美しき振袖

増田朋美

美しき振袖

美しき振袖

正月がすぎて、一月になると、必ずやって来る行事が成人式だ。成人式というと、最近は荒れるからということで、あんなものはなくした方がよい、何て言う専門家もたまにいるが、少なくとも、呉服屋さんでは、ものすごいかきいれどきになることは疑い無い。レンタルで済ませてしまう人もいるが、それでも、振袖を着る人が多くなるのは、間違いないだろう。

そんな中、カールさんの経営している増田呉服店では、成人式など関係なく、着物が売れているのだった。時おり杉ちゃんも、寸法直しの関係で呼び出されてしまうことがたまにあるが、今日もそれでカールさんと、打ち合わせをしていた時だった。

「こんにちは。」

と、一人の女性が、カールさんの店にやってきた。

「はい、いらっしゃいませ。」

と、カールさんがいうと、

「あのうすみません、こちらでは、振袖というものは、まだありますか?成人式まで、あと二週間くらいしかないですけど、ここであれば安く買えると、親戚の叔母からききましたので。」

と、女性は、そういうことをいった。

「ああ、わかりました。これなどいかがでしょうか?こちらは、松竹梅の古典的な振袖で、お似合いになると思いますが。」

と、カールさんは、売り台から、一枚の振袖をだした。赤に金箔で松竹梅をいれた、可愛らしい感じの振袖である。

「お客さんは背が高いので、本振袖がいいでしょう。昔は、成人式は中振袖、結婚式には本振袖を着たものですが、いまは、ほとんど、本振袖にとられてしまっています。」

カールさんがそういうと、

「振袖にも種類があるんですか?」

と、彼女はきいた。

「おう、あるよ。袖が足首まで来るのは本振袖、膝くらいの袖は中振袖、お尻くらいまでのは、小振袖だよ。」

と、杉ちゃんも口をはさむ。

「 ただ、着物の仕立て屋としては、中振袖と小振袖の使い道がなくなっちまうのは、なんだか悲しいもんだけどね。」

「そうですか。じゃあ、成人式には、三つのうちどれがいいのですか?」

彼女は、ちょっと興味深そうに言った。

「ええ、儀礼的には中振袖ですが、いまは、ほとんど、本振袖です。」

カールさんが説明する。

「こちらの松竹梅の振袖は、試着いたしますと、本振袖の長さになると思います。もし、あなたが大学などにいかれるのであれば、卒業式などにも使ってくださって結構ですよ。」

「大学にはいっていません。私は看護専門学校にいってます。」

彼女は、急いで訂正した。

「ああ、さようですか。将来は看護師を目指していらっしゃるんですね。それなら、こちらの菊の花の振袖もおすすめです。こちらは、菊に車輪の柄が描かれておりまして、車輪は江戸時代、医療関係者に好まれましたし、菊は、病気見舞の意味がありますから、そういう方に向くのではないかと思われます。」

と、カールさんは、ピンクの菊の花の描かれた振袖をとりだした。

「ちなみにこちらも本振袖です。お値段は二つとも、三千円で大丈夫です。」

「寸法が心配だから、ちょっと着てみたら?」

と、杉ちゃんがまたいった。カールさんは、そうですねといって、

「紐をお貸し致しますから、ちょっと服の上から羽織って見てください。」

といって、彼女に紐を渡した。彼女は、わかりましたといって、その通りにした。まず、先程出された菊の振袖を羽織ってみる。

「おお、ちょっと身丈が短いか。おはしょりが、帯に隠れてしまうかな?」

杉ちゃんが言う通り、確かに身丈が短かった。でも、彼女は、その本振袖をとても気に入ったような感じだった。

「ちょっと腰ひもをさげてみましょうか。腰ひもは通常、ウエストの一番細い場所でつけますが、これを腰骨のすぐ上の部分にまで下げるんです。やってみていただけますか?」

カールさんに言われて彼女は、その通りにした。

「うーん、それでも袋帯をしめたら、おはしょりが隠れてしまいそうだなあ。」

「でもわたし、この振袖がすきです。これを買っていきたいです。おはしょりなんて、そんなものなくてもいいって、本にも書いてありましたよ。だから、いいじゃないですか。これを着て、成人式には是非出たいです。」

