第5話  二千もしくは千二百、六千万以上前の過去 ⑤



 翌朝、鳴り響く目覚まし時計の音で織斗は目を覚ました。


「ねぇ、これうるさいんだけど」


 この世のものとは思えない美声が聞こえたかと思うと次の瞬間、ガッと音がして目覚まし時計の音が止まった。


「……何の音⁉︎」


 慌てて飛び起きると、枕元にあるはずのアナログ式の置き時計の部品が床に散らばっていた。


「うるさかったから」


 ちょこんと枕に腰掛ける、手のひらサイズの和装少女。

 悪びれた様子もなく、キョトンと織斗を見上げている。


「姫未、おまえこれ……投げたの?」

「こんな身体だけど、力は結構あるんだよね」


 片手で軽々と、自分より何倍も大きい枕を持ち上げる姫未。

 織斗は言葉も見つからず、目覚まし時計と時間差でセットしていたスマホのアラームを止めた。


「別にいいんだけどさ、百円で買った安物だし。つーか、スマホの方が先に鳴らなくて良かった」


 寝起きで頭が回らなかった。

 頭を抱えて歩く織斗のあとを、ふわふわと姫未が追ってくる。

 罪悪感もない、ニコニコ笑顔で。


「いや、よくないからな! 人の物勝手に壊すのよくないからな!」

「……どしたの、急に」


 何が悪いのかわかっていない風な姫未の返事。

 織斗は面倒くさくなって、「あとで爺ちゃんに聞いてくれ。時計を壊すことの何が悪いのか」と呟いて部屋を出た。

 リビングに入るといつも通り、朝食が用意されていて黙々とそれを食べた。

 いつものように顔を洗って着替えて、普段通りに家を出る。


「……何も変わってなくね?」


 玄関を出たところで、織斗が言った。

 晴れ渡る空、雲ひとつない快晴。

 朝陽を浴びながら、織斗は見慣れた住宅街を歩く。


「……夢かな?」


 ぽつりと呟いて、織斗は昨日からの出来事を振り返った。

 学校でトランプ開けたら手のひらサイズの和装少女が現れて。亡霊みたいな女性に襲われて術が使えて、神木家は由緒ある名家だったとかで。


「整理できねー……うん、夢だな」


 だけどそれなら、昨日、それ以外に何をしたか思い出せない。

 ため息をついて住宅街を歩く織斗だが、ふと違和感に気がついた。

 さっきから誰とも、すれ違わない。

 顔を上げると、目の前に男子中学生がいた。

 アニメか何かの可愛い女の子の仮面を被っていて顔は見えないが、織斗の通っていた中学の制服を着た男の子。

 ひょろっと背の高い細い体躯、艶やかな黒髪が綺麗な少年。


「神木の当主さんですよねぇー? おはようございまーす」


 なよっとした喋り方、軽快な声と共に、少年が野球ボール程度の大きさの球体を織斗に投げつけた。

 弧を描いて織斗の元へ飛んでくるそれは中にある何かが放電されていて、ピリピリと電気の筋が見えた。


「……えっ、なに⁉︎ 誰⁉︎」


 すっと身をかわす織斗。

 地面に落ちた球体が、その場でバチィっと爆発した。

 直径一メートル程度の、焦げた跡が地面に残る。


「焦げ……電気が爆発して……そっか、敵一族……」


 わけがわからず呆けていた織斗だが、昨晩の話を思い出してズボンのポケットに手を入れた。


「あれ? トランプ……えっ、ない?」


 そういえば机の上に置きっぱなしだったと、織斗は頭を抱えて仰け反る。

 顔を上げると、少年の手には再び電気の球があった。


「なになに、あの丸いの自由自在に作れんの? 武器、俺の……ひめみ、姫未ー!」

「はぁーい、お待たせ」


 ヒュンと緋色が眼前を舞う。

 織斗の手にトランプを握らせた姫未はそのままふわりと、肩の上に座った。


「トランプ忘れるとかバカなの? 敵はいつ襲ってくるかわからないんだから」

「ありがとう姫未! マジでありがとう!」

「どーいたしまして」


 興味なさげに言った姫未が、織斗と対峙している少年に目を向ける。


「正気を保ってるわね。血の匂いもしないし、ナンバーズかな?」

「ナンバーズ?」


 しかし聞き返す間もなく、少年が再び電気の球を投げつける。

 織斗はトランプからスペードの3を取り出し、少年に掲げた。


「えっ、ちょっと待って。スペードって水よ? 電気に……」

「解印!」


 姫未の忠告も届かず、トランプから溢れた水が電気の球目掛けて飛び出した。


「……え、電気に対して水使っちゃう?」


 アニメキャラの仮面の下で、少年が困惑したように呟いた。

 そしてすぐさま、反対の手に持っていた球を、もう一つのそれに向かって投げつける。

