第5法則 アンドロイドに愛が分かるわけがない
あの頃の気温が嘘のように、世界は寒くなった。
「おはようございます!」
リーリヤはいつものように俺を揺り起こすと、「寒い寒い」と言いながら、もぞもぞと布団に潜り込み、右隣に入ってくる。
「なにやってんだ?」
近い!良い匂い!早朝から刺激が強い!
カノジョは冷えた手で俺の手を握る。
「ふへへ、あったかーい」
カノジョは微睡む《まどろむ》ような声でそう言うと、自分の頭を俺の右腕にグリグリと擦り付ける。
なにこれ、かわいい。
「俺はカイロじゃないぞ」
そう言ってリーリヤを見るが、もうカノジョはしっかりと俺の右腕をホールドし、安心しきった顔をして、スースーと眠ってしまっていた。
「……勘弁してくれ」
俺は空いた左手で、リーリヤのまだ寝癖が残る頭をそっと撫でてみる。
細く柔らかい、さらさらとした髪の毛は、初めて会ったときからなにも変わらず白銀に輝き、カーテンの隙間からほんの少し漏れる太陽の光を美しく反射させる。
「俺は今、寝ぼけているんだ」
誰でもない自分自身に言い訳をし、俺は寒い冬の日の朝、リーリヤを抱きしめた。
「んぅ……」
リーリヤは小さい声を漏らすが、起きる気配はない。
ドキドキと脈打つ鼓動をそのままに、カノジョの寝息に誘われ、俺の瞼は落ちていく。
こんな甘美な朝が、ずっと続けば良い。
そう思いながら……
「ご主人様!」
「んえ?」
リーリヤは俺の上に乗っかり、また肩を揺らしていた。
あれ?抱きしめたのは、夢?
「見てください!見てください!」
カノジョは珍しいことに素早く俺の上から飛び降りると、カーテンを開け、2階の窓からもう暗くなった外を指差す。
「雪ですよ!綺麗ですよ!」
リーリヤはエメラルドの瞳を煌めかせ、子供のような満面の笑みでぴょんぴょんと飛び跳ねている。
寝過ぎた……と思いながら俺はベッドから起き上がり、リーリヤの右隣に立つ。
「おお」
今日は12月24日、クリスマスイブ。この街には人工の雪が降り積もる。1年の内で最も寒い日だ。
綺麗ですよ!綺麗ですよね?とリーリヤはなにを期待しているのか、俺の次の言葉を待っている。
「綺麗だな」
カノジョは待ってました!と言わんばかりに俺の左腕に飛び付き、「ご主人様もそう思いますよね!ね!」と窓の外にちらちらと降る雪をニコニコ見つめながら、ご機嫌に鼻歌を歌う。
「外、出るかあ」
出不精な俺が、普段なら絶対に言わないことを言ってみる。雪の中にいるリーリヤを見たかった。雪と戯れるリーリヤを見たかった。俺は、ずっと、楽しそうなリーリヤを見ていたかった。
「良いのですか!?」
リーリヤは今にも踊り出しそうなテンションで、雪から俺に目線を移すと、腕からパッと離れた。
カノジョの体温だけが、そこに残った。
「ご主人様!コートですよ!」
クローゼットから2着のコートをせっせと持ってきたカノジョは、急いでそれを着る。
そんな急がなくても、やっぱりやめたなんて言わないよ。そう思いながらも、真剣な顔で準備を進めるカノジョを少しでも見ていたい。そう思うのは、おかしなことだろうか。
「行きましょう!」
カノジョは準備万端です!と、厚手のメイド服の上にコートを羽織り、しっかりと手袋、耳当て、マフラーを着用した姿を見せてくる。リーリヤは自身の言葉に「おー!」と応え、滑らかで艶々とした髪が、左手を挙げる動作と連動してふわりと持ち上がる。
かわいいかよ。
「んじゃ行くか」
2人は1Kの小さな部屋を出て、真っ白に染められた世界に足を踏み出した。
滑らないよう気をつけながら、2人は1階に下りていく。
