袋」
「飴袋?」
「小さい時にお母さんがくれたの。困ったことがあったらその中に飴を入れて食べなさいって。お守りみたいなものかな」
「へぇー」
「き、緊張したり落ち込んだりした時によく食べててね……今、食べてもいいですか?」
「緊張してるの?」
「えっと……(広くんと二人ってだけでもドキドキするのに、鞄ごと忘れるとか恥ずかしすぎてヤバイ! 糖分食べないとやっていけない! 砂糖大事!)」
「面倒くさいから、心の声は聞こえないことにしておくね?」
「ありがとう! 広くん優しい!」
「……緊張というより、混乱でおかしくなってるね。いいよ、飴食べて」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
結奈が飴袋に指を入れると、中からは包装紙に包まれた赤色の飴が出てきた。
じっとそれを見つめたあと、広へ差し出す。
「私だけ食べるのも悪いから、広くんもどうぞ」
「……いらない」
「え?」
「俺はいいよ、結奈ちゃんが食べて」
「広くん、飴嫌いだっけ?」
「そういうわけじゃないけど。最近は食べないようにしてる」
「……ダイエットですか?」
「……そろそろ面倒くさいんだけど、怒っていいかな?」
「ごめんなさいっ!」
わたわたと、結奈は袋を開けて赤い飴を取り出した。
口の中に入れるまでじっと広に見つめられ、恥ずかしいと思いながら。
「……落ち着いた?」
「え? あ、はい」
「じゃあ、鞄取りに行ったら?」
「そうだった。ごめん広くん、すぐ戻るから」
「ゆっくりでいいよ」
「そんなわけには……」
「ゆっくりで、いいよ?」
ニコッと笑顔の裏に、憤怒の気配。
結奈は背筋をピンと伸ばし、大袈裟にドアを開けて自主室を出て行った。
「気をつけて」
忙しく自主室を出て行く結奈を、広は片手を振って見送る。
「気をつけて……か」
廊下を走る音が徐々に遠くなり、それが完全に消えたところで、広はため息を吐いた。
「頑張れって言葉は、どっちにいうべきかな」
ポケットに手を入れると固い感触が指に触れ、スライド式のケースを指でなぞった。
カチッと、ケースの開く音に、広は目を閉じた。
「茶番だな」
*
結奈が教室のドアを開けると、残っている生徒は一人しか居なかった。
廊下にも、二人組の生徒が歩いているだけ。
「いつもこんなに人少ないっけ?」
戸惑いを覚えながらも、結奈は教室に入る。
前方の席に一人、座っているのは艶やかな黒髪が綺麗な女子生徒。
美人そうだけど暗くて顔がよく見えない子。
結奈の中でそれぐらいしか印象の残っていないクラスメイト。
声をかけるのも変だと思い、結奈は机の中を確認する。
「あれ? 英語の教科書残ってる……授業終わってすぐ、カバンの中に入れたのに」
「当主様の計らいよ」
声が聞こえると同時、教室の扉が閉まった。
振り返った結奈の目に映ったのは、先ほどの黒髪の女子生徒。
顔に微かな笑みを浮かべながら、ドアの前に立っていた。どうやら彼女が、教室の扉を閉めたらしい。
「あなたがここに戻ってくるように、仕向けておいたの」
「あ、えーっと……」
「
女子生徒は丁寧に名乗り、軽く頭を下げた。
名乗ってくれて助かったと結奈は思った。クラスメイトの名前どころか、顔すらまともに覚えていない。
ましてや彼女のような、無口で窓際にいる子なんて。
「えっと、市原結奈です」
同じようにお辞儀をする結奈だが、美優は「知ってる」とピシャリと言い放った。
目線がぶつかって、結奈は息を飲んだ。
彼女の顔がとても綺麗だったから。少し細めだけれど黒が綺麗な瞳の色、陶器のような白い肌。
「北村さんって、綺麗だね……」
結奈の言葉に美優は首を傾げたあと、嘲笑を浮かべた。
「当たり前でしょ、当主様と同じ血が流れてるんだから」
「当主様?」
「あなたたち神木もよく似てるわよ。頭の悪そうなふわふわ髪に、知性の無さそうな色素の薄い瞳」
くすくすと、美優が笑う。
馬鹿にされているのかな? と思った結奈だが、それよりも彼女の言葉の一つが気になった。
「神木はお兄ちゃん……従兄の名前で、私の苗字は市原だよ?」
「なに言ってるの? 神木一族でしょ? あぁ、そうよね。神木は解散してあなた、何も知らないのよね?」
「……ごめん、北村さんがなに言ってるかわからない」
「ふふっ、愚かよね、本当に。ねぇ、あなた、緋真先輩が好きなのよね?」