 バチィっと音がして、空中に稲妻のような光が走った。

 電気を纏った水はそのまま地面に落ち、軽い爆発を起こして消えた。


「……理科の実験みたい」


 呆然と眺めていた織斗だが、姫未に耳を触られて振り返った。


「やめ……耳やめて、ほんと!」

「なにやってんの! 電気に対抗して水を出すって、あんたバカなの? 水が手元を離れてたからよかったものの」

「あ、電気に水ってダメなんだっけ? 水タイプが弱いんだよな?」

「なによ水タイプって」

「それよりも攻撃……」


 正面に向き直る織斗だが、少年の姿は消えていた。

 トランプ片手に惚ける織斗。

 やがて背後から犬の散歩をしている人が歩いて来て、住宅街の人通りが元に戻った。


「逃げ……られた?」

「よかったわね、逃げてもらえて。普通にやりあってたらあんた、負けてたわよ?」

「術の、使い方がわからない」


 地面に座り込む織斗。

 道ゆく人が不思議そうに織斗を一瞥し、しかし足早に通り過ぎていった。

 肩に乗った姫未が、再び織斗の耳を突く。


「あはははははっ! やめ、マジでやめて!」

「普通の子はねぇ、一人一属性なの。全部使えるあんたは一族の中でも一番、強いはずなんだからね?」

「一人一属性?」

「電気系の子は電気しか扱えない、水系の子は水だけとか、一人一つなの。普通の術師はね」

「普通の術師か……俺は普通じゃない、当主だからこんなに弱いのか……」

「だから、逆! あんたが一番強いの! ていうか織斗、昨日も言ったけど、私の姿は一般人には見えないからね?」


 姫未の言葉に、織斗ははっとして顔を上げる。

 通り過ぎるうちの何人かが、ちらちらと織斗に視線を向けていた。


「学校行くか……学校⁉︎ いま何時⁉︎」


 慌てて時間を確認すると、八時半を過ぎていた。


「遅刻! どう頑張っても無理! ……帰ろう」

「今の時代の学校は、そんなに気軽にお休みしていいものなの?」

「……姫未、ちょっと電話してくれない? 神木織斗くんは今日、お休みしますって。理由聞かれたら足が遅くて電車に間に合わなかったとでも言っておいてくれ」

「あんた、昨日めちゃくちゃ足速くなかった? 術使ってないのに、力解放してる敵一族の子から普通に逃げてたわよね? ていうか、だから、私の声は一般人には聞こえないってば」

「今から行くの嫌なんだけど。遅刻すると広に怒られるんだよ」

「ひろ? ……ひいろ?」

「ひろだよ、緋真広。同じ学校で同じクラス……そういえば俺、小学生の時からずっと広と同じクラスだ……怖。そんなことより学校……」

「あ、待って」


 駆け出そうとした織斗の耳を、姫未が引っ張った。

 笑いそうになった織斗だが、何とか堪えて姫未に向き直る。


「なに? 俺、遅刻してんだけど……」

「あんたが術師だとか始祖の一族だとか、昨日話したことは他の人に言っちゃダメだからね?」

「え、なんで?」

「当たり前でしょ、常識的に考えてよ。それと、戦闘以外で術力を使わないこと。わかった?」

「よくわからないけど、わかった」

「どっち?」

「わかっ……痛! 耳の中に手入れないで! あはははははっ! わかった、わかったから!」


 くすぐられ過ぎて涙目になっていた。

 織斗は目を擦り、鞄を抱え直す。


「大丈夫。俺、口はすげー軽いけど約束は守るタイプだから」

「……口軽いの?」

「言うなって言われたことは言わない。嘘はつけないから、追求されたらどうかわかんねーけど」

「ダメでしょ、それ」

「とりあえず学校! 俺、もう行くから」

「いってらっしゃい」


 ポンっと背中を押され、織斗は思わず振り返った。

 首を傾げる姫未と目が合う。


「なに?」

「あ、いや……いってきます」


 正面に向き直り、足を踏み出した。


『いってらっしゃい』なんて、久しぶりに聞いたかもしれない。

 朝バタバタして、祖父にちゃんと挨拶できない自分が悪いのだが。

 空を見上げると、相変わらず雲ひとつない快晴だった。

 だけど昨日とは違う。

 確かにに違う。

 今日という朝、背中を見送ってくれる小さな少女。



 目が覚めたら世界が…………



 これが現代世界での最初の接触。

 神木織斗という人間と、姫未という小さな神様が出会った日の出来事。



 新しい物語の始まりだった。

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