杉ちゃんが言うと、彼女は、そういった。

「ま、まあ、そうなんだけどね。でもさ、お前さんの一生の晴れ舞台じゃないか。それは、やっぱりちゃんと着たほうが。」

杉ちゃんがまたいうと、

「でも、自分が気に入ったもので、出場するのが、やっぱりいいですよね?」

という彼女。ずいぶん自己主張の強い女性だなと思ったカールさんは、

「了解しました。じゃあ、これでよいでしょう。帯や長襦袢などは大丈夫かな?」

ときくと、親戚の叔母から貸してもらうから大丈夫ですと彼女はいった。それなら大丈夫ですね、と、カールさんは、彼女に振袖を脱いでもらい、一応、袋にいれますね、と、紙袋にいれて、彼女に渡した。彼女は嬉しそうな顔をして、三千円をカールさんに渡した。

「領収書を書きますので、あなたのお名前はなんですか?」

カールさんがきくと、

「はい、菊池妙子ともうします。」

と、彼女はいった。

「菊は花の菊、池は池、妙は女が少ないに、子は子どもの子です。」

「了解しました。」

と、カールさんは、領収書に、金額と菊池妙子さまと書き込み、彼女に渡した。

「ありがとうございます。よかった!成人式には間に合いました。成人式はこの振袖で、必ず出場しますから、本当にありがとうございます!」

妙子さんは、にこやかに笑って、カールさんと杉ちゃんに一礼し、店を出ていった。多分、ギリギリまで振袖を用意できなかったのだろう。まあ、とにかく彼女が、無事に成人式を迎えられることを祈ろうなと杉ちゃんたちはいった。

それから、数日後の事であった。杉ちゃんが、いつも通り、製鉄所で利用者たちと一緒に食事をしていると、食堂に置かれていたテレビがこういうことを言いだした。

「きょう未明、静岡県富士市内のマンションの一室で、女性が倒れているのを管理人が発見しました。管理人によりますと、女性は、このマンションの住人の着付け講師、村田祥子さんとみられ、警察は、村田さんの周りでトラブルはなかったか、交友関係を調べることにしています。」

「はあ、また殺人事件かな。よくある世の中だなあ。」

杉ちゃんは、大きなため息をついた。

「警察の調べによりますと、死因は、毒物による中毒死とみられ、遺体のすぐそばに在った麦茶の中から、毒物が検出されたため、警察は殺人事件とみて、捜査しています。」

アナウンサーは、タンタンとそういうことをいうが、杉ちゃん含めて、利用者たちは、こんな身近で殺人が起きる何て、一寸怖いわねえ、何てそういうことを言っていた。

その事件の話は、そこまでになったが、その事件が放送されて数時間後。

「おーい杉ちゃん。」

と、華岡が、製鉄所にやってきた。

「なんだ、華岡さんか。僕に何のようなの?」

と、杉ちゃんがデカい声で応答すると、

「いやあ。ちょっと聞きたいことが在るんだがね。」

と、華岡は、縁側で着物を縫っている、杉ちゃんのところにやってきて、そう聞きだした。

「杉ちゃんさ、菊池妙子という女を知っているな。」

「ああ知ってるよ。カールさんの店で、彼女に会った。なんでも、成人式の振袖を買いたいというので、店に来たよ。」

杉ちゃんが言うと、

「実はな、今回捜査している、村田祥子が殺害された事件。いま、彼女が経営している着付け教室の生徒を、順々にあたっているんだが、どうもその菊池妙子がアリバイが取れないんだ。なんでも彼女は村田が殺された日、買い物に出かけていた、と証言しているんだが、その裏が取れなくてねえ。」

と、華岡は妙な話を言いだした。

「買い物に出かけていた?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「ああ。何でも、呉服屋さんに出かけていたというのだが。」

と、華岡は話し始めた。

「ああ、そういうことね。其れならまずその通りだよ。僕と、カールさんで、相手をしたから分かる。確か、成人式の振袖を買いにきたとかで、一寸寸法の足りない、振袖を買って帰っていったよ。」

杉ちゃんがそういうと、

「じゃあ、それでは、買い物に出かけていたというアリバイは、杉ちゃんとカールさんが、証明してくれるわけだな。」

と、華岡は言った。

「まあそうだね。それでは、彼女を犯人とするのは早いよ。幾らアリバイが怪しいからと言って、そう決めつけてはいかん。」

と、杉ちゃんは、そういうことを言った。其れもそうだなと、華岡は腕組みをして考える。

「それでは、着付け教室の生徒をしていたものは、アリバイが全員成立してしまうことになっているな。一応、怪しい奴は、菊池妙子だろうなと思っていたんだけど。」

「まあねえ、華岡さん、いくらアリバイがないということで、決めつけてしまうのは一寸早いということだ。そうじゃなくて、もうちょっとしっかり、調べなおしてから行くということだよ。」