「え? うん……えっ、待って! 普通に返事しちゃった! どうしてそんなこと聞くの? (なんでバレたの? 私ってそんなにわかりやすい……いや、この子も広くんのこと好きでライバルだから?)」
「広くん? ……あなた、彼のことそう呼んでるの?」
「え? そうだけど……えっ! なんでわかったの? 私、声に出してないのに、(なにこの子、私の心を読んだ……超能力者⁉︎)」
「漏れてるのよ、心の声が!」
「心の声⁉︎ なに、なんのこと? (え、怖……)」
「面倒くさいから聞こえない事にしておくわ! そうじゃなくて、広くんって……そんな呼び方……同じ高校に通ってる私ですら、良くて緋真先輩なのに……なんで神木のあなたが、特別な呼び方で……」
ぶつぶつと独り言を呟いていた美優だが、やがて決心したように顔を上げた。
「許可はもらってるの! お膳立てもしてくれた! 戦ってきてもいいって、当主様が……初めて、私のために!」
叫ぶように声を震わせる美優が、ポケットの中から消しゴムを取り出した。
マジックで相合い傘が書かれた消しゴム。その文字を塗りつぶすように、青色の模様と血のような赤が描かれていた。
それを見た結奈が、ぱっと顔を背ける。
「そ、それ、相合い傘のおまじないだよね? すっごい昔に流行ったっていう、あの!」
「本で読んだのよっ!」
「本って子ども向けのやつだよね? 今時の小学生でもそんなのやらないよっ! それより、それって人に見せちゃいけないんだよ。今すぐ隠して! 両想いになれなくなるから!」
「知ってるわよ、そんなこと! 知ってる……! こんなことしてもどうせ……消しゴムを使い切っても私は、当主様と両想いになんかなれない!」
ぶわっと、室内に風が吹いた。
窓は開いていなかったはずと外に目を向ける結奈だが、やはり部屋は密封されていた。
正面に向き直ると、美優の姿がなくなっていた。
「……さなぎ?」
美優のいた場所にあったのは、黒い糸でできた蛹のような形の物体。
大人一人が入れそうな。
「もしかして北村さん、中にいる? えっ?」
慌てて駆け寄るが、手が触れる直前、また風が吹いた。
咄嗟に目を閉じた結奈。
再び開いた瞳に映ったのは、翼竜だった。
「……なにこの姿。予想外」
壊れたスピーカーのように若干のノイズが入った音で喋る美優の声。
さなぎの殻を破って現れたのは、ゴツゴツした硬そうな皮膚に鋭い爪と嘴を持つ翼竜。
呆然とその姿を見ていた結奈が、ぽそりと呟く。
「恐竜……お兄ちゃんの部屋の図鑑で見たことある……」
「プテラノドンね」
美優は翼を大きく羽ばたかせ、風を起こした。
風圧によって、結奈とその周辺にあった机や椅子が一瞬で吹き飛ぶ。がしゃんと大きな音を立てて机と椅子がドアにぶつかるが、ガラスは割れなかった。
結奈はドアにぶつかったものの、腕を擦りむいた程度で大きな怪我はなかった。
「思ったより力が大きいわ。殺すのは反則だからほどほどにしないと」
自身の翼を見ながら翼竜と化した美優が呟く。
パタパタと小さく翼を羽ばたかせ、力加減を調整し始めた。
「……なにこれ」
擦りむいた腕を押さえ、結奈は呆然と翼竜の様子を見つめていた。
うまく頭が回らない。
今のこの状況はなんだろう?
なぜクラスメイトが翼竜になったのか、なぜ自分は襲われているのか。
なぜ、この騒ぎに誰も来ないのか……
そしてふと、足元に飴玉が落ちていることに気がついた。
黄色いレモン味の飴玉が一つ。
とっさに飴玉を拾い、包装紙を破いて中身を取り出す。
「なにやってるの?」
しかし飴を手に取った瞬間、美優が風を起こし黄色い飴玉は結奈の手から離れてしまった。
カツンと音がして、飴玉が床に転がる。
「飴? なに考えてるの、この状況で」
「私のお守りだから」
「お守り?」
「緊張した時とか、困ってる時に食べなさいって言われて育って……私いま、困ってるから」
「……どれだけ平和ボケしてるの。バカみたい」
美優が翼を振るい、結奈の指先にぶつかった。
小さな切り傷から血が流れる。
「……困ったな、なにこれ」
バタバタと大きな翼を動かし、美優は次の攻撃の準備をしている。
結奈は血を拭うことも忘れ、スカートのポケットに手を入れた。
「ちゃんとお守り持ってるのに……全然、解決しない」
ギュッと飴袋を握りしめて縮こまる結奈。
容赦なく、美優が翼を振るう。
その直前で、竜巻のような風が起こって美優の身体が弾け飛んだ。
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