第4話 二千もしくは千二百、六千万以上前の過去 ④
*
織斗が目を覚ましたのは、自室のベッドの上だった。
怠さの残る重い頭を押さえ、辺りを見渡すと勉強机に置いてある鉛筆立ての上に着物の少女が座っていた。
手のひらサイズの、小さな和装少女。
「おはよう、織斗」
「え、あ……おは、よう?」
少女の言葉に首を傾げながら返事する。窓の外を見ると真っ暗で、日が暮れていた。
ポツポツと、雨の降る音が聞こえる。
「自己紹介してなかったわよね」
声に振り向くと、着物の少女が織斗の肩口まで来ていた。
当然のようにちょこんと、そこに腰掛ける。
「
「……神木織斗です」
名乗ってから、先程すでに名前を呼ばれていた事に気がついた。
どうして名前を知っているのかという疑問はあるが、寝起きのせいでうまく考えることができなかった。
*
リビングに行けと言われたのでそれに従うと、織斗の祖父である神木元助が椅子に座っていた。
織斗とともにリビングに入った姫未は、テーブルの上の花瓶に腰掛ける。
「座りなさい」
いつもと違う厳格な雰囲気。
織斗は黙って祖父の向かい側の席に座る。
「なにから説明すべきか」
元助はこめかみを押さえ、深いため息をつく。
「姫未様とはどこまで話をした?」
「……姫未、
織斗の返答に、元助は全てを理解した。
姫未に目を向けると、彼女はバツの悪そうな顔で苦笑いした。
「何も話しておらんのですか?」
「自己紹介は済ませたよ?」
その言葉に、元助は再びため息をついた。
やがて顔を上げ、不安そうな表情を浮かべる織斗に向き直る。
「いいか織斗、今から信じられん話をするが、全て本当のことだ」
「……信じられん出来事をさっき体験してきたんだけど」
「黙って聞け。お前には秘密にしていたが、神木家は術師と呼ばれ、血によってその力を受け継いできた」
「術師?」
「術力は血の濃さに関係すると言われている。最も強い力を持つのが本家の長男、その次にその姉弟妹、従兄弟、それ以降は疎らで、遠縁の者が強い力を持つ事もある」
「……へぇー」
「織斗おまえ、トランプが使えたんだよな?」
「え? ああ、うん」
その時になってようやく、机の上にトランプが置かれていることに気がついた。
赤文字模様が描かれた、先ほど武器として活躍してくれたトランプ。
「それは
「…………え、なに?」
意味がわからず身を乗り出す織斗。
元助は眉間に皺を寄せて目を閉じ、どう説明したら良いか考えた。
「神木家って本当は由緒ある家柄なのよ」
助け舟を出すように手のひらサイズの和装少女、姫未が話を始める。
「始祖は千二百年前、神から術力を授かったとされる男。さっき織斗がやったみたいに、炎や水など魔法みたいな力を操る事が出来たの。彼は血を繋ぐことで力を継承することを知り、子孫を残し神木家を作って術力を後世に伝えることにした。でもね、神から力を授かったのは神木だけじゃなかった」
姫未は花瓶に生けてある一輪の花を指で弾き、織斗を見上げた。
「神木と対になるもう一つの術師一族。それが、あんたがさっき戦った黒服の女性」
織斗の脳裏に、つい数時間前の記憶が思い出される。
化け物に変容した女性と、公園の外に姿を現した女子中学生。
「術力を手に入れた二つの一族はやがて、互いの力を使って争いを始めた。私たち従者の監視下で」
「従者?」
「守り神であり、同時に二つの一族の戦いに干渉するのが仕事なの、私たち従者は。始祖の代からやってきたから、千二百年以上生きてることになるね」
「千二百年? 二つの一族?」
「急にいろんなこと言われても理解が追いつかないよねぇ」
姫未が愉快そうに笑う。
織斗は彼女を見つめ、その視線を祖父に戻した。
「術力とか、神木が由緒ある家柄とか、初耳なんだけど」
「術師家系であることを隠し、一般人として普通の生活を送ること。それがお前の両親の遺言だった」
「父さんと母さんの?」
「即死だったから遺言というのもおかしいが。生前、子供達には普通の生活を送って欲しい、その為に術力、トランプは封印したと言っていた。織斗おまえ、そのトランプをどこで手に入れた?」
「どこって……」
「普通の生活を送る為に、お前の父親は神木の術力をトランプの中に閉じ込め、人の手の届かない場所へ隠したと言っていた。いくら探しても見つからなかったんだが」
これは、正直に言ってしまっていいものか……と悩んで声がでない織斗。
考えがまとまらないうちに、姫未が口を挟んだ。
「術力を封じると同時に私もトランプの中に閉じ込められたんだけど、織斗が封印を解いてくれたおかげで外の世界に出ることができたの」
ニコニコと微笑みながら、姫未が織斗を見上げる。
「ありがとうね、織斗」
「え? あぁ、いや、別に。そういえば俺、このトランプにあの女を……」
「封印したの。ジョーカーが封印のカード」
「封印……この中に」
「ハートは炎、スペードは水、ダイヤは土、クローバーは草木というように、マークに応じて術が発動する。大雑把に分類してるだけだから、使い手の力量によって様々な形に変化するけどね」