杉ちゃんにそういわれて、華岡は、あーあとため息をついた。

「捜査は早く終わらせれば良いとか、そういうことを優先させすぎるあまり、いい加減にしちゃだめだよ。警察は、ちゃんと任務を果たさないとねえ。」

杉ちゃんがそういったのと同時に、四畳半のふすまがガラガラっとあいた。

「水穂さんのお食事が終わりました。」

と、出てきたのは、紫色の鮫小紋の着物を着た、土師煕子さんだった。杉ちゃんが、煕子さんが持っている、お皿を覗き込むと、しっかり空っぽになっていて、文字通り、完食である。

「はあ、良く食べるね。やっぱり、煕子さんの作ってくれるおかゆは、化学調味料を一切使っていないから、おいしいのかなあ。僕が作っても、絶対残してしまうんだけどね。」

と、杉ちゃんが一寸うらやましそうに言った。確かに、煕子さんの作ってくれる食事は、化学調味料を全く使わず、天然の調味料だけで、作ってあるから、当たらずに食べてくれるのだろう。

「それで、煕子さん。あいつ、苦しそうだったとか、そういうことはしなかったんですかね。」

杉ちゃんがまた聞くと、煕子さんは、にこやかに笑って、

「ええ、おいしそうに食べておられました。何もせき込むこともないし、苦しそうな顔もしてはおりません。今は、気持ちよさそうに眠っていらっしゃいます。」

と、いうのであった。

「そうか。やっぱり、昔ながらの食べ物はうまいんだあな。僕たちにはとてもまねできない。たまに来てくれてうれしかったよ。ありがとうね。」

と、杉ちゃんは、煕子さんに頭を下げる。

「いいえ、大丈夫ですよ。私たちはただ、昔ながらのお料理を、継承していくことに使命感をもってやっているだけですから。きっとこれから、化学調味料に過敏な子供さんは沢山出てくるでしょうし、大人だって、それは同じことだと思いますから。」

「おい、杉ちゃん、誰なんだよ。このばあさんは。水穂の料理人みたいな人か?」

と華岡は、杉ちゃんの腕をついた。

「この人ね。彼女は土師煕子さん。ポカホンタスっていう、料理教室の先生。」

杉ちゃんがそう紹介すると、煕子さんは、静かに頭を下げた。

「まあ、こういう風に、戦前に普及していた、化学調味料を使わない食事を提供することを、目標として、活動しているそうです。水穂さんみたいに、化学物質に過敏な人に、ご飯をたべさせてやることも、仕事のひとつとしています。」

「そうなんだね。それでは、今日の聞き込みは何も収穫なしか。杉ちゃんには、菊池妙子のアリバイを固められてしまうし。あーあ、今日はなんで事件の進展がないんだと。」

と、華岡は、大きなため息をついた。

「菊池妙子?」

と、不意に土師煕子さんがそういうことを言った。

「そうなんですよ。もしかしてご存じでしたか?」

華岡が聞くと、

「ご存じというか、私の料理教室に来ていたんですよ。普段、うちの料理教室に来るのは年寄りばかりなのに、彼女はまだ、20歳になったばかりというわけで、驚いていましたよ。」

と、煕子さんは言った。

「そうなんですか?彼女、あなたの料理教室に?」

「ええ、ずいぶん熱心に通ってこられていましたが、数か月でやめていかれました。なんでも、私たち年寄りが、学校の事とか、そういうことをしつこく聞いてくるので、それが嫌だったようです。」

「まあ、まあ、そうか。確かに、そういう気持ちになっちゃうよな。年よりの基準では、若い奴は學校に行っているのが当たり前だからなあ。でも、彼女、カールさんの店に来たとき、看護学校に行っていると話していたけど?」

と、杉ちゃんが、煕子さんの話に口をはさんだ。

「まあ、そうなんだけどね、杉ちゃん。彼女は、確かに看護学校に通っているが、その前の学歴が問題でね。彼女は、高校にいったことがなく、独学で、大検に合格して、それで看護学校に合格していたんだ。なんでも、彼女はもともと医者を目指すようなエリート学校にいたのだが、うまくなじめなかったんだな。それは、俺たちの聞き込みではっきりしているんだ。」

と、華岡が言った。

「まあ、私は、学校の事は口にしないようにとみんなに呼びかけたんですけどね。でも、年寄りとなると、レールを外れた若い子の話を聞きたがるのが好きになってしまうかしらね。それでは、彼女が居辛くなってしまうのも仕方ないわね。」