リーリヤは手摺りに掴まりながら、ゆっくりゆっくり後ろを付いて来る。最後の段をトンッと、足取り軽く着地したリーリヤは、掴まる所を手摺りから俺の腕に移すと、宙に舞う雪に感嘆の声を漏らした。
「綺麗ですね」
「そうだな」
舞い落ちる雪がピカピカと光るイルミネーションに照らされる中、2人は白い息を吐き出しながら歩く。
カノジョは俺の左腕を抱きしめながら、白い絨毯の上に小さな足跡を残していく。俺はそれすらも愛おしくなる。
「ご主人様」
リーリヤは声のトーンを少し落とし、シンと静まり返った冬の中、鈴の音のような綺麗な声を出した。
「どうした?」
左腕をさっきまでよりも、少し強く抱きしめられた俺はリーリヤを見つめる。
「ご主人様、愛しております」
白い世界の中にあっても輝く、その白銀の髪に雪の結晶をつけ、カノジョは白い肌を少し赤くさせた。
エメラルドグリーンの瞳は俺の目を見つめ、薄いピンクの唇は、優しく微笑む。
自然と止まった足は行き場を失い、返す言葉は舌の上を滑ってうまく出てこない。そんな俺を見て、リーリヤは言葉を繋げる。
「少し前から……いいえ、ご主人様と出会った時からずっと。私、おかしいのです」
カノジョは抱きしめていた俺の腕を離し、スッと前に出る。
「今日もです。ドキドキして、朝ご主人様に抱きしめられた時も、私、嬉しくなってしまって」
そう言って微笑むリーリヤの大きな瞳からは、小さな涙が溢れてくる。
「おかしいんです。だって、アンドロイドは恋なんてしないのに……愛したりなんてしないのに」
カノジョの微笑んでいた表情が崩れ、一瞬で泣き顔に変わる。
恋なんてしたら、愛してしまったら、愛し合ってしまったら、アンドロイドは破棄される。それが、この世界の定められたルール。
人がアンドロイドに恋をするのは勝手だ。人がアンドロイドを愛するのも勝手だ。ただ、それはアンドロイドが恋をせず、愛さないことを前提に許されているだけ。アンドロイドが人に恋をし、愛することは、許されていない。
カノジョの口から、もう言葉が出てくることはない。ただグスッと鼻をすすり、嗚咽する声が聞こえて来るだけ。
俺は、カノジョの楽しそうな顔が見たかっただけなんだ。これまでも、今でも、そして、これからも。
俺は、リーリヤとの未来を、ずっと夢見ている。
「アンドロイドに、愛がわかるわけがない」
ああ、そうだ。だから、俺は信じない。
「へ?」
カノジョは潤んだ瞳をこちらに向ける。
「アンドロイドに愛がわかるわけがない!リーリヤ、それは本当の愛なのか?」
アンドロイドに愛が分かるなんて、そんなことはあり得ない。俺はリーリヤの恋を、愛を、本物だとは認めない。
「リーリヤ、俺が死ぬ日に本当の愛とはなにか、教えてやる」
カノジョは俺の意図を察したのか、大粒の涙を流しながら微笑む。
「はい!」
リーリヤはそう返事をすると、さっきよりも降り出した雪の中、抱きついてくる。
「なにやってんだ?」
俺はリーリヤを抱きしめながら、濡れた白銀の髪を撫でる。
「愛とはなにか、教えてもらおうと思いまして」
カノジョは俺を見上げ、背伸びをすると、そっと触れるか触れないかの、熱い口づけをした。
「私のこれは、本当の愛ではないようなので!」
そう笑うリーリヤの目に、もう涙はない。
リーリヤは本当の愛を知らない。だから俺を愛したことにはならない。こんなの屁理屈なのはわかっている。
それでも、俺はカノジョの温もりを、まだまだ手放したくないのだ。
アンドロイドに愛がわかるわけがない! 完
アンドロイドに愛が分かるわけがない! 筑前 煮太朗 @chiczen_nitaro
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