「……魔法のカードって事か」
「戦い方に慣れるまでは私がサポートするし、コツさえつかめばあんたの武器が一番強いから」
そう言って姫未がガッツポーズを決めてみせる。
突然のファンタジー展開についていけない織斗だったが、姫未を見てふと冷静になった。
「そういえば、お前、なに?」
「私? だから姫未だって」
「そうじゃなくて、千二百年前から神木を見守ってたって……幽霊かなんかなの?」
「幽霊じゃないってば! ……いや、その解釈であってるかも、違うかも」
「どっちだよ」
「神木家の従者だから、神木家の現当主にとり憑いてるってことかなぁ」
「そいえばさっき、当主がどうのとかって……」
織斗はちらりと祖父を一瞥する。
難しい顔をして腕を組んでいた元助が、深くため息をついた。
「神木家は代々、長男が当主として本家を継ぎ一族をまとめてきた。当主として認められる条件は、術力を使えること。不思議なことに、子が術力を使えるようになれば親は術力を失う」
「つまり今日、織斗が力を解放した瞬間、あんたが新しい神木の当主になったの。そしてそのせいで、一つの一族に敵として認識された。これから先、今日みたいに敵一族と戦うことになるわよ」
「なんで急に……え、もしかしてこれから先ずっと敵一族ってやつと戦わないといけないの?」
「向こうの当主を倒したら相手一族は術力を失うから神木の勝ちで、もう戦わなくていいけど。もしくは子をなすか」
「子をなす?」
「さっきも言ったけど、子が術力を受け継ぐと親は力を失い、それをもって当主交代となる。戦いの責を我が子に押し付けるってことね」
「……ダメだろ、それ」
織斗はため息をついて、机に顔を伏せる。
「それに神木一族なんて言われても、俺の家は普通の一般家庭で……爺ちゃんはこのこと、知ってたんだよな?」
「……そうだな」
「神木家がどうとか、姫未とも普通に話せてるし、俺が襲われたって聞いても特に慌ててないし……なんで俺だけ、なにも知らないの?」
これには姫魅も返答に困った。横目で元助を見るが、やはり目を閉じて黙っているだけ。
しばらく沈黙が続き、ようやく元助が口を開く。
「少し、待ってくれ」
「……は?」
「行方不明になっていた神木のトランプが出てきたのも、織斗が術力を使ったのも予想外すぎて、わしも未だ混乱しとる。それに……」
元助は姫未に目配せし、しかしすぐに視線をそらした。
大きくため息を吐き、話を続ける。
「いずれ、全て話そう。とにかく今は姫未様に従い、襲ってくる敵を倒すことだけ考えろ」
「そんなテキトーな……」
「がんばれよ、織斗」
元助の言葉に、織斗は声を詰まらせた。
それ以上追求することができず、「わかった」とだけ返事をして、また沈黙の時間が始まった。
織斗もまた混乱していた。
おそらく、これ以上深い話をしても頭に入らなかっただろう。
「じゃあ、今日はお開きにしよっか。織斗、ご飯食べてないでしょ?」
異様に明るい姫未の声で、話し合いの場は一旦解散となった。
姫未は食事を摂らなくてもいいらしく、食事の様子をニコニコしながら見ていた。
*
食事も早々に、織斗は風呂を済ませ自室に戻った。
ベッドに倒れ込むと眠気が襲ってきて、ぼうっと天井を見上げる。
「術師、神木の当主、俺が……親戚って隣に住んでる結奈と叔母さんくらいしか知らないのに、当主って」
嘲笑しながら、カーテンが開いたままの小窓に目をやる。
織斗の部屋の窓から五十センチの距離もなく、隣家の小窓があった。
向こうはカーテンを閉じていて、隙間から光が漏れている。
「ゆなー、起きてる?」
返事はない。
イヤホンをつけてゲームか何かしているのだろう。
高揚感が抜けず、誰かに話を聴いてもらいたかったが仕方ない。
再び天井を見上げ、目を瞑った。
カーテンを閉めないと、髪も乾かしてない。
あぁ面倒くさいな。
全部いいや、明日やろう。
「また、明日……」
目を閉じると、電球の光が残像として瞬いた。
「朝起きたら全部夢だった、なんて事になってるかも……それはそれで、寂しいな」
不安よりも高揚感の方が高かった。
不思議な術が使えて、わざわざ敵まで用意してくれて。
よくわからないけど、[当主]とかいう一族のリーダーで。
「……どうなるんだろ、明日から」
ごちゃごちゃになる感情を払い除けるようにして、布団を被った。
小さい頃、願った事がある。
『ヒーローになりたい』と。
魔法が使えて、俺がみんなを守って。
朝起きたら世界が変わっていて、俺が……
俺だけが特別な力を持っていて、
みんなを守る特別な存在で。
日常を非平凡なものに変えたくて、
寝る前におまじないの様に繰り返した。
「目が覚めたら、世界が変わっていますように」
そう願って何度、同じ朝を迎えただろう。
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