「そうか、それで、彼女は、料理教室をやめた後、着付け教室に通い始めたのか。何か、日本の伝統文化を習いたいきっかけでもあったのかな。」

と華岡がまた言った。

「でも刑事さん。あたしはわかるんだけど、彼女が殺人をする何てそんなこと無いと思うわ。彼女に接したことが在るからわかるけど、彼女はとても繊細で優しい人よ。医者を目指すのは無理だけど、看護師として、ちゃんとやりたいって、それを、私に話してくれた人だから。」

煕子さんが、静かにそういうことを言う。

「確かに僕も煕子さんの言う通りだと思う。だってあの時の振袖をえらんでいた時も、彼女はとても楽しそうで、きちんと意思も示していた。成人式の振袖は、これで出たいとしっかり話してくれた。カールさんの説明だってちゃんと聞いていた。だから、彼女は決して曲がっているところはないと思う。」

杉ちゃんもそういうことを言った。

「そうなのか。それでは、杉ちゃんの言う通りだったら、確かに彼女がそういうことをしてしまうという可能性は低いかもしれないけれどさ。でも、ねえ。杉ちゃんと買い物をしていたアリバイもあるのだが、俺はどうも、彼女が黒であるような気がしてならない。其れは、やっぱり刑事の勘というか、、、。」

華岡がそういうと、華岡のスマートフォンが音を立ててなった。

「おう、華岡だ。ああ、そうか。目撃者が出たのか。ふんふん、なるほど。わかった。増田呉服店を出た後に、村田祥子の家に向っていく、不審な女性がいたと近所の住民が目撃しているのか。」

と、華岡は、電話を切った。

「はあ、で、その変な女性が、菊池妙子であるという事か。」

「まだあるぞ。村田祥子は、着付け講師としては非常に有能であったが、最近うつ病の症状があって、時々、妄想を話すこともあったんだそうだ。」

華岡は、杉ちゃんにそういうことを言った。

「そうだったんだね。其れなら伝統文化を習いたくてしょうがなかった、彼女、つまり菊池妙子は、その妄想的なことを信じ切っていたということもあるのかなあ。」

と、杉ちゃんが華岡の話しに突っ込みを入れた。

「それ、なんとなくわかるかもしれないわ。料理教室を、やっているときに、たまにいるんだけど、訳ありの人が来ることが在るのよ。すごく重たい事情を抱えている人が、伝統を習いたいことって、珍しいことじゃないわ。」

煕子さんは、そういう事を言った。

「確かに、そういうことはあると思うよ。だけど、彼女がね、なんで自分が通っている着付け教室の先生を、殺害というかそういうことをしなきゃならなかったんだろう。もし、鬱的なことを発言してくるんだったら、止めるはずだ。其れは、やってはいけないことだからなあ。」

と、杉ちゃんが言うと、煕子さんも華岡もそれぞれ違う表情をして、一寸ため息をついた。

「そうかしらね。私は、違うと思うわ。彼女は、とても熱心な生徒だったわ。きっと、良い学校に行っていたら、すごく優秀な大学に行けると思われるくらい、すごく熱心に勉強してたのよ。着付け教室でも、同じことだったと思う。だから、きっともしかしたら、鬱の妄想的なことも、本当だと思い込んでしまったのではないかしらね。」

「うん。僕もそういう事だと思う。彼女は、きっと、その村田さんが死にたいとかそういうことを口走って、そういうことを、真実だと思い込んでしまってさ。その通りにしてしまったんだろう。でも、彼女は、けっして悪い奴じゃないよ、だって、あの、菊の振袖をえらんだのは彼女だし。」

と、杉ちゃんと、煕子さんは相次いでいった。

「確かに、杉ちゃんの言う通りかもしれないけれど、自殺幇助は立派な罪になるんだ。どんなに悪い奴じゃなくても、犯罪者には変わりない。」

と、華岡が、刑事らしくそういうことを言った。

「まあ、そうだけど、彼女は、きっと心がきれいで、着物をしっかり選ぶことができる女性だよ。伝統料理を習ったり、着付けを習ったりすることも、彼女は、そういうことをできる人物であると思うけどね。」

杉ちゃんがそういうと、煕子さんが、

「ええ、彼女は、素晴らしい感性を持っている女性よ。でも、なぜか使うところを、間違えてしまったのね。其れは、ちゃんと償わなければならないけれど、今度は、こういう時じゃなくて、別のところで発揮してもらえたらいいのだけれど。」

と、にこやかに笑って、そういったのだった。

「結局のところ、そういう使い道を、誰かが教えてくれないのが、今の時代ってことだな。僕としては、中振袖とか、小振袖の使い道を、しっかり教えてあげたいものです。」

杉ちゃんは、はあとため息をついた。



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美しき振袖 増田朋美 @masubuchi4996

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