第4話 文字国家

 では、文字国家の消長はどうだったのだろうか。こちらの国でもまた、一言では語り切れない様々な事件が起こった。


 人は喋る能力を失ったが、文字の恩恵は享受できた。そのため、音声国家で大問題となった喪失のほとんどは起こらなかった。知性は十分保たれ、技術の継承も円滑に行われた。無論、プログラミング言語も生きていた。


 こうして音声国家と対比しながら述べていくと、いささかその苦労が薄らいでしまいそうだが、もちろん負の側面も多くあった。


 その最たるものが、コミュニケーションの難化だろう。紙とペン、それから携帯などを活用し、文字による会話を始めた人々。音声とは勝手が大きく異なるために、相当戸惑っていた。文字の難しい点は、言語のディジタルな側面が強調されてしまうことだ。音声言語は音を媒介とすることでアナログ性を獲得している。だから情緒をダイレクトに乗せられるのだ。また、非言語コミュニケーションとの親和性も高い。口で音を出しながら、表情の変化や身振りなどの情報を上乗せできる。


 文字を使う場合、その出力時に非言語コミュニケーションを織り交ぜるのはなかなか難しい。ペンを使って文字を書くときも、携帯で文字を入力するときも、人は言葉の出力に専念する。自然に表情ができていたとしても、受け手がその意味を読み取るのは容易ではないだろう。非言語コミュニケーションの方が、言葉よりも多くの情報を伝達するという話があるが、それは音声言語があってこそなのではないかと思う。音声が話の枠を提供することで、表情や身振りの持つ意味が投錨される。だからこそ、非言語コミュニケーションが多くを伝えられるんじゃないだろうか。


 ともかく、音声を失った人々は他者との交流に難儀していたのだ。その一方で、文明の崩壊は上手く回避していた。それどころか、科学技術は発展を始めていた。音声言語を持っていた頃に比べれば、それは牛の歩みに等しいほどのものであったが、まぎれもなく進歩を遂げていたのだ。


 ここまで聞くと、文字国家は安泰であるように聞こえる。だがこれは、せいぜい数十年後までの話。よくそこまで持ち堪えたと称揚されるべきだろうが、いずれにしろ衰退は始まった。


 切っ掛けはこれであると、明示するのは極めて難しい。もともと火種はあちこちに巻かれていた。それが連鎖するように爆発し、衰退に至ったのだ。


 その火種というのは、コミュニケーションの中にあった。先に示した通り、文字ではこめられる情報の質が、音声とはかなり異なる。だから会話には不向きなのだ。しかし文字国家では、文字を使わざる負えない。そこで発生した、文字によるコミュニケーションの齟齬といのが火種なのだ。初めは小さな齟齬だと受け流せても、積み重なっていけば苛立ちになり、さらに積もり続けば憤怒と化す。


 感情を上手く表現できない。感情を上手く読み取ることもできない。楽しさが悲しみに、励ましが皮肉に、冗談が攻撃に、共感が反発に塗り替わる。そんな、普通じゃ考えられない食い違いが、コミュニケーションの過程で頻発した。苛立ちが燻っていき、齟齬をさらに増長するという悪循環の結果、人々は次々と鬱憤を暴発させ始めた。


 初めは、個人同士の喧嘩が生まれる程度だった。それが次第に規模が拡大し、集団同士の喧嘩になり、地域同士の争いになり、果てには国家同士での戦争が起こり始めた。


 そこからの衰退は急激だった。滝の水が落ちるように急激だった。先に述べた通り、初期の文字国家は発展を遂げていたのだが、それが仇となった。発展した技術は軍事転用可能なもので、その技術を用いた兵器が悲劇を倍加させた。一呼吸する合間にも、大量の人が死んだ。



 さて、以上が精霊の戦争により人が受けた被害のあらましである。一時は本当に人の世が終わってしまうのではないかとさえ思えた。だが、知っての通り人はまだ現存している。さあ、最後の終戦について語っていこう。

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